優秀企業ベスト経営者の能力

新原 浩朗 RIETIコンサルティングフェロー

優れた経営とは一体いかなるものなのか?

この数年間、日本の企業は長期不況での生き残りを賭けて、さまざまな経営改革の「形」を導入してきた。多くは日本で言われる「アメリカ式」の導入とでも言うべきもので、たとえば執行役員制、カンパニー制の導入による企業統治方法の変更、成果主義に基づいた従業員評価、といった企業の形式の改革に大きなエネルギーが注がれた。

その結果、日本企業は形の上では変革を遂げたように見えるかもしれない。しかしそれで企業の競争力は本当に強化されたのだろうか。経済は依然として低迷を続け、日本全体を覆う閉塞感が払われるきざしは見えない。「まずは形から」とアメリカ式経営を導入してみたものの、それは上っ面の変革にとどまり、企業の本質を変えるには至っていないのではないか――。

これが、三年ほど前から筆者が抱いてきた問題意識だった。

一方で、不況下でもめざましい成果を上げ続けている「優秀企業」も少なからずある。トヨタ自動車は本年三月期決算で、経常利益で一兆円突破を果たした。これら「優秀企業」はどのような特質を持っているのか。うまくいっていない企業との違いは何か。変革を血肉とするために、どのような手段を講じてきたのか。こういった問題点を明らかにすれば、日本企業の発展の道筋もおのずと見出せるのではないか。それが筆者が「日本の優秀企業研究」に取り組んだ動機である。

まずは、優秀企業の抽出から作業を始めた。日本全国から企業データを取り寄せ、企業の収益性(総資本経常利益率)、安全性(自己資本比率)、成長性(経常利益額の推移)の三つの要素に着目し、過去十五年間にわたる数字を追い、分析を加えた。一年、二年といった短いスパンでは、外部環境のよしあしによって数字も左右されやすく、その企業が構造的に強い競争力を持っているのか、それとも単に時流に乗っているだけなのかを見誤る恐れがあるからだ。

分析の結果、リストアップされた企業について、更なる詳細な分析を加えた上、左記の十社など三十~四十社について、経営トップを始めとした関係者への聞き取り調査を試みることにした。

優秀企業「常識」の嘘

企業の競争力には大きく分けて「オペレーション効率による競争力」と「経営能力による競争力」の二つがあるが、後者こそが優秀でない企業の最大の問題点ではないかと着目した。前者はいわばブルーカラーの生産性、つまりトヨタの「カンバン方式」に象徴されるような、工場や現場での生産性を高める工夫を積み重ねて得た競争力。たしかにこれも今の日本企業はかつてほど強いとは限らず、特にIT産業、家電産業などで立ち遅れている部分が見出された。しかし、より重要なのは「経営能力による競争力」。つまりは経営トップの戦略策定能力、それを実施する実行力、そして本社機能をいかに効率的に働かせることができるかである。

聞き取り調査の過程で、この会社の好調は企業の構造的な競争力に拠っているわけではなく、たまたまの外部的要因だな、と判断するケースもあった。しかし多くの場合、彼らの話は他の企業にも参考になる興味深い経営上の「寓話」を含んでいた。特筆すべきは彼らの説明能力の高さである。日本にもこんなに優れた説明能力を持つ経営者がいたのか、という嬉しい驚きを味わった。今回は、これらの優秀企業に共通に見られる特徴で、そうでない企業とを分かつ条件を具体的に抽出してみることにする。

リストアップされた優秀企業を並べてみると、巷間、「常識」と思われていることが必ずしも当たらないことに気づかされる。まず第一は「優秀企業の所属する産業は、勢いよく成長している先端業界だ」という通説である。たとえばマブチモーターは一九五四年に設立された、民生用小型モーターのトップシェア企業(世界シェア五五パーセント)。子どもの頃、戦艦大和のプラモデルにマブチのモーターを組み込んで風呂に浮かべた思い出を持つ人も多いだろう。同社が生産しているのは、平均単価七十二円の技術的に成熟したモーターであるが、その実、年間約十四億個を製造し、総資本経常利益率二桁を記録する恐るべき「ものつくり企業」である。

あるいはシマノだ。主力商品の自転車部品は「昔、鍛冶屋が鉄を叩いて作ったのと基本的に同じローテク商品」(島野容三社長)だが、世界ナンバーワンの競争力を誇る。産業自体が古めかしく見えようが、産業全体の成長性がいかなる状況であろうが、優秀なビジネスモデルは成立しうるのである。

また、「貿易によって国際競争にさらされている企業は強く、内需に依存している企業は弱い」という常識も当たらない。ヤマト運輸やセブン―イレブン・ジャパンは基本的に国内市場の枠内で活動する企業だし、花王も、海外売り上げによる利益は全体の十パーセント台にとどまり、内需中心の企業である。トヨタ、ホンダ、任天堂はどうなのだ、と思われるかもしれない。しかしこれら今をときめく大輸出企業も、日本の消費者の高い要求水準をクリアすべくビジネスモデルを固めた上で、海外に打って出たという歴史を見逃してはならない。

優秀企業には、大きく分けて六つの共通点が見出された。順を追って紹介しよう。ちなみに六つの中には「『アメリカ式』の形の導入」は含まれない。アメリカ式の経営手法や経営指標を取り入れた企業が優位にあるかというと、必ずしもそうとは言えなかった。うまくいった企業もあればそうでない企業もあり、逆に導入しなくとも良好な業績を積み重ねている企業もある。

筆者が六つの共通点を紹介する狙いは、優秀企業三十社から四十社を研究して、ひきだされた「寓話」それ自体が、アメリカ式であれ日本式であれ、「カタカナ」の難しい経営理論よりはるかに示唆に富むと考えるからである。

明確な事業範囲

第一に、「トップが取り組む事業の範囲を明確に認識している」ことを挙げたい。

特に、重要なのは、その会社が取り組むべきでない事業が明確であり、トップが分からない事業は決して手がけない点だ。

優秀企業のトップに「あなたの企業のコンセプトは?」と尋ねると、打てば響くように明快な説明が返ってくる。経営者の頭の中で企業が一つのコンセプトのかたまりになっているのだ。同時にそのコンセプトが、自社が取り組むべき事業の範囲を絞り込む役割を果たしているところがポイントだ。ただ会社案内書の冒頭を飾るためだけに作られた美辞麗句とは本質的に異なる。トップに新規分野の名を挙げ、「これには手を伸ばさないのですか」と聞くと、それが彼らのコンセプトから外れていれば、「それは我が社の仕事ではない」と一言のもとに否定する。彼らの勝負する領域は、ある意味で非常に狭い。

一方、うまくいっていない企業の場合、現在手を出している事業のひとつひとつを脈絡なく読み上げ、「これが我が社のコンセプトです」と締めくくられてしまう場合が少なからずあった。またベンチャー企業などで当初は強力なビジネスモデルで優秀な成果を上げていた企業でも、その成功で得た資金で当初のコンセプトからは逸脱して多角化に乗り出し、失敗するというケースも多かった。「選択と集中」は今日たいていの企業が唱えるお題目ではあるが、行なうは難し。事業を絞り込む過程で取捨選択のよすがとなる明快な企業コンセプトを、経営者が持ちあわせているかどうかにかかっている。つまり何が自分の会社の得意技であるかを、経営トップ自身が「身体感覚」で把んでいることが必要になる。

事業の絞り込みの究極の例がマブチモーターだ。同社のコンセプトは「ただ一種類の商品、すなわち〈DC、有鉄心、ブラシ付き、二〇〇ワット以下の小型民生用マグネットモーター〉にすべての努力を傾ける」ことだ。玩具向けに始まり、家電製品、音響機器、自動車機器と用途は広げていったが、決して商品の種類を増やす多角化は行わなかった。かつて世界屈指の電気ひげそりメーカー、ドイツのブラウン社から好条件で鉄心のないモーターの開発を持ちかけられたときも、豪胆にもあっさりと断った。かわりに「うちの有鉄心モーターの実力を見て判断してくれ」と、新開発のモーターを従来ブラウンが使っていた製品の約十分の一の値段で提供したのだ。いまやブラウンのモーター調達先はマブチモーター一本槍である。

単品経営の難点は、なにしろ商品の種類がひとつしかないのだから需要のボリュームが確保しにくいところにある。創業者の馬渕健一氏、馬渕隆一氏(現社長)の兄弟にはそれがよく分かっていたから、一九五四年の創業時点で「我々は世界のマーケットで勝負する」と高らかに目標を定めた。常識で図れば従業員十数名の町工場の主人が吐く台詞ではない。しかしこれは決して大言壮語ではなく、この言葉の裏には、「国内市場で生き残るためにはさまざまなモーターに手を伸ばさざるを得ず、経営資源が分散する恐れがある。しかし世界相手なら、“専門店”でも充分にビジネスになる」という冷徹な計算があった。もちろん、自らの技術への自信に裏打ちされた計算だったのは言うまでもない。

パソコン界のガリバーCPUメーカーになぞらえて、「自転車のインテル」と呼ばれるシマノの場合も、マブチモーターほど極端ではないが、「アウトドアで使われる最終消費財で、それなりの極限的な性能と高度な金属加工技術が要求され、他企業が真似のしにくい分野」に事業を絞り込んでいる。売り上げの六八・三パーセントを占める自転車部品を筆頭に、釣り具、ゴルフクラブなどだが、それを支えるのは同社が一九六〇年代に確立した冷間鍛造技術(金属を温めず常温で変形させる技術)などの金属加工技術だ。加工精度が高いので、自転車のギア、ブレーキといった精密金属製品の加工に力を発揮する。島野容三社長は「臆病なのかもしれませんけれども」と謙遜するが、このような金属加工技術を応用できない分野への進出は自制してきた。同社は自転車の駆動・制御部品で世界のデファクトスタンダードとなっている。

この二社の例から窺えるのは、トップが現場と、商品の需要の実態を体感できている、つまり現場感覚があるということだ。「現場、現物、現実」の「三現」をトップ自身が体感していることの重要性は想像以上に大きい。 トップの現場感覚という点では、ホンダも特筆に値する。ホンダでは、自動車のデザインはすべて歴代社長の決定事項となっている。米国で開発したクルマについても同様で、吉野浩行社長はデザインコンセプトに始まり全部話を聞いて口を出す。吉野氏の厳しい目を一発OKでくぐり抜けたデザイン案はまだないという。「フィット」をはじめとする最近のホンダ車の好調ぶりを見ると、氏がマーケットの志向を掴むだけの鑑識眼と現場感覚を持ちあわせていると言える。あまりに企業規模が大きく、また製品ラインナップが関連無く多過ぎる巨大総合電機メーカーのような企業では、自社商品のひとつひとつについて現場を見極められるだけの力量をトップに求めるのは事実上不可能であろう。その意味で、ホンダは「世界規模の中小企業」に徹しているといえる。

信越化学工業もしかり。日本が苦手だとされてきた化学産業で、株式時価総額ではデュポン、ダウケミカル、BASF、バイエルに次いで世界五位。上下水道管やクルマの内装品などに幅広く使われる塩化ビニル、半導体デバイスの基盤となるシリコンウエハーなどでは世界シェアのトップを走る。数字的には押しも押されもせぬ大企業だが、事業をシェアトップの領域に集中し、あくまで中小企業的なよさを保っている。

信越化学では、卓越した経営者である金川千尋社長に経営の判断権が集中していることが強みになっているが、これを可能としているのは、連結対象子会社を含めても金川氏が事業の内容をすべて把握し得る範囲に事業と規模が収まっているところである。金川氏の現場感覚を保つための努力には目を見張る。毎朝七時過ぎに出社。世界各地から届くファクシミリにすべて目を通し、その日のうちに返信を出す。書類決裁において疑問が残ったら、直接担当者に電話をかけて話を聞く。電子メールは使わない。「メールだとディスカッションができない」からだ。子会社についても収益を月次決算ごとに管理しており、毎月二十社くらいの決算書に目を通すという。社長のいるところがまさに「現場」なのである。加えて同社に特徴的なのは、結果的に正しかったにせよ間違ったにせよ、リスクの判断の責任はすべて社長が取る、それがトップの仕事だ、という姿勢が明確になっている点だ。大規模な投資の場合、役員どうしの間で意見が割れることもあるが、たとえば十人中九人が社長に反対だったとしてもあくまで決定権は社長が持つ。当然、失敗した場合には責任問題になろうが、手柄は上司のもの、失敗は部下のせい、という企業がまま見受けられることを考えると、実に際立っている。

花王は「現状不満足型企業」

優秀企業に共通する第二の要素、それは「トップが論理的であること」、いいかえれば「自分の頭で考えて考えて考え抜いていること」だ。日本の経営者たちは、長引く不況下で、皆、いちようによく勉強し内外の経営理論にも通じている。しかし、ただ知識を詰め込むだけなのか、知識を得た上で自分の頭で改めて考えているか、そこが分水嶺となっている。優秀企業の経営者は、「常識」や「通説」、あるいは他企業の成功例を無批判に受け入れることは決してしない。常識を疑い、自分の頭で考えに考え抜く。その結果、経営は現実であって論理ではない、という言葉に反し、彼らは例外なく実に論理的に自分の一つ一つの意思決定について説明できる。

コンビニ最大手、セブン―イレブン・ジャパンの鈴木敏文会長は、同業他社を見たり、本を読んだりすると、物真似になるから失敗するという。人間は、自分の経験とか成功事例というものにとらわれるから、あまりいろいろなものを見ると、良いところだけを取ろうとして、継ぎはぎになってしまう。自分たちは現場にいるのだから、顧客のことだけを考えて、自分で仮説を組み立て、それを実地で検証する。それが自分の仕事だという。もし、物真似をしたり、色々な人の意見を聞いて判断していたら、今のセブンーイレブンはできなかったという。鈴木氏はイトーヨーカ堂取締役時代の七三年、コンビニ事業について米国サウスランド社と契約を結ぼうとした際、社内外の猛烈な逆風に遭遇した。伊藤雅俊オーナーを含め慎重論が大勢を占めたというが、反対の理由は、これだけスーパーマーケットが全国に展開したいま、小規模店舗で勝負になるはずがない、雑貨屋、昔の十銭ストアとどこが違うのだ、というものだった。鈴木氏は日本の電機などの輸出産業を見よ、と反論した。当時、日本の家電メーカーは規模に勝る欧米メーカーを圧倒し、世界シェアを伸ばしていた。日本の輸出産業が勝ったのは、規模ではなく、生産性である。生産性を高めれば、小規模店舗も勝てるはず。鈴木氏は論理で日本初の本格的コンビニ事業への道を切り開いたのである。

「経営は論理である」と宅配便の始祖、小倉昌男氏(現・ヤマト福祉財団理事長)は断言する。小倉氏が大和運輸(当時)社長時代の七六年に宅配便事業に乗り出す前から、郵便局だけが行っている小口の個人輸送という市場はあった。しかし、それはいつ、どこの家庭から出荷されるか分からない偶発的な仕事で、どこに行くかも決まっていない非定型性があり、需要はつかみどころがない、よって民間業者では採算はとれない……と信じられていた。小倉氏はその常識を疑ったのだ。役員たちの反対を浴びながら、宅配便を成立させるシステムを考え抜き、「宅急便」として結実させた。まさに「経営は論理」を体現したといえよう。

冒頭で述べた「アメリカ式」の形の導入も、ただ形を導入するだけで満足するのではなく、それを考える契機として生かす目的であれば、結果はまるで違ってくる。

花王は、アメリカ生まれの経済指標、EVA(経済付加価値)を九九年に日本の大企業として初めて導入した。しかし後藤社長は、ただ時流に乗ってこの指標に飛びついたわけではない。同社の米国子会社、ジャーゲンズが一足先に導入したところ、社員の間に資本コストに対する認識が広まって、活気が出てきた。その事実を踏まえて日本への導入を決めたのである。つまり後藤氏の意図は社員に資本コストの意識を持たせることにあり、EVAはその出発点として利用したにすぎないと言える。

生粋の技術者、本田宗一郎氏とコンビを組んでホンダの経営を切り盛りした、藤沢武夫氏は、部課長たちを集めた勉強会が終わったあと、彼らに向かって次のように言ったという。

「今回教わったことは非常に有意義だったと思います。講師の話をよく整理して、考えてみてください。しかし、それを鵜呑みにして、それでやられては困るのです」(『経営に終わりはない』より)

知識は知識として、自分の頭で考え抜く重要性を極めて明快に語っている言葉だ。

傍流が成功を導く

第三の要素は、優秀企業のトップの多くは、そのキャリアの中に「傍流の時代」があった、ということだ。会社の主流を歩み順調に出世してきた人よりは、周辺部署や子会社で苦労した人物のほうが、改革を成功させている場合が多い。

たとえばキヤノンの御手洗冨士夫社長である。もともと同社の社長は初代社長・御手洗毅氏の長男の肇氏が継いでいた。肇氏は技術者としてもスタンフォード大学で電子工学の博士号を取得したほどの人物だったが、社長を継いで二年後の九五年、五十六歳の若さで亡くなってしまう。

急遽、当時の会長・賀来龍三郎氏を中心に後任人事が話し合われ、肇氏の従兄にあたる冨士夫副社長(五十九歳)に白羽の矢が立った。冨士夫氏は御手洗家の出身とは言っても、同社は歴代社長をみればわかるように同族会社ではないし、当初から社長になるべく育てられた人物ではないと思われる。入社五年目の六六年にキヤノンUSAに出向し(七九年に社長)、以来二十三年間、キャリアの大半をアメリカで過ごしてきた。いわば緊急事態による傍流組の社長就任だった。

ところがその米国での傍流経験が社長職に就いたときに生きた。氏は「本社に戻ってきたとき、不合理性を感じる部分が確かにあった。それは、ずっと日本の本社で育っていたら不思議には感じなかっただろう」と語る。

まず実行に移したのは不採算事業の整理である。売り上げを削ってでも利益体質にすべきとの強い意思のもと、パソコン、ワープロ、FLCディスプレイといった分野から撤退。トータルで七百三十四億円の売り上げを失ったが、赤字が二百六十二億円削減され、利益体質の企業に変貌した。

組織改革にも手をつけた。御手洗氏の社長就任以前、キヤノンは事業部制が肥大化し、事業部ごとの部門最適しか考えられなくなっていた。たとえば円高対策で海外に工場を建てる際、同じ国に別の事業部がそれぞれ工場をつくり、場合により子会社はまた独自につくる、といった勝手がまかりとおっていた。加えて各事業部が「企業内企業」と化し、財務・経理部門でも、事務機など有力部門の出してくる予算には異議を唱えられなくなっていた。かつて成功モデルと目されたキヤノンの事業部制の限界が、そこかしこで噴出していた時期だったのである。

御手洗氏は九八年、縦割り事業部制の弊害から脱するため、「経営革新委員会」を設けた。開発システム、生産・物流システムなど八つの会社横断的なテーマを掲げ、テーマごとの委員会の長に、主に縦割り事業部の本部長を就けた。例えば、プリンタ事業本部長のA氏が開発システム革新専門委員会委員長を兼任する、といった縦割り組織と横割り組織の複合である。

そうなれば、A氏はプリンタのことばかり考えていればいいというわけにはいかなくなる。開発システムの革新というもうひとつの仕事を行なうには、他の事業部とも意思の疎通を図らなければならない。いきおい、A氏の眼はおのずと事業部間の壁を超えてキヤノン全体に向かう。つまり、いかにして幹部に会社全体を視野に入れてもらうかが御手洗氏の狙いであり、委員会はそのための工夫の一つであったのである。

ところで、各事業部を独立させて、カンパニー制―持株会社というアメリカ式の制度をとるのが最近の流行りでありひとつの選択肢ではあるが、日本の企業を見る限り、カンパニーの社長が持株会社の社長にお伺いに来るだけの、いわゆる「ひらめ」(目が上についているところから)状態の企業が多く、間接要員が増えただけになってしまっている。キヤノンの改革に見られるとおり、会社全体を頭の中で一社と考えられる人材を育てた上でなければ、カンパニー制の成功は難しいと断言できる。

オーナー企業で、後継者候補が早くから絞られている場合は、どうすればよいのか。父親の康臣氏が創業したヤマト運輸に入社した小倉昌男氏の場合はこれに該当する。しかし、入社後、すぐ結核の療養を余儀なくされた氏は、復帰して一年も経たないうちに関連会社の静岡運輸に出向になっている。この出向時代について氏は「小さな会社だっただけに、労務管理から現場の作業にまで目を配らなければならない。それが経営のイロハを身につける上で実に役に立った」と言われている。

「撃墜王」人事の限界

もちろん傍流の成功例は、創業者の家系に限らない。花王の後藤社長は、売り上げの八割以上を占める本流の家庭用品事業ではなく、化学品事業出身のある意味傍流である。しかも二度にわたる出向で計十一年間、花王本社の外で勤務していた。外向的で華やかな歴代社長とは違い、実務的なタイプだが、社長に就任した九八年にフロッピーディスクを始めとした情報関連事業からの完全撤退という大ナタを振るった。九九年には、地元との関係で八つに分かれていた販売会社を一社に統合するとともに、脂肪のつきにくい植物油として大ヒット商品となった「健康エコナクッキングオイル」も発売している。いずれのケースも、先人の努力の上での成功ではあるが、総資本経常利益率を見ると、御手洗社長の場合、就任前の三・五%から九・九%へ、後藤社長の場合、七・九%から一四・六%へと、驚異的な改善を果たしている。

トップにとって傍流経験が貴重な体験となるのは、その企業のその時点の核となっている事業、既存の事業にしがらみがないので思い切った決断ができるという側面もさることながら、彼らは一度、外から会社を客観的に眺められる機会を得られたからこそ、会社の裸の事実を冷静に認識し、改革しなければならない不合理な点を見出せたところにある。これまでの日本企業は、どこかの部門で卓越した業績をあげた人材、いわば「撃墜王」を論功行賞として経営者層に加える、という人事が一般的だった。しかし、経営者は経営の専門職なのであり、名選手をいきなり引き上げても名監督になるとは限らない。将来経営を担う見込みのある人材なら、早い時期、できれば三十代のうちに子会社の社長に出し、さまざまな経験を積ませることが肝心だ。偶然ではなく、意図的に「傍流経験」を作り出すのである。五十代になって本社のトップになれなかった人物を代わりに子会社の社長にあてがう人事は、そろそろ終わりにする必要がある。

存亡の危機こそチャンス

第四の要素としては、「危機をチャンスに転化する」トップの不屈の精神を挙げたい。優秀企業には追いつめられたときにこそ新しい方向性を見出し、それを千載一遇のチャンスに転化して危機を突破した、という歴史を持つ場合が多い。

マブチモーターは創業三年目の一九五七年、存亡の危機に瀕した。日本製の金属玩具の塗料に含まれていた鉛がアメリカで問題となり、日本製玩具の九割が陸揚げストップの憂き目に遭ったのである。当時、マブチモーターは玩具用モーターに一〇〇パーセント依存していた。社には在庫が積み上げられ、モーターの一業種に依存する単品経営のリスクを嫌というほど味わった。

ここでモーター以外の事業に多角化していたら、同社は普通の企業の域を出られなかったであろう。しかし、マブチモーターはそう考えなかった。あくまでモーターの用途がオモチャだけだったのがまずかったのだ。他業界の需要も掘り起こせば、そちらまで一緒に駄目になることはないだろうし、逆に多用途化を進めないと、依存先の業界の情勢に振り回されて危険だ。多用途化のカギになるのは機能の強化と低価格。それが実現できれば、たとえ単品経営であろうと用途はおのずと広がり、経営は安定する。

たとえばかつてのヘアードライヤーは大きく、プロの床屋さんが使うものというイメージだったが、マブチの小型モーターが採用された結果、小型化、低価格化に成功し、一般家庭に普及した。ビデオデッキのローディング用モーター(差し込んだテープをデッキ内部まで引っ張り込むためのモーター)はしばしば電気ノイズを発生し画面のチラつきの原因となっていたが、これもマブチが電気ノイズを抑えたモーターを開発し、後発ながら七~八割のシェアを取るに至った。驚異の低価格で有鉄心モーターを電機ひげそり機のブラウン社に提供したエピソードは先に述べた通りで、マブチは見事に危機をチャンスに転じたのである。

宅急便前夜のヤマト運輸も、存亡の危機に瀕していた。トラックは近距離小口輸送のためのものとする初代社長の信念に拘泥していたヤマト運輸は高度成長期のトラックによる長距離大量輸送の時代に乗り遅れた。小倉昌男氏が同社を引き継いだ頃には、倒産の危機さえ迫る状況だった。商業貨物の輸送では、追いつける状態ではなく、だからこそ小倉氏は、小口個人輸送という全然違うマーケットに目を向けた。民間がきっちりと良いサービスを提供すれば郵便小包の独占を打ち破れるはずだ、という発想である。

マブチモーターやヤマト運輸のめざましい成果は、直面したピンチをチャンスとして生かした結果に他ならないが、一方で、実際に追いつめられる前にも、自己満足を嫌い常に神経質なほど社内の危機感を煽るという文化を持つ企業もある。逆に、うまくいっていない企業は、本当に危ないときでもうちは絶対に潰れない、と社員が信じ込んでいる場合が多い。

トヨタ自動車は今日に至るまで、常に社員に危機感を植えつける文化が引き継がれてきた企業である。現在の張富士夫社長がトヨタに入社したとき、当時の石田退三社長が「君らがぼやぼやしているとトヨタなんていうのはなくなってしまうぞ」と歓迎の辞を述べたというが、その張氏も日常の経営上の小さな問題の芽を早く見つけ、危機感を社内で共有するため、問題点を数字化して社内に示す「経営の見える化」に取り組んでいる。花王も、既に述べたとおり、「現状不満足型企業」と言われる文化を持っている。

身の丈に合った投資

五番目の要素に移ろう。それは「身の丈に合った成長を図り、事業リスクを直視する」経営方針である。優秀企業は、総じて資本市場に邪魔されない自立性を有しているが、これはキャッシュフローの管理の問題である。つまり、自らが生み出したキャッシュフローの範囲のなかで、身の丈に合った投資、研究開発を行なっているのである。思い切った投資判断ができるのも、失敗したときのリスク管理ができているからである。

キヤノンの御手洗冨士夫社長は、就任時に打ち出した改革プログラムの中で、キャッシュフロー経営ということを謳った。当時の同社は投資総額が千三百億円あり、減価償却は八百億円。そこで御手洗社長は、五百億円の純利益があれば、純利益と減価償却だけで投資が全部賄える、と考えた。

五百億円の純利益を経常利益に換算するとざっと一千億円。そこで一千億円稼ぐことを目標に据え、実際、九六年に早くも目標を達成した。

任天堂の場合、巨額の現金を手元に抱えていることで知られる。そのため、資本効率の重要性が分かっていないと金融機関やコンサルタントからしばしば批判を浴びる。しかしそれは、さる五月に退任した山内溥前社長の、事業リスクに対する正確な認識から来る、「充分な余裕を持たなくてはいけない」という考えに基づくものだ。ゲームソフトは受注生産ではない。見込みで開発し、見込みで作り、見込みで在庫を抱えつつ売る、という開発・製造のリスクが極めて高い事業である。実際、八〇年代初頭のアメリカのゲーム業界を席巻していたアタリ社が、八二年のクリスマスシーズンに突然マーケットが前年の数十分の一に縮小するという事態に遭い、あえなく崩壊している。経営危機に陥った。この、いわゆる「アタリショック」を他山の石とし、任天堂は常に手元に流動性資産を確保しておく。事業の領域を娯楽に絞り込むことでリスクが生まれるため、そのヘッジのために流動性資産が必要だ、という考え方にこだわっている。

ちなみに任天堂は、バブル期にも一切財テクには手を出さなかった。娯楽の創造という自分たちの得意分野にはカネを惜しまないが、財テクは得意分野ではないと考える。任天堂のみならず、一般的に創業者の家系の影響力の強い企業は、バブル期においても資本家としての規律が非常に強く働いていたといえる。

経営者の使命感とどら焼き

優秀企業に共通する最後の要素として、「経営者が持続性のある規律の文化を企業に埋め込んでいる」ことを挙げたい。優秀企業には「規律」がある。特に経営者と従業員の双方を律する、持続性のある規律の文化がある。 企業に対する規律というと、まず第一に資本市場からの規律、つまり株式市場の評価が念頭に浮かぶ。しかし、ここ三年間、思考してきた筆者の結論は、持続的な優秀企業を生み出すために資本市場からの規律は必要な条件であるが、決してそれで十分ではなく、優秀企業には、使命感や倫理観といったお金以外の規律があるということである。

会社というのはとにかく儲けるのが仕事じゃないか、きれいごとを言ったって始まらない、と反論する向きもあろう。もちろん利益は重要だ。利益は企業が社会への貢献を継続するために必要な手段なのであり、利益を軽視することは、社会貢献の継続性を軽視することである。たった一回の社会貢献で満足するのなら何も企業の形をとらなくとも、寄付などで充分に成り立つが、社会貢献の継続はできない。一方、優秀企業は、決して利益が上がりさえすれば何でもよいとは思っていない。ただ儲けるだけであれば博打や投機でも同じであるが、貢献なくして利益を得ようとすれば持続的な優秀企業足りえず、破綻がどこかで生じる。これは、最近のエンロンやワールドコムの破綻や不正を見ても明らかであろう。優秀企業には、企業とは「利益を上げることを通じて長期にわたり社会に貢献することを目的とする組織」との企業観がある。

また、優秀企業から浮かび上がるのは、コーポレート・ガバナンス(企業統治)の要諦は「使命感」なのであって「制度」ではない、というシンプルな信念だ。社外取締役制や執行役員制の導入などの形式で会社が回っているわけではない。社員の使命感、倫理観といったお金以外の規律があって初めて人は動き、会社も動く。そういう会社では、少々事業が傾いても、給料カットを行なっても、優秀な人材が雪崩を打って逃げるようなことはないから、危機の際の復元力に優れる。運命共同体的な意識を持った社員が集まっている企業こそ持続性に優れている。

この点で創業者一族の影響下の会社は有利だ。いわゆる資本家の立場として、長期的な成長、社会への継続的な貢献、といった大きな視点で自らの企業を見やすいからだ。任天堂の急成長とぶれない事業方針は山内氏の求心力に負うところが大きかったし、ヤマト運輸の小倉氏、マブチモーターの馬渕氏、シマノの島野氏もしかり。トヨタほどの巨大企業でさえ、直接的ではなくとも「豊田家が見ている」という意識が規律の遵守に大きく力を及ぼしている。

企業経営というのは優れて人間的な営みである。報酬さえ多ければ、社員は必死に働くかと言えば、人間とはそんな単純なものではない。世の中や社会のために仕事をしているという意識を持てて初めて社員は寝食を忘れて働く。これなくしては、社員のベクトルを合わせ、企業の力に結集することは難しい。近年、社員にストックオプションの権利を与えてモチベーションを持たせようとするのが一種の流行になっている。たしかにカネは、ないよりあったほうがいいに決まっている。しかしこの手法の危険なところは、金銭的なインセンティブで引っ張ると、どうしても「自分さえよければ全体がどうなってもいい」という発想が芽生えがちなことだ。

ヤマト運輸の小倉昌男氏は、宅急便の扱い高が増えるたびに社員にどら焼きを配ったという。ストックオプションとどら焼き。誰だって前者を望むはずだ、という考えは果たして人間の心の機微に沿っているのだろうか。たとえばエンロンの元CEOは会社が粉飾決算にまみえる中、自らはストックオプションを行使して、自社株を叩き売り巨万の富を得た。一方、社員たちはエンロン破綻によって職場のみならず貴重な年金資金まで失ってしまった。こうした現実を前にした時、小倉氏のどら焼きを精神主義と笑える経営者がどれほどいるだろうか。

原点に戻れ

ここまで優秀企業に共通する六つの要素について考察してきた。その結果見出された優秀企業の条件はいかなるものか、筆者なりの結論をひと言で言えばこうなる。

「自分たちが分かる事業をやたら広げずに、愚直に、真面目に自分たちの頭できちんと考え抜き、情熱をもって取り組んでいる企業」

至極シンプルで当たり前すぎる結論と言われるかもしれない。しかし、戦後、企業が大きくなるに従い、あるいはバブルの時代を通過して、この原点が見えにくくなったのではないか。戦中、戦後、まだ貧しかった頃、キヤノン、ホンダ、ソニーといった企業がうぶ声をあげたが、かつて創業者たちはこのような考えを持っていた。一九四六年、東京通信工業(後のソニー)を設立するにあたり、井深大氏が書いた設立趣意書には次の一文がある。

「不当なる儲け主義を排し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点をおき、いたずらに規模の大を追わず、極力、製品の選択に努め、独自なる製品化を行う」

日本企業に経営戦略がない、というのは間違いである。アメリカ式であれ日本式であれ、いかなる経営形態、どのような制度をとるにしろ、要は今一度原点に立ち戻ればよい。分かりやすい話ではないか。「社長ぶらず社長らしく」と言った人がいる。社長だけではない。「取締役ぶらず取締役らしく」、もっと言えば、「議員ぶらず議員らしく」、「官僚ぶらず官僚らしく」。各々が自らの心の中に内なる規律を呼び起こして、原点に立ち戻って考えれば、日本社会に光明が差してくるに違いない。

2002年9月号 『文藝春秋』に掲載

2002年9月26日掲載

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