ブレイン・ストーミング最前線 (2003年10月号)

日本の政策決定システムの問題をどう見るか?

CURTIS, Gerald
ファカルティフェロー

日本の政策決定システムの問題をどう見るか?

日本の政策決定システムの変化や問題点、またそれに対して何を成すべきかという提言を含めたリサーチをやっています。40年近い自分の研究を振り返ってみますと、私の暗黙のテーゼは“The system works”(システムは機能している)でした。ところが、最近は“The system doesn't work well any more”(システムはもはやうまく機能していない)ということで、機能を果たせなくなった理由は一体どこにあるかということを考えています。今日は“The system works”の機能と特徴がどうして崩れたか、これからどうなるのかという話を中間報告という形でしたいと思います。

55年体制の重要な特徴は、さまざまな権力中枢間のインフォーマルな調整メカニズムが非常にうまく機能を果たしていたということです。この調整メカニズムが社会の変化によって崩れてきて、よりフォーマルな透明度の高いルールに基づいたシステムに変わりつつありますが、今のところ中途半端であるというのが私の基本的なテーゼです。

政治家と官僚、官邸と自民党、与党と野党、経済界と政界の間には、インフォーマルな調整メカニズムがありました。政治家と官僚の例でいえば、高級官僚が政治家になるとただ官僚の言いなりになるのではなく、うまく双方向のコミュニケーションシステムができていたわけで、こういう元官僚政治家にはパワーもコネも知識も経験もありました。官僚側には権威があり、エリート集団というイメージが強い。また、大衆の考えていることを肌で感じる、交渉が上手で根回しの専門家とも言える党人派がいました。

党人派と元官僚の間にはいろいろな緊張感もありながら、インフォーマルな調整メカニズムはうまく機能を果たしていましたが、この関係が見事に崩れてきました。1つは自民党の長期政権によって、人材登用のシステムが制度化して、5、6回当選しないと大臣になれない。キャリアの長い官僚が政治家になるインセンティブがなくなったのです。

最近政界入りする元官僚は、若い人達です。優秀な人は多いが、官僚としてのコネも経験も乏しい。前とは全然ダイナッミクスが違います。同時に党人派という言葉が死語になりつつあるぐらい、党人政治家が少なくなっている。二世議員には地方で政治活動した経験のある人はほとんどいません。また90年代のスキャンダルやバブル問題で官僚の権威が低下した上、橋本行革で行政の構造も変わりました。結果として、インフォーマルな調整メカニズムが崩れているのです。

最近、日本の政治家もマスコミも、政策を作るべきは官僚ではなく政治家であるといいます。今まで政策を作っていたのは政治家でなく官僚であったという見方の裏返しですが、その見方自体、単純すぎます。それに、米国で政策を作るのは官僚でなくて政治家であると思われているようですが、それも事情はちょっと違います。米国や日本のような経済が複雑で大きな国の政策を政治家が政策スタッフなしで作るはずはないし、ジェネラリストである政治家が官僚の代わりに政策を作る事が必ずしも望ましいとも思わない。それは、政治家の官僚化になりかねないからです。

米国の場合、議会をコントロールしているのは議員のスタッフだという批判があるぐらい政治家が政策を作る際、スタッフに頼ることは多い。日本の場合、55年体制では、非公式の調整メカニズムの下で政策決定過程において、政治主導は結構あったと思いますが、このメカニズムが崩れた以上、政治家と官僚の関係を変えていかなければなりません。

官僚の役割をより小さくする政策決定システムを作るなら、政治家たちは政策提言ができる、官僚ではないスタッフをどう作るかを、真剣に考えなくてはなりません。政治家個人の政策スタッフも少なく、政党に属するシンクタンクもない。日本の場合、党議拘束が厳しいので、政治家個人の政策スタッフを増やしても、どれほど意味があるか疑問ですが、ドイツのように政党に属する政策スタッフ組織を確立することを検討すべきなのではないかと思います。政党助成金の一部を政策提言に使う目的で本部の政策スタッフの給料に限るように法律を改正して、官僚組織とより対等に党が政策提言できるような改革を考えたらどうかと思います。

官僚にはない重要な役割が政治家にあります。それは選んでくれた選挙民の要望に答えることです。「地元利益」は日本では悪名高い言葉ですが、地元利益を考えずあくまでも国全体の事だけを考えて、政治闘争の妥協の産物としてではなくて、合理的と称する行政を行う政治システムというのは、政治主導ではなくて官僚国家であると思います。先日、私はマニフェストを批判する論文をだしましたが、党が政権をとるために何をしたいかを国民に見せるのは大事ですが、マニフェストさえ出せば後は政権をとった政党がマニフェストどおりに与党内の争いも、利益団体の抵抗も、野党との妥協もなしに、ただ約束を実行するのは非現実的であると思います。

総理官邸と与党の関係をどうするか

総理官邸と自民党の非公式な調整メカニズムも崩れました。振り返ると、官邸と与党の調整に大きな役割を果たしたのは派閥でした。55年体制では、派閥がポジティブな機能も果たしたのです。いわゆる主流派、反主流派があり、主流派の派閥が政権を取れば大臣も党三役も主流派から出るわけです。日本は、他の議会制民主主義国と違って、政府と与党が対等であるという考え方が非常に根強い。政権をとっても、与党は与党で政府の政策を受け入れるかどうか独自判断するという伝統です。

総理官邸と与党の非公式な調整メカニズムが働かなくなれば、新しい、より透明なルールに基づく調整メカニズムを考える必要があります。それがまだできていないので、官邸と与党の権力の二重構造がますます強くなり、政策決定過程が混乱に陥ります。

与党内に政府の政策に対する抵抗勢力があるのは、日本だけの現象ではありません。ただ、総理大臣の戦略チームであるはずの大臣、副大臣、政務官および党三役という与党のトップの中から政権を批判する声が上がってくるのは、日本特有の問題です。共和党の議員からブッシュ大統領の政策に反対があっても誰も驚きませんが、政権内の長官あるいはホワイトハウスの人間が反対をしたら、即刻クビになるに違いありません。

総理官邸と与党の関係をどう改善すればいいのか。党三役を同時に国務大臣にするという案があるようですが、政府与党の二重権力構造を解消するためには望ましいと思います。大臣が総理大臣のやろうとすることを公の場で反対して総理大臣に辞めさせられたら、同時に党の役職を辞めざるを得なくなる。官房長組織の強化、内閣府の役割の見直し、総理官邸が政策決定の中心になるためにはどうすればいいのか、タスクフォースを作って検討してもいいかもしれません。

日本経団連が政治献金の斡旋をする動きがありますが、いくら政策提言をしても、なかなか政策として実現されないというフラストレーションから発せられたようです。しかし、政治献金を増やしても、それで経済界が望ましいと思う政策が実現するとも思えない。むしろ、経団連自体が「金権政治を促している」と批判を浴びる始末になる可能性は大きいです。

官邸組織に内閣府と官房長の横のつながりがあり、官邸中心に政策が作られるという発想から行政改革が行われたようですが、うまくいっていないようです。その上、官邸と自民党の昔の調整メカニズムが崩れてきて、与党と官邸の対立関係が激しくなり、政策決定プロセスがうまくいきません。官僚と政治家の関係も、総理官邸と与党の関係も、新しい調整メカニズムが求められているわけです。

国対政治は悪だったのか

与野党間にも、55年体制下では重要な非公式な調整メカニズムがありました。いわゆる「国体政治」というものです。自民党と社会党の国会対策委員長、副委員長が密かに会い、国会運営のために取引をしました。その調整メカニズムは見事にインフォーマルで、料亭で集まることも多かった。社会が変わり、このような料亭政治、国対政治はだいぶ姿を消しました。国体委員長が今でも非公式に会うことは多いようですが、よりビジネスライクになっているようです。では今の時代に合った与野党関係、特に野党が政策提言できるようになるにはどうしたらいいのか。

イギリスの場合、政府が議会内の野党だけのスタッフ費用を支援しています。その制度を「Short money」と言います。官僚組織が使える与党に対して、政策提言ができる健全な野党を支援するためです。日本も、国会を政策の承認の場だけでなく、政策を作る場として活用する方法を考えるべきだと思います。例えば、委員会のスタッフを拡大して学者など民間人を入れ、国会を政策立案の場にすることが考えられます。

圧力団体として財界のやるべきこと

経済界と政界の関係も大きく変わりました。昔は経団連の会長が「財界の総理大臣」と言われて財界四天王と言われる方々が経済界全体を代表して政治家と非公式な調整をしながら、影響力を行使しました。しかし経済が発展、企業社会の価値観および利益が多様化して、昔のように経済界全体の目標と利益が共通するところが少なくなりました。約10年前に経団連が政治献金の斡旋をやめた理由はこういう企業社会の変化にあったわけです。これからの時代は、経済界と政治の関係を新たな発想で考えなければなりません。

企業が政治献金をすること自体、いろんな意見があります。日本の問題として、55年体制が尾を引いていることが2つあります。まず企業献金のほとんどが1つの政党に集中していること。かつては自民党か社会党かという選択だったので、経済界は何とか自民党政権を守らなければと必死でした。今は体制対反体制ではなく、体制内の競争になっているにもかかわらず、日本の経済界は依然として自民党一辺倒です。民主党の収入の90%は政府の政党助成金から来るそうです。

もう1つの問題は政治献金の使途の不透明さにあります。企業は政党だけに献金が認められていますが、実際は党の献金が支部にいき、その支部長が代議士でお金がその支部長である代議士の後援会の活動に使われています。

経団連がやるべきことは少なくとも3つあると思います。1つは経団連独自のissue campaignをすること。日本にとって望ましいと思う政策について、テレビ広告も出し、全国の講演会を開いて、国民に理解を求めることです。

もう1つは官僚組織に代わって政策提言が出来る民間シンクタンクを作ることです。経団連に属するシンクタンクにお金を投じて優秀なスタッフを集めれば、大きな影響力が発揮できると思います。また、ニューヨークのCFRなど独立系シンクタンクを支援するのも日本経団連にとって今の時代にふさわしいやり方だと思います。

3つ目は政治献金の完全な透明性を促すことです。米国の場合、政治献金の見張り役としてさまざまなNPOが存在しています。Center for Responsive GovernmentのようなNPOはウェブサイトで政治献金の状況を詳しく提供しています。そういうNPOの日本版を経団連が支援することも検討すべきだろうと思います。

マナーからルールへ

非公式な調整メカニズムが崩れつつあるのは政治の世界に限りません。日本社会のいろんなところで見られる現象です。先日、神田の喫茶店でお茶を飲んでいたら、外の縦看板が目に入りました。神田警察署が出していたもので大きな赤い文字で「マナーからルールへ」とあります。読んでみると、路上の空きビンのポイ捨てなどが禁止されていますというお知らせでした。最後に「平成14年11月の法律によって罰則が適用されます」と書いてありました。これは今の日本社会の重要な変化を象徴していると思います。以前はルールがなくても、慣習として秩序が守られました。しかし、社会の価値観が多様化するにつれて、透明なルールが必要となるわけです。非公式な調整メカニズムの崩壊です。

他方、どうしてもその移行が中途半端に見えます。このスピードでこの方向で日本はうまくinstitutional changeが行われるのか、それとも中途半端に定着して日本のinstitutionsがうまく機能を果たさないまま終わるのか、その判断が重要であり大変困難です。

いずれにせよ、「マナーからルールへ」さまざまな制度が変わりつつあります。ルールがあればあるほど、弁護士や会計士がたくさん必要になるわけで、日本に専門職大学院を作るというのは、この社会変動に対しての対応です。問題はそういう改革の具体的な内容がいいかどうかということなのです。

今日は、日本の政策決定システムついて私の現在の問題意識を申し上げたつもりです。それに対して皆さんのコメントやご意見をお聞きしたいと思います。ありがとうございました。

質疑応答

Q:

システムが崩壊しつつあるがために官僚がむだな事に時間を費やし過ぎていますが、価値観の多様化の中で、日本の官僚組織もきちんとしていかなくてはいけないと思います。どう思われますか。

A:

官僚バッシングは行き過ぎていると思いますし、優れた官僚制度を潰すことはないと思いますが、今の時代にふさわしい制度に変えていくために何が必要かと考えるのは当然です。官僚の秘密主義、天下り、政治主導に対してのサボタッジなど問題は山ほどあります。

日本の官僚システムについて次の3つのことを強調したい。まず、役人の数は決して多くないということです。それに、マナーからルールへという変化が進むにつれて、役人の数をむしろ増やさなければならないわけです。小さな政府をめざすのなら、規制を緩和したり廃止したりすればいいのであって、それをしないで役人の数をいくら減らしても小さな政府にならないのです。

また、伝統的に官僚はbest and brightestの中から選ばれましたが、これからは採用が難しくなるでしょう。今まで高級官僚になる人には権力と権威と天下った後も含めれば高収入がありました。しかし、今はその権力も権威やモラルも低下しています。天下りのチャンスが少なくなって、官僚引退後の不安もあります。官僚のエリート意識が薄れて、日本の官僚制度はより普通の国に向かっていると思います。それが良いか悪いか意見が分かれるところですが、この現実を捉えてこれからの官僚改革をどうするか考えるべきだろうと思います。

3つ目は、官僚制度よりも政治家のほうが問題だということです。政治主導が十分できていないのは官僚組織の抵抗よりも、政治構造の問題のほうがはるかに大きい。なんでも官僚のせいにできれば、政治家は責任を取らないですみますから、政治家自身が官僚バッシングの先頭に立っています。バランスの問題ですが、日本の政治家がきちんとすれば官僚もきちんとするようになると思います。

本意見は個人の意見であり、筆者が所属する組織のものではありません。

※本稿は7月18日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
掲載されている内容の引用・転載を禁じます。(文責・RIETI編集部)

2003年10月29日掲載

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