世界の視点から

チャールズ・キンドルバーガーへの新しい序文:『大不況下の世界 1929-1939』

Barry EICHENGREEN
カリフォルニア大学バークレー校教授

J. Bradford DELONG
カリフォルニア大学バークレー校教授

キンドルバーガーの古典的作品『大不況下の世界』の初版は40年前に出版された。著名な経済学者である本稿の著者は新版の序文において、この本の教訓はこれまで以上に意味を持つと述べる。

現在のヨーロッパの状況は1930年代と驚くほど顕著に似ており、ますます恐ろしい状況になってきている。失業者問題は深刻で、特に若年層の失業者は急速な勢いで、かつてないほど増加しており、金融不安、財政難が蔓延している。極右・極左の過激派政党への政治的支援が広がりを見せている。

前述の類似点の存在と、悲劇的な状況は、ちょうど40年前の1973年に『大不況下の世界1929-1939』を出版したチャールズ・キンドルバーガーを思い起こさせる。(注1)キンドルバーガーは世界全体に関心を持っていたが、ヨーロッパに焦点をあてた。それ以前の、主に米国人による先行研究が米国の大恐慌に焦点をあてていたのとは異なり、キンドルバーガーは、大不況の世界的、特にヨーロッパにおいての顕著な側面を強調した。政治的・経済的に見て、大不況の最悪な影響は広くヨーロッパで表れた。ヨーロッパには大陸レベルで公共政策を担う権威が存在せず、各国の政府や中央銀行も十分な指導力を発揮できなかったことから、経済・金融分野の悲惨な結果をもたらすことになった(注2)。

キンドルバーガーの見解は、これまで数多くの学生と読者に感銘を与えてきた。実際、幸運にも1980年代にニューイングランド地方に住み、少しでも国際金融史に興味を持っていた者は(本稿の著者2人も含め)、歩くなり、車やT(地元民はボストン都市圏の地下鉄をこう呼んでいる)に乗ってMITスローン経営大学院に出向き、キンドルバーガーの講義を聞きに行かざるを得ない気持ちに駆られた。私達は彼の言ったことの半分程度しか理解できず、歴史的な関連性と暗示については4分の1程度しか認識できなかった。それは怖い経験だった。後に国際経済分野の研究でノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは当時同じグループに属していたが、キンドルバーガーの授業が恐ろしくて国際マクロ経済の研究をやめようかと思ったと記している。キンドルバーガーの授業はもちろん「知恵の宝庫」だったが、「20代の若者にとって賢い気分になるようなものではなかった」(Krugman 2002)。

市場はどのように機能し、管理されるべきなのか、特にどのような失敗をするのか等、キンドルバーガーの講義はまさに知恵の宝庫だった。2011年にイギリス経済紙記者の長老マーティン・ウルフがローレンス・サマーズ元米財務長官に対し、2008-2009年の金融危機の際、経済学者は役立たずであったと指摘したが、その際にサマーズは、経済学は有用だった、と正反対の回答をしたことは偶然の出来事ではないだろう。しかしながら、金融危機を理解する上で有益だったのは、ギリシア記号が並んだ数学モデルを用いる学界の主流派ではなく、19世紀の金融記者草分けであるウォルター・バジョットや20世紀のバブル理論家のハイマン・ミンスキー、そして「多分もっと有益なのがキンドルバーガー」と返答した (Wolf and Summers 2011)。

サマーズは正しかった。私達の個人的な経験を基にお話したいと思う。キンドルバーガーから受けた知的資本が生み出した十分な配当、つまり、チャーリーに教わったほんの一部を学生に教えることで私達はありがいことに、長年の間、生計を立ててきた。彼に教わった中でも特筆すべき教訓を3つ紹介しよう。1つ目が金融市場におけるパニックについて、2つ目が伝染力、3つ目が覇権(ヘゲモニー)の重要性である。

第1にパニックについて。パニックとは、突発的で激しい恐怖によって影響を受けた者が極端な行動に出ること、と定義される。キンドルバーガーによると、パニックは金融市場におけるオペレーションの本質だと言う。『大不況下の世界』の中で彼は、なぜ、どうやってパニックが起き、金融市場が破綻するのかという問いに対し、「事例を挙げた具体的な説明」を行い、素晴らしい回答をしている。キンドルバーガーは、市場は正しいだけでなく本質的に安定しているという、効率的市場理論を早い時点で見限った。ライバルであるミルトン・フリードマンは有名な議論で大恐慌を説明しようとした。安定性を損なおうとする投機家が資産価値を正当な均衡レベルから逸脱させようとすれば、損を被り、結局市場から追い出されるので、金融市場投機は不安定化にはつながらない、と言う(注3)。キンドルバーガーは、市場はかなり長期間にわたって、誤った状態であり続ける可能性があるとの見解をもって反論した。彼はミンスキーの研究を綿密に分析し、応用することで論点を固めた。ミンスキー理論とは、市場は自己強化型の好況期、暴落、パニック、最終的には反感、不況、という特徴を持った周期を経る、というものである。キンドルバーガーは、現在では「ミンスキー・キンドルバーガー枠組み」と呼ばれている、1920年代後半・1930年代初頭の市場行動を説明する能力を立証した(彼以外の経済学者はそのような市場行動にほとんど関連性も価値も見いださなかった)。『大不況下の世界』の骨格を成しているのが、自己強化型の景気循環の可能性を強調したミンスキー・パラダイムである。その後、次にキンドルバーガーが出版する『熱狂、恐慌、崩壊―金融恐慌の歴史』やその研究手法の総括は賞賛をもって大いに注目されることになる(注4)。

キンドルバーガーの教訓の2つ目は伝染力と深く関わる。『大不況下の世界』の中心は1931年の金融危機であり、ほぼ間違いなくこれが引き金となってすでに深刻だった不況から、20世紀最悪な景気減速と経済的破滅の状況へと突き進んでいくことになった。キンドルバーガーによると、1931年の危機は、ヨーロッパの比較的小規模な金融センターであるウィーンに端を発したが、問題が放置された結果、まずベルリンに飛び火し、その後ロンドンとニューヨークにさらに深刻な影響をもたらした。以上の例は金融危機が素早く、ほとんど瞬時に転移するということを痛感させてくれる。1931年、金融危機はさまざまな経路で拡がった。ドイツの銀行はウィーンに預金を保有していた。ロンドンの投資銀行はドイツの銀行や企業に長期貸し付けを行い、ドイツの外国貿易を資金面で支援していた。金融面だけでなく、心理的なつながりもあった。つまり、大手銀行がウィーンで失墜すると同時に、確信するすべを持たない投資家は、オーストリア以外のヨーロッパ各国や米国の金融制度にも同じような問題が潜んでいるのではないかと不安を抱き始めた。2012年の小国ギリシアの問題がヨーロッパのシステム全体を脅かすことになったと同様に、1931年の小国オーストリアの問題は、蔓延を防ぐ有効な手段を欠く中、世界中の金融制度全体にとって致命的な脅威となり得たのである。ここでキンドルバーガーの教訓の3つ目を紹介しよう。他者(この場合、他の国民国家)に対して圧倒的な影響と影響力を持つヘゲモニーの重要性についてである。キンドルバーガーによると、公益的な覇権国家(ヘゲモン)の不在が1920年代、1930年代のヨーロッパと世界の問題の根源であった。ヘゲモンとは、積極的に中小国家に関心を持ち、世界経済、少なくとも北大西洋地域経済における資金の流れの安定化により大規模な国際システムの運営にも前向きに関わり、さらに最後の貸し手・消費者の役割を果たせる支配的な経済大国のことである。相対的に見て経済が衰退し、ミドル・パワーになり下がった英国には当時、もはやヘゲモンの責務にふさわしい国力はなかった。新興国米国は、当時、経済の安定維持のため、ヘゲモンの役割を引き受けるべきだということをまだ認識していなかった。1914年以前の英国がヘゲモンとして機能していた期間、あるいは1945年以降米国がヘゲモンだった期間とは対照的に、この空白期間において不安定な経済を安定化できる国は存在しなかった。世界経済の難所であったヨーロッパは先行きが不透明、不安定であり、危機と不況に度々みまわれていた。以上が『大不況下の世界』の要旨である。キンドルバーガーは1973年に次のように述べている。

「1929年の不況がこれほど拡大・深刻化し、長期間に及んだ理由は、英国が国際経済システム安定化を担う能力を喪失し、米国がその役割を引き受ける意思を持っていなかったことにある。特に次の3点が安定策として挙げられる。(a) 不況にあえぐ財市場を比較的オープンに保つ、(b) 景気調整的な長期対外貸し付けを行う、(c) 危機の想定等。19世紀から1913年までの間、英国が国際経済安定化の役割を担ったように、いずれかの国が責任を追わなければ不安定なままである。1929年の英国には責任を負う能力は無く、米国にはその意思がなかった。各国がそれぞれ個別の国益の擁護に転じた段階で世界全体の公益は失われ、それに伴い各国それぞれの利益も失われた」

その後、キンドルバーガーの見識は、経済学分野、特に、支配的な経済大国が存在(または不在)する中での国際経済政策協調モデルの分野に多大な刺激を与えた。また、政治学分野においても、キンドルバーガーの「覇権安定論」は、本来ならば無秩序な国際システムにおいて、いかに秩序が維持されるかを理解する上で重要なアプローチとして政治学者に用いられており、大いに刺激を与えた(注5)。

膨大な学術研究による学習効果があることを期待したいが、今日、ヨーロッパが1931年の状態に逆戻りしていることに驚き、懸念、失望を感じる。パニックと財政難の再来である。そして、またもやヨーロッパにはヘゲモン(中小国家に関心を持ち、ヨーロッパ経済における資金の流れと支出を安定化させることで大規模な国際システムの運営を担える支配的な経済大国)が存在しない。欧州中央銀行(ECB)はそのような権限がないという。ECBの使命はインフレ目標(実際は目標上限)を機械的に追求することであるという。ECBには、疲弊した金融市場の「最後の貸し手」の役割を担う権限が与えられていないと主張するが、危機の時代に最後の貸し手が必要不可欠だということは、『大不況下の世界』のもう1つの強いメッセージである。20カ国以上の多様な国家の集まりであるEUは対処法に関してコンセンサスに達することは困難である。そして稀にコンセンサスに近づいた場合でも、猛スピードで起こる危機と比べて仕事が遅すぎる。

ヨーロッパで最大の影響力を持つ経済力を政治的に具現化しているドイツ政府は、ヘゲモンになり得る。ドイツには景気調整的な財政政策をとる余裕があるし、ECBにもっと積極的に金融政策を用いるよう、働きかけることもできる。ドイツは対ギリシアの新マーシャル・プランに資金提供し、EUの加盟国とともに、総負債の一部の額を拠出し、連帯責任を担う気があることを示すことができる。しかしドイツは未だに自国のことをオープンで小さな経済国の管財人くらいにしか思っていないようだ。事ある毎に、ヨーロッパ・システムの安定化はドイツの能力を超えていると言う。「結局、ドイツの納税者は限られた金額しか負担できない」と。ヨーロッパ経済の安定化に向けて一方的な行動をとることはともかくドイツの責任ではない、と認識されているようだ。EUは、大国の指揮の元、小国が従順に従う連盟ではなく、少なくとも表面上は平等な集団である。いずれにせよ、いずれにせよ、ドイツは難しい過去から影響力と権限を行使するのをためらい、EU加盟国も、たとえ喉から手が出るほど支援が必要な国も、ドイツによる権限行使を受け入れるのは同様にためらいがある(注6)。ヨーロッパは集団的な意思、集団行動をとれる能力を強化すべきということに誰も異存はない。しかしヨーロッパにはヘゲモンが不在で、言うは行うより易し、という状況である。

一方、非ヨーロッパ圏の加盟国が認めたとしてもIMFにはその任務を担うに必要な十分な資本がないと言われるがそれは疑わしい。アジアや米国は、ヨーロッパの問題はヨーロッパによって解決されるべきと見ている。具体的には、ヨーロッパの経済・金融危機解決に必要な資金はヨーロッパが拠出すべきという見方である。米国連邦準備制度(FRS)はヨーロッパ問題を傍観する他ない。現在、厳しい財政状況にある米国政府には、1948年にヨーロッパに対して大々的に介入したような資金はない。不安定なヨーロッパの安定化を目的とした、寛大な海外資金援助パッケージであるマーシャル・プランの21世紀版(チャールズ・キンドルバーガーが経済再生プログラムの主な設計者として作成に携わった)は、もはや望めない。今日、対照的に、ギリシア、アイルランド、ポルトガル、イタリア、スペインが銀行持ち株会社としてデラウェア州で法人格を取得し、FRSへの加盟が米国議会に承認されることはないだろう(注7)。

ある意味、キンドルバーガーは1973年にすべてを予測していた。米国に課される、善意あるヘゲモンの責任と犠牲を払う負担を担うだけのパワーと意思は、次世代になると徐々に低迷するだろう、と予測していた。彼は将来像に関して、前向きなシナリオ、悲観的なシナリオをそれぞれ3つ挙げた。前向きなシナリオは、「[i] 米国の指導力の回復、[ii] ヨーロッパが指導力を発揮し、責任を持つこと(2013年現在では、中国のような新興国が指導力を引き継ぐと考えがちであるが、実際のところ、中国当局は及び腰である)、[iii] 国際機関への経済的主権の譲渡...。」ある意味、キンドルバーガーは国際機関と地域の(=ヨーロッパの)機関の両方を念頭においていた。しかし彼は、"lender of the last resort" の「最後」は世界規模な解決策であれば「最も魅力的であるが、おそらく困難で可能性は最も低い」、と結論づけていた。悲観的なシナリオは、「(a) 米国とEUが指導力をめぐって争い...(b) 1929年、1933年と同様に、一方は指導力に欠き、他方はその意思がない (c) 積極的なプログラムを確保せずに...それぞれが拒否権を持つ...」の3つである。

米国政府は著しい政治的機能不全により善意のあるヘゲモンの役割を果たすことができず、一方のヨーロッパ、特にドイツの指導層は、進んで有権者に対して責任を担う必要性を説得する気もなく、北大西洋地域は、上記の悲観シナリオ(c) に陥ってしまったようだ。

キンドルバーガーは『大不況下の世界』を未来に対する懸念で締めくくった。「このよう状況においては、真の権威と主権を持った第3の国際機関の誕生が吃緊の課題である」。

今ほどその重要性が高いときは無いだろう。

本稿は、2012年6月12日にwww.VoxEU.orgにて掲載されたものを、VoxEUの許可を得て、翻訳、転載したものです。

本コラムの原文(英語:2012年7月10日掲載)を読む

2012年7月30日掲載
脚注
  1. ^ キンドルバーガーは2003年に他界。1986年に改訂増補版がUniversity of California Pressより出版される。この第2版では著者に対する批評への回答や後続研究へのコメントを追加。ここでは単刀直入に要点が示されている1973年出版の初版を転載することにした。
  2. ^ 当初、この本はヨーロッパの経済史シリーズとして、各担当者がそれぞれ異なる10年について執筆を委託されたものだった。それではなぜ、本のタイトルは『大不況下のヨーロッパ』でなかったのだろうか。著者と出版社はおそらく、この大不況はヨーロッパに限定された現象ではなく、ヨーロッパと米国の相互関係が非常に重要であることを伝えたかったのだろう。
  3. ^ 大不況に関するミルトン・フリードマンとアンナ・シュワルツの共著(1963)は、キンドルバーガーに言わせると、金融政策だけに原因を見留め、過度に米国中心的であった。Friedman (1953)も参照。
  4. ^ Kindleberger (1978) 参照。キンドルバーガーは、ミンスキーから多大な影響を受けたと認めている。しかしキンドルバーガーの見事で明晰な枠組みの解説、そして枠組みの力を歴史的な経験にあてはめて立証できたことは、学術的にも一般的にもその影響力をさらに高めたと言っても過言ではないだろう。
  5. ^ キンドルバーガーから刺激を受けた国際経済協調に関する経済研究の事例としてEichengreen (1987)、Hughes Hallet, Mooslechner and Scheurz (2001) が挙げられる。国際関係分野における主要な関連研究としてはKeohane (1984)、Gilpin (1987) and Lake (1993)の3つが挙げられる。
  6. ^ ある意味において、EUまさにドイツ覇権復活を阻止する目的で設立されたといえる。
  7. ^ 対照的に、米国の中央銀行は、ある特定の状況の下では最後の貸し手の責任を担う意向を持つ。実際のところ、現状の制度上の取り決めでは、疲弊した南欧諸国の国債をFRSが購入しても何ら問題ない。しかしながら、異常で不適切だと多くの人に見なされるだろう。FRSはこれ以外の多くの問題を抱えている。ヨーロッパの債権市場への介入は、ヨーロッパの主要金融当局の責任でやるべき、という議論になるだろう。
文献
  1. Eichengreen, Barry (1987), "Hegemonic Stability Theories of the International Monetary System", in Richard Cooper, Barry Eichengreen, Gerald Holtham, Robert Putnam and Randall Henning (eds.), Can Nations Agree? Issues in International Economic Cooperation, The Brookings Institution, 255-298.
  2. Friedman, Milton (1953), "The Case for Flexible Exchange Rates", in Essays in Positive Economics, University of Chicago Press.
  3. Friedman, Milton and Anna J Schwartz (1963), A Monetary History of the United States, 1967-1960, Princeton University Press.
  4. Gilpin, Robert (1987), The Political Economy of International Relations, Princeton University Press.
  5. Keohane, Robert (1984), After Hegemony, Princeton University Press.
  6. Kindleberger, Charles (1978), Manias, Panics and Crashes, Norton.
  7. Krugman, Paul (2003), "Remembering Rudi Dornbusch", unpublished manuscript, www.pkarchive.org, 28 July.
  8. Lake, David (1993), "Leadership, Hegemony and the International Economy: Naked Emperor or Tattered Monarch with Potential?", International Studies Quarterly, 37: 459-489.
  9. Wolf, Martin and Lawrence Summers (2011), "Larry Summers and Martin Wolf: Keynote at INET's Bretton Woods Conference 2011", www.youtube.com, 9 April.

2012年7月30日掲載

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