ブレイン・ストーミング最前線 (2007年4月号)

ワークライフバランス社会の実現に向けて

大沢 真知子
日本女子大学人間社会学部現代社会学科教授

ワークライフバランスは個人の生活に豊かさをもたらすだけではなく、導入によって日本の経済発展や社会保障制度の維持にプラスの影響をもたらすのではないかと考え、昨年3月に著書「ワークライフバランス社会へ」を上梓しました。本日はなぜそのように考えたか、また、出版後に労働組合の関係者などに伺ったところ、ワークライフバランスには難しい面が多く、導入は容易ではないと感じるようになったこと、さらにテクノロジーとの関連といった点についてお話したいと思います。

労働市場の変化と非正規労働者の増加要因

まず1990年代の労働市場の変化について、どういった背景で非正規労働者が増加したのか、日米の調査から始め、欧も含めた10カ国*1の比較に焦点をあてた国際会議を行いました。その結果、米国やデンマークといった一部を除き、総じてパートタイマー・臨時労働者の数と比率が増えていることがわかりました。特に1992~2002年の10年で、労働力に占める15~19歳の女性パートタイマー/アルバイトの比率は36.9%から75.4%へと急上昇し4人のうち3人という割合になりましたし、20~24歳の男性パートタイマー/アルバイトの比率も15.7%から30.3%と2倍近くに膨れ上がっています。

この増加を説明する要因の1つは、就業者側の変化です。多様な就業形態を望む若年者や女性の割合が高くなったということです。そのほかにも、サービス経済化による産業構造の変化や経済のグローバル化に伴うコスト削減競争の激化、また、その国の社会保障・税制度や労使関係の仕組みといった社会制度も、非常に大きな影響を与えます。

このうち、雇用形態によって社会保障が異なるという現在の制度や、既婚女性が税制上優遇されているかどうかは、労働供給に対してのみならず、労働需要に対しても影響を及ぼします。そこで、需要要因が効いているのか供給要因が効いているのかシフトシェア分析による要素分解を試みたところ、さきほど述べた日本におけるパート増加のうち62.4%が、アルバイトの場合は124.1%が需要要因で設営できることがわかりました。

事実、90年代にはリストラも進みましたし、正社員の採用が抑制され非正社員の採用も増えました。では景気がよくなったら雇用状況はどうなるでしょうか。1995~2005年の雇用形態別の求職者と求人数のトレンドをみると、パートは求職者・求人数ともに伸びていますが、新卒者とパートを除く求人数も伸びていますし、中途や新卒者の正規採用例も増えています。今後、団塊世代の退職に伴って労働需要が高まると予想される中で、その際にどういった労働市場環境が整えられるかによって、労働力の正規化が進むか非正規化が進むかが左右されるでしょう。

正社員と非正社員

日本には、女性は勤続年数が増えるにつれてパートタイマーとフルタイマーの賃金格差が拡がる構造的特徴があります。ここで重要となるのが、この構造に生産性が反映されているのかという点です。生産性を反映した賃金格差であれば、市場はうまく機能しますが、日本の場合、諸外国と異なり、パートの3割は正社員と同じ労働時間で働いています。5%程度のパートには正社員と同じ責任が与えられています。では正社員とは一体何なのか。コアワーカー(レギュラーワーカー)をどう規定するかが、今後の非正規労働者の増減の鍵を握り、その意味でも、非正社員問題とはすなわち正社員問題と同義と考えられます。

労働力の非正規化が進むと何が起きるのでしょうか。まず、ワーキングプアといった社会問題を引き起こします。実際、パートで働くよりも生活保護を受けた方が収入が多いという例もあります。データによれば、雇用形態は結婚の確率にも影響しますし、臨時労働者の増加率と出生率*2との相関関係をみると、約10%の有意性が確認されていますので、こうした状況が変わらなければマイナスの影響がいろいろあるのではないかと予想されます。

ワークライフバランスをとりいれた欧州の例

このように、経済のグローバル化に対応するために企業がとった戦略が労働力の非正規化を進めてきたわけですが、特に日本においてはコスト削減効果が最も大きいパートが増えたということで、これは、企業にとってそうした戦略が取りやすい社会制度があったとも考えています。

しかし、今後高齢者が増え、介護や社会保障負担の問題も大きくなる中で、どういう問題があり何を解決しなければならないか、整理する必要があります。誰もが安心して子どもを産める社会にするためにも、また新規雇用や良い雇用を生み出すことで持続可能な社会保障制度を実現するためにも、労働者1人1人の生産性を向上させることが重要だと思います。

一方、先ほどの比較では経済のグローバル化に対応するためには経済に柔軟性を導入することが不可欠であることがわかりました。経済が必要とする柔軟性を確保するには、労働者の多様なニーズをかなえるという形で雇用に柔軟性を導入することによっても実現可能であり、具体的には、非正社員(臨時労働者)を増やす方法と、正社員の働き方を変える方法とがあり、ワークライフバランスは後者に該当します。

欧州では当初、臨時労働者を増やしたり、企業がより柔軟な経営ができるように規制緩和や自由化を進めました。そして次のステップでは、パートの均等待遇など、今度は働き方の選択肢を増やす方向で規制を強化し、労働者のニーズを満たすことを目指しました。EUは97年、労働時間規制のほか、パート・有期雇用者の均等待遇、有期雇用の悪用禁止などを指令し、柔軟性を導入したことが労働者にマイナスにならないよう工夫しました。こうして社会が多様性を受け入れていく環境が欧州全体で整備されていきました。

ここで多様化について、臨時労働者が増えることが多様性であるとみなしてしまうと、非正社員が増えて社会の階層化が進み、格差社会につながってしまいます。そうではなく、正社員の働き方を変えることで選択肢を増やすことが、ダイバーシティの考えにつながるのです。日本も、多様な背景を持つ人々に同じような権利が保障される社会、人々の多様性が認められる社会への転換を実現する上で、ワークライフバランスを定着させられるかどうかという岐路に立っているのではないかと思います。

比較調査では、ワークライフバランスがうまくいっているのはオランダとデンマークでした。これに対して米・英は、正社員とパートの賃金格差が大きいため理想的とは言えませんが、非正規労働者の増加が小さいという意味では悪くないといえます。

国によるやり方や歴史的背景の違いはありますが、日本はオランダからは正社員の働き方を変えた点、デンマークからは週労働時間を37時間に短縮した点、そして米・英からは労働移動や再チャレンジがしやすい点を学ぶことができるでしょう。ただ、そのような米・英においても格差が生じているのは、均等待遇などの法制度がないためです。このことからも、格差社会にならないようにするためには法制整備が必要であることがわかります。

少子化対策のためだけではないワークライフバランス

日本で少子化対策が奏功していない点について、結婚前後の女性の就業率をみると、7割が結婚や出産で辞めてしまったり、育児休業はそうした制度がなくても両立できる人が利用しているに過ぎないので効果がない、という意見があります。働き方の希望と現実について調査したところ、「仕事や家事・育児を同等に重視」する人は男女共に多いにもかかわらず、現実としてはそういう女性が仕事を辞めて専業主婦になっており、理想と現実の大きなギャップがあるのです。

つまり、環境が変わればどちらにもなりうる、条件さえ整えば子どもを産んでも働き続けたい、管理職を引き受けたいという女性は数多く、制度が充実して選択肢が増えれば女性の意欲はあがるでしょう。しかし現在の日本の制度はこうしたニーズの多様化に追いついているとはいえず、女性に仕事か家庭かの二者択一を迫る。結果として専業主婦にならざるをえない。育児休業だけでは対応不十分であるのはこういう訳なのです。

ワークライフバランスはまた、単なる少子化対策ではありません。介護のニーズ、高齢になるなどしてフルタイムでは働きたくないが社会には参加したい、あるいは学習活動や社会活動に参加したいといったニーズは多岐にわたっており、男性でも高いものがあります。ワークライフバランスは、よりダイナミックな日本経済発展の戦略として位置付けるべきです。また、ワークライフバランスの導入はコストがかかることではありません。むしろ労働生産性が向上するといったプラスの効果が大きいことが、内外の調査でも裏付けられています。

最後に、格差社会に関する米国人エコノミストの考えをご紹介しましょう。それによると、コンピュータの登場は、それを使いこなすスキルや生産性を身につけてキャリア形成をしていく人と、それにより職を失う人の2種類の労働者を生み出した、つまり技術が格差を拡大させたという指摘です。日本では、確かにIT技術は発展しましたが、人々の生活の本当の質を向上させたり働き方を変える上で、まだまだ十分に活用されていないのではないでしょうか。格差社会そのものより、格差の要因や、どの階層で格差が広がっているのかを考える時に、ITリテラシーの格差が地域間格差や将来的格差、または教育問題につながる可能性について、もっと議論があってもよいのではないでしょうか。フリーターがIT技術を武器にして正社員になれるような新しい雇用対策も、今後必要になるのではないでしょうか。

このように考えると、税制度改革、雇用保障の充実、雇用政策の転換、ITリテラシーの向上など、求められるのは、多様性や柔軟性を働く側のメリットに変えていくような労働市場の制度改革なのではないでしょうか。

質疑応答

Q:

ホワイトカラーエグゼンプションについて、ワークライフバランスの観点からどのようにお考えになりますか。

A:

日本人の働き方の問題の1つは、責任や職務が明確ではない点です。ワークライフバランスを実際に導入したいか組合にたずねると、「効率を上げれば本当に早く帰宅できるのか。かえって仕事量が増えるのではないか」、「正社員の短時間制度といえば聞こえはよいが、仕事量は変わらないまま短時間という括りで賃金が下がるだけのではないか」といった声が聞かれます。
これは非常に重要な点で、職務が明確なら時間効率や生産性を上げて早く帰ろうとするインセンティブが働くわけですが、そうでない場合、ワークライフバランスやホワイトカラーエグゼンプションは、むしろ労働強化や賃金低下につながりかねません。ワークライフバランスという言葉に騙されるのではないかと疑う人がいるのと同様、ホワイトカラーエグゼンプションでもここが1番のネックになるかもしれません。
従って、まずは個人の職務を明確にする必要があります。その上で海外をみると、労働時間を規制した国がうまくいっています。時短によって労働密度は高くなりますし、時間当たりの労働者生産性は米国よりフランスが高いという報告もあります。効率性向上を目指すのなら、日本も労働時間を規制してもよいかもしれません。

Q:

グローバル化にうまく対応しているかについて、具体的に何を基準にそう判断できるのでしょうか。

A:

デンマークやオランダでワークライフバランスがうまくいっていると申し上げましたが、オランダの場合は同一労働・同一賃金の原則が徹底している点が大きいと思います。しかしそういった原則がない日本で、短時間正社員をどう位置付けるかは大変難しい問題であり、経済財政諮問会議の専門調査会でも、同一労働・同一賃金について大きな議論があります。

※本稿は1月19日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
掲載されている内容の引用・転載を禁じます。(文責・RIETI編集部)

脚注
  • *1…日本、米国、デンマーク、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、スペイン、スウェーデン、英国。
  • *2…合計特殊出生率。
配付資料

2007年5月7日掲載

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