ワークライフバランス実現に向けて 節電経済の追い風生かせ

山本 勲
慶應義塾大学准教授

電力不足による節電の影響で、この夏、日本人の働き方が変化している。残業抑制、勤務体系の柔軟化、サマータイムの導入、在宅勤務の拡充、長期休暇取得促進など、労働時間の減少や休暇の増加、仕事の分散化を図ることで多くの企業が節電に努めている。

こうした変化は震災後の短い期間で生じたこともあり、制度の変更や仕事の進め方の見直しに伴う混乱や非効率化に悩まされている企業も少なくないだろう。企業が節電対応として一時的に採用した制度も多いため、電力不足が解消された暁には、人々の働き方が元に戻る可能性もある。

注目すべきは、節電対応でとられている多くの措置が、仕事と個人の生活のどちらも充実させる「ワークライフバランス(仕事と生活の調和)」と親和的なものだということである。これまでも企業によっては、従業員のワークライフバランスの実現に向けた積極的な取り組みを進めてきた。その結果として、業績や生産性の向上につながる成功を収めている企業もある。

そうした経験から学ぶことで、企業は、今回の節電対応による働き方の変化を単なるコスト増に終わらせず、将来、業績や生産性の向上といったリターンにつなげられる可能性がある。そのような動きが広がれば、今回の変化は一過性のものにならず、日本人の働き方がワークライフバランスを実現しやすい方向に大きく転換するきっかけになるだろう。

それでは、企業によるワークライフバランスヘの取り組みは企業業績や生産性にどのような影響をもたらすのか。以下、この点について、筆者が慶応義塾大学産業研究所の松浦寿幸氏と共同で、経済産業研究所で進めた研究をもとに、考えてみたい。

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企業の取り組みが業績に与える影響を把握するには、一定期間、企業活動を追跡調査したデータ(パネルデータ)を用いることが望ましい。ある時点のデータをもとに施策をとっている企業ほど業績が優れているという関係を見いだしたとしても、実態としては、大企業や優良企業で優れた業績を出している企業ほど余裕があるので施策を実施できる、という「逆の因果関係」が反映されていることが往々にしてあるからである。

そこで「企業活動基本調査」(経済産業省)の個票データと独自のアンケート調査を組み合わせることで、過去十数年間の1677社の企業パネルデータを構築し、施策を導入した企業が他の企業と比べて、その後に高い業績の伸びを示したかどうかを定量的に検証した。

施策導入後の業績変化の比較により、どのような企業で施策がその後の業績にプラスの影響を与えたかを正しく把握できる。また、企業の業績として労働時間の違いまでを考慮した時間当たりの生産性(全要素生産性=TFP)に注目することで、企業の中長期的な成長力に与える影響を検証できる。

分析の結果わかったのは、施策の導入が企業の生産性を高めるケースはみられるが、その多くは、実際の生産性上昇までに数年の期間を要していることである。グラフは、推進組織の設置などの取り組みを実施した企業と、実施していない企業の生産性の推移を比べたものだ。施策の導入後、しばらくは他の企業と生産性の伸びに違いはみられないが、数年たつと大きく伸びていることがわかる。

グラフ:ワークライフバランスへの取り組みで企業の生産性は変わる
グラフ:ワークライフバランスへの取り組みで企業の生産性は変わる

さらに、より精緻に統計的に検証すると、1~2年で効果がみられることもあるが、5~6年以上の中長期的なスパンで生産性の上昇をもたらすケースも多いことが確認できる。企業によっては短期的には様々なコスト増を覚悟する必要があるが、施策の導入により将来の生産性を高められることを示唆している。

つまり、現在の節電対応での混乱や非効率化は避けて通れないかもしれないが、試行錯誤を重ねてその時期を乗り越えられれば、中長期的な企業業績の向上につながる可能性があるといえよう。

では、どのような施策が企業の生産性上昇につながりやすいのか。施策の種類としては、推進組織の設置などの取り組みや、長時間労働是正の組織的な取り組み、非正社員から正社員への転換制度などの対策に効果がある。

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さらに、企業特性としては、従業員300人以上の中堅・大企業や製造業、過去の不況期に従業員数を減らさず労働力を維持してきた企業、男女均等の雇用制度をとっている企業などで、施策の導入がその後の生産性上昇につながりやすい。そもそも施策が企業の生産性を高める経路としては、採用成績の向上や有能な人材の定着率上昇、従業員のモラル向上などが指摘されている。

このため、施策の効果は、人材を大事にするような企業で表れやすい。つまり、人材活用を通じて成長していくビジネスモデルが当てはまる企業では、従業員のワークライフバランスの実現に資する施策は単なるコストではなく、投資という側面があるので、経営戦略の1つとして積極的に活用すべきだといえる。

ここで興味深いのは、「施策導入によリ生産性が上がりやすい特性のある企業ほど、施策の導入が大幅に進んでいる」というわけではないことである。施策に対する認識や理解はいまだ進んでいない。現時点では一部の導入企業が試行錯誤の末、成功しているにすぎないといえる。

しかし、企業によっては施策が生産性を高める特性を持っている。政府としても、そうした企業に対して、施策の効果や成功事例の情報を提供することで、企業による自発的な施策の導入を促すことができよう。

もっとも、政府による働きかけがなくとも、今回の節電対応は、半ば強制的に企業が施策の導入を余儀なくされたようなものである。働き方の変化を一過性のものに終わらせてしまえば、そこで生じたコストは回収されないままである。しかし、今回の節電対応をワークライフバランス施策の一環としてとらえ、中長期的に生産性が上昇していくような工夫を重ねることで、人材を有効活用する企業などでは、コストを上回るリターンを得られる可能性がある。

そのためには、単に施策を導入したり、従業員の働き方を変えたりするだけでは不十分であろう。非効率な仕事の進め方を組織的に見直したり、仕事の役割分担や権限の明確化を図ったり、情報通信技術(ICT)を活用して職場で従業員が顔を合わせなくても仕事が進む体制をつくったりするなど、人事・労務管理上の工夫も併せて実施することが必要である。

そうすることで、短い労働時間・日数でも多くの業績を上げることが可能になる。また、従業員が自らの裁量で積極的に休暇を取得できるような職場環境がつくられることも期待できる。

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最後に、企業におけるワークライフバランス施策の1つとして、注目すべきはボランティア休暇の充実だろう。休暇に関する施策としては、これまで育児・介護休暇や有給休暇の取得促進が注目されてきた。しかし、今回の震災を機に、ボランティア休暇を取得しやすい環境を整備することの重要性が高まっている。

筆者も震災後ボランティア活動に携わっているが、被災地では中長期にわたる支援が必要とされており、企業に勤める従業員が休暇を利用して現地入りしたり、継続的に支援活動をしたりする体制づくりが急務といえる。

ボランティア休暇についても、やはり他のワークライフバランス施策と同様に、企業における人材力の向上を通じて、将来の生産性を高める要素は十分にある。ボランティア活動で様々な経験を積んだ人材をビジネスに活用することは、企業にとっても、中長期的に大きな生産性の向上につなげられると考えられる。

働き方というものは、人々の長年の行動の積み重ねで形成されるため、たとえ非効率的な働き方をしていたとしても、何らかの外的なショックが生じないと変化しにくい側面がある。今回の大震災や節電対応で生じている働き方の変化はいわば外的なショックによるものである。

この不幸にも生じてしまった外的ショックを逆手にとり、企業や労働者がこれまでの慣習にとらわれずに、生産性上昇につながるような効率的な働き方や豊かさを実感できる働き方を見いだすことが重要といえよう。

2011年8月11日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2011年8月24日掲載

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