米国に学ぶEBPM 未来志向で政策改善を支援

小林 庸平
コンサルティングフェロー

エビデンス(証拠)に基づく政策形成(Evidence-Based Policymaking=EBPM)の重要性が指摘されて久しい。日本のEBPM元年は2016年とされ、様々な取り組みが進む一方、施策の因果関係を示す「ロジックモデル」の作成や成果指標の設定・測定といった形式的な実践も多い。現場からは負担感や有効性への疑問も寄せられている。

だが最近でも、1人あたり4万円の定額減税や児童手当の拡充など、エビデンスが不確かなまま政策が打たれている感が否めない。

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参考となるのが米国の取り組みだ。例えば保健福祉省は、高卒で所得の低い18〜24歳に対し「Year Up」という就労支援プログラムを実施している。半年のトレーニングと半年のインターンからなる計1年間のプログラムで、(1)IT(情報技術)や金融などニーズの高い業務のスキル習得(2)包括的な就労サポート(3)雇い主と連携した学習・インターンシップ――という3つの特徴を有する。

このプログラムも計画段階では効果があるかどうかわからなかった。そこで保健福祉省は2544人の潜在的な対象者を2つの群にランダムに分けて効果を確認した。図は両群の平均賃金の推移を示したものだ。プログラムを実施する1年間(0〜3四半期)は政策を受けなかった群よりも受けた群の方が賃金が低くなるが、その後は一貫して政策を受けた群の賃金が高い。

そして驚くべきことに、効果はプログラム開始から7年(28四半期)が経過しても減衰しない。就労により失業給付が削減され、社会的便益は7年間で1人あたり約3.4万ドル(約500万円)に達した。政策コストの約2.5倍のリターンがあった計算になる。

米保健福祉省の「Year Upプログラム」の効果

こうした米国でのEBPMの基本的な枠組みを規定しているのが19年成立のエビデンス法だ。同法は各省に対し、評価官の任命やエビデンス構築計画の策定と公表などを求めている。エビデンス構築計画は、政策立案上明らかにしたい問いと、その解決のための具体的な方法を示した文書のことだ。例えば「Year Up」では「低所得の若者に対する効果的な就労支援策は何か」が問いで、ランダム割り付けによる効果検証が具体的な方法となる。

日本ではEBPMは事後的な政策評価と混同されやすい。両者に重なりはあるが、事後的検証では信頼できるエビデンスを得ることは難しい。信頼できるエビデンスを構築するには、効果検証などの準備を政策実施前に行うことが重要だ。

米国はEBPMを、過去の政策へのダメ出しではなく、未来に向けた政策改善の営みとして位置付けている。そして各省の評価官およびEBPM部局はこうした計画文書の取りまとめと評価・分析活動を企画・実施する役割が課されている。

EBPM部局の体制をみてみよう。労働省は18人のスタッフのうち7人が博士号取得者、保健福祉省子ども家庭局は77人のスタッフのうち52人が博士号取得者だ。EBPM部局の予算額は、労働省が約35億円、保健福祉省子ども家庭局が約230億円となっている。

一方、日本のEBPM部局は、多くの省庁では2〜5人程度の配置で、博士号取得者は少ない。予算額についても、22年度で厚生労働省は約0.7億円、文部科学省は約2.6億円だ。日本の調査研究は政策部局が実施する場合が多いため米国と単純比較はできないが、人員で数十倍、予算で100倍程度の差がある。また米国のEBPM担当者は10〜15年程度同じポジションにとどまることが一般的だが、日本の場合は数年で異動することが多い。

米国で政府内部にこれほど充実した体制を整備している理由は、米国のEBPMの実務を観察すると理解できる。計画作成には、政策部局と連携し何が政策立案上重要な問いなのか、どんなエビデンスで評価・分析をすべきなのかなどを検討する必要がある。非常に抽象的な段階から始まることが多いため、内部の専門家でないと対応が難しい。

米国のEBPM部局は外部機関に調査研究を委託するケースも多い。それでも内部体制が充実しているのは、外部機関が意味ある調査研究を実施するため内部人材がそれを企画・管理する必要があるからだ。外部機関の研究者と対等なコミュニケーションができて初めて外部委託が機能する。

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米国の取り組みから、EBPMを機能させるためのポイントを2つ導ける。

第1にEBPMを未来に向けた課題解決・政策改善へと転換することだ。事後的検証やロジックモデルの作成だけでは、政策改善に役立つ質の高いエビデンスは得られない。米国のEBPM担当者は、自らを「政策改善のためのサービスプロバイダー」と位置づけている。EBPMの優先課題をニーズ起点で明らかにし、エビデンスを用いてそれを解決する営みへと転換すべきだ。

第2に内部体制を構築することの重要性だ。日本の公務員はメンバーシップ型のゼネラリストが中心なのに対し、米国はジョブ型のスペシャリストが中心だ。日本の公務員制度はEBPMなど専門性が求められる領域と非常に相性が悪い。エビデンスの構築には数年を要することが多く、日本のように異動のサイクルが短いことも足かせになる。

公務員制度を変えるのは容易ではない。だがデジタルやITなど社会の様々な領域が高度化する中で、行政内部で専門家を活用することはEBPMにとどまらない共通した課題だ。日本では近年、公務員志望者の減少や中途退職の増加が問題になっている。しかしこれを、専門人材活用の奇貨ととらえてはどうか。

例えば専門性を要するポストを任期付き任用化し、専門家採用を拡充するのも一案だ。専門人材の多くは民間でもニーズがある。公務員の任期付き任用は、雇用リスクも踏まえて、民間に見合う賃金水準にすることを考えてもよい。

また現職公務員でも、幹部職員を目指すのではなく専門性構築に関心を持つ人は多い。専門職任期付き任用については、行政内部からの応募も可能な形にすれば、ゼネラリスト型公務員とスペシャリスト型公務員のダブルトラックに転換するきっかけにもなる。

専門人材の需要と供給は鶏と卵の関係にある。政策改善に貢献するEBPM人材が供給されれば、行政内部でのEBPMへの需要も高まり、それにより人材がさらに育ちやすくなる。米保健福祉省子ども家庭局のEBPM部局は1995年に設立され、当初は数人の規模だったのが現在は80人近くまで拡大している。

日本でも、EBPM人材に対する需要と供給を少しずつ高めていくことが有効だろう。例えば日本のEBPM部局に必ず1人は専門性を有した任期付き職員を採用することや、各府省のEBPMの責任者である政策立案総括審議官の公募を義務付けることから始めてはどうか。EBPMを、行政機構をより効果的で役に立つ組織に転換していくためのきっかけにすべきだ。

2024年3月21日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2024年3月29日掲載

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