財政改革の国民意識の役割

中林 美恵子
RIETI研究員

政治家にとって、国民の負担増と便益削減を提唱することは実に難しい。常に選挙で選ばれる必要のある政治家は、いかにして選挙に勝つかを政策選択の決定要因にせざるを得ない。巨額の財政赤字を抱える国家の財政再建という課題について、もし今増税をせねばいつかの時点で大きな歳出カットを余儀なくされることが予測できるにもかかわらず、長期的なそして世代を超えた国家政策の検討を棚に上げ、政治家が目先の必要性や利益追求に突き動かされている姿は、財政改革の国民意識の反映である。また長期的視野で地道な政策を提唱する政治家が、国民から理解され難いというジレンマが存在するのも、同じく国民意識の反映である。

多種多様な問題をかかえる現代において、国民の選択が何なのかを見つけることは簡単ではない。

政策を決定する過程において、トレードオフ(同時に達成できない複数の目標の妥協・調整)が何なのかを政策現場のリーダーや財政の専門家が分かりやすく示すことが、国民にとって貴重な判断材料になる。ただし、現実には専門家がトレードオフを示しても、政策決定に十分反映されずに、政治プロセスの中で抹消されてしまうことがある。こうしたエラーは繰り返させないことが肝要であり、専門家の側も、情報の公開や政治プロセスの中で抹消されないだけの説明能力や信憑性を確保する必要がある。

またリーダーたちにとって財政情報は、数字でトレードオフを提示し国民の価値判断としてのフォーカル(焦点となっている)ポイントを探るための道具だともいえる。国家の目標や、理想、経済発展などを数字という形で指し示せるほか、さまざまな行政活動を管理したり、有権者たちの要求に応えたりする道具となる。したがって、財政改革には、政府が説明責任を果たし、国民の選択を可能にするトゥールの確保という側面があることも忘れてはならない。

財政政策においては、限られた資源の中で全ての国民に満足のいく行政サービスを提供することは不可能である。コストと享受できる便益の関係を理解し納得することが国民の側には必要となる。しかし全員の納得は難しい。そこで政策を提言した政治責任の明確化を図り、プロセスそのものに正当性をもたせることが不可欠となる。プロセスの正当性は国民にとって難しい条件の納得を迫ることができる。また責任の所在の明確化は、政策現場のリーダーたちが失敗から学び、より充実した政策を練ることへの動機付けとなる。

国民の価値判断を問うための試行錯誤を可能にするには、政権交代も欠かせないメカニズムの1つである。予算編成には少なからず仕切られた多元主義が存在する。時間が経つにつれて政治家・官僚・利益団体の間に切っても切れない縁や連帯意識が育つ。これを断ち切るのが政権政党交代の本来の役割であり、政策転換および人材一新を実現する手段ともなる。権力というものは必ず腐敗する。安定した権力が保証されれば、腐敗を防ぐ圧力は事実上存在しない。また政治から競争が消えれば、国民の貴重な学習チャンスが奪われる。

日本では、摩擦を避けるため非公式な場でコンセンサスを得る手段が重用されてきた。与党では事前審査が厳しいし、国会審議はなかなか実質的な影響力を持てない。このようなスタイルは、変化が激しく、説明責任を重要視する民主主義の発展にはだんだんそぐわなくなってきている。また官僚などエキスパートに任せてみても、彼らはリスク回避を優先しエラーの発覚を恐れて責任の所在を不明確にするばかりである。こうした環境では、衆愚政治の問題が根深さを増すだけになっていく。

国民は国家運営の費用を負担する納税者であり債権者である。しかし国家という単位が余りにも大きいがために、家計につながる経済観念を生かすことなく、自己利益追求に走る可能性は否めない。しかしながら人々は良質の情報を得ることによって、家族のために家計を司る場合と同じようなバランス感覚を発揮する場合も可能性としてはある。

人々の哲学や見識の中には、公正または公平であるという価値判断が存在する。利己的であるという人間行動の解釈以外に、徳性を示すということによって情緒的利益を得る場合もあり、徳性というものが財政に対する国民意識のなかにも存在する可能性は否定できない。そうした徳性や正義感を市民が発揮するために基礎となるのが、可能な限り正確で信頼できる情報と分析である。これは国民が自分から求めることも必要であるが、知らぬ間にある程度正確な知識が入ってくる環境整備は行政側の課題でもある。また国民への正しい情報提供や教育は、知識豊富な専門家が実践すべき社会貢献であり財政改革の国民意識を高めるうえで不可欠である。

2004年3月30日 産経新聞社「フジサンケイビジネスアイ」に掲載

2004年4月5日掲載

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