グローバル経済下における雇用の非正規化

佐藤 仁志
研究員

1990年代以降、日本では雇用の非正規化が急速に進行した。ここでは、特に製造業における雇用の非正規化を経済のグローバル化の文脈で取り上げてみたい。とりわけ一昨年のリーマン・ショックに端を発する世界経済危機の局面で非正規労働の大規模な離職が発生したことを受け、労働派遣法の見直しや社会的セーフティ・ネットの構築に関する議論が活発化している。しかし、このような制度設計の議論を進めるに当たっては、その背景となる経済環境の要因に対する深い理解が欠かせない。特に製造業における雇用の非正規化については、経済のグローバル化との関連性の分析が必要なのではないか。

製造業における雇用の非正規化

事業所・企業統計調査を用いて雇用の非正規化の趨勢をみてみると、事業従事者に占める非正規労働者の割合(非正規率)は、2001年に23.6%だったのが、2006年には29.4%に上昇した(注1)。全産業での非正規比率は、同期間に35.2%から39.0%へ上昇したので、製造業における雇用の非正規化のペースは経済全体を上回っていたといえる。製造業における雇用の非正規化の高いペースの要因となったのは、派遣・下請従業者数が急増したことである。製造業全体では同期間に事業従事者は5.5%(約57万人)減少したが、正社員を12.8%(約100万人)減少させる一方で、派遣・下請従業者数は62.5%(約40万人)増加させていることからも、おおざっぱにいって、減少した正社員の約4割が派遣・下請に置き換えられたといえる。

このような製造業における雇用の非正規化は、経済のグローバル化とどの程度関係があるのだろうか。経済のグローバル化によって、企業は雇用の柔軟性や人件費管理により一層敏感になったと言われるが 、残念ながら、その経路からの雇用の非正規化の厳密な検証はまだないように思われる(注2)。しかし、事業所・企業統計調査とRIETIのJIPデータを併せ見ることによって、ある程度の傾向は掴むことができる。

下図は、2001年から2006年にかけての製造業における非正規比率の変化と2001年時点における輸出比率を産業ごとにプロットしたものである。一見して、2001年時点で外需依存度の高かった産業ほど、その後、雇用の非正規化をより積極的に進める傾向があったことが分かる。もちろん、これだけでは、経済のグローバル化が日本の製造業における雇用の非正規化を進めた一要因であった、と結論づけることはできない。しかし、少なくともデータの示すところは、雇用の非正規化によって、雇用調整を容易にし、かつ労務コストを下げることで、外需依存による売上げ利益のリスクや国際市場での低価格競争などへの対応力をつけていったという主張と符号する。

図 非正規比率の変化と輸出比率
図 非正規比率の変化と輸出比率

国際貿易の観点から、雇用の非正規化に関心を払うのは、1つには、どのような労働市場にアクセスできるのか、が企業の国際競争力に影響を与えるからである。もう少し丁寧にいえば、法制度や市場慣行などの社会システムの国毎の違いが、貿易や直接投資など国境を超えた企業活動に非常に大きな影響を与えるからである。たとえば、国による労働市場の柔軟性(例として解雇規制)の違いは比較優位構造に影響を与え得ることがCunat and Melitz (2007)などにより指摘されている。また、より長期的には、労働市場が労働者のスキルの分散に影響し、その方面から比較優位構造が影響を受ける可能性もある。Grossman and Maggi (2000)によれば、複数の労働者が生産単位を構成する場合、均質な労働者が比較的多い国では、労働者同士の補完性が重要な産業に比較優位が生まれる。雇用の非正規化が、労働者のスキル蓄積の格差を助長し、長期的にスキルの分布という意味においても労働市場の二極化を進めるとすれば、現在の比較優位産業の競争力に影響を与えることになるかもしれない。

他国との比較研究の必要性

雇用の非正規化は、日本だけにみられるものではなく、フランスやスペインなど1980年代後半以降のヨーロッパ、より最近では、韓国もそうである。特に韓国の雇用の非正規化は、日本とほぼ同時期、1990年代後半以降に急速に進行したという点で注目すべきである。

韓国政府の統計報告によると、2009年の非正規比率は35%に達している 。韓国における雇用の非正規化が大規模に進む契機となったのは、アジア通貨危機とIMFの管理下で行われたその後の経済構造改革であるとしばしばいわれる。しかし、自動車、電機などの製造業についてみれば、やはり国際的な競争という視点は外せないように思われる。

昨年、複数の韓国の研究者に話を聞いたところ、正規雇用と非正規雇用間の賃金格差、福利厚生を含めた処遇格差上の格差は行き過ぎているという認識は共有されていた(注3)。また、この他にも、(1)非正規雇用が将来の正規雇用への橋渡しにならず、「デッド・エンド・ジョブ」と化しているため、長期的には労働市場全体の質が低下し、企業にとって労働コストが高まるおそれがある、(2)最近では、企業が新卒者の正規職採用を抑制し、経験者を中途採用する傾向にあるため、新卒直後に正規職を得ることが非常に難しくなり、若年労働者の多くが非正規職に滞留するか、経済活動人口から外れてしまい(失業統計に表れない)、労働資源が無駄になるおそれがある、特に韓国では、短大を含めた大学進学率が80%を超える一方、そうした教育投資に見合う正規職が減少していることがミスマッチを増加させている、(3)非正規職の多くが雇用保険や企業が用意しているセーフティ・ネットから漏れ落ちるため、失業が世帯の貧困化に直結する、といった懸念を示していた。

こうした懸念を踏まえ、韓国は2007年に非正規保護法を成立させた。これは、有期雇用の使用に年限を設け、それ以降の雇用の継続使用は正規雇用への転換を義務付けるもので、これによって、雇用の正規化への一応の道筋がつけられた。また、各種職業訓練などを支援する取り組みも始まっている。しかし、この政策で雇用の非正規化問題が解決したわけではなく、現在もこの法律の抱える問題点を含めて雇用の非正規化問題への政策的関心は極めて高い。このように、日本にとって韓国は雇用の非正規化における先行的な事例とも考えられ、日本の事情と比較研究することで、我が国の労働市場の在り方を考える際にも得られるものが多いのではないか。

自由貿易への広範な支持への影響

広く知られているように、国際貿易は、消費の選択を広げるだけでなく、資源配分の効率化や規模の経済性の追求を促して、基本的には便益をもたらすものであるが、その一方で、国際貿易の便益の分配を巡る利害対立を解決することは容易でない。経済のグローバル化によって、労働市場の二極化と格差拡大が極端になれば、従来からある貿易により拡大する産業と縮小する産業の間の利害対立だけでなく、労働市場の二極化という形で新たな社会的な分断を招き、自由貿易へのコンセンサス形成に影響が出ることも懸念される。経済のグローバル化は便益とともにリスクも増やしているのかもしれず、そうだとすれば、現在進んでいるような雇用の非正規化は、明らかに個人レベルで負担するリスクを増やしている。個人レベルでのリスクの分散に限界があることは明らかであり、社会全体としてリスクをどう負担していくのか、そういった制度設計を含めて政府の役割が大きくなっている。

2010年6月22日

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脚注
  1. 事業所企業統計調査は、総務省による民営の事業所・企業を対象とする全数調査。1999、2001、2004、2006年のデータが利用可能である。
  2. 樋口(2001)は経済のグローバル化が、労働市場に与える影響を多岐の論点にわたって検証した先駆的な研究である。1997年の中小企業に対する調査結果を用いて、輸出比率等の変化が正規・非正規従業員の雇用量に与えた影響を分析しているが、非正規比率の変化については、明確な結論を得ていない。
  3. 筆者は、一昨年来、高安雄一氏(筑波大学准教授)、町北朋洋氏(アジア経済研究所研究員)とともに、日本と韓国の比較研究を中心に、経済のグローバル化と雇用の非正規化の研究を行っており、以下の記述はその研究の一環として筆者たちが行った韓国の研究者へのインタビューに依っている。
文献
  • 樋口美雄(2001)『雇用と失業の経済学』 日本経済新聞社
  • Cunat, A. and M. Melitz (2007) "Volatility, Labor Market Flexibility and Comparative Advantage," NBER Working Paper No. 13062.
  • Grossman, G. and G. Maggi (2000) "Diversity and Trade," American Economic Review, 90(5), 1255-1275.

2010年6月22日掲載

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