第7回

個人国債は「買い」か?

鶴 光太郎
上席研究員

2月3日から第1回の募集が始まった「個人向け国債」(以下、個人国債。3月10日発行分3800億円)は、口座管理手数料がゼロである郵便局では割り当て分(約500億円)が当日正午過ぎには完売するなど大変な人気をみせている。

個人国債に限らず、国債市場が過熱気味であるのは、景気息切れ、株安、イラク情勢緊迫化の下で、投資家の「安全志向」が強まっているという背景がある。それに加え、個人国債は従来の国債よりも商品性の面でいくつかの利点を持っている。第一は、購入単位が小口化され(一口1万円、通常の国債は一口5万円)購入しやすくなったことである。第二は、利子は、半年毎見直される変動金利(半年毎の利子支払い、3月発行分は年0.09%)であり、下限(年0.05%)が設定されていることである。これは、超低金利の現状からやや長い目でみれば、将来、金利上昇も期待される状況の下、最低限の利息も保証されており、商品性は固定金利である通常の国債よりも確かに有利といえる。第三は換金性である。通常の国債はいつでも換金できるが、市場の動向によって、売却損(益)が出る可能性がある。一方、個人国債では1年経過しなければ原則換金できないが、換金金額として元本+経過利子相当額-直前2回の利子相当額が支払われるため(過去1年分の利息が換金手数料という意味)、途中換金しても元本が基本的に保証される仕組みとなっている(ただし、1年後の換金では利払いに20%の税率で源泉徴収がかかるので税金分が元本割れとなってしまうことに注意。また、口座管理手数料(大手銀行では年1260円)を取られる銀行からの購入は不利)。

さらに、ペイオフが解禁された定期預金のように元本1000万円という保護上限もないため、個人国債は現在の経済状況の下では特に有利な金融商品のようにみえる。しかし、変動金利かつ途中換金時の元本保証というスキームは、国の方でリスクを全部背負い込むという「大盤振る舞い」を意味するわけであり、そこまでして個人に国債を買って貰いたい当局の本当の意図はなんだろうと勘ぐりたくもなる。もちろん、財政当局からすれば、国債保有が金融機関や保険・年金などの機関投資家に集中する一方、個人の保有はわずか2.6%(2002年9月末)と欧米諸国と比べても格段に低い状況では、個人を含め幅広い層に保有してもらうように働きかけることは重要であろう。

当局の関心事は当然、国債の安定的消化であり、国債価格の安定である。問題は、国債の大量発行を進めていく上でこれまで安定的な引き受け手としての役割を果たしてきた金融機関に更なる保有を期待するのが難しいことである。これには、以下のように2つの視点が考えられる。第一は、金融機関の経営安定化の視点である。過熱気味の国債市場で調整が起き、価格が大幅に下落するようなことがあれば、国債を保有する金融機関はキャピタル・ロスを蒙り、その自己資本は更に脆弱となる。第二は、銀行の流動資産としての国債の重要性である。銀行にとって、予期できないような預金流出等の流動性危機に対応するため、すぐ取り崩せる流動性の高い資産(現金・預金・債券)を保有しておくことは重要である。現在のように金融システムの不安が続く中で、流動性資産を取り崩す可能性は高まっているため、金融機関も国債の安定保有者としての役割にコミットしにくくなっている。したがって、個人のようにもともと満期まで保有したいと考える層に更にインセンティブをつけることで(途中換金条件)、国債の安定的消化と価格の安定の一石二鳥を狙いたいというのが当局の本音であろう。

また、銀行、特に大手の優良銀行はこれ以上預金を集めたくないという事情もある。とりわけペイオフ延期でお金が集まっている普通口座への預金については、銀行は2002年度から定期預金などに比べ0.014%上乗せして預金保険料を支払っており、銀行側からもコストが高い普通預金を受け入れるよりも販売手数料も入る国債を推奨したいという思惑もあるようだ。このようにみると、現在の超低金利の下、ペイオフが解禁された定期預金の代わりや個人投資家の「安全志向」を満たす金融商品として、確かに個人国債は「買い」かもしれない。しかし、国の方でリスクを負担するということは最終的に発生するコストが国債保有者に限らず広く国民に転嫁されることを忘れてはならない。つまり、個人にとっては、個人国債は「買い」であるが、国全体でみれば「国家的モラルハザード」が促進されることになるのである。

2003年2月13日

2003年2月13日掲載

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