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日本再生・空間経済学の視点
脱国境・脱中央の実現を

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政府は7月29目に東日本大震災の復興方針を決めた。事業規模は10年間で23兆円というが、肝心の財源問題は先送りされている。昨日首相指名を受けた野田佳彦氏が率いる新政権は、具体的な復興計画の迅速な作成・実行が求められる。本稿では「空間経済学」の視点から、復興を通じた今後の日本の針路を展望する。

空間経済学とは、多様な人間活動が近接立地して互いに補い合うことで生まれる集積カ(生産性と創造性の向上)に注目し、都市や地域、国際間の空間経済システムのダイナミックな変遷を分析する経済学の新分野である。その基本的な課題は、個々の生産活動における「規模の経済」と広い意味での「輸送費」の間のトレードオフ(相反)を通じて、多様な生産・消費活動が相互に連関しながら、都市・地域・国レベルで様々な集積を形成し、一方では分散していくプロセスを分析することである(図参照)。

図:空間経済学の基本的な課題
図:空間経済学の基本的な課題

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震災は地震、津波、原発事故、電力供給障害、および大規模なサプライチェーン(供給網)の寸断を伴った、歴史上初めての巨大な複合災害であった。様々な天災・人災により引き起こされ得る「リスク」とのトレードオフも、わが国の望ましい空間構造を考えるうえで不可欠な課題であることを浮き彫りにした。

日本は震災前から、多くの根本的な課題を抱えて行き詰まっていた。震災前への単なる復旧ではなく、新しい日本の未来につながる「創造的な復興」を目指すべきである。

震災からの「創造的な復興」を考えるうえで、阪神大震災時の経験が参考となる。神戸港は壊滅的な被災の後、2年2カ月という短期間で全面復旧を成し遂げたが、東アジアにおける国際ハブ港としての機能は復旧までの間に釜山や上海に奪われた。「国際海運ネットワークのハブ」の持つロックイン(囲い込み)効果はいったん失うと取り戻せないことや、「創造的復興」の難しさを教えている。

震災を創造的破壊として今世紀の日本の発展につなげるには、格段の覚悟とエネルギーと時間を要する。だが日本は大きく変わらざるを得ない状況に追い込まれている。この戦後最大の危機を奇貨として、日本が一丸となって果断に対策を打ち出せなければ、日本の衰退は確実に進む。

東北復興のあり方を中心として、日本の社会経済システムの再構築の方向について検討しよう。大きな方向は「脱国境」と「脱中央」である。

まずサプライチェーン問題を通じて、日本の製造業の発展の方向をみてみよう。震災で直接被災したのは主として東北などの4県(岩手、宮城、福島、茨城)であったが、日本の製造業全体や海外の一部が生産停止に追い込まれた。

自動車は1台につき2万〜3万点の部品(および素材)を集めてつくられるが、各部品の生産では「規模の経済」が働く。交通インフラが整い「輸送費」が相対的に低い日本では、各部品を1社が1カ所で量産し、日本全国(一部は海外)へ輸送するという強い誘因が働く。日本中にサプライチェーンの密なネットワークが張り巡らされ、各メーカーは在庫を極力削減しながら効率性の高い生産をしてきた。この効率性重視の供給網管理が震災で裏目に出た。

日本企業は驚くべき現揚力を発揮して、当初予想を上回るスピードでサプライチェーンを修復し、製造業の生産はほぼ正常化してきているが、現在までのところほぼ「元に戻した状況」である。日本の先端製造業の空洞化を避けるにはやむを得ない選択であったが、よりレジリエント(復元力に富んだ)な国内外におけるサプライチェーンの再構築という大きな課題が残された。内外の市場からの部品・素材メーカーへの分散圧力は大きく、調達網の「日本外し」を避けるためにも、この課題を先延ばしできない。

要は「規模の経済」を生かしながら、いかにリスクを分散するかであり、そのための基本的方策は3つある。(1)事業継続計画(BCP)などを通じてバーチャルに工場を分散する(2)国内(例えば西と東)あるいは海外へ、リアルに工場を分散する(3)部品・素材の「共通化」と「差別化」の戦略を区別し、競争力の源泉を構成する基幹部品・素材は継続的なイノベーション(技術革新)を通じて徹底的に差別化を追求していく――の3つだ。これら3方策のベストな組み合わせを通じて、国内外におけるよりレジリエントなサプライチェーンを再構築していく必要がある。

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その際、神戸港の完全復旧が失敗に終わったことを教訓に、世界経済の大きな流れの変化に対応できるようにする必要がある。従来の日本企業のグローバルサプライチェーンは、欧米を中心とする先進国の消費市場に向けて構築されてきた。しかし今世紀に入り、工業製品への需要の大きな拡大が期待されるのは新興国である。世界の成長を取り込むには、現在のグローバルサプライチェーンと企業戦略を抜本的に見直すとともに、日本人中心の企業経営を完全に卒業する必要がある。

グローバル経済で発展していくには、各企業は海外展開を果断に推し進めるべきである。一方、日本政府は、日本の先端製造業の競争力の源泉である基幹部品・素材・製造機械産業を日本にとどめて製造業の「空洞化」を防ぐとともに、外資を呼び込む努力をすべきである。具体的には、原発事故の収束と電力の安定供給の確保に全力を挙げるとともに、自由貿易協定(FTA)・経済連携協定(EPA)を促進し、法人税率を国際レベルに下げ、円高の阻止、さらには中長期の成長戦略を果断に実施すべきである。

経団連の御手洗冨士夫名誉会長をはじめ数人の識者から、道州政府への移行を視野に入れた強力な権限を持つ本部を東北に置き、東北主導で迅速に復興政策を実行すべきだとする提案がなされており、筆者も支持している。

具体的には、復興基本法で設置が決められている復興庁(もしくは実質的な執行部)を東北に設置して、将来の「東北州」の基盤とする。さらに、この「東北州モデル」を日本全国に順次広げていき、道州制を実現していくことを提案したい。直下型地震による首都圏機能のまひの影響を減らすためにも必要である。

明治維新における廃藩置県で生まれた東京中心の中央集権国家は、欧米の工業化社会へのキャッチアップの局面ではよく機能した。ただ、バブル崩壊以降の日本の停滞は、日本の経済社会システム全体が大きな構造的な問題を抱えていることを示している。

欧米から吸収した先端知識を改変・改善することで成長が可能だった時代には、従来の共通知識重視の日本の経済社会システムが機能した。しかし、現在のグローバル化時代に知識創造社会として発展していくうえで求められるのは、科学技術だけでなく社会経済全体を含めた広い分野における知のフロンティアの開拓である。それには1人ひとりの固有知識重視の、従来よりもはるかに多様性に富み自律性の高い、社会経済システムの再構築が不可欠である。

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自律性の高い多様な地域の育成のためにも道州制の実現が望まれる。経済協力開発機構(OECD)における1人当たり国内総生産(GDP)の上位10カ国は近年、北欧の小国が大半を占めることに注目しよう。1カ国平均の人口は約630万人で、東北6県の総人口(約930万人)より少ない。固有の言語と文化、独自の産業集積と経済・社会・教育政策を持ち、多様性に富んだ知識創造社会を形成している。

知識創造社会の一員として発展していくうえで、人口規模はあまり必要でないことがわかる。国と地方の役割分担を大きく見直して、自律性と多様性に富んだ道州制による地方分権システムを構築し、地域間の競争と連携を促進すれば、日本は知識創造社会として活性化できるだろう。

東北全体を多様性に富んだ全員参加のイノベーションの場として発展させていくことが必要である。例えば、再生可能エネルギーの総合的な技術発展と社会モデルの構築に大きな役割を果たすことが期待される。国は東北の各大学の研究拠点への支援を充実させるとともに、復興特区制度などを利用して、産学連携を大胆に進める必要がある。

しかし、ハード面の科学技術だけでは、東北を魅力ある地域にはできない。経済・経営系や文化・アーティスト系の人材も加えて、復興を進めていくことが重要であろう。

2011年8月31日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

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