台頭するアジアの科学技術研究 域内の協力進めよ

坂田 一郎
コンサルティングフェロー

経済成長と、地球環境問題などの社会的な課題の解決とを補完的なものと捉えつつ、イノベーション(革新)促進型の各種政策によって、それらの同時達成を実現しようする考え方が世界各国で急速に広がっている。

これには、2つのことが暗黙の前提となっている。1つは、イノベーションに対する政府の関与を拡大するということである。課題解決型のイノベーションは、外部性の存在から、市場原理の下では迅速に進まないことが多く、従来よりも踏み込んだ政府の関与が求められている。ますます熾烈になる世界的競争の中で先行しうるかどうかは、その国が持つ戦略の優劣と政策の実行スピードに左右されるといえよう。

もう1つは、産業および社会政策のボーダーレス化である。今日、多くの社会的課題は世界に共通している。従って、必然的に市場の統合や技術の国際展開は進み、また、各国の政策は国境を越えて影響を及ぼしあうことになる。こうした状況下では、迅速な課題解決に向けた多国間の協調が有益である。実際、経済協力開発機構(OECD)やアジア太平洋経済協力会議(APEC)のような国際的な場で、共通の成長戦略が立案されるようになってきている。

我が国の「新成長戦略」についても、そのコンセプトはこうした世界的な潮流のど真ん中にあり、流れの中で先行し、同時に流れに貢献しつつ、重要な地位を占めることを目指したものであると評価できる。「産業政策」の存在が日本の異質性の象徴となっていた時代は既に過去のものとなった。それでは、我が国の戦略の中身についてみた時、見落している大事な点はないだろうか。科学技術分野に焦点をあてて検討してみよう。

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再生可能エネルギーの代表格である太陽電池と燃料電池に関する学術論文について、世界の主要な英文誌などを収録したトムソン・ロイター社のデータベースを用いて抽出してみると、論文数はそれぞれ4万作程度ある。また、毎年出版される論文数は、急増していることがわかる。論文の著者が所属する大学・研究機関はそれぞれ6000を超え、それらの国籍は100カ国以上に及ぶ。世界中で再生可能エネルギー研究が花開いている状況にあるといえる。

筆者と東京大学の梶川裕矢特任講師、佐々木一特任研究員との共同研究をもとに、さらに詳しくみてみよう。これら注目技術について、著者の所属機関の国別にみると、最近、目覚ましい伸びをみせているのは、中国、韓国、インドのアジア3カ国である。太陽電池では、総論文数でみて中国が世界第4位、インドが5位であり、燃料電池では、中国が2位、韓国が5位に入っている(1945年から2009年9月までの合計)。

この背景には、積極的な科学技術投資や世界レベルの大学育成、海外にいる優秀な研究者の呼び戻しといった政策がとられていることがある。なお、日本の総論文数はそれぞれ世界2位、3位である。毎年の論文数でみると、中国は、太陽電池では07年から、燃料電池では06年から、日本を上回るようになっている。

視野を世界に広げると、これら3力国の台頭により、北米、欧州、アジアによるバランスのとれた「知の3極構造」ができあがっている。アジアは科学技術知識に関しても世界の成長センターとなっている。10年前は、アジアでは圧倒的に日本の存在感が大きく、北米、欧州、日本の3極構造だったことを考えると、21世紀に入って、科学技術力の地政学的な構図は塗り替えられたといえよう。

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次に、論文の共著の情報をもとに、国際的な協力関係について定量的にみてみよう。データベースにある論文の書誌情報には、著者名とその著者が所属する機関名が含まれている。ここでは、論文が複数の著者により執筆されており、当該著者が異なる国の研究機関に所属している場合、国際共著であると定義する。こうした共著の情報は、協力の存在を客観的に捉える手法としてよく用いられている。太陽電池の論文について、大陸別に国際共著数を数えたものが図である。

図:太陽電池に関する国際共著論文の数
図:太陽電池に関する国際共著論文の数

これによると、欧州域内で国をまたいだ共著の数が圧倒的に多い。それに次ぐのが欧州とアジア、北米と欧州である。欧州を最大のハブとして研究協力ネットワークができていることがわかる。

注目すべきは、アジア域内同士での研究協力の少なさである。その数は、欧州域内同士の4分の1にすぎない。アジアと欧州や北米との協力数と比べても少ない。研究協力に関して、域内よりも欧米へと遠心力が働いているような状況にある。アジア諸国の研究能力の急上昇が十分に反映されず、アジアに研究協力の「谷間」が存在しているといえるだろう。

我が国の立場から、このような状況をどう評価すべきであろうか。戦略上の課題は何であろうか。

まず、付加価値の高い基礎研究とマザー工場の機能は日本に残し、そこから先をアジアと分業するという日本にとって都合のよい協調の構図は、アジア3力国の科学技術力の急上昇により、早晩、崩れることを覚悟すべきであろう。川上の基礎研究も含め、より複雑になる分業構造の中で、日本が付加価値を獲得していくという、以前より難易度の高い目標を実現する方策が必要となってくる。

次に、アジア域内の協力の「谷間」を放置しておくことは、革新的な新製品の開発について、アジアのパワーを取り込み損ねることにつながる。また、遠心力の働く協力関係は、新製品の市場獲得や国際標準の獲得における国際交渉において、不利な方向に作用するであろう。ここでも政策介入により「谷間」を早急に埋めてゆく必要がある。

そこで、こうした課題を解決するために、成長戦略の中に「アジア科学技術共同体」の創成を組み込むことを提案したい。その前提条件は、我々が先の3カ国やシンガポールなどの科学技術力の高まりを直視することである。それら諸国に対する3年前や5年前の古い認識は捨て去る必要があろう。

その上で、技術移転を中心とした「垂直的協力」から、共通の課題解決に向けた「水平な協力」へと発想を転換するのである。確かに、現行の新経済成長戦略の中でもアジアとの協力は柱とはなっているが、様々な状況にあるアジア諸国をひとくくりで捉えており、従来型の垂直的協力の色彩も濃く残っている。残された時間は少ない。もっと大胆に発想を転換すべきだ。

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その実現の具体的な施策として3点挙げたい。第1は、アジア域内の協力およびアジアを軸としつつ欧米を巻き込む協力の双方を拡大するための研究基金の設立である。先に欧州域内の科学技術協力が盛んであることを述べたが、それには欧州連合(EU)の多国間協カヘの助成政策であるフレームワークプログラムが大きく貢献している。

このプログラムは、排他的なものではなく、域外国も参加できるようになっている。最近の実績では、米国、ロシアに次いで中国が多くのプロジェクトに参加しており、欧州と中国との協力拡大にも一役買っている。手続きが官僚的との批判もあるが、このプログラムは参考となろう。

第2は、重点領域ごとの協力戦略の策定である。再生可能エネルギーのように、学術と産業技術との距離が近い分野では、学術研究といえども非競争領域であるとは言い切れない。だれとのどのような協力を重点的に拡大すべきか、相手の強み弱みや他国との提携関係等を改めて冷静に分析した上で、国際標準獲得までを視野に入れた国家戦略を持つ必要がある。

第3は、協力の基盤作りである。欧州では、太陽光に関して欧州研究領域ネットワークが結成されている。我が国でも同様なネットワーク作りに注力する必要があろう。また、厚みのある人材の交流が協力の苗床となる。アジアから優秀な留学生の受け入れをさらに拡大するとともに、我が国の若者のアジアヘの留学を抜本的に広げる余地があろう。

2011年1月13日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2011年1月28日掲載

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