年齢の限界を超えて生き残る企業とは─隙のない「まじめさ」と身の丈に合った思いっきりの「遊び」

新原 浩朗
RIETIコンサルティングフェロー

企業30年説の誤り

「企業30年説」といわれることがある。企業にも寿命があり、人間同様、時間的制約によって、必然的にその生命を終えるということなのであろう。果たして、この「通念」は、正しいのであろうか。あるいは、この「通念」に反して、生き続ける企業があるとすれば、それは、どのような企業であろうか。この論点をしっかり考えてみようというのが本稿の目的である。

筆者は、3年以上前から、土日を使って少しずつ思考してきた集大成を、昨年晩秋に、『日本の優秀企業研究 企業経営の原点―6つの条件』(日本経済新聞社)として出版させていただいた。この本は、わが国の長期不況下でも、優良な成果をあげてきた優秀企業の特徴を分析することで、企業経営に、一時の流行ではない、本質的洞察をもたらそうとしたものである。

ところで、この本で良好な成果をあげているとして抽出された優秀企業をみると、通念に反して、むしろ、企業年齢が高い企業が多いことがわかる。たとえば、花王は、明治20年に長瀬商店として創業して以来、企業年齢は116歳に達するし、自転車部品で有名なシマノは、大正10年の創業だから、82歳である。信越化学(大正15年創業)は77歳、トヨタ自動車も、豊田自動織機創業以来で、同年齢である。ヤマト運輸(大正8年創業)は84歳。戦争前後に創業した企業もあるが、それでも、50歳半ば以上である。

優秀企業といっても、創業メンバーが舞台を去り、社員が入れ替わるにつれて、社内の雰囲気、気分、きちんとした言葉をつかえば、企業文化が変質してくることは避けがたい。とすれば、ただ単に企業は高齢であればよいということであるはずもない。長期間、競争優位を維持する企業には、何らかの組織的な能力が内在していると考えられよう。それは、何であろうか。

現在の優位性の強化と新しい優位性の開発

結論から言えば、第一に、何より現在のその企業の優位性の強化である。現在の成功を維持・発展させるため、経営者がよくわかっている現在の事業領域の製品やプロセスについて、継続的かつ漸進的なイノベーションを行い、既存の能力を発展させ、深めることである。それなくしては、利益をあげ続けることはできないし、企業はそもそも存続できない。加えて、第二には、新しい優位性の開発である。無論、自らの持てるものを活かしてのことではあるが、まだ満たされていない顧客ニーズを見つけ、新しい機会や方法を見い出し、将来の成功のネタを探し当てて、新しい事業の柱を創出することである。現在の事業領域とは異なる製品や斬新な生産方法の開発などである。

難しいのは、この双方の努力を両立させることが簡単ではないところにある。前者の現在の優位性の強化の典型は、いわゆる「改善」である。今やっていることの悪い点を見つけて、その原因を探り、直すことによって、一歩一歩進んでいくというものである。「馬が少しずつ首が伸びて、気が付いてみたらキリンになっていた」(トヨタ自動車、張社長)という表現がわかりやすい。それは、工場現場の無駄排除や原価低減活動などの部分的な活動に限定されるものではない。この考え方を突き詰めれば、企画も、設計も、生産技術も、調達も、販売も、およそすべての企業活動を巻き込む全社的な「総力戦」になる。だから、この努力を完璧に遂行するためには、企業の各部門が密接に連携して、「全体最適」に擦り合わせて経営されなければならない。重複や非効率があってはならないし、よい成果は効果的に他の部門に波及させていかなければならないからである。

顧客の視点で。だが顧客の声のまま開発しない

これに対し、後者の新しい優位性の開発にとっては、反対に、企業組織内を「ゆるい縛り」にすることが効果的であることが多い。

拙著では、優秀企業のひとつの条件として、「顧客の視点で、自分の頭で考えて考えて考え抜くこと」をあげた。そして、その例示として、セブン-イレブン・ジャパンが顧客の視点で素人のように考え抜くことで、日本流のコンビニのモデルを作り上げたケースなどをあげた。

しかし、顧客の視点で、というのは、「顧客の声を聞いて、そのままやる」ということを意味しない。世にマーケット・インが重要といわれるが、むしろ、顧客の声そのままの開発を実行してはいけないのである。なぜなら、顧客の具体的ニーズが声になって顕在化したということは、同業他社もそれを聞いていることを意味するわけで、開発期間の経過後、同じような製品が市場に登場して、同質競争、すなわち、価格競争に陥る可能性が高いからである。実際、顧客の声を聞いていない企業など実在しないと言ってよい。同様に、近年は、どこでもかしこでも、これからは「ソリューション事業」だ、といわれるが、顧客の側の「問題」が顕在化しているのならば、顧客からニーズを言われてしまったも同然である。本当に、付加価値が高い「解法」(ソリューション)とは、顧客が問題を起こしていない、あるいは認識していない段階で、問題を「提起する」開発活動ということになる。「ソリューション事業」ではなく「問題提起事業」である。

「とっぽい」奴が製品にして、初めて需要を認識

俗語で「とっぽい」という言葉がある。「気障で生意気である」(広辞苑)という意味であるが、歴史的にみて、新しいビジネスモデルの創出は、消費者の感性について「現場感覚」があり、かつ「とっぽい」ごく一部の人間が、自らの信念、直感で壁に向かって突進して、まず世の中に新製品の姿形を立ち現れさせるのである。消費者、顧客はそれを見てはじめて、こんないいものがあるのか、と自らの需要を認識するのであり(需要の初めての顕在化)、ライバル企業は、思ってもみなかった製品を眼前にして、驚嘆し、初めてその模倣をはじめるものなのである。このような類の活動であるから、新しい優位性の開発には、不確実性が大きく、方向性について全員のコンセンサスが得られることはまずない。また、参加者が広がるほど、利害対立が増える。だから、企業組織内の縛りがゆるくないと、プロジェクトが頓挫する可能性が大きくなってしまう。

本体から隔離する

このように2つの「活動」で要求される組織運営方法や企業文化は違うので、新しい優位性の開発活動を本体から「分ける」ことが望ましいこととなる。すなわち、本体を支配する企業文化や政治的影響力から隔離するのである。これにより、現在の業務部門は、新しい優位性の開発活動に気を散らさず、現在の優位性の強化に専念できるし、新しい優位性の開発者は、自社の現在の競争優位性の維持を考えなくてよくなる。

新たな柱を創出するようなイノベーションは、内部の経営陣でさえ予想していない形で現れるのであり、成功するか失敗するか事前には予測できないものなのである。拙著でも、たとえば、花王の「健康エコナクッキングオイル」は、開発に15年もの歳月を要し、しかも、当初は、胃に優しい油の製品化を目指していたもので、紆余曲折の末の成功であったことを記した。

だから、内部の経営陣から離れて、開発活動に取り組む意味は大きい。サービス業や流通業であれば、直営展開ではなく、独立した法人の加盟店と契約を結ぶフランチャイズ展開を用いて、独立した力のある加盟店の事業革新力を活かすのも一案である。

子会社で成功する会社をみると、親会社と業務が似ていない会社が多い。理由は、似た業務を行っている会社には、親会社の人間が口を出しやすいからである。業務が離れていれば、口を出したくても、口を出すノウハウがない。だから、子会社の人間が比較的勝手にやってうまくいくのである。また、革新的な試行を行っても、組織内の管理がゆるければ、開発の方向性も分散されるから、企業全体としてのリスクは、かえって軽減される。

パイオニア自身より「取り巻き」が問題

一般に、現在の優位性の源泉となっている中核事業を開発した人間は、その成功体験に縛られて、新しい考え方についていきにくいといわれる。しかし、実態をみると、「縛られる」のは、その本人ばかりではない。むしろ、その協力者たち(同世代人)の方が自分たちの成功の理由を本当には理解していない分だけ、現在の方式に「根拠なき自信」をもってしまい、成功体験に縛られてしまうのである。また、最近の風潮は、若いことがそれだけで価値と捉えられがちであるが、若い世代なら縛られないかというと、現在のビジネスモデルの成功状態を見て入社してきた人たちは、自分もその方法をやりたいと思って入社してきたのに、入った途端に変革と言われても困る、という思いから、意外に本質的にもっとも保守的になることがある。この類の、ビジネスモデル開発者(パイオニア)をめぐる、いわば「取り巻き集団」が、企業組織内にはびこると、変革に有害に作用するのである。だからこそ、自分で言い出して、自分で考え抜いて、自分でチームを組閣できる、ある種の強引さを持った、いわば「企業内創業者」を探すことが大切になる。こういうにおいの人間を社内に見い出して、本体から「隔離」し、放し飼いにして、本体のルールを一切無視して、「本体をぶっ壊すつもりで考えろ」と指示するのである。わが社には、そんな人間はいないと言われる方があるかもしれないが、けっこう傍流部署に候補者が眠っていることがある。なぜなら、彼らは、もともと向こう気が強く、上司との折り合いがよくないケースが多いからである。

プレイステーションを成功に導いた「壁」

事例として、ソニーのプレイステーションの開発を考えてみよう。家庭用ゲーム機を手がけたいと言い出したのは、当時、情報処理研究所にいた若手技術者、久夛良健氏である。契約のトラブルなどで、ソニー本体に居場所がなくなってしまい、大賀典雄氏の依頼で、関係技術者ともども、ソニー・ミュージックエンタテインメントの丸山茂雄氏に預けられることになる。ソニー本体の経営会議の場では、ゲーム機市場への進出について、大賀氏以外の全役員から反対に回られるが、結局、93年11月に、ソニーとソニー・ミュージックエンタテインメント(ソニーの100%出資子会社)の50対50の合弁会社という形で、ソニー・コンピュータエンタテインメントが設立されることとなった。親会社と子会社の合弁という面白い形式だった。そして、翌94年12月には、晴れてプレイステーション発売を迎えることができたのである。

さて、明らかに「とっぽい」と思われる久夛良氏がそのままソニー本体にいることができたとしたら、プレイステーションは生まれただろうか。筆者は、疑問なように思う。ソニーグループの中でソニー・ミュージックエンタテインメント(かつてのCBS・ソニー)などのソフト系の関連会社とソニー本体の間に、ある種、確保されていた「壁」が関連会社に特異な文化の形成の隙間を与え、個性が強く特異な才能を持った人を活かし易くしたと考えるのである。これは、大賀氏がソニー本体とこれらの関連会社との間に親会社―子会社の関係をなるべく入れないように配慮していたように見えることと無関係ではない。

現在のその企業の優位性の強化と新しい優位性の開発の双方が企業の長期的生き残りには必要と言っても、企業によりそれぞれ得意・不得意はある。ソニーの伝統的強みは、「発想、企画優先、人のできないことをやるというチャレンジ精神」(ソニー創業者、井深大氏)である。すなわち、新しい優位性の開発を競争優位の源泉とする会社であり、相対的には「改善」を得意とする会社ではない。こういう会社にとっては、開発行為の1つひとつにコーポレートのチェックがかかるような中央集権型の会社運営は、会社の競争優位性の維持を困難にさせやすい。

遊びは身の丈に合った規模で

新しい優位性の開発は、既述のとおり結果が不確実であるが、それだけでなく、今現在、直接利益をもたらし、企業業績に反映されるものではないので、当座非生産的である。加えて、開発に成功したとしても、その果実を自社のものにする(事業としてまともに育て上げる)ためには、「改善」的な全体最適な活動が不可欠である。古今東西には、新しいドメインを見出しながらも、それを事業に展開して利益を獲得はできず、果実を他の企業に取られてしまった例があまた満ちている。だから、企業の競争優位の源泉の主軸は、あくまで現在の優位性の強化活動である。新しい優位性の開発活動は、新しい事業の柱がここから生み出されるので、企業の寿命をのばすためには大切な活動であるが、将来のための偉大なる「遊び」(経営学では、ときに、文字通り、組織スラック=ゆるみ、たるみと呼ぶ)である。だから、身の丈にあった「遊び」が大切である。たとえば、売上の5パーセントは、「遊び」と割り切って、研究開発費に投じるといったルールをあらかじめ設け、遊びの上限を設定するのも一案である。というと、自分のところは中小企業なので、それでは、何も新しい開発はできないと言われる方があるかもしれない。しかし、会社の規模が社員10人くらいのときは、製品化の目途を半年先に置けるような開発をする。20人から30人になると製品化の目途を1年先に置く。1000人なら5年先、大企業であれば10年以上というように、会社の規模に応じて(身の丈に合わせて)製品化の射程を延ばしていけばいいのである。27歳で京セラを設立した稲盛和夫氏は、会社が小さいときから「土俵の真ん中で相撲をとれ」といっていた(『稲盛和夫の実学―経営と会計』日本経済新聞社)。土俵際に追いつめられ、苦し紛れに技をかけるのではなく、どんな技でも思い切ってかけられる、まだ余裕のある土俵の真ん中で相撲をとるようにするべきというのである。

終わりに

以上、長期に生き続ける企業について論じさせていただいた。このような企業の議論をすると、ときに、「わかっているが、できないので、できない理由を分析して欲しい、あるいは、正当化して欲しい」といわれることがある。これについての筆者の見解は、次のようなものである。ここ数年、世には、日本の企業人はダメだという議論が、絶えなかった。しかも、その批判の方向性もまちまちであった。私は、これが、企業人をかえって、混乱させ、動揺させ、自信喪失に陥らせている。何が正しい処方箋なのかを見失わせてしまっているのではないかと考える。正しいことが得心されていないのである。だから、当たり前のことが正しいことで、それを愚直に進むことが解であることを企業人に説得的に示すことができれば、ものごとは、そう難しくなく変化するはずと思うのである。事実、筆者が『日本の優秀企業研究』を執筆しての感想は、優秀企業とそうでない企業の差は、紙一重であった。だからこそ、今、企業経営の本質について、現場感覚にあう、「フォーカルポイント」(焦点の意味で、ゲーム理論の言葉)を世に提示し、つくりあげることが求められている(青木昌彦スタンフォード大学教授)。「失敗の最大の理由は、現実の成功事例を見聞きする経験が少ないことにあった」(ハーバード・ビジネス・スクールのジョン・コッター教授)ということになるのであろう。

2004年2月特別号 『文藝春秋』『21世紀「生き残る企業」とは』との題名で所収に掲載

2004年3月2日掲載

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