Special Report

空間経済学から見た東日本復興政策

藤田 昌久
所長・CRO

注:本稿は、筆者の2011年3月30日日本経済新聞「経済教室」の内容を大幅に加筆修正したものである

はじめに

このたびの東日本大震災の被害の全貌はまだ明らかではないが、その直接・間接の被害は阪神大震災を格段に上回ると予想される。阪神大震災の被害は甚大であったが、直下型の地震と火災によるもので、大阪西部から神戸を含む東西40kmの範囲に集中していた。今回は日本にとって未曾有の規模の地震と津波、さらに福島原発事故と電力不足によりもたらされた複合被害であり、それらの直接的被災の地域だけでも、青森県から関東北部の、南北600kmに渡る東日本の太平洋側半分を覆っている。直接的被災の空間的広がりから見ても、今回は阪神大震災の場合と全く違う。この広範囲の被災地における交通・物流を支えるインフラが大きく損傷しており、極度の燃料不足の影響も加えて、物流システムが崩壊し、多くの自治体の行政システムも機能していない。この物流・行政システムの機能低下が、被災者の救助と生活支援を含む救援活動、さらには、被災地の今後の復興を格段に難しくしている。さらに、東北は日本の「ものづくり」の一大拠点であり、首都圏の電力不足による生産活動への影響も加えて、間接的被害は日本全国さらには世界に及びつつある。戦後最大と予想されるこの日本の危機は、従来にない発想と大胆で柔軟な政策のもとに、日本全体が一丸となって対応することにより、初めて乗り越えることができる。

本稿では、被災地の空間的広がりを念頭に置きながら、「空間経済学」の視点から被災地を中心とした経済活動の復興政策について考察する。空間経済学とは、多様な人間活動が近接立地して互いに補い合うことで生まれる集積力(生産性と創造性の向上)に注目し、都市、地域および国際間の空間経済システムのダイナミックな変遷を分析する経済学の新しい分野である。2008年にノーベル経済学賞を受賞した米プリンストン大学のクルーグマン教授らを中心に、1990年代の初めから精力的に開発されてきた。

被災地は日本の基幹部品・素材産業が集積する心臓部

先ずは被災者の救助、生活支援や原発対策である。同時に、被災地域における企業活動が復旧しなければ、雇用も所得も回復しない。特に、東北と北関東の地域には、自動車や電機をはじめとする組立型メーカーに基幹部品や素材を供給する工場が集積しており、日本さらには世界の先端製造業を支える一大拠点である。この地域における多数の部品・素材工場が操業停止の状態にあり、多くはまだ復旧のめどが立っていない。日本の製造業全体を支えるサプライチェーン(部品調達から製品納入までのモノの流れ)の大きな源である被災地からの部品・素材供給の停滞により、全国の自動車や電機をはじめとする多くの製造業や部品・素材メーカーは操業停止に追い込まれており、日本の製造業はかつてないほど深刻な危機に直面している。その影響は東アジアをはじめとして世界に広がりつつある。東北・北関東における部品・素材工場の操業を一刻も早く回復することは、日本の製造業の将来にとって死活の課題である。

世界の現在の製造業は膨大な数の企業を繋ぐ、サプライチェーンの密なネットワークによって支えられている。図1は、組立型製造業における生産活動全体の概念図である。たとえば、自動車は、1台につき2~3万点の部品を素材加工して造り(図真中左)、それらを製造機械(図真中右)が据え付けてある工場に集めて量産され(図上部)、国内外の消費者に販売される。それら部品は一次から三次にわたる膨大な数の全国(一部は海外)に立地する関連企業によって生産され、自動車産業全体は全国・海外に張り巡らされたサプライチェーンの密なネットワークを構成しており、それらは交通・物流サービスによって支えられている(図下)。数万点の部品の1つでも欠ければ自動車は生産できない。電機をはじめ、多くの製造業においても同様である。

図1:生産活動のトライアングル
図1:生産活動のトライアングル

今日まで日本が、世界の先端製造業において、最大の拠点の1つであり得たのは、それらサプライチェーンの源に位置する基幹部品・素材および製造機械産業(図1真中)の日本における圧倒的な集積に負うところが大きい。図2は、日本における(特に先端技術型の)製造業の日本における雪玉式の集積メカニズムを表している。日本において多様な中間財と資本財が供給されていると(図2下)、それらにアクセスが容易な日本に立地することによって、量産メーカーは高い生産性(図2右)を達成することができる。そうすると、日本・世界経済の成長とともに、より多くの量産メーカーが日本に立地することになる(前方連関効果)。それは、中間財・資本財へのより多量で多様な需要を生み、より多くの中間財・資本財生産者がアクセスの良い日本に立地することになる(図2左)。結局、さらにより多様な中間財・資本財が日本で生産されることになり(後方連関効果)、雪玉式に集積が進むことになる。特に、普及技術にもとづく量産活動は、市場アクセスないし低賃金の労働力を求めて、海外に容易に移り得るが、先端技術型の量産活動は日本で生産される基幹部品・素材および製造機械業者へのアクセスの重要性から、日本を離れることは難しい。つまり、日本における基幹部品・素材と製造機械産業の集積そのものが、日本の先端製造業全体を日本にロックイン(凍結)する集積力の源泉となり、そのロックイン効果によって世界における日本の製造業の現在までの地位が保持されてきた。逆に言えば、普及技術にもとづく量産活動における比較優位をすでに失っている日本が、それら基幹部品・素材産業ないし製造機械産業の集積を失えば、世界における先端製造業における日本の競争力の源泉は大きく損なわれることになる。

図2:雪玉式メカニズムによる企業集積
図2:雪玉式メカニズムによる企業集積

1990年代の半ばまでは、日本の製造業の中心は南関東以西にあった。しかし、東北・北関東における豊富で低廉な労働力と土地、交通インフラ整備による首都圏へのアクセス改善、東北大学なども教育研究機関の充実、地元地域の熱心な企業誘致、さらには、阪神大震災や新潟中越沖地震の経験と予想される東海地震などに備えてのリスク分散のもとに、90年代半ばより東北・北関東において先端製造業が着実に伸びてきた。現在、東北・北関東の国内シェア(出荷額ベース)は、たとえば、半導体で約2割、電子部品関連で約13%、情報通信機器関連で約15%となっている。トヨタグループをはじめとする自動車産業も、東北を中部と九州に続く3つ目の拠点として生産体制を構築してきた。

生産回復が遅れると日本経済の優位性喪失:産業集積の強み、守り抜け

しかし、今回の震災を受け、東北・北関東の多くの基幹部品・素材を生産する工場の多くが操業を停止している。その中には、パソコンなどに使われるアルミニウム製ハードディスク基板で世界シェア6割の神戸製鋼所真岡製造所(栃木県)と同4割の古河電気工業日光事業所(栃木県)、シリコンウェハーで世界シェア首位の信越化学工業・子会社の白河工場(福島県)、液晶パネル用の成膜材料で世界シェア45%のJX日鉱日石金属の磯原工場(茨城県)、自動車制御用マイコンで世界シェア3割・カーナビ向けシステムLSIで同6割のルネサスエレクトロニクスの茨城・山形県の6工場など、大きな世界シェアを持つメーカーが多数含まれている。

被災地の多くの工場の操業停止とともに交通・流通サービスの崩壊を受け、トヨタ・ホンダ・日産を含む日本のほとんどの自動車産業の大手企業、日立・ソニー・パナソニック・東芝・キャノン・リコー・村田製作所を含む日本の大部分の電気産業の大手企業をはじめとして、日本の製造業における多くの企業が、地震から2週間近く経った現在においても、日本における操業を全面的に停止あるいは大きく低下させている。これは、カンバン方式にもとづくサプライチェーンマネージメントにより効率性を追求してきた日本において、各々の企業が部品や材料の在庫を極力削減していることの影響が裏目に出た結果である。

被災地からの部品・素材供給の停滞に直面して、日本企業の多くは中部地方以西に供給先をシフトないし増産を図っている。さらに、日本の一部のメーカーは、海外工場での部品生産のバックアップないし製品生産のシフトを検討している。一方、海外の多くの企業は、日本ないし日系企業に限定せずに、世界的視野のもとに代替調達先を検討し始めている。

かつて、阪神大震災により神戸港は壊滅的な被害を受け、その修復には2年間を要した。しかし、その間に、国際ハブとしての神戸港の機能は、釜山や上海・高雄に移ってしまっており、神戸港が東アジアの国際ハブとしての嘗ての地位を再び取り戻すことはできなかった。つまり、神戸港は国際海運ネットワークのハブであること自体が持つロックイン効果により、それまで国際ハブ港であり得たのであるが、いったん失ったロックイン効果を取り戻すことは不可能であった。

日本の先端製造業が、かつての神戸港がたどった運命を避けるためには、被災地さらには電力不足の影響が深刻化しつつある関東において、製造業を一刻も早く回復させるために迅速な対応が不可欠である。回復が遅れて、日本企業による海外での代替生産が本格化すれば、さらに、海外企業が代替調達を本格的に実現すれば、たとえ東北・北関東の工場が操業可能になったとしても、需要は再び元には戻らない。東北・北関東のみならず、日本における雇用を失うとともに、日本の製造業全体の集積力を大きく失う。

当面は、中部地方以西で可能な限り代替生産を実現する方策がベストである。しかしながら、その場合においても、被災地での操業が可能になった段階で、すぐに生産をなるべくもとに戻すことを考えておくべきである。1つの理由は、中部以西における大震災のリスクがきわめて大きいことである。文部科学省「地震調査研究推進本部」の試算によると、30年以内に東海地震(M8.0前後)が起きる確率は87%、東南海地震(M8.1前後)が70%、南海地震(M8.4前後)が60%である。京都大学 橋本学教授によると、3つの地震が連鎖した場合、今回のようにM9.0レベルの大地震になる可能性がある。連鎖地震が起きれば、内閣府中央防災会議2003報告書によると、関東以西の太平洋沿岸と瀬戸内海沿岸を大津波が襲い、今回と同じような大災害となる可能性が大きい。一方、今回の大地震によって、今後半世紀の将来において、東北地方で再び巨大地震の起こる確率はずっと小さくなった。国家のリスク管理としては、慌てて西にシフトした日本の製造業が一網打尽となる愚は避けなければならない。

いずれにしても、被災地の企業活動の復興支援を公民が一体となって迅速に進めなければならない。すでに被災地の工場から部品・素材の供給を受けている日本の大企業は、関連工場・企業の復旧を必死で支援している。しかしそれには限度がある。大企業のサプライチェーンに直接関連していない膨大な数の被災地の企業の復興には、公・民・NPOによる支援しかない。公民の金融機関による緊急融資、債務保証、さまざまな税・財政支援をただちに進める必要がある。また、被災地温中小金融機関そのものの支援も必要である。同時に、交通・流通システムの復旧とともに被災地全員の生活支援を中央・地方政府やNPOの緊密な連携のもとに最優先で勧めることである。

ところで、個々の企業の判断で、海外での代替生産を本格化する、さらには海外に生産を移転することを強制的に止めることは、もちろん不可能である。しかしながら、日本の先端製造業の競争力の源泉は、日本における基幹部品・素材・製造機械産業と先端メーカーとの相互連関から生まれる集積力(生産性と創造性の向上)、つまり、個々の企業を超えた広い意味での「外部経済」に依っている。従って、今回の震災で大きな影響を受けた企業活動の迅速な復興を公的に支援することにより、一層の産業空洞化を防ぐことには、経済学的に十分な正当性がある。

日本の経済社会システムを復元力ある構造に再構築

被災地の迅速な復旧を推し進めるとともに、本格的な復興に向けて、大胆で柔軟な政策を新たな発想の下に、与野党協力はもちろんのこと、公民が一丸となって早急に立案し、実行に移す必要がある。阪神大震災では総額3兆円超の補正予算が組まれたが、今回は、福島原発の問題は別として、10兆円超の復興予算が必要との見方が多い。そのための財源を、新年度予算の大胆な組み直しとともに、建設・復興国債の発行や復興税の新設などによって確保する必要がある。同時に、財政破綻を避けるためにも、財政再建へのしっかりした道筋を内外に示す必要がある。

いずれにしても、巨額の財源を確保するには国民全体の支持が不可欠である。そのためには、もとの日本の「復旧」ではなしに、今回の悲劇を転機として「新しい日本を創る」のだという、真の「復興」への展望をみんなで描き、共有する必要がある。特に、この大震災の経験を生かして、日本全体の地域経済社会システムを、外的ショックに対してもっとレジリエントな(回復力に富んだ)システムに、再構築することを提案したい。

まず、1つの「もの」を作るのに必要な膨大な数の部品・素材のひとつひとつを、全国の数少ない場所で「規模の経済」にもとづき大量生産して、それらをカンバン方式を採用したサプライチェーンを通じて、再び量産工場に集めて組み立てるという、極度に効率性を重視した生産システムの脆さが露呈した。日本近海には4枚の「プレート」が凌ぎ合っており、30年単位で見れば、大地震が日本のどこかでほぼ確実に起こるという状況を考慮して、空間的にリスク分散を図った、もっとレジリエントなサプライチェーン・システムを再構築すべきである。

また、東京に一極集中した中枢管理機能のリスク対応への限界も露呈された。これから30年の間に、首都直下型の大地震が起こる確率は70%とされているが、そのとき首都圏の機能は完全に麻痺するであろうことを我々は今回実感した。関東以外にも、もっと自立性を持った多様な「地域」を6~7割程度、従来から言われている地域主権を本格的に推し進めながら、育成することにより、レジリエントな多極連携型の国土構造を再構築すべきである。特に、今回最も甚大な被害を受けた東北が、より自立的な1つの「地域」として新たに復興することにより、日本の新たな国土構造の構築を先導してくれるべく、全国民が支援していこう。戦後最大といえる今回の危機に、日本全体が一丸となって果断に応戦し、新しい日本を創っていくことが、今回犠牲となった多くの方への、最善の供養であると信じたい。

2011年4月1日

2011年4月1日掲載