改革は優先順位付けから 医療体制とコスト

小黒 一正
コンサルティングフェロー

新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)は創薬としてのワクチン開発や医療基盤の重要性を改めて認識させた。しかし日本の公的債務残高の国内総生産(GDP)比率は200%超で累増が続き、全体の財政状況も医療財政も逼迫している。コロナ対応による病院の赤字も深刻であり、早急な対応が必要だ。この問題に我々はどう対処すればよいか。

改革のための一つのヒントは、「大きなリスクは共助、小さなリスクは自助」という基本哲学の下、給付範囲を見直す際は、守るべき領域を明らかにしながら、改革の優先順位を定めることである。

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まず、守るべき領域とは何か。それは、公的医療保険がもつ「財政的リスク保護」の機能である。すなわち、国民の誰もが家計破綻や困窮に陥ることなく、必要かつ適切な医療サービスを利用できる状態の堅持だ。改革は、家計の所得・資産や医療負担に関する分布などを把握した上で進める必要がある。

では、公的医療保険において最も改革の優先順位が高い領域はどこか。それは「年間の標準治療費が小さいが、市場規模が大きい領域」となる。この理由を簡単に説明しよう。

まず、公的医療保険の改革で優先順位を検討するとき、3つの変数がある。(1)「診療報酬」や「薬価」(2)「市場規模」(3)「患者1人当たりの年間の標準治療費」である。このうち、改革案が保険財政に及ぼす影響や国民(患者)の家計に及ぼす影響を検討するときに重要な変数は、(2)と(3)の「市場規模」「年間の標準治療費」である。

なぜなら、(1)の「診療報酬」や「薬価」は、医療機関や製薬会社などにとって収益面で一定の重要性があることは事実だが、見かけ上の変数にすぎない。むしろ、産業競争力の視点では、開発コストの回収のために売り上げの安定性が重要であり、イノベーション(技術革新)に資する医薬品の開発を促進するためには、市場投入後の一定期間、革新的な製品の市場規模を安定的に維持できるか否かが重要となる。

このため、(2)の「市場規模」は、保険財政の持続可能性と産業競争力のバランスを図る視点、また(3)の「年間の標準治療費」は財政的リスク保護の視点を提供するものであり、これらの方が重要な変数となる。さらに理解を深めるため、4タイプの医薬品を考えてみよう。

(A)年間の標準治療費が小さいが、市場規模が大きいもの(B)年間の標準治療費が小さく、市場規模が小さいもの(C)年間の標準治療費が大きく、市場規模が大きいもの(D)年間の標準治療費が大きいが、市場規模が小さいもの――である。

このうち、(A)の代表例としては「湿布」(1枚の薬価は数十円だが、年間の市場規模が1千億円超)がある。(D)の代表例としては「キムリア」(薬価が3349万円だが、適用対象の予測が216人で市場規模は72億円)が該当する。

公的医療保険制度では、「市場規模」の一定割合を保険料や公費で賄う仕組みとなっており、市場規模が大きい医薬品の収載が増加してしまうと、保険財政の持続可能性が低下する。

このため、保険財政の持続可能性の確保に責任をもつ財政当局はマクロ的な視点から、「市場規模」の大きい医薬品から優先的に改革を進めるインセンティブ(誘因)をもつが、国民(患者)の視点では、「市場規模」よりも「年間の標準治療費」の大小の方が重要な変数となる。

よって、改革を進める場合、ミクロの家計の負担増にも注意を払い、財政的リスク保護の観点から、家計でも負担を吸収可能な「年間の標準治療費」の小さい医薬品から優先的に改革を進めるのが望ましい。

以上の前提の下、できる限り財政的リスク保護に配慮しながら改革を行うとき、改革の優先順位は(A)(B)(C)(D)の順番になる。もっとも、これらの医薬品における代替薬の有無も重要な判断材料となる。代替薬が存在する場合は、存在しない場合よりも改革の優先順位は高くするのが妥当だ。

では、このようなルールを医薬品に関する現実のデータに適用するとどうなるか。その示唆を与えるものが図表である。

医薬品の年間売上高と患者が支払う年間薬剤費の関係

この図表は、年間売上金額が200億円以上の薬価収載98製品を対象とし、JPM(医薬品市場統計)データや中央社会保険医療協議会・新医薬品一覧表から作成されている。患者1人当たりの年間薬剤費は、中医協・新医薬品一覧表に記載のあるピーク時の市場規模予測のデータを利用し、「ピーク売り上げ÷ピーク患者数」で試算している。

その上で、この図表を4象限に区分し、右上の領域を1、その左側の領域を2、領域1の下を3、その左側を4としている。また、98製品の売上合計が約4兆円であり、領域1と2の売上合計と領域3と4の売上合計がそれぞれ約2兆円となる売り上げのしきい値が492億円であるため、その部分に水平線を描いている。

さらに、高額療養費制度を考慮すると、年収370万円の自己負担限度額が月額5.76万円であるため、平均年収の自己負担限度額を年間で64万円と設定し、領域1と3、領域2と4を区分する垂直線を描いている。先のタイプで言えば領域1が(C)、領域2が(A)(最優先改革領域)、領域3が(D)、領域4が(B)(準優先改革領域)に相当する。

では、図表から何が読み取れるか。まず、革新的な医薬品が分布する領域1の製品数は10で、売上合計は0.8兆円しかない。一方、領域2の製品数は18で売上合計は1.2兆円、領域3の製品数は22で、売上合計は0.7兆円、領域4の製品数は48で売上合計は1.4兆円である。

患者1人当たりの年間コストが低い薬剤の売上合計(領域2と4)は約2.6兆円にも達することがわかる。また、代替薬があるものは「〇」を付けているが、領域1と3と比較して年間薬剤費が小さい領域2と4に多いことも確認できる。こうした領域にある薬剤のうち、ドラッグストアで購入可能なものは、今後のオンライン診療の広がりとの関係で、公平性の観点から負担の見直しも検討すべきだろう。

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なお、医薬品の年間売り上げが予想を超えた場合などに薬価を引き下げる「市場拡大再算定」という措置やその特例があるが、新たな価格調整の枠組みとして、政府は2019年から費用対効果評価を導入している。これが機能すれば、医薬品の市場規模の制御が効くことになる。

超高額薬剤などの革新的な医薬品はその価格の高さから、とかく社会的関心を引くが、患者や社会全体から見た幅広い医療の価値の考慮のほうが重要である。薬価が1剤いくらなどという議論よりも、きちんとしたエビデンス(証拠)に基づき、「市場規模」や「年間の標準治療費」などで全体の分析を行い、診療報酬本体を含め、改革の優先順位を決めるべきだろう。

2020年11月25日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2020年12月23日掲載

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