特集:我が国の知的財産権制度の展望と課題 (2005年1月号)

特許制度の現状と課題

後藤 晃
ファカルティフェロー

特許と特許制度の動向

日本は特許制度を経済発展の比較的早い時期に導入した。1884年の商標条例、1885年の専売特許条例である。日本が近代経済成長を開始したのは1980年代なかばである。その当時、鉄道、海運、電信などのインフラストラクチャーの整備のなかで、特許制度という技術開発のための制度的インフラストラクチャーも同時に整備された。これらの制度はその後の日本の経済発展を支えてきた。

特許制度は戦後も日本の技術水準の高まりのなかで、変化し、技術進歩さらには人々の生活水準の向上に貢献してきた。例えば、日本はスイス、オランダ、スェーデン、カナダなどよりも早くすでに1975年に物質特許を導入しており、これは国際的な調和ということもあったが国内の製薬、化学関連の企業の大多数が賛成している。このように日本の特許制度は企業の技術開発のあり方に応じて変化し、技術進歩に貢献してきた。

図1に示されるように1970年、80年代を通じて研究費の大幅な伸びにも支えられて特許は急速に増加した。1990年代にはいると、経済の低迷のなかで研究費、特許ともに伸びが鈍化したが、依然として研究費、特許ともに世界でもっとも高い水準の国のひとつである。

図1:産業部門研究費、特許出願・登録件数の推移

現在の課題

物資特許の導入以降も、特許制度は執行面も含めて変化してきている。方向性は権利保護の強化であり、特許の対象となる発明の範囲の拡大、医薬品の特許期間の延長、特許の幅の拡大、損害賠償の金額の高額化などがおこなわれてきた。とりわけ執行面での改善は特許制度がイノベーションのインセンティブを確保する制度として実質的に機能するために当然、必要なものであった。

今日、イノベーションにかかわる基本的なインフラストラクチャーとしての特許制度が適切に機能していくために重要なポイントは以下のようなものである。

(1)審査の質
審査請求期間を7年から3年に短縮したことの一時的な影響もあり、また、基本的には技術進歩のスピードが速くなっている中で、審査のスピードをあげることが重要な課題となっている。これに対しては審査官の増員などの対策がすでに実行に移されている。ここでは、審査の質を維持することの重要性をあらためて確認しておきたい。特許制度は発明のインセンティブを確保するために発明者に一時的に独占的な権利をあたえるものであり、本来、保護する必要のない発明にこのような権利を与えることの弊害はきわめて大きい。通常の独占による資源配分の効率性の阻害にくわえて、様々な法的な問題を生み出す。世界の特許の経済学的研究をリードしているハーバート大学のラーナーとブランダイス大学のジャッフェはその近著、Innovation and its discontents(副題は、「いかにしてわれわれの破産した特許制度はイノベーションと進歩を危険に陥れているか、それにたいしてどうすべきか」)において、米国の特許制度がいわゆるプロパテント政策の結果、審査の質の低下、訴訟の乱発などの混乱をもたらし、本来、イノベーションを促進するための制度であった特許制度がむしろそれを阻害するようになっている、と述べている。同様の指摘は米国の連邦取引委員会や欧州の関係者からもなされている。米国がこのような状況にあることにより日本やヨーロッパも被害をこうむっている。最初はユーザーのために迅速に審査する、というもっともな動機から始まった動きが結局はこのような帰結をもたらしている。限られたリソースのなかで、より複雑化、高度化する技術と多数の審査請求に直面し、そのなかで迅速でかつ的確な審査を維持していくことは容易ではない。迅速な審査の必要性が強調されており、それは当然に必要なことであるが、ややもすれば当然視されがちな的確な審査とそのための体制の整備の重要性を強調しておきたい。

(2)特許の集合的マネジメント
「特許の藪」といわれるように、ひとつの製品には極めて多くの特許が関わっており、ひとつの技術標準に数百あるいはさらにそれ以上の特許がかかわる場合もある。機械系の製品ではことに多いが、医薬でも数はそれほどおおくないものの、診断方法、スクリーニングなど開発過程で様々な特許がかかわってくるようになっている。新しい製品を開発しようとするとこの特許の藪をかきわけて進まねばならない。その際に交渉のコストもかかるし、ライセンス料も累積すると大きな額になってしまう。新製品の開発に対して阻害要因ともなりかねない。このような状況に対して、特許のインセンティブ効果を確保しつつ、利用を促進する方策を工夫していくことが急務となっている。これは特許制度のなかで考えるよりも標準化団体の努力、独占禁止法の適用の可能性の検討など特許制度の外で対応を検討すべき点も多いが、特許制度がこれらの制度と適切なインターフェースを持つことが必要である。

(3)科学研究と特許
現代の技術は科学の進歩の上になりたっている。科学の進歩はわれわれを取り巻く世界に対する理解を広めるという意味でそれ自身、きわめて重要な意味をもつが、同時に、ますます産業技術の進歩も科学的理解のうえになりたつようになっており、その意味で産業技術の進歩のためにも科学の進歩がきわめて重要となっている。従来は特許制度の枠外とおもわれていた実験方法や遺伝子などに特許があたえられることによって、オープンサイエンスの原則の下に進歩してきた科学研究の障害になるのであればきわめて問題である。さらに問題を複雑にするのは、大学が産業との連携をつよめ、大学の研究といっても純粋に学問の進歩のためだけとはいえなくなってきつつあることである。このような状況の中で、オープンサイエンスの原則と特許制度の関係を明確にしていくことが必要である。

(4)特許統計
藤本隆宏東大教授は、わが国の議論は大きくぶれてしまう。このようなことがおこるのはきめ細かい現実的、論理的分析がおこなわれない、あるいはおこなわれても尊重されないところにその原因があるからだと指摘している。特許についても近年の急激な関心の高まりのなかで、正確なデータに基づいた議論がなによりも必要であり、そのための基盤として、特許統計の整備が重要である。特許情報は主として個別技術の検索のために利用されており、統計データとして利用しやすいようになっていない。米国やヨーロッパでは特許統計の整備が進み、これを基にした優れた研究が行われ、特許制度についての質の高い議論がなされるようになってきている。わが国でも2002年から知的財産活動調査報告書が開始されたことはその点で大きな一歩である。さらに、いっそうの利用しやすい特許統計の整備を望みたい。

終わりに

特許制度はイノベーションへのインセンティブを確保しひいては人々の生活水準の向上に資するというきわめて重要な使命をもっている。すぐれた技術が絶え間なく生み出され、社会で広く利用されて人類に貢献するようになる、そのことを促進する制度でなければならない。目指すべき方向はプロ・イノベーションの特許制度でなければならないのである。

2005年1月28日掲載

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