日本企業は財務柔軟性を重視しているのか?:多角化企業の資本構造からの洞察

牛島 辰男 慶応義塾大学

RIETIの「企業統治分析のフロンティア」分析研究グループの成果として、『企業統治制度改革と日本企業の成長』が出版される予定です。
そこで各章の内容に関するコラムを連載していきます。

財務の保守化

近年の日本企業の経営における興味深いトレンドは、財務の「保守化」である。すなわち、バランスシートの貸し方において有利子負債の占めるウェイト(レバレッジ)が低下している一方、借り方においては現金はじめとする手元流動性の増加が著しい。このため、有利子負債から手元流動性を差し引いた純負債の減少が多くの企業で続いている。日本経済新聞(2014年6月18日)によると、手元流動性で有利子負債を完済できる(純負債がゼロないしマイナスである)「実質無借金」企業が上場企業(金融機関を除く)に占める比率は2013年度末で53%に達している。

教科書的に考えれば、資本構造の決定とは効率性と安全性のバランスの選択である。レバレッジを高めることは、負債の節税効果(タックスシールド)を通じて企業価値に寄与するのみならず、他の条件が一定であれば、株主資本利益率(ROE)の向上にもつながる。しかしながら、レバレッジが高すぎると、債務不履行による破綻リスクが大きくなり、安全性が損なわれてしまう。流動性保有についても同様なトレードオフがある。手元流動性を厚くすることは、需要減などのマイナスショックや、M&Aはじめとする投資機会(プラスのショック)が生じた時に、利払い能力や投資能力が不足するのを避ける保険としての意味がある。しかしながら、そうした非常時への備えや運転資金として必要とされる以上の現金を保有することは、投資家から調達した資金の活用方法として非効率であることは明らかである。

こうした視点から見てみると、多くの企業がレバレッジを低めつつ、流動性保有を高めているということは、財務の効率性よりも安全性を重視するリスク回避の傾向が強まっているということであり、その意味で保守化なのである。リスク資本を提供する株主にとっての効率性指標であるROE重視を掲げる企業が増える中、こうした傾向が強まっていることは興味深い動きといえるだろう。

2つのシナリオ

こうしたトレンドの背景としては、2つのシナリオが考えられる。第1は経営者のエージェンシー問題である。株式と比べた負債の重要な特徴は、経営者への規律効果を持つことである。債務不履行を避けるために利益を一定水準以上に維持しなければならないことは、経営者の行動と意思決定の自由度を低めるためである。このため、経営者が株主ではなく自分自身の利益を追求しようとしているならば、資金調達における負債への依存度を低めることで、規律圧力の軽減を図る可能性がある。そうした経営者はまた、余剰資金を株主に返すことなく、企業内に貯め込む傾向も持つであろう。

第2のシナリオは、財務柔軟性の重要性が高まっていることである。すなわち、予期せざる投資機会の到来や破綻のリスクに備えて、負債の調達能力を保持しておく(借入余力に対し負債を少なくする)、あるいは現金はじめとする流動性を多く持つ必要性が強まっているというシナリオである。Graham and Harvey (2001)による企業サーベイは、米国企業の借入政策において、財務柔軟性が最も重視される要因であることを示した。花枝・佐々木・佐々木(2013)による同様な調査は、日本企業ではこの傾向がさらに顕著であることを示している。したがって、柔軟性の確保は、日本企業の財務が保守化していることの有力な説明となる。

はたして財務柔軟性は、日本企業の財務に影響している要因なのだろうか。サーベイ調査はそうであることを示している。ただし、こうした調査への回答は、経営者の真の意図や動機を表していない可能性がある。個人的な利益のために財務を歪めている経営者にとって、柔軟性の重視は都合の良い口実にすぎないかもしれない。実際の企業の財務政策との整合性を確認する必要がある。

多角化の効果に注目

この目的のため、筆者は多角化企業と専業企業の財務の比較分析を行った。複数の産業で活動する多角化企業の組織は、事業間で資金のやり取りが行われる仕組みである内部資本市場としての性格を持っている。内部資本市場を通じてある部門の余剰資金を資金不足の部門へと移動させることは、利払い能力の不足による債務不履行と投資能力の不足による過少投資という2つのリスクを低減させる(コインシュランス効果)。この効果ゆえに、多角化企業は専業企業に比べて本来的に財務柔軟性が高いと考えられるのである。したがって、柔軟性を考慮して財務政策が決定されているならば、多角化企業と専業企業の資本構造の間にはシステマティックな違いが存在するものと予想される。

サンプルは2001年から2012年に株式を公開していた金融機関を除く日本企業である。日本標準産業分類の細分類ベースで2つ以上の事業セグメントを持つ企業を多角化企業、それ以外の企業を専業企業と定義した。下図はこれら企業のレバレッジと流動性保有の推移を、中位数で見たものである。レバレッジの尺度としては有利子負債の総資産に占める比率を、流動性保有の尺度としては現金と短期保有有価証券の和の総資産に占める比率を用いている。純負債比率はこれら比率の差である。

図:専業企業(上)と多角化企業(下)の資本構造の比較
図:専業企業(上)と多角化企業(下)の資本構造の比較

専業企業について見てみると、分析期間を通じて負債比率は低下、流動性比率は上昇する傾向にある。また、2005年には過半数の企業で負債比率と流動性比率の逆転(=純負債比率のマイナス化)が起き、その後も手元流動性が負債残高を上回る状況が続いている。専業企業に限るならば、「実質無借金」企業が上場企業の過半数を占める状況は、2000年代半ばには生じていたということである。レバレッジの低下、流動性保有の増加傾向は多角化企業についても見られる。ただし、多角化企業は専業企業に比べて負債比率が高く、流動性比率は低い。純負債比率は趨勢的に低下しているが、中位数は2012年でも12%と大幅なプラスである。

以上の比較から、財務の保守化は専業企業、多角化企業ともに見られる傾向であることが分かる。ただし、多角化企業は専業企業に比べてレバレッジが顕著に高く、流動性保有レベルは低い。これらの特徴は、多角化企業が高い財務柔軟性を持つため、財務政策により柔軟性を確保する必要性が専業企業に比べて低いことを示唆している。回帰分析の枠組みにより、他の要因をコントロールした比較を行ってみても、多角化のレバレッジに対する効果は有意にプラス、流動性保有への効果は有意にマイナスとなる。

謎は残る

以上の分析は、財務柔軟性が日本企業の財務政策を決める重要な要因であることを示唆している。ただし、多角化は財務の保守化をもたらしている直接的な要因ではない。そうであれば、分析期間を通じて企業の多角化度は低下しているはずであるが、実際はほとんど変化がない。また、図が示しているように、保守化傾向は専業企業だけではなく、多角化企業においても見られる。

上場企業の大半が「実質無借金」であるという現状は、相当に特異な状況である。なぜ過剰ともいえる財務の安全運転が日本企業により続けられているのか、より本格的な検討が必要であろう。

参考文献
  • 花枝英樹・佐々木隆文・佐々木寿記(2013)「資金調達・現金保有に関する企業の意識調査:基本集計結果」
  • Graham, J.R., Harvey, C.R., 2001. The theory and practice of corporate finance, Journal of Financial Economics 60, 187-243.

2016年3月31日掲載

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