特別コラム:東日本大震災ー経済復興に向けた課題と政策

復興を超えた新たな高度成長へ

戸堂 康之 ファカルティフェロー

東日本大震災によって、日本国民、日本経済は甚大な被害を被った。失われた多くの尊い命を永遠に取り戻すことができないのは無念極まりなく、犠牲者の方々に対してはそのご冥福をお祈りするほかない。しかし、日本経済は5年、10年の長い目で見ればこの大災害から必ずや復興し、震災前の経済成長のトレンドを取り戻すはずだ。しかも、これを機に「失われた20年」の低成長から第2の高度成長へと転じることも十分に可能だ。

戦争・災害と経済成長

図1を見ていただきたい。青の実線は、明治維新直後の1870年から現在までの日本の1人当たり実質GDP(ドル建て)の推移を表している。この図の縦軸は対数目盛りとなっており、そのためにこの図では線の傾きが成長率を表している。1870年から1940年頃までは1人当たりGDPの傾きが概ね一定であり、その成長率が一定であったことがわかる。その後、1人当たりGDPは第2次世界大戦期に激減したが、1950年代、60年代の高度成長期には大きく成長した。ここで注目すべきなのは、1960年以降には戦前のトレンド(図中の黒点線)を凌駕する1人当たりGDPのレベルを達成した点だ。これは、敗戦によって日本経済の制度や産業がより成長促進的なものへと大きく転換したためだと考えられる。

図1:日本の一人当たり実質GDP(ドル建て)
図1:日本の一人当たり実質GDP(ドル建て)

この点では、地震、津波、干ばつといった自然災害も戦争と似ている。世界各国の経済成長率と災害に関するこれまでのデータを利用した研究によると、自然災害が発生して数年程度は経済成長は減速するが、より長期的に見れば生産や所得のレベルは災害前のトレンドにもどる傾向がある。さらに、場合によっては災害によって長期的な成長率はむしろ高くなることもある(Sawada et al, 2011, RIETI Discussion Paper, No. 11-E-023)。これは、日本の敗戦と同じように自然災害が「創造的破壊」として作用して、災害後に以前よりもすぐれた制度が築き上げられるためであろう。

したがって、今の日本も東日本大震災を創造的破壊の契機として制度や政策の大転換を起こすことができれば、震災の前の低成長のトレンド(図の紫の点線)に戻るのではなくむしろ再び高度成長の波(赤の点線)に乗れるはずだ。

今こそ開国を

ではそのためには何をすべきか。

震災によって一旦はほぼ停止した東北・北関東の生産活動は、被災地の方々の必死の努力によって徐々に回復しはじめている。しかし、生産活動を日本の他地域や海外に一時的に移転する動きもみられ、その移転が恒久化して東北・北関東の産業集積が長期的に失われてしまう可能性も否定できない。

被災地は自動車関連産業、電気機械産業の集積地であり、その製品の多くは最終的には輸出されている。したがって、回復し始めた生産活動を需要側から後押しし、生産活動の海外への移転を阻止するためには、海外との自由貿易協定、経済連携協定を拡充することが必要だ。日本から海外への輸出の際にかかる関税はすでに十分に低いとする議論があるが、必ずしもそうではない。たとえば、日本からの薄型テレビの輸出には、EUは14%、中国やマレーシアは30%程度の関税を課している。これらの国・地域は、自動車部品にも3-25%の関税をかけている。自由貿易協定、経済連携協定によってこのような高い関税を引き下げることができれば、被災地を含む日本に産業を残し、震災前以上の生産水準を達成することも十分に可能だ。

菅政権は震災前には「平成の開国」を唱え、TPP(環太平洋戦略経済連携協定)を含む経済連携協定を推進しようとしていたが、最近になってTPPへの参加方針の決定の先送りを表明した。しかし、「今はTPPどころではない」というよりも、TPPを震災復興のために有効な施策と位置づけて「今こそTPPを」と考えるべきではないか。より開かれた国に転換することで、復興を超えた高度成長への道筋がつけられよう。

被災地域に高度産業の集積を

ただし、経済連携協定には海外への生産移転を阻止する作用があるが、被災地域からの日本国内の他地域への生産移転を止める作用はない。産業集積はいわゆる雪玉式メカニズムによって進むために、逆にいったん縮小してしまった産業集積を取り戻すことは難しい(藤田昌久『空間経済学から見た東日本復興政策』)。

それならば、被災地域にこれまでの産業を呼び戻す以上に、より高度な産業を新しく集積させるような工夫が必要である。たとえば、被災地域に企業の研究開発活動を優遇して産学連携を促進するような経済特区を設けて、東北・北関東発のイノベーションを軸に高度産業の集積を促してはどうか。環境技術産業を集積することを目的としたエコ・シティを建設するのも手だ。こういった特区やエコ・シティでは外資企業を積極的に誘致して、海外の活力をとりこんだ国際都市に育て上げるのもよい。石巻では、500年前に伊達正宗の命によってガレオン船が建造され、支倉常長が太平洋を横断してローマに渡った。東北には、歴史的に国際都市の下地があるのだ。

中小企業のM&A支援を

今回の震災で痛感したのは、災害のようなリスクに対処するにはある程度の企業規模が必要だということだ。震災前に災害に対応するためのマニュアルを作成していた企業は比較的立ち直りも早かったが、そのようなマニュアルの作成は人員の余裕がない小規模の企業には難しい。また、複数の工場や事業所を持つ企業は、被災地での事業を別の地域に振り替えたり、被災地に他の事業所から応援に行くことができた。たとえば、コンビニは被災地でも営業を続けたところも多かったが、これはコンビニ1社1社の規模が大きく、被災地の事業を社員が皆で支えられたことが大きかった。単独の事業所しか持たない企業でも、企業間連携によって同じような対応ができたところもあるが、それは少数の例であって、多くの小企業・零細企業は震災の甚大な被害に十分に対応できなかった。

したがって、大きなリスクに対処できるような企業規模を確保するために、中小企業のM&Aを促進するべきである。現在の中小企業政策は企業を一律に保護することに力点が置かれているが、中小企業を大企業への過渡期ととらえて、成長している中小が合併によってより強くなるのを支援するような政策に転換するべきではないか。むろん、筆者も中小企業の技術力が日本経済を支えていることは十分に承知している。だからこそ、そのような優れた技術を自然災害や金融危機のようなリスクから守るためにも、大規模化が必要ではないかと思う。

復興を超えた新たな高度成長へ

以上あげた3点だけではなく、たとえば電力供給、農林水産業、日本的経営のあり方など多くの分野で大転換が必要だ。日本の社会や経済の広汎な分野で大きく転換することができれば、震災前の低成長に「復興」するだけではなく、震災を機に高度成長することは絶対に可能だ。明治維新や大戦後がそうであったように、大転換には柔軟で新しい発想を持った若者の活躍が不可欠である。現代の若者たちは、震災後に被災者の支援において見事な気概と行動力を見せた。今後は、その気概と行動力をもって日本を転換させることをぜひ期待したい。

2011年4月8日

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2011年4月8日掲載

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