政府・日銀の通貨発行益 財政再建に活用は困難

小黒 一正 コンサルティングフェロー

我が国の政府債務が累増する中、ギリシャは対岸の火事ではなく、国債の金利上昇が財政を直撃する可能性がある。だが、現在のところ、国債金利は低位で推移している。これは日銀の大胆な量的・質的緩和の影響が大きい。

具体的には、インフレ率の2%目標を達成するため、日銀はマネタリーベース(資金供給量)が年間約80兆円増加するよう、民間から長期国債を買い入れている。マネタリーベースは日銀が市場に供給する(狭義の)通貨量で捉えられ、現在、日銀は急速な勢いで通貨を発行している。

その結果、金利低下によって政府債務の利払い費を抑制できることに加えて、通貨供給量の増加によっても、政府・日銀は一定の利益を得ているとみることもできる。後者の利益を「通貨発行益(シニョリッジ)」という。通貨発行益を活用すれば財政再建できると主張する論者もいるが、果たしてそんなことは可能だろうか。結論を先にいえば、何の痛みもなしに実現することは難しい。

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通貨発行益の定義を単純に考えれば、新たに発行した通貨の量とみるのが分かりやすい。この場合、通貨発行益は「マネタリーベースの増加分=定義(1)」と考えられる。

異なる見方も可能だ。中央銀行は通貨発行に伴い、国債などの資産を購入する。この資産は利子などの収入を生む一方、マネタリーベースには利子が発生しない。中央銀行は無利子で資金調達できるわけだから、調達コストの節約分、つまり「金利×マネタリーベース=定義(2)」を通貨発行益と考えることもできる。実際、日銀はこの定義にのっとっており、利子収入などで得た利益を「国庫納付金」という形で政府に提供している。

これらの定義をどう考えればよいのだろうか。1つの見方としては、利益を認識するタイミングが異なると考えることができる。

例えば、中央銀行が1億円の通貨を発行し、国債を購入したとする。この国債の利回りが1%なら、利子収入として今年100万円が得られ、翌年以降も利子収入は続く。詳細な計算は省くが、実はマネタリーベースの増加額は、将来得られる金利収入の現在価値に一致する。このように考えれば、定義(1)と定義(2)の違いは、マネタリーベースの増加に伴う利益を今期すべて計上してしまうか(定義(1))、将来にわたって計上するか(定義(2))という違いになる。

もう1つの見方は、政府債務の「範囲」をどうみるかに帰着する。中央銀行も結局は政府の一部と考えるならば、政府と日銀を連結して「統合政府」のバランスシート(BS)を作るべきだと考えられる。中央銀行が発行する通貨を民間に対する負債(統合政府の債務)とすれば、この場合、BSの負債サイドは、主に民間が保有する国債とマネタリーベースで構成される。

この時、中央銀行がマネタリーベースを増やして民間から国債を購入すると、負債側の(民間保有の)国債は減らすことができる。この場合、国債は「利子のつく負債」、マネタリーベースは「利子のつかない負債」だから、通貨発行益は調達コストの節約分(定義(2))になる。一方、マネタリーベースを負債ではなく、もう返済(縮小)しないものと考えるなら、その増加分が利益(定義(1))となる。

ちなみに、通貨発行益に似た考えに「インフレ税」がある。インフレ税とはインフレにより政府が得られる利益(インフレ率×マネタリーベース=定義(3))になる。負債は物価上昇を考慮しない名目ベースで計上されているため、インフレが起きると、実質ベースで負債が削減され、これが政府の利益になる。

日銀の量的・質的緩和を通貨発行益という観点でみると、定義(1)では、計上すべき通貨発行益は80兆円になる。しかし、今回の量的・質的緩和もいつか「出口」戦略が必要になる。増やしたマネタリーベースは国債の売却・償還を伴いながらいつかは減少させることになる。そのケースでは、定義(2)に基づき通貨発行益を認識すべきだといえる。

定義(1)に基づき、現在80兆円の通貨発行「益」を計上したとしても、出口戦略の際にマネタリーベースが減少し通貨発行「損」を計上する必要がある。マネタリーベースが負債的性格を持つ以上、増加させたマネタリーベースがまるまる政府の収入にはならないことに留意が必要だ。

日銀が計上した通貨発行益は13年度が5794億円、14年度は7567億円である。日銀は現在、金融機関が日銀に持つ当座預金に0.1%の付利を支払っており、マネタリーベースを増やすことに伴う調達コストが一定程度存在している。日銀が保有する国債の利回りは、日銀自身の強い買い需要で低下傾向にあり、緩和に伴う通貨発行益の増加は限界が近づいている。

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過剰な緩和の過去の教訓は何か。図1は我が国の政府債務とマネタリーベース(国内総生産=GDP比)の推移だ。現状は第2次大戦時に類似している。戦中・戦後の政府債務残高は1945年をピークに大幅に減少している。高いインフレが一因だが、高い通貨発行益・インフレ税を計上していたとみることもできる。深刻な財政赤字の中、大幅にマネタリーベースが伸びていたことから、マネタリーベースはもはや縮小されないと認識されていた可能性が高い。

図1:マネタリーベースと政府債務残高
図1:マネタリーベースと政府債務残高

では、通貨発行益で財政再建は可能だろうか。図2は筆者と野村証券の服部孝洋氏が推計した戦中・戦後の通貨発行益(GDP比)の推移である。まず、定義(2)でみた通貨発行益は増加しなかった点に留意する必要がある。政府が人為的に名目金利の上昇をおさえる「金融抑圧」などによって、財政赤字が深刻化しながらも名目金利が上昇しなかったことが主因である。

図2:戦中・戦後の通貨発行益
図2:戦中・戦後の通貨発行益

一方、定義(1)・(3)では、相当規模の通貨発行益を得ていたことがわかる。増加したマネタリーベースをもはや返済(縮小)しないと想定するならば、この増分がまるまる通貨発行益になる。さらに、マネタリーベースの増加に伴い高インフレが発生した場合、政府の実質債務が減少する。

仮にマネタリーベースを恒常的に増加させながらインフレを抑制できれば、民間セクターが保有する国債は減少する。もっとも、歴史的にみると、深刻な政府債務の中、マネタリーベースが恒常的に拡大すると、最終的に高インフレが起こる場合が少なくない。

ノーベル経済学賞受賞者のトーマス・サージェント・米ニューヨーク大学教授によれば、これまで高インフレを経験した国は深刻な政府赤字を抱えていたケースが多い。財政を支えるため通貨発行を抑制できなくなり、高インフレを誘発するのだ。

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筆者らの推計によると、45~48年の累積通貨発行益(GDP比)は定義(1)で52.5%、定義(3)では86.2%にも達する。高インフレによる資産の毀損という意味で、当時の国民に大きな負担を強いたことは明らかであり、通貨発行益・インフレ税で現在の政府債務問題を解決すればよいというものではない。

通貨発行益やインフレ税による財政再建も一種の増税策であり、突然の高インフレヘの回避手段をもたない家計などに不公平な増税である。つまり、通貨発行益は打ち出の小づちではない。政府・与党は財政・社会保障の改革を真摯に進めることが望まれる。

2015年8月31日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2015年8月31日掲載

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