ブレイン・ストーミング最前線 (2003年3月号)

『島津の風土と経営課題』-自由さと経営効率の二律背反をいかに乗り切るか-

藤城 亨
(株)島津製作所取締役人事部長

当社の田中耕一がノーベル賞を受賞してから「島津は一体どういう会社なのか」「何か特徴があるのではないか」あるいは「ノーベル賞受賞者が京都に多いのはなぜか」といったご興味があるようですので、まず京都のことからお話します。

「企業30年説」といって、30年の間に結構浮き沈みがあると言われます。ところが京都には100年はザラで、200年や300年といった歴史のある企業もあります。あるコンサルタントは、京都人は簡単には流行になびかない、すぐ「それはちょっと違うんやないか」ということが口から出てくる、それだけ本質を見ようとする、あるいは少し先のことを考えているのではないか、とおっしゃっています。大阪だと「そんなこと言うても、今日のおまんま食べられなかったらどうすんのや」という発想になる、その違いではないかと言われます。

さて、島津製作所も歴史は古く、創業は明治8年(1875年)、127年前にさかのぼります。創業当初からいわゆる理化学機械を作っていて、「科学技術で社会に貢献する」が社是です。創業者は島津源蔵、その子どもの二代目島津源蔵は日本の十大発明家に選ばれており、企業としての基礎を作りました。その島津の歴史上のエピソードの1つは明治29年(1896年)に我が国で初めてX線写真の撮影に成功したこと、もう1つは明治30年(1897年)に蓄電池を国産化したことがあげられます。つまり、科学技術を商品化することを125年余りやってきているわけですが、島津源蔵がいくら優秀でも1人ではできなかったでしょう。京都には当時、最新の科学技術を導入する拠点として、京都舎蜜(セーミ)局というところがありました。これはいわば官立の技術導入所で、教育の場でもあったようなのです。せーみ舎蜜というのは、ケミストリーのオランダ語、セーミからきたそうです。

そのセーミに初代の島津源蔵が出入りをしていて、「こんなものを作れないか」という要望に応じていたのが生業になってきたわけです。京都帝国大学はまだなく、創立以降は産官学ということになるわけですが、京都大学が実験場として島津の実験場を借りに来ていたという話も残っています。産官学連携は今の主流ですが、実は遙か昔からそのようなことはあり、島津が成立するきっかけになったといえます。

現在の島津の事業内容は、まず分析、計測、試験に関わる製品でこれらが業績の半分を占める事業で1つの事業部を構成しています。そして医療用の診断装置、航空宇宙機器、半導体液晶の検査装置、昔からのポンプや繊維機械、これらはそれぞれ独立した事業部です。そして事業部はいわゆる社内カンパニー制のような存在になっています。1つひとつの製品群は150種類以上あり、1つの製品群に何種類ものモデルがありますから、全部で4000~5000のモデルがあることになります。従業員は島津単体で約3600人、そのうち純粋の開発技術者は800~900人ですので、その人数で数千種類の機械を担当したり、新規開発をしているということになりますね。一機種ごとに技術者が6、7人でグループを組み、小さな単位の機種ですと更に小さいグループで開発をするわけで、1人の開発者が数種類も持たざるを得ないことになり、ある程度の先端技術とかなりの専門性がないと、開発や設計に携わることができません。製品には大小さまざまありますが、平均して年間売上が10~20億円の非常に小さなビジネスユニットになっているのが特徴です。

以上のことから、まず島津の特徴はベンチャー企業の集合体のようなものとご理解いただくと手っ取り早いのではないかと思います。しかし、経営トップにとってはその小さなビジネスユニットの動向や将来性がわかりづらい。数字だけとると、経営者としては「そんなもの、もうやめてしまえ」と言いたい場合もあります。ところが、いざ担当者に話を聞くと、理解できないような専門用語を使って「この分野では絶対に必要な機械で、まあまあ安定して売れますよ」とごまかされてしまう場合が多いのです。従って、経営トップは開発戦略やビジネスユニット毎の動向はその専門家である担当者に任さざるを得ない。任された者は、それなりに自分の判断でできるという自由さを持ちますが、外部の者から見るとその様子は「まるでタコ壺だ」という感じがするわけです。もっとも、中に入ると、とても広いミクロコスモスが広がっているという感覚のズレがあるわけです。1つのビジネスユニットは小さいですが、マーケティングから開発、製造、品質保証、業績管理まで、要するに会社機能をそれぞれ持たなければならないわけです。ですから、やっている人々は結構大きな世界で仕事をしているという感覚を持ってしまいがちです。「タコ壺の中のミクロコスモス」が島津の特徴の1つでもあるのかなと思います。

2番目は、自由さの一方で経営効率の悪さが古くからある大きな課題だろうと思います。田中が「私は自由にやらせていただいたお陰でできました」といっておりましたが、私に言わせると「ちょっと待てよ。何もかも自由に任せたわけやない。この範囲で、やり方は自由にしてもよい」ということなのです(笑)。効率性の問題はあったのかもしれません。

3番目の特徴は、歴史的に「日本で初めて○○した」ということが結構あるということです。ただ、X線写真に成功してレントゲン装置を日本で初めて発売した、と申しましたが日本における現在のシェアは5番目のいない4番目です。製品化以降の段階になかなか力が入れられなかったわけです。主要製品をご覧いただいても、当社は典型的な多種少量型です。専門家集団である程度のレベルの物を作っていたらまずまずの業績を保つことができた、という時代が長く続いたのが、経営にとっては悪かったとも言えます。特殊な世界に安住して、それこそ「タコ壺の中のミクロコスモス」が経営のサイドにもあったのかなと反省しています。

現在注力しているのは事業分野の選択と集中です。事業ドメインは、対象が人間であったり、物であったりするわけですが、計測がこれにあたると思っています。技術的には、光技術、X線技術、画像処理の技術が当社の基本技術だろうと思っています。ライフサイエンス、半導体と液晶、環境ソリューションという新規事業分野と既存事業の中での5つの強化機種に戦力を傾けることを考えています。問題は廃止機種ですが、ビジネスユニット単位で3年間営業赤字だったら検討の対象にするという基準でやっています。しかし、技術者が多い会社なので「そうはいうても、この技術をやめてしもたらこの技術は戻ってきませんで」とかいろいろ言われるわけです。中には、「これはやめよう」と言っていたのに、公害規制などが変わったりすると、いきなりそれが息を吹き返すことがあります。あえて強がりを言うと、コアコンピタンスを意識した経営が選択として必要だとは思いますが、「コンピタンストラップ」にも気をつけなければいけないと思っています。抽象的になりますが、「グローバルニッチ」が当社の基本的なあり方になるかと思っています。

次に、研究分野での選択と集中という話になりますが、当社の試験・研究費は年間約120億円で売上の約8%になりますが、これをできるだけ維持したいと考えています。割合は、先を見すえた基礎研究に3割、直接の製品開発に7割です。基礎研究は、基盤技術研究所などで担当し、直接の開発は事業部の開発部門が担当するという仕分けになっています。産官学は要素技術の開発で研究費も出ますが、その区切りはチャンピオンデータが出て論文が書けたところまでですから、事業化のために製品にしようとするとその先にいろいろなことをやらなければなりません。4~5年でやっと製品化という場合、そこに到るまでの手間やコストや人員の割り振りが企業にとっては大きな負担になります。その結果、年間1~2台しか売れないと目も当てられないのですが、そういうものも結構あります。

できれば夢のあるようなこともやりたいとは思うのですが。例えば炭酸ガスの固定化という研究があります。研究期間終了後、どうするかということが社内で議論になりました。「難しいからできるわけがない」という意見が大勢だったのですが、社長が「人類の夢だ。夢のある物を何かしないとおもしろくないぞ」ということで継続が決まったのです。その結果、今ではそこそこの目処が立ってきたということもあります。もちろん、私も経営陣の末端を汚しているので効率を考えますが、効率という尺度だけではどうかな、という気がしています。

研究分野で言うと「ワイルド研究」という制度ができると良いと思っています。普通は会社の時間中に会社のお金で開発研究します。ところが、技術者というのは目の前の仕事とは別に「ちょっとこういうことをやってみたい」「ここを工夫してみたい」といったアイディアをいくつか持っている人が多いです。そこで、会社の時間中に会社のお金で自分が温めているテーマの研究をさせてみようかということを「ワイルド研究」とよんでいます。例えばいい成果を上げた開発者に褒美として「2カ月間、自分の好きなことをやっても良い。お金はこれだけしか出せないが」というようなことが制度化できればいいと思っています。普通の成果主義の感覚では給料やボーナスで報いますが、若い技術者に聞くとお金の前に時間が欲しい、オン・オフのメリハリが欲しいというのがトップなのだそうです。

自由さと経営効率の両立は難しいのですが、トップダウンの意思決定が必要です。上層部は「これだけのことを事業部はやってもらわないと困る。できないとそのポストにはとどまれない。でも目標を超えれば特別なボーナスを出す」ということを事業部長と折り合いをつける。ところがこの方式をその部下にまでやっていいかというとそうではなく、下は少し緩めるというか、自発性、盛り上がりを持たせることが必要だと思います。その接点をどうするか、いろいろと考えているところです。

適材適所という人事の考え方が一般的にありますが、私はそれをあえて外す方がいいのではないかと思っています。適材適所はその時はいいですが、時代も仕事そのものも大きく変化していくときに、10年間適材適所でいられるかというとどうでしょうか。スペシャリストだと思っている人は自分のスペシャリティに自信を持っているので周囲の意見を聞かなくなりがちです。周りが変わっていくのに気がつかず、いつの間にか全く合わなくなっているという場合が多いように思います。そこで、「わざと外す」というのが人事の極意かなと考えているわけです。マジメ一辺倒のスペシャリストと呼ばれる人は、自分のスペシャリティの範囲を絶対超えませんが、仕事というのは少しはみ出すものだと思います。そのはみ出した部分をスペシャリストは「雑用」というわけですが、「雑用というなかれ。それがあるから仕事になっているんだ」ということです。

最後に私のモットーについて申しますと「非真面目に行きましょう」ということです。不真面目はもちろんいけませんが、真面目というのもあまり良くないと思っています。技術者が一番いけないと思うのはサイエンティフィックに仕事を考えすぎだと言うことです。「上質なエゴイズム」というのも最近私が口にする言葉です。つまり、それはその人が悩み、考え、自分の心の中に深く入っていって、自分の悪い部分も見た上で「しかし、これしかない」ということが「上質なエゴイズム」ということなのではないかと思っています。

質疑応答

Q:

「タコ壺の中のミクロコスモス」ということが興味深かったのですが、タコ壺をそのままにすると繁殖してしまうかもしれません。そうならないような手だては?

A:

幹部を育てるためのローテーションを普遍化するつもりはありません。ただ、この「タコ壺の中のミクロコスモス」にもよくないところがあります。わけのわからない世界が出てきますから、ビジネスユニットの開発企画者は適度のローテーションが必要だと思います。もちろん、経営効率の問題もあって、専門性が高く「これを外すと成り立たない」といったような分野ではほとんど固定です。他方、組織換えをするタイミングが結構あり、例えば事業部を統合する、分解するといった場合に、変えたりするわけですが、案外変えてもうまくやってくれるものですね。ですから、強制力を働かせても中心人物を少しずつでも変えていった方がいいのかなと今は思っています。

Q:

業績評価についての方針を聞かせてください。

A:

成果主義がいいとは思いますがオールマイティではありません。開発者などがそうですが、失敗するかもしれない仕事や、非常に長期にわたる仕事をしている場合もあります。当社は6カ月毎に区切って評価していますが、半年ごとのフェーズに分けて、その半年でやってもらわないと困るというような、途中までの目標設定はしています。しかし、その仕事が成果に繋がるかはその人の責任ではなくその仕事を命じた人の責任だと思います。ですから、その人の評価はそれをやったかどうかで判断すればいいと思っています。
ポストについては、研究開発者の報酬や報奨を考えるときに、役職につけてはいけないタイプの人でも役職につけて報いるというのは最低だと思っています。これだけはしないようにしたいですね。特別表彰やボーナスで報いるべきだと考えています。
開発に失敗した業績をどう評価するかは大きな問題です。これを失敗だと言って業績として認めなければ開発などできません。意味のある失敗と意味のない失敗があるかもしれませんが、失敗すると思ってやっているわけではありません。もちろん、プラスとしての評価をすることはなかなか難しいかもしれませんが、その人の存在を否定するようなマイナス評価というのは絶対してはいけないと思います。人物評価や能力評価が毛嫌いされている傾向にありますが、人をプロモートする時は、今の仕事でどんな成果が上がっていたとしても、その次のポストで仕事がきちんとできるかどうかという評価が必要です。

本意見は個人の意見であり、筆者が所属する組織のものではありません。

※本稿は1月17日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
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