あふれる情報 社会に生かすにはIT駆使し「埋没知」活用を

坂田 一郎
コンサルティングフェロー

21世紀に入り、電子化された情報が爆発的に増加している。ウェブサイトの数は1億件を超えるといわれる。学術研究から生まれる知についても、同様な傾向がみられる。例えば、DNA(デオキシリボ核酸)に関する主要な研究論文は、分子生物学の祖、J・ワトソン氏とF・クリック氏が二重らせん構造を発見した1953年当時、年間100本程度出版されるにすぎなかった。しかし現在では10万本を超え、かつその大半は電子的な形で公開されている。

今日、人類は地球環境の持続可能性の低下、社会の高齢化、予期しがたい災害の頻発による不安の高まりなど、多くの深刻な課題に直面している。一方で、われわれはそうした課題解決の武器となる知を、歴史上かつてなかったほど大量に手にしている。

そのため、最新の知識と課題を結びつけて知のフロンティアを開拓することにより、課題解決へのイノベーション(技術革新)を多数実現し、より豊かで、幸福で、安心な社会を構築することが期待されている。同時に、課題解決をてことして大量の知を動員し、社会的なニーズに即した革新的な製品・サービスを生み出すことにより、経済の成長力も高められるだろう。

しかし現実には、わが国では政府・企業の研究開発投資の効率が悪く、投資により生み出された知識を市場に結びつけられないどころか、社会や市場との接点に乏しい知識が生み出されている。投資から活用までには時差が存在するため容易には効率を測れないが、今日、世界市場でわが国発の革新的製品・サービスが目立たなくなっていることは事実であろう。

要するに、わが国では利用可能な大量の知と社会の課題や市場が効果的に結びつけられていない。そこで以下では、文書化され利用可能な状態にあるが、実際には利用されずに眠っている知識を「埋没知」と呼び、高齢化社会を例に、いかにして暗黙知を有効活用するかについて考えたい。

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社会の超高齢化は、わが国が世界に先駆けて直面している代表的な課題だ。いまだ超高齢化社会のモデルをつくり上げた国・地域は存在せず、提案と実証が待たれている。

一方で、高齢化社会を乗り切る知恵は既に大量に蓄積されている。東京大学のイッティバヌワット氏と梶川裕矢氏らの研究によれば、「アクティブエイジング(活力ある高齢社会)」の条件を網羅した世界保健機関(WHO)のガイドを参考に検索すると、高齢化に関する世界の主要な学術論文は8万3000本も存在する。それを時系列にみると、近年劇的に増えている(グラフ参照)。

グラフ:高齢社会研究の論文数
グラフ:高齢社会研究の論文数

しかし、これらの知識は十分に活用されているのであろうか。社会保障制度の持続可能性への不安の高まり、高齢者の引きこもりや孤独死、認知症の高齢者の増加と成年後見人の不足、長期の介護による家族の疲弊、高齢化率の上昇で共同生活の維持が難しくなった限界団地の増加、先端的な医療機器の輸入超過といった様々な課題が存在する。さらに、それらの課題の解決にめどが立たない状況であることを踏まえると、知識の多くが埋没し、有効活用できていない状態にあるといえる。

原因として様々なことが考えられるが、知識の性格に起因するものを3点挙げたい。1つ目は、高齢化社会に必要な知は極めて分野横断的だということである。それは医学、工学、社会学、法学、経済学など多様な分野の集合によって成り立っている。最近取り組みが強化されているが、わが国の座学は分野を横断して知を開拓したり、活用したりすることを苦手としている。

2つ目は、知識全体について定義が十分に定まっておらず、また成熟した分野と違ってその構造も明らかでないため、知識の全体像がとらえにくいということである。全体像が見渡せないと、有用な知識の在りかを見つけることは難しい。3つ目は、冶金工学と造船、薬学と創薬との関係などとは異なり、知識とその応用先との関係が単線的でなく、特定しにくいということである。相互に関連するこの3点は、知識が埋没しやすい条件であるともいえる。

埋没知の問題を乗り越えるため、最新のIT(情報技術)を活用した手法として、人の能力の物理的な限界を超えた情報の処理を可能とする情報工学が注目されている。人間には8万本の論文の概要を読むことは困難だが、コンピューターを用いれば短時間で大量の知識を収集し、分析することが可能である。

コンピューターを利用してデータベースなどの電子化された情報源から知識を適切に取得し、そこに含まれる言葉や引用関係をもとに分析することで目的に応じた編集または構造化を行い、人が理解可能な形で結果を提示する。そうしたシステムができれば、埋没しがちな知の有効活用を大いに促進できるだろう。

知識の収集については、今日の検索技術を利用すれば、様々な検索語の組み合わせやその自動推薦(関連する言葉の自動的な提案)により、取り出す知識の範囲を自在に設定できる。知識の分析、編集については、収集した知識の自動分類や分類間の関連づけも可能となっている。

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前述の8万本の学術論文に関して、引用情報に基づく分析により分類してみた。加齢に伴う肉体的・精神的な変化、視力・聴力の障害、知的な障害と徘徊の問題、介護や介護する家族への支援の在り方、鬱とメンタルヘルス、運動と転倒防止、記憶の回復、病院における支援技術の8つの領域が、高齢化に関する課題の重要な部分集合として浮かび上がる。このように分解できれば、知識全体の理解に役立ち、求める知識も探しやすくなるであろう。

異なる性格の知識間のつながりについても、コンピューターで言葉の重複度合いを分析し、専門家の評価を加えることで、つながる可能性の高い候補を抽出することも可能となりつつある。

超高齢化社会に対するロボット技術の応用可能性を調べるため、内容的なつながりの濃淡を視覚的に示す手法である「ヒートマップ」を用いて、先ほどの高齢化社会に関する知識とロボットに関する知識の関係を分析した。すると、埋め込み型補聴器と聴力の回復による鬱の抑制、肺がんや前立腺がんと手術支援ロボット、パーキンソン病、関節炎、脊髄損傷と足の筋肉を強化するリハビリ支援ロボット、孤独や鬱と人間型ロボットや口ボットペットなどの関係が抽出された。

従来イノベーション研究の世界では、文書化されていない暗黙知の中に貴重な知見が隠れていると考え、それをいかに早く知り、利用するかが議論されてきた。しかしながら、明文化された知識が爆発的に増加している今日においては、むしろ「埋没知」の有効利用の方が重要性が高い。

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埋没知の効率的・効果的な利用のためには、第1に、前述したような情報工学的な手法を政策や経営戦略の立案過程に導入することが不可欠である。専門的知識を持った人材が21世紀型の手法により構造化された知識を武器にすれば、有用な知識やつながりを見落とすリスクや、重要でないものを重要と見誤るリスクは小さくなる。

第2に、俯瞰的に事象をみる能力や知識を編集する能力が高い人材を育成することである。情報工学的手法と人間の柔軟性の高い思考能力が組み合わさることで初めて、知識に関する適切な評価や活用が可能となる。このためには、実践も含めた思考の訓練を重視する必要がある。知識の詰め込みや狭い範囲の知だけを深く掘り下げることとは異なった教育プログラムが必要であろう。

より良き未来のために、新たな手法と人材を駆動力として、大量の知を生かした革新的なイノベーションが進むことを期待したい。

2012年5月4日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2012年6月19日掲載

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