福島第一原子力発電所事故の検証すべき問題点

戒能 一成
研究員

1. 本稿の目的

去る3月11日に発生し現在なお対策が続けられている東京電力福島第一原子力発電所事故については、事故の経過や原因について連日様々な事実が明らかにされ、対策措置の是非について内外有識者の見解や批評が報道されている状況にある。政府による事故調査・検証委員会の設置も5月24日に決定され、ようやく公式な調査・検証作業が開始されたところである。

本稿は、こうした調査・検証の一助となるべく、原子力発電の事故トラブルを研究してきた一研究者の視点から、客観的・科学的に見て検証を要すると思われる問題点についての問題提起を試みるものである。本稿においては特に断らない限り政府原子力災害対策本部が作成・公開している「平成23年(2011年)東京電力(株)福島第一・第二原子力発電所事故(東日本大震災)について」資料の5月30日時点での記載内容に基づいて検討を行う。

恐縮ながら紙幅の関係上本稿では周辺住民の避難と政府・東京電力の初動対策という2点に焦点を絞って検討を行うこととし、事故炉対策の技術的問題や労働安全問題、食品飲料水や学校の安全問題などについては敢えて捨象したことを御容赦ありたい。

2. 政府の初期避難措置の問題点

原子力災害対策の基本は未然防止である。しかし、原子力災害が起きてしまった場合に第一に講じるべき措置は「大気放出された放射性物質からの周辺住民の防護」であり、雲状に不均一に拡散する放射性物質を周辺住民が直接浴びたり吸入・摂取して被曝したりしないよう措置することである。まず発災直後に行われた一連の初期避難措置に関して検討を行う。

2-1. 初期避難措置の経過と結果

今次事故においては3月11日午後から東京電力により原子力災害対策特別措置法(以下「原災法」)第10条による原子力緊急事態の通報が逐次なされ、1号機で原子炉冷却機能が喪失し敷地境界での放射線量が毎時0.5mSv(ミリシーベルト)を超えるなど状況が深刻化したため、同日19時に原災法第15条に基づく原子力緊急事態宣言が発令され原子力災害対策本部が設置されている。政府は同日21時に「半径3km圏内避難・10km屋内待避」を指示したが、事故炉内の水位低下や格納容器の圧力異常増大など事態が悪化したため3月12日5時に「半径10km圏内避難」に避難範囲を拡大している。さらに同日15時の1号機の水素爆発を受けて18時に「半径20km圏内避難」を指示し、3月15日には「20~30km圏屋内待避」を指示するなど、政府は事態の悪化に伴い逐次避難区域を拡大し周辺住民の防護に万全を期したとしている。

しかし、上記の初期避難措置の結果3月15日までに合計で約17万人の住民が避難したが、避難の過程で35名以上の住民が除染が必要な水準まで汚染してしまい、うち5名が病院に搬送される事態となっている。また、避難誘導に当たった福島県警の警察官2名や地元消防職員60名も除染が必要な水準まで汚染したと報道されている。さらに福島県が初期避難後に避難所で住民の身体汚染状況調査(スクリーニング)を実施したところ、上記以外に102名が健康被害はないものの着衣が著しく汚染していたことが判明している。以上から明らかなとおり、今次事故においては初期避難をした住民のうち看過できない人数の方々が放射性物質を直接浴びてしまったものと推定され、初期避難措置は周辺住民の防護という目的を果たしたとは到底言難い結果となってしまった。

2-2. 初期避難措置と炉心対策措置の時系列整理(表1

上記の初期避難措置の問題点を検討するため、各段階での初期避難措置と炉心対策措置の進行を時系列で整理し相互の関係を考察した結果を表1に示す。

3月11日21時に最初に発出された「3km圏避難・10km圏屋内待避」指示は3時間で避難を完了しており問題がなかったと考えられる。

ところが、3月12日5時に発出された「10km圏避難」指示については、避難完了前に1号機でベントが実施されるなど、周辺住民が避難している最中に事故炉から放射性物質が放出されている。さらに1号機の水素爆発を受けて同日18時に10km圏内の避難完了を待たずして「20km圏避難」指示が追加されているが、当該追加指示により避難対象は約5万人から18万人に膨れ上がり、住民の避難に時間が掛かっている間に2号機・3号機で合計4回のベントが実施されている。途中3月14日11時の3号機の水素爆発時においては避難の一時中断が指示されているが既に遅きに失した感があり、「10km圏避難」指示と「20km圏避難」追加指示による避難が事故炉からの放射性物質の大気中放出と同時に実施されてしまったために周辺住民が被曝したことが理解される。

2-3. 本来の原災法上の初期避難計画

本来、原災法に基づき福島県が策定していた「福島県地域防災計画(原子力災害対策編)」においては、ベントによる事故炉からの放射性物質放出などの事象は想定済であり、当該想定に基づいて「3km圏避難・10km圏屋内待避」を基本とした初期避難計画が組まれ、毎年度関係機関による合同訓練も実施されていたところである。当該防災計画では初期避難範囲が小さいように見えるが、ベントまでの段階では事故炉から大気放出される放射性物質が屋内にいる人にまで直接的な健康被害を及ぼす濃度で10km以上も拡がることはなく、むしろ屋外でこれを直接浴びる方が危険であるという科学的知見に基づいて避難範囲が設定されていたからである。言い方を変えると、初期段階で無理に大規模な避難を行うと時間が掛かり被曝の危険が増えるため、当座は屋内待避しておき放出された放射性物質を一旦やり過ごし減衰・拡散を待った後で次の対応を考える方が安全であるという判断に基づいている。

仮に初期避難完了後も事態が深刻化し追加的避難が必要になった場合には、原子力安全・保安院(以下「保安院」)などの関係機関が原子炉の状況を緊急時対策支援システム(以下「ERSS」)で解析・予測し、当該結果を基礎に大気中放出の影響を緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(以下「SPEEDI」)によって評価し、避難する周辺住民が被曝しないよう二次避難措置の範囲と手順を直ちに検討する段取りとなっていた。

2-4. 保安院の解析・予測情報の奇妙な消失

事故炉の状況についての解析・予測については、3月11日22時に保安院が2号機について何時頃ベントが行われるかなどを評価した結果を公表しており統合対策本部資料に結果が記載されている。ERSSは福島第一発電所側の停電で一部機能停止していたことが報道されており、当該評価内容は東京電力からの報告などを基に同院が想定で試算したものと推察される。ところが奇妙なことにこれ以降は3月15日に原子力災害対策本部が東京電力と統合対策本部を形成した後も含めて1・3・4号機についての類似の評価結果や、これ以降の2号機の評価結果などは一切公表されていない。既にSPEEDIについては大量の予測結果が事後的に公開されているが、想定による試算結果を含めたERSSによる事故炉の解析・予測が一体どうなっていたのかという点についても今後政府から早急に情報公開され評価・検証に付されるべきであろう。既に見たとおり、少なくとも今次事故においてこうした解析・予測の情報が初期避難措置に反映された形跡はなく、避難と大気中放出が同時に実施され周辺住民が被曝するという最悪の結果を招いていた訳であり、今後このような事態が繰返されぬよう直ちに対策が打たれるべきだからである。

2-5. 初期避難措置について検証を要する点

今次事故の初期避難措置について検証を要する点は、何故原災法に基づく周辺住民の避難が事前に策定された福島県地域防災計画どおりの手順で実施されず多数の周辺住民を被曝させてしまったのかという点である。さらに踏み込んで言えば、政府は周辺住民防護を図るつもりで事前の防災計画を外れ避難範囲を拡大させたが、手順を熟考せず単純に避難範囲を拡大させたため却って周辺住民を危険に晒したのではないかということである。

(1)何故本来の地域防災計画にない「10km圏避難」指示が行われたのか
福島県地域防災計画で想定済のベントによる放射性物質の放出が起きる前から、本来の避難計画にはない「10km圏避難」が指示されたのは何故か。

(2)何故「10km圏避難」が完了する前から「20km圏避難」が追加されたのか
福島県地域防災計画で事前に想定されていない水素爆発が起きた際、「10km圏避難」の完了を待たずに「20km圏避難」に範囲拡大されているが、避難範囲を追加拡大した結果、県警・地元消防や自衛隊など現場が混乱し避難が遅延する原因となったのではないか。

(3)何故政府は事故炉の状況解析・予測などを周辺住民の避難措置に反映しなかったのか
保安院などがERSSやSPEEDIを用い想定を含めた解析・予測を実施していたはずであるが、これらの情報とその意味が政府部内や避難措置の現場で共有されず、事前の計画にない避難範囲の逐次拡大や周辺住民の避難と放出の同時実施などの問題を起こす原因となったのではないか。

3. 政府の二次避難措置の問題点

原子力事故の初期避難が同心円状に行われる理由は、放出された放射性物質が風雨や地形の影響でどのように拡散・沈降するかを予め正確に知ることが困難なためである。従って本来は初期避難完了後に直ちに周辺地域の汚染を予測・評価し今後の事故対策の見通しを考慮した上で適切な二次避難措置を講じることが必要である。以下二次避難措置について検討を行う。

3-1. 二次避難措置の経過(表2

今次事故において、米国エネルギー省は国際支援の一環として3月17日から無人航空機を使った福島県東部の空中放射線計測を実施しており、3月19日以降当該計測結果を逐次一般公開している。当該計測によれば、福島第一発電所から北西の飯舘村方向に幅20km・長さ50kmの高汚染帯ができており、その大部分の区域で避難が必要な年間20mSvを超えて汚染していたことが示されている。

国内においても、初期避難完了直後の3月16日から福島県・文科省などが地表の汚染状況について調査を開始しているが、当初公表された結果は点状の情報に留まり、面的な汚染の全貌が情報公開されたのは4月24日である。また政府は3月23日にSPEEDIの予測結果を一部のみ公開したが、後に小佐古内閣官房参与の抗議辞任などにより予測結果の大部分を公開していなかったことが明らかになり5月2日に公式に謝罪の上で公開している。

他方、政府の二次避難措置については3月25日に「20~30km圏屋内待避区域の自主的避難」についての勧告が行われている。その後4月11日に「計画的避難区域」と称して20km圏以遠で放射線量が年間20mSvを超える区域を設けて二次避難措置することが公表され4月22日に飯舘村などの区域が指定されている。またこれに該当しない20~30km圏では屋内待避が解除され「緊急時避難準備区域」とされている。

3-2. 二次避難措置の結果と本来の措置

二次避難措置については、原災法に基づく避難の一環として初期避難措置では不十分な区域を補完し周辺住民の防護に万全を期すために行うものである。国際放射線防護委員会(ICPR)勧告においては一般公衆の被曝限度を年間1mSv、例外的な場合でも5年平均が年1mSvを超えないものとしているが、緊急時など年間20~100mSvを超える場合には政府は直ちに避難措置を講じるべきとしている。

しかし、既に3月19日に米国エネルギー省の計測結果で30km圏外の高汚染地域の存在が明らかにされており、場所により避難が必要な高い放射線量が示唆されたにもかかわらず、当初政府の対応は7日後に20~30km圏までの住民の自主的な避難を促したのみであった。その後地表での計測が進み汚染の状況が確実になったことから、米国エネルギー省の情報公開から33日後の4月22日に飯舘村などの30km圏外の高汚染地域が「計画的避難地域」に指定され、補償を前提に1カ月の猶予の後に住民は退去すべき旨の措置が講じられたところである。つまり、今次事故では政府の避難措置や情報公開の遅延により、飯舘村など30km圏外の高汚染地域の住民については結果として1カ月以上もの無用の被曝を強いていたことになる。

3-3. 二次避難措置について検証を要する点

今次事故の二次避難措置について検証を要する点は、30km圏外に高汚染地域が存在することを認識・予測しておきながら、政府は何故速やかに二次避難措置を講じないばかりか、SPEEDIの予測結果などの情報公開を遅延させたのかという点である。政府は初期避難措置においては本来の福島県地域防災計画にない20km圏までの住民を予防的に避難させた反面、30km圏外の高汚染地域については避難の実施を33日間も先送りしたことになるが、これは原災法上の避難において「法の下の平等」を欠く極めて不適切な措置であったと考えられる。

厳密には検証を要するが、当初政府は事前の計画に反してまで行った20km圏内避難などの初期避難措置の妥当性を問われることを恐れたか、避難範囲の拡大に伴う補償の増加を嫌い、確定的な調査結果が出るまで対応を保留し先送りしたのではないかと推察される。

4. 東京電力の初動対策と賠償問題に関する問題点

今次事故における焦点の1つは、政府・東京電力における事故の初動対策の妥当性である。本項においては特に東京電力の初動対策の背後にあったと思われる原子力損害賠償法(以下「原賠法」)と損害賠償の天災免責規定の問題点について検討を行う。

4-1. 原賠法・鉱業法の天災免責規定

原賠法第3条においては、原子力事業者の無過失責任を規定しているが、異常に巨大な天災地変の場合はこの限りでないとし損害賠償を免責とすることを定めている。

(無過失責任、責任の集中等)
第3条 原子炉の運転の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない。

類似の規定として、鉱業法第109条・113条における鉱業権者の無過失責任の規定などが挙げられるが、同法では天災の場合には裁判所が責任範囲などをしんしゃくすることができるとしている。原賠法では「異常に巨大な天災地変」の場合直ちに免責という構成であるが、鉱業法では「天災」の場合には裁判所がしんしゃくして責任及び範囲を定めるとされている点が大きく異なっている。

(賠償義務)
第109条 鉱物の採取のための土地の掘さく(中略)又は鉱煙の排出によって他人に損害を与えたときは、損害の発生の時における当該鉱区の鉱業権者(中略)が、その損害を賠償する責に任ずる。

(賠償についてのしんしゃく)
第113条 損害の発生に関して被害者の責に帰すべき事由があったときには、裁判所は、損害賠償の責任及び範囲を定めるのについて、これをしんしゃくすることができる。天災その他不可抗力が競合したときも、同様とする。

4-2. 原賠法・鉱業法の天災免責規定の相違と解釈

上記のように原賠法と鉱業法では天災免責に関する規定振りが異なり、一見直ちに免責となる原賠法の方が事業者に有利な構成となっているように見える。しかし、原子力災害と鉱害の間で周辺住民に及ぼす被害の深刻さにおいて本質的な差異はなく、むしろ周辺住民が被害の存在や内容を直接知覚できない原子力災害に対しては被害者保護の観点から鉱害よりも厳しい責任制度が設けられて然るべきと考えられる。また鉱業の安全法規である鉱山保安法には特段の耐震基準などが存在しないのに対し、原子力の安全法規である原子炉等規制法には耐震基準などが明定されており、原子力事業者には天災に対する特別な注意と対策が要求されているものと考えられる。

従って、原賠法の「異常に巨大な」という天災地変への限定は、鉱業法で想定されているような通常に予見や対処が可能な水準の天災ではないことを意味していると解すべきであり、今次福島第一原子力発電所で観測された震度6強の地震や15m級の津波など過去に国内で同規模の地震・津波が再三観測されているものは「異常に巨大な天災地変」に該当しないものと考えられる。また、今次震災において震源地により近かった東北電力女川原子力発電所は福島第一発電所と同等の地震・津波に襲われながらも発災せず停止しており、他の発電所で予見して対処し得るようなものを「異常に巨大な天災地変」とみなすことには無理があると考えられる。

勿論当該解釈は筆者の一説に過ぎず最終的には慎重な司法の判断を仰ぐこととなろう。あるいは、免責となる天災地変の水準について多様な解釈の余地がある原賠法の規定振りはそもそも法的安定性を欠いていたと考えることもできる。

4-3. 東京電力の天災免責主張

一方、東京電力においては事故後今次震災による津波が原賠法の天災免責規定に該当するとし、福島第一発電所を襲った津波の高さを15mと推計し津波襲来時の監視カメラの動画を編集公開するなど積極的な証拠固めを実施していた様子である。実際に福島県双葉町の企業からの損害賠償請求仮処分申立てに対し原賠法の天災免責に該当し得る旨主張し却下を求めていると報道されている。また、東京電力社長は4月29日の衆議院予算委員会の参考人招致で当該天災免責があり得る旨を述べている。

他方、政府側は3月25日に官房長官がこれを否定する旨述べ、4月29日の上記参考人招致後の記者会見でも官房長官・首相が改めて否定をしているが、つまり政府・東京電力は発災後2週間以上も当該問題を整理しないまま事故対策を続けていたことになる。

4-4. 天災免責規定と東京電力の「モラルハザード」

原賠法の天災免責規定の問題を初動対策との関係で筆者が殊更重視する理由は、当該問題が当初東京電力が事故炉の詳細な状況が不明であるとして抜本的な被害局限対策や網羅的な情報公開に消極的であった原因の1つではないかと推察しているからである。仮に原賠法の天災免責規定が適用されるのならば、如何に周辺に事故被害が拡大しようと東京電力には一切賠償責任が生じない訳であり、事故対策については原災法上の措置義務の範囲内に止め原子炉等規制法上の経産大臣の命令に必要最小限従っておけば良く、それ以外のことは文字通り政府が行うべき「他人事」に見えたはずだからである。従って、天災免責規定が適用されるか否かが不明な段階では、消極的対応に止め自らに不利を招かぬよう厳しく情報を管理することが最適対応であったはずである。

例えば、今次事故炉でのベント作業においては格納容器内の高温で放射性物質が充満した気体を大気中に放出する弁が停電で遠隔操作できず、被曝・熱傷の恐れがある中で作業員の方が覚悟を決めて弁を手動で開けに行き、見事にベントは成功したがその方は一度に100mSvを超える被曝により入院されたと報道されている。仮にこうした犠牲を嫌った東京電力本社が消極的対応を続け意志決定を遅らせていたならば、格納容器が破裂し放射性物質の放出は想像を絶する状況になっていたものと推定され、初動対応の遅れの問題については万難を排しても事実関係を究明し再発を防止すべきであると筆者は考えているからである。

他方、このような深刻な「モラルハザード」を生じてしまった原因として、前述したように原賠法の天災免責規定に多様な解釈の余地がある問題や、政府・東京電力間での事故対策費用負担・損害賠償問題の整理が不十分であった問題も指摘できる。

4-5. 初動対策と賠償問題について検証を要する点

今次事故における東京電力の初動対策と賠償問題について検証を要する点は、初動対策に時間が掛かり事故炉の情報公開が不十分であった本当の原因が何かという点であり、機器の故障などの技術的問題や関係者の事態の楽観視、情報伝達の遅延といった組織的問題に加え、原賠法の天災免責規定に関する問題が原因の1つとして背後に存在したのではないかという点である。

(1)何故東京電力は各号機について十分な情報公開を行わなかったのか
発災直後では東京電力の情報公開は断片的で著しく遅延した情報が提供されていたが、原賠法の天災免責規定の適用に支障する情報を予め取捨選択し限定的に情報公開をしていたためではないか。

(2)何故1号機などのベントや海水注入の意志決定に時間が掛かったのか
1号機については、冷却機能喪失からベント着手や海水注入までに18時間以上が掛かっていたことが判明しているが、東京電力は天災免責規定を意識して周辺への被害の拡大よりもベントによる従業員の被曝・負傷や海水注入による廃炉など社内での損失を嫌い意志決定が遅れたのではないか。

(3)何故政府は事故の費用負担や賠償問題について東京電力と早期に協議しなかったのか
政府は、東京電力の初動対応や情報公開の遅延の背後にある原賠法の天災免責規定の適用など本質的な動機の存在を見抜けなかったため、単に適切な情報が迅速に得られないことを叱責し関係を悪化させるだけの悪循環に陥ってしまったのではないか。

5. 政府の事故対策組織と情報公開に関する問題点

今次事故において政府は発災直後から原子力災害対策本部を設けて事故対策に当たったが、一連の事故対策は見通しを欠き後手に回ったものであり、また関連する情報公開の遅延や不十分さは内外の不安感を払拭するには程遠いものと批判されている。本項においては、政府の事故対策の問題点を組織面と情報面に着目し検討を行う。

5-1.事故発生直後の政府事故対策組織と情報公開(図1

当初、政府の事故対策組織は保安院が中心であり、東京電力本社から報告される事故炉の情報を分析し評価・予測を加えた分析情報を作成し、官邸・原子力災害対策本部や原子力安全委に報告を行っていた。事故炉に対する海水注入など原災法に基づく総理直接の指示が行われたこともあったが、基本的に保安院は自らの分析情報に基づき原子炉等規制法に則って東京電力に対し指導・命令を行っていた。

また、保安院は当初自らの分析情報を基礎に広報を行っており、事故炉に関する事実関係や技術的事項などの評価・予測や解説を記者会見などにより情報公開していた。その一部は2-4で述べたとおり3月11日22時の2号機の状況評価として記録されている。

本来は各事故炉の温度・水位計測値などの一次情報はオンラインで直接保安院に転送されERSSやSPEEDIでの評価・予測に供されるはずであったが、発電所側の停電により当該機能は失われ電話・FAXなどで東京電力本社を介して情報が提供されるという変則的で時間が掛かる運用となっていた。さらに当初は福島第一・第二など16カ所の原子力発電所と再処理工場が危機管理の対象となり、緊急事態通報だけでも福島第一・第二の合計6基に達し事態の急展開が続いたため、保安院の処理能力は飽和気味で事実関係の確認や分析作業の実施、関係機関への連絡・調整など一連の作業は遅滞気味であったと推察される。

5-2.統合対策本部設置後の政府事故対策組織と情報公開の変化(図2

こうした事故対策組織のままでは官邸への情報伝達が不十分であるとして、3月15日5時に政府は官邸にあった原子力災害対策本部を東京電力本社内に移して統合対策本部とし、経産大臣・首相補佐官などを常駐させ政府が東京電力と一体的に現地情報を収集し事故処理に当たることとした。また3月16日以降内閣官房参与として東京大学大学院小佐古教授他を任命し官邸で随時助言を求め体制の強化を図ることとした。

ところが、当該組織改編と前後して保安院からの評価・予測などの情報公開は停止されてしまい、統合対策本部資料の保安院に関する情報欄は3月14日から3月24日まで空欄となり原子炉等規制法に基づく命令発出以外の活動を殆ど行わなくなっている。また、統合対策本部は東京電力が4月17日に「事故の収束に向けた道筋(いわゆるロードマップ)」を作成・公開するまでの1カ月間にわたり評価・予測などを行わず、東京電力も当初は事故炉の一次情報の公開に消極的であったため、政府からは決定事項や結果情報のみが官邸の記者会見で提供され分析情報が殆ど提供されない状況となってしまった。

5-3.分析情報の消失と内外の不信感の増幅

当該状況変化の結果、マスコミが政府・東京電力は情報隠蔽をしているとして激しく抗議したため、統合対策本部・東京電力から事故炉の温度・圧力の計測値など大量の一次情報が公開されるようになった。ところが分析情報が伴わないまま一次情報だけが公開されたため、事故炉で何が起きているのか・これから何が起きるのかが依然として解らないままの状況が続き、却って政府への分析情報隠蔽の不信感や無用の憶測を生じてしまう結果となった。また、暫くしてマスコミは政府外の有識者が当該一次情報から炉心が破損・溶融している状況などを分析推定した意見・解説などを報道するようになったが、一見して解りやすい批判的意見・解説が強調して報道される反面、政府からは十分な分析情報が提供されなかったため、政府への不信感が一層増幅する結果となった。さらに、4月4日からの低レベル汚染水の海洋放出における政府内・関係機関や海外への連絡の不手際や、先述したSPEEDIの試算結果の公開遅延など、統合対策本部の情報公開上の問題が相次いで明らかとなり、こうした内外の不信感は頂点に達してしまったものと思われる。

後に政府は当初ERSSやSPEEDIを用いた分析情報を政府部内で初期避難対策などに反映せず非公開とした理由について、停電により実際の事故炉の情報がオンラインで入手できず限られた情報からの推計値で試算・予測が行われており正確性を欠き誤解や混乱を招く恐れがあったためと説明している。しかし、本来当該説明とは反対に政府は分析情報の作成に必要な情報を東京電力から収集すべく最大限尽力すべきなのであって、仮にやむを得ず部分的に推計値が混在していたとしても周辺住民の防護や国民の不安解消に寄与するものならば誤解や混乱を防ぐための説明を付した上で政府部内で活用し内外に情報公開すべきであったはずである。

5-4.政府事故対策組織と情報公開について検証を要する点

今次事故における政府事故対策組織と情報公開について検証を要する点は、当初保安院から提供されていた分析情報が政府事故対策組織の改編と前後して停止し、政府部内で活用されず一般にも情報公開されなかった本当の原因は何かという点である。

(1)何故保安院は分析情報の政府部内への提供や情報公開を停止したのか
当初保安院は欠けている情報を推測値で埋めて事故炉の状況を評価・予測していたが、事態が急速に悪化してしまったため、分析情報の作成や情報公開を意図的に停止しあるいは停止させられたのではないか。

(2)何故統合対策本部は「ロードマップ」まで分析情報を作成・活用しないまま対策を続けたのか
3月15日の設置以降東京電力による「ロードマップ」策定までの1カ月間、統合対策本部が分析情報を作成・活用しないまま対策を続けたのは、事故炉の状況変化に全員が注意を奪われ一貫した分析情報を作成・活用した対応戦略を考えることができなかったためであり、対策が後手に回り場当たり的な対応を続ける原因となったのではないか。

(3)政府・東京電力の間で損害賠償問題が十分協議・整理されていなかったことが分析情報の作成・活用の障害となったのではないか
事故の評価・予測など分析情報の作成・活用においては事故処理費用や損害賠償の責任分担などが明確であることが前提であるが、政府・東京電力間で当該問題を整理しないまま対策を続けたため、多大な責任を負いかねない分析情報の作成・活用をいずれもが積極的に行わない「睨み合い」状態に陥っていたのではないか。

6. 結論 -学際的・客観的視点からの事故の検証評価を-

以上本稿においては周辺住民の避難と政府・東京電力の初動対策という2点に焦点を絞って議論を行ったが、一見して原子力工学の問題に見える本問題の背後に、法律・政治・経済など様々な分野の問題が複雑に絡み合って潜んでいることが御理解頂けたならば幸いである。

このような複雑な問題についての評価・検証作業については、批判的な立場の方を含めた国内の様々な科学者・研究者の助力を求め学際的・客観的な分析を以て作業に当たるべきであり、政府や原子力関係者の「内輪での評価」に終わらせることは将来に大きな禍根を残すものと危惧される。本稿の内容は見方により政府関係者にとって大変厳しいものとなっているが、それは偏に今後の改善を願ってのものであり他意はない旨を御理解頂きたい。本稿が本問題に関する議論に一石を投じ、今後の評価・検証作業の一助となることを切に願うものである。

図表

表1:初期避難措置と炉心対策措置の時系列整理
表1:初期避難措置と炉心対策措置の時系列整理

表2:二次避難措置と放射性物質拡散の情報公開(初期避難完了後)
表2:二次避難措置と放射性物質拡散の情報公開

図1:事故発生直後(統合本部設置前)の政府主要事故対策組織と情報公開
図1:事故発生直後(統合本部設置前)の政府主要事故対策組織と情報公開

図2:3月15日統合対策本部設置以降の政府主要事故対策組織と情報公開の変化
図2:3月15日統合対策本部設置以降の政府主要事故対策組織と情報公開の変化

2011年7月号『法律時報』(日本評論社)に掲載

2011年8月1日掲載

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