書評:ジェフリー・サックス著『貧困の終焉』

グローバリゼーションの論争

グローバリゼーションは問題である派

ジェフリー・サックス著『貧困の終焉』

(鈴木主税、野中邦子訳、2006年、早川書房)

渡辺陽一

ポイント

  1. 貧困の撲滅には、十分な援助を行うことが必要不可欠である。しかし、これまでの援助は額、規模、継続性などにおいて不十分であり、さらに援助を拡大するべきである。
  2. 貧困問題を解決するための万能薬となる政策はない。援助は、対象国の文化、制度、地理的条件や気候を考慮した臨床経済学に基づいたものでなくてはならない。その上で、さまざまな政策を組み合わせたパッケージとしての援助が不可欠である。

内容要約

臨床経済学による援助と貧困問題への取り組み

世界には、1日1ドル以下で生活をおくる絶対的貧困にあえぐ人々がいる。飢えに苦しみ、必要な医療や安全な飲料水、衛生設備を持たず、十分な教育を受けることができないなど生きていくための基本的な要求さえ満たすことができない人々である。絶対的貧困を解決するために、サックスは臨床医学になぞらえ臨床経済学を提唱する。臨床経済学とは、開発経済学を発展させ、国ごとに個別、具体的な問題への対応策を考えるというものである。貧困撲滅には、まず、それぞれの国の抱える文化、政治制度、地理的、地政学的条件など個別の診断を行う必要がある。その上で、適切な治療(援助)を実施しなくてはならない。こうした診断に基づく援助を行い、貧しい国々が経済開発の梯子のいちばん下の段に足をかけられるようにすることが、私たちの役割である。絶対的貧困から抜け出し、経済開発の最初の一歩を踏み出してしまえば、あとは何とか自力で経済開発の梯子を上がっていくことが可能なのだ。

どんな援助が必要か

臨床経済学によれば、貧困解決のためにどのような処方箋を出すのかは、個々の国によってさまざまであるという。本書の事例から見てみると、ボリビア、ポーランドではハイパーインフレーション 1 の抑制による通貨安定がもっとも重要であった。一方、アフリカにおいては、貿易政策や民営化、予算削減策などの経済対策よりもエイズ、マラリアといった疾病への対策がもっとも必要とされていた。どのような政策が必要とされるかは、その国、地域の気候条件や地理的条件にも依存するのである。つまり、貧困を解決するための万能薬となる政策は存在しないのである。そのために、さまざまな政策を組み合わせたパッケージとしての援助がなされなければならない。

十分な援助の負担はわずかである

援助を効果的なものにするためには、十分な援助が行われなくてはならない。しかしながら、これまでの援助は金額、規模、期間などにおいて必ずしも十分ではなかったという。サックスは、援助が十分に行われてきという主張や多くの援助を与えても途上国にはそれを有用に使う能力がないという主張に対して真っ向から反対する。また、汚職がはびこっている、民主主義でない、モラルが低い、近代的な価値観が欠如しているといった理由から途上国には十分な援助を与えても無駄である、という主張に対してもデータを用いてそれは偏見にすぎないことを示している。さらに、貧しい国々に対して十分な援助を行うことは、豊かな国に大きな負担をもたらすのではないか、という懸念も払拭する。十分な援助を実施するために必要なコストは高所得国世界のGNPの0.7%に過ぎず、過大な負担を豊かな国に強いるものではないという。

貧困の撲滅は困難ではない

奴隷制廃止運動、植民地の解体、人種差別反対運動など当時は不可能であると思えたことが実現できた事例を示し、貧困の撲滅も可能であるという。そのためには、IMFと世界銀行の連携、国連の強化、テクノロジーの利用が必要とされている。そして、何よりもひとりひとりが熱意をもって貧困撲滅のために奔走することが重要である、とサックスは主張する。

コメント

無慈悲な市場主義者やリバタリアンを説得しうるのか?

本著におけるサックスの主張は明快で、援助を拡大すれば絶対的貧困を根絶することができる、というものだ。これに対しては、あまりにも楽観的すぎるのではなのか、という多くの批判もある。しかし、本章で示された主張は、貧困問題解決のための現実的かつ実行可能な手段の1つである、ということは確かであろう。一方でこうした問題とは別に、なぜ豊かな国が援助を行わなければならないのか、というより根本的問題が残されているように思われる。サックスは、援助を行い貧しい国々が経済開発のチャンスをつかめるようにすることは先進国の責務だという。しかし、グローバリズムの勝者として莫大な利益を得ている人々に、援助の必要性は理解されるであろうか。近視眼的視野のもとに自己利益のみを追求する市場主義者や再分配を否定するリバタリアン 2 を説得できるのであろうか。貧困解決の処方箋が示された今、援助の道義的理由を否定する人々をどのように説得するのかがもっとも大きな課題であるのかもしれない。

1 たとえば、ボリビアにおいては、政府が国家予算の巨額赤字を穴埋めするために紙幣を乱発し、結果として通貨の価値は下がり、物価上昇を招いた。1984年7月から1985年の7月までの一年間で物価は3000パーセント以上も値上がりしたという。

2 個人の自由を最大限に尊重することを主張し,政府は国防,警察など最小限度の役割さえ果たせばよいという考えにたつ人々のことをリバタリアンと呼ぶ。リバタリアンは、政府が行う再分配政策を個々人の財産権の自由を侵害するもの、として否定するのである。