9.11テロとアメリカ議会

中林 美恵子 RIETI研究員

はじめに

米国の政治環境とアジェンダは2001年9月11日のテロ事件以降、大きな変化を見せた。米国はアフガニスタンでの戦争には圧倒的な強さで勝利したものの、問題のテロ組織撲滅とビンラディンの生死は未だ分からず、事実上、現在米国はテロとの戦争という意味で戦時下にあるといえる。戦時下というイメージは、現実の米国人の生活からするとギャップがあり過ぎるように見えるが、米国の現在の国家予算は、戦時を如実に示している。そして行政府の動きに比べ日本で大きく取り上げられていないのが、予算編成権限を持つ立法府の姿である。一連のテロ事件に直接影響を受け、大統領と共にまたは反発しながら米国の国家運営の舵取りをしている米議会に焦点を当て、米国で起こった歴史的な動きの一部を考察する。また筆者は2002年4月まで米国上院予算委員会に10年近く勤務した国家公務員であるため、その経験も加味するよう努めた。

本稿は、まず9月11日の議会の様子に触れる。また議会を直撃した炭疽菌事件についても避けては通れない。その対応には米国の議会の在り方が意外な形で姿を現す。政策面では予算編成権限を握る議会が大きく変わったが、その予算編成の様子から米議会制度を考察する。また2001年は上院の党派勢力バランスが拮抗して始まり、更にジェームズ・ジェフォーズ上院議員の共和党離党が国政を変えてしまったことについて、そのシステムを説明するとともに、議会での政党のあり方、また行政府との関係についても触れる。

9月11日

米議会は、国民が直接所有する開かれた府である事を自負している。それゆえ金属探知機さえくぐれば、議員の居る議員会館にも自由に入れるし並べば誰でも本会議場の傍聴席に座れる。また委員会が開く公聴会や証人喚問も、国家機密に関するものでない限り、誰でも紹介者なしで入れる。これは立法府が信念として堅持するポリシーとさえ言え、数年前に議事堂入り口で警官たちが精神異常者に射殺された事件後さえも、頑として変わることがなかった。それ故、毎日議会を訪れる観光客の数はおびただしい数に達する。

9月11日、議員やスタッフは通常朝9時開始の仕事のため、テロ事件の全容をまずテレビで知った者が殆どであった。館内放送というものはないし、警報も作動しなかった。3機目の飛行機がペンタゴンに墜落するのをテレビ画面で見、もう一機がフィラデルフィア辺りを飛行中であるとニュースで聞いて、国会議事堂も標的の一つになる可能性があると判断した個人個人が、自分の判断でそれぞれ自宅へ向かい始めたのであった。議事堂の中と外では、警官が多数の観光客を外に追い出し、スタッフもロビイストも観光客も不通となった携帯電話を握りながら走って議会から遠ざかった。本土で戦争をした経験のなかった米国は、立法府が狙われるという想定をしての訓練はしていなかったようだ。ホワイトハウスでは、9時45分には全員に向けて避難命令が出され、スタッフIDも外して逃げよと指示が出たのだが、議会の方は大混乱であった。

それは後に、下院民主党院内総務のリチャード・ゲッパード議員が「議会は何のプランも持っておらず何のトレーニングもしてこなかった」と明言したことからも明らかである1。実際、議会警察は国防省が煙に包まれた直後に避難命令を出していたのであったが、議会では殆どの者がそれを聞かなかったし、筆者も例外ではなかった。ホワイトハウス地下の緊急司令室からはディック・チエイニー副大統領が、大統領継承権3位のデニス・ハスタート下院議長と4位のロバート・バード上院議員に連絡をとろうとしたものの、二人はそれぞれ家に向かってしまっていて、なかなか連絡が取れなかった。前述のゲッパード下院院内総務も同様に家路についていた。上院の方も同様で、議員たちがそれぞれの行動をとった。トム・ダシュル民主党上院院内総務は、まず近くの議会警察の本部ビルへ案内されたが、後に自分のスタッフを集めて、近くのタウンハウスで状況の推移を追った。トレント・ロット共和党院内総務も議会警察本部ビルに案内されたが、政治指導者が安全とは言い切れない警察ビルに居るのは懸命でないと自己判断し、メリーランド州にあるアンドリューズ空軍基地に移動した。誰もが自分なりの判断で行動をしていたことになる。

こんなとき頼みになるはずの携帯電話は多量の通信のせいでパンクし、ダシュル上院院内総務のスタッフたちは、何処に議員が居るのかさえ1時間以上も知ることができなかった。スタッフだけでなく、全ての議員たちが指示を仰ぎたいと思っている議会のリーダー議員たちが、いったい何処にいるのか確認もできず、結局誰からも指示が出なかったのである。その間、国会議事堂へはヘリコプターが次々と舞い降りて、黒服に身を包んだ特殊部隊スワットチームが警戒を始めた。

時とともに議員たちは情報欲しさに議会警察本部ビルに集まりだしていた。ある議員は、テロに屈しないところを見せる勇気が必要だとし、敢えて午後から本会議を開くよう呼びかけた。また二人の上院院内総務が後に議会警察本部に戻って同僚議員と談議しようとしたところ、ホワイトハウスのチェイニー副大統領に止められると、行政府と立法府は異なる府なのだからホワイトハウスには指示されたくないと、三権分立論を唱えたのは政権と同じ共和党リーダーの一人であるドン・ニクルス上院議員だった。

しかしながら一晩過ぎた翌日には、ブッシュ大統領と議会リーダー達のミーティングが行われ、何よりも党派と府の違いを超えた調和が大事だという認識で一致した。また議会の避難プランも翌日には作成作業が始まり3日後には各スタッフに説明会や配布物が行き渡り、飛行機の墜落だけでなく化学兵器の場合にはどう対処するかまでの様々な詳しいマニュアルが出来上がっていた。国会議事堂周辺は大型車の交通が遮断され、検問が始まった。そして未だに、議員と議会職員以外は以前のように自由には国会議事堂内には入れない状態が続いている。

炭疽菌事件と議会

炭疽菌事件もビンラディン捕捉同様、犯人逮捕が実現していない問題である。10月15日にダッシュル上院院内総務のオフィスで発見された炭疽菌入り封筒は、その対処に9月11日の経験が生かされた。特に上院では、炭疽菌のニュースが入るや否や、議員会館に最も近いモナクルというレストランに100人の上院議員が瞬時に集結した。本会議も公聴会も、議院の姿がいきなり見えなくなり、ひとまず中断した。モナクルで話し合われたのは、本会議と議会活動を継続するのかしないのか、またスタッフを避難させるのかどうか、などである。

そこでリーダーシップを発揮したのが、テネシー州選出の二回生議員ビル・フリストであった。この時の模様は、予算委員会のスタッフディレクターであるビル・ホーグランドが現場に立ち会い、それを部下に報告したことにより明らかにされた。フリスト上院議員は全米で知られた心臓外科の名医であり感染症問題にも詳しいというバックグラウンドを持つ。上院議員たちにとっては同僚である彼が、炭疽菌の性質などを専門的に説明する姿に誰もが信頼をよせ、上院の本会議は継続するという、ダッシュル院内総務の最終決定に大きな影響を与えた。しかし下院はというと、100人しかいない上院に比べ345人もの議員を抱えており、対処を判断するプロセスは単純であった。下院はすぐに本会議を全て取り止め、議員会館も議員のオフィスも数日間閉鎖すると宣言した。この下院の咄嗟の動きは上院と比較される事となり、国民やマスコミの冷ややかな嘲笑が下院に集中した。

炭疽菌について対応が最も遅れたのは、議会よりもそれをとりまく郵便システムへの検査だった。ダシュル院内総務に送られた炭疽菌が、それまでのものよりもずっと強力だったことに気付くのに遅れたため、議会関係者の検査を優先し、それらを運んでいた郵便関係者や郵便関係施設の検査に取りかかるのが遅れ、ワシントンだけで、2人の郵便職員が死亡した。こうした議会を取り巻く事件は、確実に議員たちの安全保障認識を高めていった。核兵器、化学兵器、そして生物兵器など、国土と国民を守るためには、以前には空想でしかなかった問題が、一般の人間にも現実となったのである。その認識を議会がどう生かすかは、まさに予算編成にかかってくることなのである。

9月11日前の予算上の課題

予算編成は議会だけがその立法権限を有する2。行政府としてはOMB(行政管理予算局)が大統領の右腕となり各省庁をとりまとめて、2月の第一月曜日に大統領予算教書を議会に提出するのだが、これは行政府のリクエストであり、そのまま立法される事はない。それどころか立法権限を楯に議会が新しい提案や修正を加えることが殆どで、極端な例では、1995年の政府機能一部停止のときのように議会が大統領のリクエストを否定し独自の予算を作った末、大統領の拒否権と真っ向からぶつかった事もあった。

2001年には財政均衡論議を盛り上げていた財政赤字も消えていた。前年の2000年には年金基金を含めずとも財政黒字を計上することに成功していたのである。そのような環境の中で、9月11日以前の論争と言えば、もっぱら、景気の悪化ならびに6月に立法されたブッシュ大統領の1.35兆ドルの減税3が歳入を目減りさせてしまい、年金基金の黒字を使い込む可能性があるが、本当の責任は誰にあるのか、という非難と攻撃のゲームが繰り返されていた。CBO(議会予算局)の試算によれば、確かに、財政バランスは経済の浮き沈み次第で、ギリギリ年金基金に手をつけるかつけないかの状態にあった。2001年の議会での論議は、2002年度予算も政治色のみとなると想像できた。米会計年度末である9月末日までに成立させるはずの13本の歳出法も、極めて困難を要すると議会の誰もが暗い認識であった。また同年6月、ジェームズ・ジェフォーズ上院議員が共和党を離党した結果、民主党が上院で主導権を握るに至り、強くなった民主党と主導権を失った共和党の間で、大統領をも巻き込んで泥仕合さえ始まっていたのである。この泥仕合の勝敗によっては、2002年の中間選挙の結果さえ決まると言われていた。

CBOとOMBは大統領の予算教書の提出時期に経済成長見通しと財政バランスの報告書を作成する義務をもつ。また夏にもそれらを修正・アップデートをする(Midsession Review と呼ばれる)報告を作成する。2001年は、8月にCBOの報告書4を議会が受け取った。2001年1月の段階で3,130億ドルだったはずの2002年度財政黒字は、8月には1,760億ドルと予測され、これに既に提案されていた数々の財政出動が加われば、2002年度の財政黒字は、年金基金の黒字を含まなければ5億ドルだけという際どい見通しが出てきた時期でもあった。

財政規律や年金基金の大切さを訴えるのは両党ともに同じ。しかし一方で教育や福祉、建設事業などのペットプロジェクトに思う存分支出できない民主党議員たちは、その不満を共和党が6月に立法した減税法にぶつけた。スレスレの財政黒字予測に困ったのは民主党議員だけではない。共和党議員たちのペットプロジェクトもさることながら、ブッシュ大統領も185億ドルという国防費の補正予算を議会に追加請求するつもりだったので、財政問題を考えると苦しい状況にあった。米国の国防費は、8年に及ぶクリントン政権時代の予算削減が積み重なって、機材も兵器も買い替えのサイクルをとうに超えた状態であるとされていた。しかし年金基金に手をつけることだけは、どちらの政党にとっても政治的自殺行為として認識されていたのだから、袋小路状態であった。

この財政論争は年金ロックボックスと言う言葉で象徴される。年金基金から出る黒字を金庫に入れ、手を付けないようにしようとする事を指している。非常に国民の支持が高いアイディアであるが、実際には金庫に入れても国債を買って利回りを確保しなければならないので、政府プログラムに回そうが国債を買おうが同じことだという議論も十分に成り立つ類のものである。またこうした予算問題の他は、選挙資金規制法、患者が保険会社を訴訟する権利、高齢者医療の充実などが、9月11日テロ事件以前の議会における論争の中心であった。

9月11日以降の予算上の課題

テロ事件翌日、昨日まであった米議会はもうそこには存在しなかった。24時間前までの予算論議も政策論議も、今はもう何の役にも立たないと全ての人間が暗黙に了解した。年金ロックボックスという言葉を口にする議員やスタッフが、みごとに消えた。国家のアジェンダが、そして予算のプライオリティーが、全て一夜にしてひっくり返ったのである。テロ事件以降、議会において緊急の対応と注目を集めたのは、今までは考えてもみなかったテロとの戦争問題、災害救助、飛行機会社救済、空港の安全確保、国土の安全保障である。民主党のケント・コンラッド上院予算委員長は自らのウェッブサイトで以下のように述べた。

The terrorist attack against the United States on September 11th has changed the focus of Congress and the nation. Our first priority must now be to defend against further attack, care for the victims, rebuild what we have lost, and track down the perpetrators of these acts of terror. The world must know that our country stands united and determined to provide whatever resources are necessary to accomplish these goals. Our concern for protecting the integrity of the Social Security and Medicare trust funds remains, but must be achieved by returning to a policy of fiscal discipline over the long-term.6

テロとの戦争に勝つという至上命令に向かって、議会は動き出し、その方向性を予算という立法府独自の権限を使って体現するという姿勢に至ったといえる。ただし、実際の予算編成は必ずしも全員が同一の目的や問題意識を持っていたとはいえない。戦時予算のプラカードを掲げて、米議会は大きな歳出圧力の府へと流れを変えていく。「年金基金に先に手をつけるな」という年金ロックボックス論議は、財政を論じる中でも、誰からも聞かされることがなくなったのである。

9月12日、大統領はニューヨーク州選出の議員たちに向かって、200億ドルの復興資金援助を約束した。その場でチャック・シューマー上院議員が、いずれはその倍が必要だろうと告げると、大統領は承知したと返答したという7。そこで直ぐに大統領はハスタート下院議長に宛てて、まずは200億ドルの復興特別資金をリクエストする書簡を送っている。議会での審議を経て、結局は400億ドルの特別歳費が歳出権限を得たが、やはり戦争も復興も、まず手始めは予算を付けることが始まりなのである。

次の表1は、実際に2001年度と2002年度の緊急財政出動が何に使われたのかをカテゴリー別に記したものである。ペンタゴンに回される歳出が極めて高いが、国土安全確保のための資金も2年で約160億ドルなっており、空港や警察組織の強化等に使われている。

これを前回の戦争である1990年から1991年にかけての湾岸戦争と比較して考えると、その特色が浮き立つ。湾岸戦争は、資金集めの面でも米予算の編成の面でも、テロとの戦争と大きく違っている。1990年は予算編成プロセスにおける新しいルール8が政治決着した年であり、歳出のキャップやPAYGO9規制の外に“emergency requirements”という条項を加え、戦争資金など緊急事態に支出ができることとした。したがって90年と91年に議会は580億ドルを超える戦費を歳出したが、この戦争が財政面でユニークだったのは、日本を始めとする同盟国から合計480億ドルの寄付が集まったことである。当時は次のグラフ1が示すように米国財政が史上最悪の赤字を計上していた時期だけに、もし同盟国からの資金援助がなければ、このグラフの形派も大きく変わっていたに違いない。

こうした同盟国からの資金は、米国の双子の赤字悪化を食い止めるのに役立っていたと認識されている10。しかし現在のテロとの戦争はすっかり様相を異にしている。湾岸戦争は手本とは全くなりえない異質さである。ありとあらゆるものが兵器となり得る上に、本土への上陸が簡単だ。相手は国家という形態も国境線ももっていない。先の表1が示すように、9月11日以降、既に670億ドルが歳出されているが、その中でなんと360億ドルは、国内の安全保障関係費に向けられているのである。

次のは、防衛費以外の歳出権限が13.2パーセントの増加となり、従来の防衛費に限っての増加は、9.0パーセントにとどまっていることを表している。この歳出形態に、過去の伝統的な戦争とは大きく違うものが存在しているのである。

戦時下予算

2001年のうちは、議会も大統領も補正予算を組むことが、戦争と救済の予算捻出の唯一の方法だった。しかし2002年に入ると、2月に大統領から2003年度予算教書が提出されたのを受け、総括的な戦時予算としての03年度予算が姿を現す。次の表3はその大統領の予算リクエストをかいつまんだものである。

この表で明らかなように、最下の欄に記された大統領のリクエストは2003年度に明らかに赤字を希望するというものになっている。既にH.R.3090は3月8日に上下両院を通過し9日に大統領によってサインされ立法しているので、2003年度が赤字になることは明白である。さらに議会では現在も更なる歳出圧力が続いており、2002年の中間選挙前まで最終的な予算の数字は決定にはまだ時間がかかる。

また、大統領の予算教書は、2003年度に2.1兆ドルの歳出を全体予算として想定したが、そのうちの約3分の2は義務的経費であるため、法律改正が議会を通過せねば大統領でも手をつけることはできない。よって彼が最も大きな変化をつけたのが、国家予算の約3分の1に当たる裁量的経費の部分だったわけである。

もちろん大統領が予算教書の中で最優先したものは、国防費だった。軍事費は前年度と比較すると13%(450億ドル)の増額、また国際関係費も5%(10億ドル)のアップ、そして米国土防衛費は27%(50億ドル)の上昇を、議会にリクエストした。教書では、他の裁量的経費は3%(120億ドル)の削減になっている11こうして、軍事費と国土防衛費を最優先した予算教書だが、もう一つ大きな優先事項があり、それが景気回復だった。9月11日以前から既に下り坂だった景気はテロを経て更に下降していたため、大統領は景気刺激予算を別枠で通すことを希望したのである。

この景気刺激予算は歳出と(減税による)歳入減少をもたらすため、2002年度に520億ドルそして2003年度には460億ドルの財政コストがかかるとされる。それで来年度予算は(年金基金の黒字を除くと)2,160億ドルの赤字となる見込みである。こうした優先順位の大きな入れ替えと歳出の大幅増大による財政赤字覚悟の大統領予算教書が、戦時予算と呼ばれる所以なのである。また、CBOは3月に、アフガニスタンでの軍事活動費用は2002年度だけでも100億ドルに上ると試算しており、戦時下の色合いは特に予算面で非常に濃いものとなっている12

さらに大統領は、4月に入って補正予算のリクエストを議会に提出した。2001年の400億ドルに引き続き、2002年にはアフガニスタンでの軍事費や国土安全保障の経費として271億ドルの請求額になった。

それを先に審議し始めた下院は、結局のところ20億ドルそれに加算して補正予算を通そうとしている。つまり国土の安全を確保するという大義名分の下、歳出の増加と財政均衡への関心は減少してしまっている。9月11日のテロ事件が及ぼしたダメージは、国民の精神や経済に対してと同様に、予算編成と財政規律に対しても大きかったと言っても過言ではない。

財政規律に言及すると、その崩壊の例には事欠かない。事の始まりは、170億ドルの航空会社救済支出であった。これは飛行機会社のロビーと何かしなくてはという政治家たちの動揺が合致して歳出に漕ぎ着けた。しかし一産業分野を救済することにより、テロ以降経済的ダメージを受けたとする産業からも救済要求が殺到した。観光業界、保険会社、農業まで、ありとあらゆる産業が無関係ではなかったからだ。日本や他の多くの政府と摩擦を生じさせている鉄鋼業界も例外ではない。鉄鋼産業を抱えるウエストバージニア州の上院議員はこう言い放った。「鉄鋼なしには、我々は国家の安全を保障することなどできない。鉄鋼なしには我々の悲劇から建設が始まらない。」またバス業界は飛行機に乗るのを控える人々で乗客が増えたが、バスジャックなどに備える政府援助を要求した。旅行会社は具体的に40億ドルの無利子ローンが必要であると宣言した。農業政策では、「食物こそ国家安全保障の基礎である」との意見が高まり、ついには農業補助金の大幅な上積みを内容とする「新農業法案」が、ブッシュ米大統領の署名で5月14日に成立した。6年間で総額517億ドルの補助金を上積みする新法が2002年10月から施行されることになる。

三権分立および政党勢力

テロ事件のような国家の緊急事態直後において、議会は比較的おとなしくなり、大統領のリーダーシップに協調の姿勢を見せながら、最小限の修正を彼の予算リクエストに加えてきた。またブッシュ大統領は9月11日以降、毎週定期的に上院と下院のリーダーたちとの面会を繰り返し、こうしたプロセス上の融通も超党派体制の雰囲気作りには大きな役割を果たした。しかし、これも2002年に入ると徐々に以前の党派対立を見せるようになる。なぜならば、この年が中間選挙に当たっていること、そしてもともと上下両院の535人の議員たちはそれぞれ違った利益と主張を代表してワシントンに来ているという根本的な事実があるからである。

ブッシュ大統領は現在、すでに厳しい批判にさらされている。中東問題への対処からアラスカ州油田開発プロジェクトの上院での否決、さらには大統領が9月11日以前にテロ情報を受け取りながら対処に失敗したのではないかという疑惑への、民主党による追求が熱を帯びてきている。疑惑に対する公聴会などが開かれるようになれば、超党派的協力体制は完全に終わりを告げたことを物語ることになる。

また政党だけでなく、上院と下院の対立も日常茶飯事だ。これは主にそれぞれの院の政党勢力が分断される傾向にあることに由るが、2年周期で選挙を戦わねばならない小選挙区制の下院議員と、6年に一回の選挙で州全体を代表する上院議員との、立場の違いによっても生じている。

議会の政党勢力(表4を参照)は、様々な法案や予算作りに影響する。2001年の6月にジェフォーズ上院議員が共和党を離党した時のように、一議席差ででも勢力バランスが変われば全ての委員会の委員長職が多数党に取られてしまうのである。上院本会議では60票を取らねばマラソン演説による審議妨害(フィリバスター)を止めることができないが、委員会での採決は過半数でいい。また委員長は、公聴会のアジェンダや日程、それに本会議に上げる法案まで選ぶことができる絶大な権力を有するので、少数党に転落すると法案を通すための影響力は激減してしまう。また本会議場のスケジュールを決める多数党院内総務も、一議席でも多い党のトップの人間が就任できることになっている。

また現在のように上院と下院の主導権が対立する政党になってしまうと、各院を通過した法案の違いを調整する両院協議会での合意形成が非常に難しくなる。実際のところ、予算面では、4月15日に通過するはずの予算決議(予算の大枠と長期プラン)が、5月中旬現在で成立見通しが立っていない。この後には歳出委員会が13本に分かれる細かい歳出法作りをせねばならず、2003年度予算の成立までは、長い道のりとなることが必至である。

おわりに

立法府の特徴は、それぞれの議員の立場や主張、そして利益目的の違い・独立性に加え、議会そのものが独立した府であるという部分にある。それは立法能力のみならず、大統領を厳しくチェックする府としての機能もある。特にこの機能は、大統領府の政党と相反する政党が、議会のどちらか(または両方)の院を多数党として制覇している場合に効果が大きい。一方で、9月11日のテロ事件のような国家的危機に際し、短期的にではあっても、府の違いと独立性の主張を控える方向に流れることもある。それは議員たちが国民の感情や要求に非常に密接に連動している証拠ではあるが、反面、長期的視野を見失うと同時に財政規律を損なう言い訳を与えることにつながる。予算編成権限は議会に与えられているが故に、この府が受けたテロ事件の最大の影響は、つまるところ財政規律へのダメージであったといえるだろう。

国家の危機を利用して地元利益誘導を図る議員たちの姿は、世界をリードする米国の民主主義においても、より効果的な政府運営という視点において、制度的ジレンマを内包しているのが分かる。過去においても、戦時下の予算は「uncertainty」の一言に代表されるものであった。いつか米議会で財政規律という意識が再び注目されるようになるには、このテロとの戦争が終結するのを待たねばならないのかも知れない。

筆者は、実際に米国上院予算委員会に勤務し、財政規律の為に仕事をしてきた一員として、現在の歳出圧力一辺倒の米議会の雰囲気に、政治家の性と予算運営の難しさを実感している。しかしながら振り返れば、米議会という府は、実際に何度も戦争を経てきたのであるし、ベトナム戦争後の1974年には現在の予算編成プロセスを決定した「予算法」を自ら成立させ、それを少しずつ修正しながら、今日に至っているのである。この府の中に、行き過ぎを内部から改造・改革するエネルギーが存在しているのだとすれば、いずれはそれを立証する機会が訪れるに違いない。

2002年6月号 『海外事情』第50巻第6号 (拓殖大学海外事情研究所)に掲載

脚注
  • 1 Washington Post, January 27, 2002.
  • 2 Under the United States Constitution, in Article I, section 1, the power to legislate is vested in the United States Congress.
  • 3 Economic Growth and Tax Relief Reconciliation Act of 2001.
  • 4 議会は通常CBOの数字を採用して予算を作っている。
  • 5 The Budget Bulletin, September 10, 2001; published by U.S. Senate Budget Committee.
  • 6 http://www.senate.gov/~budget/democratic/pressroom.html
  • 7 Washington Post, January 29, 2001.
  • 8 Budget Enforcement Act of 1990.
  • 9 Pay-As-You-Go 新たな歳出を必要とする法案や修正案を提出する場合に、その財源を探す義務。
  • 10 Speech by Mr. William Hoagland (Senate Budget Committee) at a conference held by American Association for Budget and Program Analysis on May 2, 2002.
  • 11 上院予算委員会の内部資料による算出。
  • 12 Congressional Budget Office, letter to Senator Pete V. Domenici, April 10, 2002.

2003年8月4日掲載

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