きっかけは「ホリエモン」?:ライブドアのニッポン放送買収劇によって透かし出された問題とは何か

鶴 光太郎
上席研究員

マスコミでも連日のように報道されてきた、ライブドアVS フジテレビによるニッポン放送の経営権争いについては、資本・業務提携に関して合意、和解が成立したことを受けて、ようやく終止符が打たれることになった(4月18日)。昨年のUFJを巡る統合問題はまさに「劇場型M&A」の開幕であったが、今回の一連の動きはそれを上回る「プロレス・場外乱闘型M&A」といえ、更に多くの国民を惹きつけることになった。しかし、今回は「ホリエモン」ことライブドアの堀江社長の言動やキャラクターに注目が集まった分、議論が拡散してしまった面も否めない。本稿では、この買収劇の是非や今後の具体的な業務提携の行方よりも、それが図らずもあぶりだすことになった日本のコーポレート・ガバナンスと行政の問題点について考えることにしたい。

企業買収はコーポレート・ガバナンスにおける「最終兵器」

あるM&Aビジネスの権威の方から、今回の問題を評し、「敵対的買収は買収側に『心・技・体』の三要素がそろっていないと成功しない」とのご指摘を聞く機会があった。つまり、買収の動機や目標が明確でなく、被買収側の企業への配慮が足らない(「心」の不在)、東証の立会外取引での株の買占めなどの手法の適法性が事前に完全にクリヤーできていなかったこと(「技」の不在)、本来ならばフジテレビに対抗してカウンターTOB(公開株式買い付け)を行うべきところ、金融面での体力がなく、資金調達に息切れしたこと(「体」の不在)である。ライブドアに対するさまざまな批判は上記の3点にほぼ集約される。こうした「すっきりしない」手法をとったことがさまざまな論議や感情論を煽ることになった。

しかし、一連の騒動はむしろ、企業、株主、行政を巡るさまざまな問題が明確な形で透かし出されたという点で重要な意義を持つといえる。第一は、大げさな言い方かもしれないが、一部上場会社といえどもいまだに「資本主義の原則」を理解していない企業があることである。公開型の株式会社の場合、非効率的な経営が行われていれば、企業価値は過小評価されることになる。割安な企業を買収し、よりよい経営を行って企業価値を更に更に高めようという裁定行為は、市場メカニズムの「原則」である。だからこそ、買収されたくない経営者は企業価値の最大化に努力するわけで、企業買収はコーポレート・ガバナンスにおける「最終兵器」ともいえる究極のメカニズムなのである。

もちろん、敵対的といわれる買収により、被買収側企業において暗黙の契約に基づくさまざまな資産が喪失し、企業の競争力を殺ぐ結果となるなど、企業買収による規律付けは時には「劇薬」になる場合もある。しかし、「資本主義の原則」からすれば買収を仕掛ける側よりも買収ターゲットになる企業の経営を問題とすべきである。近年、金融機関との株式持合いの解消により安定株主の割合が継続的に減少するとともに、カネ余りが続いており、以前よりも企業買収が容易になっている。特に、フジテレビやニッポン放送のように株価純資産倍率(PBR=時価総額/会計上の純資産)が1に近い企業は(それぞれ1.2倍程度)、自ら「買収してください」と宣伝しているのと同じということを経営者自身がはっきり意識するべきだ。株価純資産比率が1を割っていたユシロ(0.7倍)、ソトー(0.5倍)が2003年末にアメリカの投資ファンドから敵対的買収をしかけられた時の教訓が十分浸透していなかったといえる。

90年代から金融システムの不安定化が続く中で、無借金で内部留保や手元流動性資産の豊富な企業はリスクに強く、優秀企業であるという見方が広がった。しかし、それは、将来より高い収益を生み出す可能性のある物的、人的資本への投資が相対的に少ないことも意味する。その結果、PBRが相対的に低くなり、買収されやすくなったことも事実である。例えるならば、家に現金をたくさん持っていれば何か急に入用になったときに役立つが、その分、泥棒に狙われやすいのと同じである。PBRが低いのは、顧客に対して優良な財・サービスの提供を行っているにもかかわらず、その価値が市場で過小評価されていると主張する企業もあろう。そのような企業は株式を非公開にすればいい。実際、MBO(マネジメント・バイアウト)は敵対的買収流行時にアメリカでも盛んに使われた手法である。フジテレビと資本のねじれ関係を抱えていたニッポン放送の株式公開(96年)は本当に必要であったかどうか、その経営判断が問われるところである。

資本主義の作法をわきまえていない上場企業が散見される日本

第二は、内向きの経営論理が剥き出しとなり、「資本主義の作法」をわきまえていない上場企業も散見されるという点である。その「作法」とは経営判断の際の株主に対する合理的な説明であり、経営陣が節目、節目において意識してそうした「手続き」を踏んでいるかという点である。ここで強調したいのは、経営判断において株主への利益を常に最優先にすべきであるということではなく、株主への説明責任が果たされているかという点である。その意味で、ニッポン放送の経営陣、特に社外取締役は、ライブドアが対抗馬として登場し、株価が上昇した時点で、フジテレビに対しTOB価格の引き上げの要求を行うべきであった。また、フジテレビが提示したニッポン放送株式のTOBに対し、市場価格よりも1割ほど下がってしまったTOB価格で簡単に買い取りに応じた企業も株主への合理的説明という点では問題があった。実際、応募の直後、株主代表訴訟を受けた企業もあり、単にフジテレビとの長年の取引関係を重視したとの理由では説明責任を果たしたことにはならないのは明白である。ニッポン放送の主要株主である企業をみると、TOBに応募した企業、継続保有した企業、市場売却した企業などさまざまであり、仲間内の論理で経営を行っている企業と株主を含め対外的な説明責任に配慮した企業を図らずも線引きする結果となった。

第三は、M&Aマネジメントの教科書にも書いてあるような「法の抜け穴」(注)に対し、投資家、取引所、行政当局が早くからガイドライン作りや法制化に積極的に関与すべきであったところ、それを怠ってきたことである。時間外取引におけるライブドアのニッポン放送株式の大量取得に対しては、当初、法学者やM&Aの専門家を中心にその違法性が強調された時には違和感を持った。確かにこの行為は株主平等を担保する公開買付制度規制の趣旨に沿っていないことは明らかであるが、条文の忠実な解釈に従い適法とした司法(高裁)の判断は妥当であったといえる。違法性に関する解釈論をこねまわすよりも、この件に限らず、法律的にグレーな問題は、明示的なルールを作るよりも、民間が行政当局に個別にお伺いをたてて意見を聞くという「裁量行政」に逆戻りするようなケースが増えていることこそ問題にすべきだ。そうした法律的にグレーな手法は利益機会も多いが違法リスクも高いため、行政当局からこっそり了解をとっておきたいという民間の機会主義と世間的、政治的に大きな問題にならなければ動かないという行政の怠慢が見事に浮き彫りにされることとなった。

敵対的買収に対する最大の防御策は企業価値の最大化しかない

最後は、ライブドア問題をきっかけに、敵対的買収の脅威が現実となり、各方面であわてて敵対的買収予防策が検討されるようになったことである。しかし、上記で述べた資本主義の「原則」に従えば、敵対的買収に対する最大の防御策は種も仕掛けもない「企業価値の最大化」であるはずだ。過度に外資による買収を恐れたり、株式の持ち合いを強化したりすることは、時代錯誤的な経営保身と言われても仕方ないであろう。また、敵対的買収予防策の1つであるポイズン・ピル(たとえば、新株予約権を使い、買収者が一定の株式を買い占めた場合、自動的に新株が発行され、買収者の株式取得割合を低下する仕組み)が注目を集めている。こうしたポイズン・ピルを事前に仕込んでおくことに当たっては、買収が企業価値を高める場合であれば合理的に解除できる仕組みがきちんと担保されているかが重要である。昨年来検討を行ってきた経済産業省の「企業価値研究会」の論点公開骨子(3月公表)では、独立的な社外取締役などの第三者による意思決定への関与や客観的解除要件の設定を提案している。しかし、社外取締役の存在感がまだ小さく、規範として定着していない日本企業において、防衛策の合理的な解除の仕組みが現実にうまく機能するのかどうかという不安もある。むしろ、敵対的買収にさらされやすい企業は、資本主義の「原則」や「作法」に疎い企業が多いと考えると、そうした企業の取締役会に合理的な解除の判断を求めることは難しいかもしれない。その意味で、やはり、敵対的買収に対する判断は上記論点骨子でも強調されているように、最終的には株主による判断、つまり、委任状合戦を通じる株主による投票への機会が確保されることが重要である。

敵対的買収を直接規制する制度導入は時期尚早

外資による敵対的買収脅威論を振りかざす論者は、上記のような予防策以外に敵対的買収を直接規制するアメリカ並みの制度導入(business combination (freeze-out) lawなどの州法)を主張することが多い。諸外国に遅れをとってはならぬという理由であるが、そうした制度はそれを支えるさまざまな仕組みや規範などの上に成り立っていることを忘れてはならない。つまり、アメリカではもともと買収の脅威というガバナンス・メカニズムが機能し、「企業価値の最大化」、株主への配慮という考え方が経営陣に浸透している中で、社外取締役が大きな役割を果たすようになってきたという土壌がある。したがって、アメリカのフォーマルな部分の制度だけを導入しても、それは「型」だけの追従にしかならず、経営者の保身を助けるだけであろう。社外取締役の活躍を含めた日本のコーポレート・ガバナンスの「機能」が成熟化して初めて検討可能な課題である。政治的に導入されやすい過剰な防衛制度は企業の再編・活性化を阻害する可能性がそもそも高いし、現時点での導入は時期尚早といえる。

敵対買収を巡る問題も、現在進行している日本経済システムの大きな変化の流れの中で考えるべきである。これまでシステムの辿ってきた歴史的経路は重要であり、アメリカのシステムへの収斂が求められているのでも、可能であるわけでもない。そうしたシステム変化のプロセスはこれまで築き上げてきた土台から試行錯誤を繰り返しながら、より良い変化を求めて前進していく「進化プロセス」であるべきだ。試行錯誤や革新的な実験の担い手は既存の慣習にとらわれない「突然変異的な異端者」である。平成のドンキホーテである「ホリエモン」の「一突き」が日本の社会経済システムの「進化」を大きく促す「きっかけ」になることに期待したい。

2005年4月20日

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脚注
  • 服部暢達(2004)、『実践M&Aマネジメント』、東洋経済新報社、93ページ参照。

2005年4月20日掲載

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