Blind Spots of University Reform through Transformation into IAIs

国立大学法人化による大学改革の死角

澤 昭裕
RIETIコンサルティングフェロー

Abstract

Japanese national universities are to be turned into independent administrative institutions (IAIs) in April 2004 under the Toyama Plan announced in June 2001. This major policy shift of the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology is meant to: (1) bring greater independence and autonomy to universities, (2) realize agile and strategic management through private-sector approach, (3) enable top-down management under university president, and (4) make university management more transparent. However, some questions that may impair the spirit of the reform remain unanswered.
The first question is how to enable each university to distinguish itself from others by setting and pursuing its own missions. Regulating all the national universities under a single establishment law might lead to the revival of the convoy system, making universities reliant on the government's protection and uniform guidance for reform.
Secondly, the proposed private-sector approach, albeit in the right direction, has some pitfalls. Universities would not have full authority to decide on their organization ― establishing and abolishing departments ― and this would prevent flexible reorganization for enhancing efficiency and effectiveness. Giving universities greater discretion in personnel policy is good. For this, however, each university should establish its own remuneration system based on merit and ability. Emerging moves to set a model wage system is problematic. Each university should decide tuition amounts for respective departments in accordance with the educational level and graduates' income of each department, but this will unlikely happen under the proposed reform. It also remains questionable whether government subsidies will be granted and used in an efficient and strategic manner.
Thirdly, the proposed reform on universities' decision making system ― external members' participation in deciding significant matters and greater power to president in relative to faculty council ― may hamper efficient decision-making and management. Management and education functions should be separated and greater authority given to deans. Administrative function must be enhanced, too.

はしがき

国立大学の法人化が、平成16年4月に迫ってきた。法案は来年の通常国会に提出される予定である。一方で、大学の構造改革政策として、ロースクール等の専門大学院の設置や国立大学の統合・再編が推進されようとしている。戦後直後に行われた学制改革以来の規模とインパクトを持つ改革が、国立大学に訪れようとしている。本稿は、これから本格化するであろう各大学での法人化に向けての制度設計作業に当たって、作業を担当する実務家が留意すべき点を示すことを目的とする。

1.文部科学省の方針転換

戦後の文部科学省の高等教育行政は、法制度上は、大学運営に関して教員の任免等に係る実質的人事権以外のほとんど全ての権限を有しながらも、「大学の自治」に対する配慮から直接的な介入を避け、大学側の納得づくで漸進的に改革を進めながら、大学の自主性と高等教育に対する社会的・国家的要請のバランスを取ってきた(注1)。文部科学省は、性急に改革を求める大学コミュニティの外部勢力に対しては、防波堤として立ちはだかる一方、大学コミュニティに対しては、そうした改革圧力が高まっていることを認識させ、学内で取りうる現実的な運営改善策を自主的に案出させることで、高等教育行政の社会的な説明責任を果たしてきたと言えよう。

平成8年11月から始まった中央省庁再編のための行政改革会議においても、国立大学の独立行政法人化がアジェンダに上るや、文部科学省は強い反対の論陣を張り、問題は先送りされた。しかし、産業の国際競争力の低下による産学連携の必要性の増大や大学における専門的教育の質に対する疑念が、産業界や政界に高まる一方であることを背景に、文部科学省は国立大学に対して改革は不可避であることを説き続けてきていた。最終的には、小泉政権が誕生し、総理の政府事業民営化等を核とする構造改革方針は揺るぎないものであると認識したことによって、文部科学省は大きな方針転換を図る。平成13年6月に打ち出されたいわゆる「遠山プラン」である。「遠山プラン」=「国立大学の構造改革」は、3つの要素で構成されている。第1に国立大学法人への早期移行、第2に国立大学の再編・統合、第3に競争的環境の強化である。

その発表以降、文部科学省は国立大学側に対して、予算配分や機構定員に関する権限を駆使しながら、遠山プランに沿った改革を進めるよう、強力に指導し始めた。最も大きな問題になるだろうと思われた教職員の身分も、総合規制改革会議などの場で非公務員型が基本という相場観が形成され、国立大学の教員の中にもそれに呼応する声があったことから、非公務員に決定した。しかし、行政改革会議から数えて遠山プランまで5年、実際法人化される時期を考えれば、実に8年の歳月が経過することになる。日本の経済社会の発展に大きな影響をもつ大学改革がここまで遅れたことで、中国を中心とする新興アジア諸国の大学との競争にも後れをとったのではないかという指摘も出ている(注2)

筆者は、第二期科学技術基本計画の策定や工業技術院研究所の独立行政法人化の実務に携わった経験から、研究組織としての大学改革に関心をもち、大学のマネージメント変革について提言したことがある(注3)が、その趣旨は、文部科学省が有していた資源配分権限などの高等教育法制上の権限のほぼ全てが、独立行政法人化によって国立大学に委譲されることを契機に、国立大学が自己統治の仕組みを整備し、競争的なマネージメント手法を取り入れて、グローバルな競争を意識しながら、教育研究能力の向上を目指すべきであるというものであった。その意味からは、今回の遠山プランに基づく大学の構造改革自体は歓迎すべきものと評価しなければならない。しかし、実際の改革プロセスに携わる実務家としては、理念どおりに事は進まないことに注意すべきである。今後各大学と文部科学省の間で進められていくであろう法人組織運営の制度デザイン作業において、法人化の主旨や精神がないがしろにされないために必要な点を述べてみたい。

2.基本的視点

遠山大臣が、平成14年8月30日に経済財政諮問会議に提出した資料によれば、国立大学が、独立に法人格をもつことのメリットは次のとおりである(注4)

(1)大学ごとに法人化 → 大学の自主性・自立性を十分に確保

(2)民間的発想の経営手法 → 機動的・戦略的な組織・財務運営

(3)「役員会」制の導入 → 学長中心のトップマネージメントの実現

(4)学外者の役員等への参画 → 開かれた大学運営

こうした理念を制度上担保するのは、次期通常国会に提出される国立大学法人法案である。本稿が掲載される時点においては、既に法案の詳細まで、内部的には固まっていると考えられるが、その後の国会審議などでも、次の諸点については十分議論されるべきである。

2.1.国立大学法人法の死角

各大学の存在自体が、法的にどのような形で規定されるのかという問題は重要である。文部科学省の「国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議」(以下「調査検討会議」という。)などの検討過程では、「大学ごとに法人化」ということが、法制度上、国立大学法人の通則を規定した法律とは別に各大学ごとに設置法を作ることを意味するのか、それとも国立大学法人の通則法の中に、例えば別表として各大学の名称が列挙されることを意味するのか、明確になったことはない。

しかし、実はこのどちらになるのかは重大な問題である。既に法人化された他の独立行政法人の場合、通則法とは別に個別組織の設置法が制定されており、それぞれの組織のミッションが規定されている。このことによって、他の独立行政法人の政策的意義付けやミッションに変化がなくても、ある独立行政法人は、環境の変化にともなって、(所管官庁が国会に法案を提出することによって)自己のミッションを変化・展開させていくことが可能となる。

行政の常識からすれば、国立大学のミッションは大学によって異なることはないという考え方が支配的であろうし、各大学ごとに設置法を制定するべく、90本以上の法案を一国会で審議・成立させることは実際上困難であることから、全ての(統合・再編後の)国立大学が、一律的なミッションとともに、一本の国立大学法人法案の中に規定されることが予想される。しかし、これでは大学の多様化・個性化という、ここ最近の大学改革の方向性に逆行しはしないか。今後、国からの研究資金に占める競争的資金の割合(現在8%)が増大していく中で、研究重点大学と教育重点大学(注5)の種別化が生じたり、グローバルな競争に参加する大学が出てくる一方で、地域との連携を強める大学も数を増すといったことが起こってくる。

こうした大学の本格的な多様化は、単に国立大学法人法案で規定される中期計画の差別化のみで実現できるわけではなく、自己のミッションを他の大学と差別化することを法的に明確にしながら、民営化を含め、経営体としての意思決定やガバナンスの仕組みに各大学が工夫を凝らしたり、設置形態や国境を越えた連携をも模索することによって、現実のものとなっていく。大学側の自己責任による選択を制度的に保証するのは、各大学個別の設置法であるといっても過言ではない。大学の戦略企画を担当し、野心的な試みを志向する実務家にとってみれば、自大学の戦略の大胆さが、国立大学全体の枠組みに影響を及ぼすかどうかまで顧慮しなければならないとなれば、発想の自由度は狭まることになろう。

つまるところ、全ての国立大学を1つの枠組みの中に押し込めることになれば、その枠組みの中で横並びに安住する国立大学側の思考停止を生み出し、自由な経営展開を阻むばかりか、改革したはずがまたもや護送船団方式の依存体質を生み出してしまうことになりかねない。国立大学法人法案一本か個別設置法案を国会提出するかは、単に法技術的問題ではない。仮に国立大学法人法案一本でいくとすれば、上記のような点について、どのような考慮が払われたかを明らかにしておく必要がある。

2.2.「民間的発想の経営手法」の落とし穴

「民間的発想の経営手法」を確保するためには、大学運営に関する組織、人事、予算関連の権限が、国立大学法人の長の責任の大きさに応じて、文部科学省から委譲されなければならない。しかし、上記の資料が提出された経済財政諮問会議の質疑においては、何人かの議員から権限委譲の実現性に関して疑問が呈されている(注6)。遠山大臣はそれらの疑問に対して、「国立大学法人に切り替われば、(学部学科の設置規制の緩和などの規制改革は)全部できる」と答えているが、実際には、いくつか注意すべきポイントがある。

2.2.1.内部組織の決定権限

学部・学科の設置認可制度の廃止については、小渕政権時代の第7回産業競争力会議(平成11年9月6日)において、日米のバイオ、IT等ハイテク関連の研究者の層の厚みの差が、大学における内部研究組織の硬直性から生じているのではないかとの問題意識から、産業界委員から正式に提起された問題である(注7)

それから3年を経て、大学の内部組織については、今次臨時国会に、「学問分野を大きく変更しない学部・学科の設置」に関して認可制を届出制にする法案が提出されることになった。だが、これは基本的には私立大学に対する規制緩和に主眼があるととらえるべきであり、国立大学の学部・学科については、国立大学が現行法制のように文部科学省の一組織として位置づけられているかぎり、その設置・改廃が大学の自由であるとはいえない。今後、法人化に向けて、弾力化されるのではないかとの期待もあったが、調査検討会議の最終報告にあるように、大学組織の基本的な単位である学部などについては、法令(省令)で制定される見込みである。

内部組織をどう構成するかは、その組織が外部に対してコミットするミッションを、最も効率的・効果的に遂行するという観点から検討されるべきである。民間経営体にとって、内部組織構成の決定は、経営資源をどのような事業部組織に投資・分配すれば、株主に対してコミットした利益を上げることができるかという最も根源的な経営意思決定の1つである。学部の構成も、大学の教育研究組織の基本的な単位であるからこそ、法人化すれば外部者となる文部科学省の意思が依然として大きな影響力をもつことになる法令の形ではなく、大学側に権限を全て委譲すべきであったと考えられる。

別の言い方をすれば、学部が法令によって規定されるという含意は、もし学部運営に問題があり、教育研究力が落ち込んで、廃止されることが適当であると判断される状態に陥った場合、その状態を改善すべき責任が誰に帰属するのかが不明確になるということである。外部評価やアクレディテーション制度が存在しなかったこれまでの国立大学であれば、そうした事態に陥っても当該学部が存続の危機に瀕するということはなかったであろうが、大学の業績が予算や処遇に反映される法人制度においては、経営判断としてそうした学部を廃止することを迫られることになる。こうした場合、全ての経営責任を有する(はずの)学長が廃止の決断をするのだろうか、それとも文部科学省が法令を改正するイニシアティブをとるのか、それとも学長の決断には何ら介入しないのか。両者間の決断の押し付け合いを避けるためにはどうすればよいのか、調査検討会議においては、何ら検討された形跡はない。

2.2.2.人事制度の変革

教職員の人事については、国立大学法人は非公務員型になることが決まっている。先述の遠山大臣の提出資料によれば、(1)「能力主義」の人事・給与の徹底、(2)外国人の学長・学部長等への登用、(3)任期制・公募制の推進、(4)兼業・兼職の大幅弾力化が、非公務員型のメリットとして挙げられている。

兼業・兼職については、産学連携の必要性の認知とともに、現行の教育公務員特例法の中でも、ある程度進んできている。現在では、兼業の承認を各大学学長が行えることになっているため、これ以上の規制緩和は望ましくはあるものの、大学教員の人事問題の主題ではなくなりつつある。むしろ、兼業に係る人事関連規定の運用に当たっては、今後法人化された国立大学の教員が、兼業先や兼業形態の多様化を進める中で、例えば収入の多寡についての社会的評価や研究成果の公共性・公開性をめぐる利益相反問題(注8)に巻き込まれるリスクが高まることは必然であり、大学ごとに兼業ガイドラインを定めることによって、そのリスクを教員個人に負わせないような配慮が求められる。

任期制・公募制については、人的流動性が研究者の競争意識を高めるとともに、大学のインブリーディングによる研究の停滞を防ぎ、研究者個人に付着した研究情報の組織を越えたディストリビューションを促進する効果がある(注9)。任期制・公募制を推進することについては、行政よりも大学側の抵抗感の方が強い。身分の安定が継続的な研究に繋がるという教職員組合や、講座制のもとでの後継者育成を継続することを欲する教員からの反対が中心である。筆者は日本全体の研究開発システムを考えた場合、大学のみならず、独立行政法人研究所や企業の間の、研究者の流動性を相当程度高めなければ、グローバルな研究競争に勝ち残ることは難しいと考えているが、国立大学法人において任期制を取り入れていく際には、特に現在雑務に忙殺されている助手にしわ寄せが行かないよう、徒弟的な助手制度の廃止と独立した研究者たることを保証するアシスタントプロフェッサー制導入が不可欠であると考える。法人化に当たっての最大の人事問題は、「能力主義」(注10)の処遇体系をどう構築するかという問題である。筆者は、独立行政法人産業技術総合研究所を設立する際、前身組織の工業技術院人事課長の職にあったが、新研究所の人事処遇体系を検討するに当たって、最も時間をかけたのが新研究所における研究者のキャリアパスの標準モデルづくりであった。現代はもはや、研究者がパトロンを見つけて、自分の興味ある研究課題に没頭するという時代ではなく、研究者もある組織に属して、研究資金を競争的に獲得し、優れた成果を世に出すことによって研究者コミュニティにおける地位を確保し、更に恵まれた研究環境を手に入れるという時代であり、研究者は自己のキャリアパスを常に意識しながら、属する組織を選択している。新しく生まれる産業技術総合研究所としては、優秀な研究者をリクルーティングするに当たって、同研究所に入所した後にはその業績によって評価されることを明示し、どのようなキャリアパスを歩めるのかということを広く公知する必要があったわけである(注11)

また、筆者が研究部長として設計した非公務員型経済産業研究所の処遇体系は、その前身である通商産業研究所には非常勤の研究者しか存在しなかったこともあり、例えば年俸制の導入や積極的な専門家の中途採用、非常勤研究員制度など、公務員型の産業技術総合研究所よりも相当自由なものとしたこともあって、優秀な研究者を集めることに成功している。

国立大学が法人化されれば、外部評価が予算の増減に直結することになるため、優秀な研究者を巡って激しい獲得競争が生じることになる。リクルーティングに当たっての最も有効な手段のひとつである処遇条件を自由に設定する権限が、各大学に与えられるのは画期的な改革と言ってよい。

実績主義の処遇体系に移行するには評価システムの整備が必要条件となるが、大学の場合、研究業績によってのみ教員の処遇に差をつけることは、厳に慎まなければならない。それは、教員が行う教育機能を正当に評価することにならないからである。今次の大学改革論議に当たって、国立大学協会がつとに表明した独立行政法人反対論のなかで、教育機能について触れた部分は、研究機能に関する部分に比べて、圧倒的に少なかった。これは、日本の大学においては、依然として研究活動が教育活動より優先度が高いとの意識が残っていることの強い証左であろう。今回の処遇体系の見直しは、こうした問題を改善するよい機会であり、各大学が自己のミッションをどう規定するかと整合的に、教員に期待する役割を的確に表した処遇体系を構築すべきである。

ところが、こうした画期的改革を無にしてしまう危険をはらんでいるのが、調査検討会議最終報告に記載されている国立大学法人教職員の給与モデル作成の動きである(注12)。あまり注目されていない点だが、各大学が今後独自の給与体系を検討していく際のあくまで参考ということであるとしても、これが大学側からの要請で盛り込まれたとすれば、国立大学の組織運営能力の欠如の現れか、それとも競争制限的な行為であるといわざるを得ない。各大学は、教職員組合との交渉を経て、独自の処遇体系を自力で構築していくべきである。

2.2.3.予算の決定

法人化後の国立大学の予算は、運営費交付金、施設費、競争的研究資金、自己収入などからなるが、予算は組織、人事を運営していくうえにおいて必要不可欠なものであり、この決定方法をめぐっての行政との関係が、法人となった大学の自律性を左右する。予算の問題は、平成16年度概算要求の作業が始まる平成15年春頃から、財務省を交えて本格的な検討がなされることになる。ここでは、調査検討会議最終報告の記載に基づいて、現時点までの検討結果で最も留意すべき2点についてコメントしておきたい。

第1は、自己収入のうち、学生納付金の扱いである。現在学生納付金は国立学校等特別会計の歳入になっているが、法人化後は国立大学法人の収入となる。学生納付金の水準の決定については、教育の機会均等の問題(全国一律低水準であるべき)と大学の自律性(評価の高い大学や学部は高水準も可能)のバランスをどうとるかという問題だが、調査検討会議最終報告では、標準価額制+大学の一定の裁量という方式が示唆されている。しかし、学生納付金による収入の分は、運営費交付金から控除されることが必定なだけに、同制度を導入しても、一部の大学を除いては、全国一律の低水準を志向することになろう。このことは、私立大学との競争条件に深刻な影響をもたらすが、国立大学法人にとっても、サービスと対価の関係を認識させにくくし、コスト意識を醸成するための障碍になる危険性がある。国立大学法人が真剣に改革に取り組むのであれば、寄付金収入を増加するための努力を払うとともに、学生納付金についても、学部ごとに、教育研究水準の自己評価、卒業生の所得調査などに基づいて、その水準を検討していく努力が期待される。

第2の問題は、運営費交付金にまつわる問題である。調査検討会議最終報告には、運営費交付金を次の2種類に分けている。

(1)学生数等客観的な指標に基づく各大学に共通の算定方式により算出された標準的な収入・支出額の差額(=標準運営費交付金)。

(2)客観的な指標によることが困難な特定の教育研究施設の運営や事業の実施に当たっての所要額(=特定運営費交付金)

独立行政法人の運営費交付金の算定ルールは複数存在するが、中期計画の執行に必要な所要額をベースとして、中期計画期間内、毎年一定割合で増加するというルールがその基本である。それに比べれば、(1)は国立大学法人の中期計画執行との関連性は薄く(注13)、大学内の学科や講座数を前提とした積み上げに基づくものではないかとの印象を受ける。こうした考え方は、これまで大学内での機械的・固定的予算配分を許してきたいわゆる「当たり校費」の発想から脱皮できておらず、法人化しても学内の運営費配分に当たって、執行部がどの程度重点的な戦略的資源配分ができるのか、大きな疑問が残る。

また、(2)については、大学側の目からみれば、通常の運営費交付金以外にも国からの予算を受け取れる途が開かれたように見えるかもしれないが、行政側の裁量が働く余地を作ったという意味では、両刃の剣である。当該予算で実施するべき事業が重要であればあるほど、その計画、執行に際しての行政介入の危険を自ら招いたことになっている。

上記2点のほかにも、学生定員の決定権の問題、競争的研究資金や受託研究費に伴う間接経費資金の取り扱い、財投資金負債の問題など、重要な問題が山積しているが、紙幅の関係上割愛する。いずれにしろ、平成15年に本格的に検討される予算システムの変革に当たっては、予算実務の変更が大学の自律性にどのような影響を及ぼすのか、十分注視すべきである。

2.3.経営意思決定システム

経営意思決定システムについては、調査検討会議でも紆余曲折を経た。学長のリーダーシップを前提としながらも、これまでの大学運営が、教授会を中心としたコンセンサス方式で行われてきた伝統に配慮して、学長の権限行使に対する牽制装置としての評議会や運営協議会が考案された。一方、政界や産業界などからは、教授会システムこそ大学停滞の元凶という見方がなされ、大学運営に学外者の参画が必須であって、学長選考に際しても外部の意見を採り入れなければならないとの主張が強くなされた。その結果、運営協議会のメンバーには学外者を参加させることとされ、更に、重要事項に関しては、学長の意思決定に先立って、学外者を含む「役員会」が議決することとなった。

しかし、こうした屋上屋を重ねたような意思決定システムでは、実際上スピーディな意思決定など到底不可能である。例えば学内予算配分のように、教学と経営両方に関連するような重要事項を決定する必要が出てきた場合、現実に最終的な意思決定が得られるまで、どのくらいの時間が必要か考えてみれば、その手間暇の程度がはかりしれよう。仮に諸審議体間で意見が異なるような場合、その調整に手間取り、予算配分が年度前半に確定しないなどということにでもなれば、研究現場での物品調達に数ヶ月かかることが通例であるため、当該年度の実験が実施できないといった事態まで想像できる。

ここ最近の文部科学省の大学改革政策は、教授会の権限縮小、その反射としての学長のリーダーシップ強化が基本となってきた。しかし、国立大学のような総合大学の場合、学部間の価値観や伝統の違いは、産業で言えば異なる業種間ほどの差があり、その大組織の運営を、一人学長のcapacityに依存することは無理がある。筆者は、国立大学法人化の議論の中で経営と教学を分離するオプションを大学側に与えるべきだと主張してきたが、その理由は、経営と教学の一致という組織構成概念が、経営面での権限と責任が文部科学省に属していたこれまでと違い、一個人の能力に過度に依存する組織設計論だからである。確かに、副学長などスタッフ機能を強めることも同時に提案されてはいるが、法人のコンセプトとして、トップが全ての権限と責任を有するという設計になっている限り、スタッフはトップの物理的業務負担を軽くする効果はあっても、本質的な解決にはならない。むしろ、経営責任をとる人物と教学の責任をとる人物を別の存在としなければ、伝統的に尊重されてきた大学の自治や学問の自由が侵される危険性をはらんでいることに留意しなければならない(注14)

経営と教学を一致させることで組織設計が進む場合、上記のような問題を回避するためには、学部長(研究科長)に対して、相当の権限委譲をすることが必要となる。そもそも、大学間競争は、実は学問・研究分野を一にする学部間の競争であることが自然であり、今次大学の再編・統合の機軸も、本来学部という単位を念頭に置いたものでなくてはならない。現在の再編・統合案のほとんどは、同一県内の医科大学と県庁所在地に存在する国立大学の統合である。確かに医工学の融合を図るという名目はあるかもしれないが、単に総合大学とすることによって、学生の募集を有利にするといった目的で行われるならば、再編・統合の効果は限定的なものになるだろう。

最後に事務局の問題に触れておきたい。事務局は、これまで法令に基づく事務処理を的確にこなすことがその任務であった。しかし、これから大学間競争がグローバル化していくに当たって、国際展開、産学官連携、学生確保、競争的資金・寄付金の獲得、卒業生の組織化など、新たな機能をもつことが期待される。そのための人材確保や能力開発プログラムの策定に取り組んでいる大学は、現在どの程度あるのだろうか。学長が事務局職員に対する人事権限や組織編成権をもつことになるが、事務局幹部職員に対する文部科学省の人事権が、それに伴って、どう整理されるかが重要なポイントとなる。筆者は、新たに独立行政法人大学事務管理機構のような組織を作り、現在の大学事務局職員を一括してそちらに転籍させ、その機構から各大学に出向させることによって、上の問題を解決できるのではないかと思うのだがどうだろうか。各大学は、その機構からの出向者と独自のリクルート対象者を競争的に採用することによって、最適な人材配置が実現できる。また同機構についても、競争にさらされる職員の能力開発について真剣に取り組まざるを得ない状況を作り出すことができる。

3.おわりに

本稿では、国立大学の法人化に向けて、これまで調査検討会議などで検討されてきたことを踏まえつつ、残された論点や表に出てこなかった問題について考察を加えた。筆者の議論は相当controversialなものであろうが、法人化といった大変革は50年に一度あるかないかというマグニチュードをもつものであり、この契機に真の大学改革と高等教育行政の転換が実現することに対する期待から出たものである。

実際に作業に当たられる実務担当教職員の方々は、筆者も遭遇したような現実的な制約のなかで、様々な妥協を強いられるだろう。しかしながら、その妥協が理想・理念の本質を曲げない範囲のものであることを期待している。

2002年12月 『計画行政』25巻4号に掲載

脚注
  • 注1)唯一、文部科学省の強力なリーダーシップで行われた改革は、米国式モデルを導入しようとした筑波大学の設立である。
  • 注2)清華大学を中心とする中関村の産学連携の目覚ましい発展は有名である。詳しくは、独立行政法人経済産業研究所のホームページに掲載されている角南篤のコラム参照。
  • 注3)青木昌彦・澤昭裕・大東道郎・「通産研究レビュー」編集委員会編著『大学改革 課題と争点』東洋経済新報社2001年第17章参照。
  • 注4)http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/minutes/2002/0830/item2.pdf
  • 注5)文部科学省は、15年度予算として「特色ある大学教育支援プログラム」選定等経費として1.2億円、選定された大学に重点配分する予算として、140億円余りを要求している。
  • 注6)注4に同じ。
  • 注7)http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sangyo/991203dai7.html
  • 注8)前出「大学改革 課題と争点」第16章参照。
  • 注9)澤昭裕「研究危機を生んだ大学の責任」論座2000年8月号参照。
  • 注10)「能力主義」という言葉使いは、年齢を重ねるにしたがって能力も向上していくはずという、現行の年功序列型給与体系の基礎になっている考え方を彷彿とさせて、誤解を招くものであるため、正確には「業績主義」と言い換えた方がよい。
  • 注11)産業技術総合研究所のキャリアパスについては、前出「大学改革 課題と争点」第17章pp403~pp405参照。
  • 注12)
  • 注13)調査検討会議最終報告には以下の記載があるが、本文の記述を裏付けるものと考えられる。「国は、各年度の資金交付に当たっては、原則として中期計画に記載された事業等の実施を前提とするものの、当初予見困難であった状況への対応が求められることなども考えられることから、必要に応じ中期計画の変更を行いつつ、各年度の財政状況、社会状況等を総合的に勘案し弾力的・機動的に措置するものとする。予算措置の手法は、基本的には中期計画において計画期間中の予算額確定のためのルールを定め、各年度の予算編成においてルールの具体的適用を図るいわゆる「ルール型」とするが、事前のルールにしたがった算定にはなじまない経費も考えられるため、そのようなケースにも適切に対応し得る手法とする。」
  • 注14)経営と教学の一致という結論になった背景には、経営と教学の分離が基本となっている学校法人が設置する私立大学の運営の現状に対する否定的評価のほかに次のような事情がある。すなわち、設置者が国、自治体、学校法人に限られている学校教育法を前提とすれば、経営と教学を分離することを認めると、選択肢は学校法人しかなくなり、民営化論が出てくる懸念が払拭できないこと、また設置者負担主義の原則から、国費を投入する根拠がなくなることである。しかし、放送学園は特殊法人でありながら、経営と教学は分離されており、中間的な例がないわけではなかった。
文献
  • 青木昌彦・澤昭裕・大東道郎・「通産研究レビュー」編集委員会編著『大学改革 課題と争点』東洋経済新報社2001年
  • 澤昭裕「研究危機を生んだ大学の責任」論座2000年8月号

2003年4月24日掲載

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