産業政策を問う――新産業育成、世界的潮流に

岡崎 哲二
ファカルティフェロー

安倍晋三内閣の経済政策では、インフレ目標などのマクロ政策が注目されている。しかし昨年12月の日本経済新聞による大手企業経営者へのアンケート調査では、新政権が取り組むべき政策課題としては、新産業創出やイノベーション(技術革新)などの「成長戦略の推進」が、円高是正や大規模な公共投資を抑えてトップとなっている。本稿では、安倍内閣の「三本の矢」の1つであるミクロ経済政策に焦点を当てて、その意味を長期的視点から考えたい。

安倍内閣は発足と同時に、マクロ政策を担当する経済財政諮問会議と並んで、ミクロ政策の司令塔として日本経済再生本部を設置し、その下に企業経営者や民間エコノミストが参加する産業競争力会議を置いた。再生本部と競争力会議は、企業の国際競争力向上、技術革新支援のための成長戦略の策定に取り組んでいる。安倍首相は成長戦略の柱として、製造業の復活をめざす「日本産業再興プラン」、企業の海外展開を支援する「国際展開戦略」、新産業を育成する「新ターゲティングポリシー」を挙げている。

この「ターゲティング」という言葉は、日本の高度成長期に通商産業省が進めた産業育成政策について、欧米の政府や研究者が批判的にコメントする際にしばしば用いられたものだ。その文言をあえて用いた点に、産業政策を積極的に展開するという安倍首相の意図が感じられる。1月の緊急経済対策でも、「成長による富の創出」の一環として民間投資の喚起が掲げられ、次世代自動車充電インフラの整備、レアアース(希土類)などの代替材料の開発、IPS細胞を使った再生医療研究の加速など、産業育成に関わる具体的施策が挙げられた。

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一連の動きを、1980年代以降の日本における産業政策の展開の中でとらえ直してみよう。80年代前半までの産業政策は、特定産業構造改善臨時措置法(産構法、83年)に代表されるように、特定の業界全体を対象とし、また独占禁止法適用除外という競争制限的な措置を伴うという特徴を持っていた。こうした伝統的産業政策は、日本経済のプレゼンスの高まりと経常収支不均衡の拡大とともに、海外から強い批判を受けた。

83~84年の日米両国政府間の「産業政策ダイアログ」では、米国政府は日本企業の対米輸出競争力は産業政策による特定産業に対する助成措置(ターゲット政策)で培われた不公正なものだと主張。また産構法は、衰退産業の温存を図ろうとするものであり、輸入障壁となっているなどの批判を展開した。こうした批判に加えて、規制緩和と内需拡大を唱えた「前川リポート」に代表される対外協調的な日本政府の方針もあり、80年代後半以降、日本の産業政策は変化していった。

変化の始まりは、87年に産構法を引き継ぐ形で制定された産業構造転換円滑化法(円滑化法)に象徴される。85年のプラザ合意以降の急速な円高により、産業調整は引き続き重要な政策課題となっていた。しかし円滑化法は、特定の業界全体ではなく、特定の事業者と特定の地域を対象とする点、独禁法適用除外の規定を持たない点で、伝統的産業政策と距離を置いていた。こうした特徴はこれ以後、特定事業者の事業革新の円滑化に関する臨時措置法(事業革新法、95年)、産業活力再生特別措置法(産業再生法、99年)にも継承されている。

さらに、90年代から2000年代にかけて、通産省と後継の経済産業省は、産業政策の重点を経済構造改革のための制度設計に移していった。橋本龍太郎内閣が着手し、小泉純一郎内閣でピークを迎えた経済構造改革を、霞が関で主に支えたのは通産省と経産省であった。すなわち、特定の産業・企業の育成や調整ではなく、規制改革や経済法制など制度的環境を整備することを通じて経済を活性化するという「水平的(horizontal)」ないし間接的な施策が90年代後半以降、産業政策の中で重要な位置を占めるようになった。

80年代以来の産業政策の推移の中に位置づけると、安倍内閣が打ち出した政策はターゲティングという言葉が象徴的に示すように、特定産業の育成を目指す方向に再度、かじが切り直されつつあることを示唆している。

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注目すべきは、こうした動きがあるのは日本だけでないことだ。昨年、経済協力開発機構(OECD)が「産業政策を超えて」という文書を作成した。出発点にあるのは、OECDに加盟する先進諸国で近年、産業政策への関心が高まっているという認識だ。

例えば、欧州連合(EU)委員会の10年の文書は、水平的政策を特定産業に対する政策で補うという「新しいアプローチ」を提起している。日本の伝統的産業政策に最も批判的だった米国政府も、11年に国家経済会議などが発表した報告書「アメリカのイノベーションのための戦略」で、クリーンエネルギー、バイオテクノロジー、医療・健康などのいくつかの分野を特定してイノベーションを推進する方針を示している(表参照)。

表:米国政府が設定した産業政策の対象となる戦略的イノベーション分野
  • クリーンエネルギー革命の始動
  • 生命科学・ナノ技術・先端製造技術の促進
  • 宇宙技術とその応用の革新
  • 医療健康技術の革新
  • 教育技術の飛躍
(出所)「A Strategy for American Innovation: Securing Our Economic Growth and Prosperity」

先進諸国で同時にこうした動きが生じていることには理由がある。第1に、日本と同様に、長期にわたる経済停滞と金融危機、そして既存産業における新興諸国との厳しい競争の中で、新しい経済成長のエンジンを見いだす必要性が大きくなっている。

第2に、その一方で、大きなイノベーションと新しい産業の芽が複数の分野で生まれているという事情がある。日本の緊急経済対策や米国の国家経済会議の報告書に含まれるエネルギー、医療・健康などの分野がそれにあたる。

重要なのは、これら新分野の技術は基礎的で広い応用範囲を持つだけに、大きな外部経済、すなわち、当該技術の開発者以外の企業や個人が市場を通じることなく享受する利益を伴うと考えられることだ。そうだとすれば、研究開発投資の量が過少になることを避けるために、政府がこうした分野に政策的補助をして投資インセンティブ(誘因)を引き上げることは、経済学の視点からみて意味がある。

もちろん、理論的に意味があることと、実際に政策が効果を上げることは同じではない。実際、「市場の失敗」を補正するための政策が、より深刻な「政府の失敗」をもたらした事例は数多く知られている。米ハーバード大学のダニ・ロドリック教授は、産業政策のための望ましい制度デザインについて考察し、その要素として、政府と民間の密接な協力、アメとムチ、説明責任の3つを挙げている。

ここでのアメは補助金や税減免などの政策措置であり、ムチはそうした政策措置について対象となる産業・企業に求められる成果の条件を明確にして、成果が上がらなければ打ち切ることを意味する。60~80年代における韓国や台湾など東アジアの産業政策が、対象企業の輸出パフォーマンスを条件としたことは、産業政策に関する文献でよく知られている成功例だ。

一方、説明責任とは、産業政策を担当する公的機関が自らの成果について国民に対して負う責任であり、その機関の権限の明確さ(自律性)に対応している。日本で終戦直後に設置された政策金融機関である復興金融金庫は融資に関して外部から様々な干渉を受け、そのことが同金庫の説明責任を曖昧にして放漫な融資につながった。同金庫の機能を継承した日本開発銀行では、金庫の反省を踏まえて融資判断の自律性が確保され、そのことが開銀の説明責任を明確にする意味を持った。

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新分野でのイノベーションを巡り先進諸国が産業政策というツールを用いて競争を展開しつつある今日、日本がその競争に積極的に参加することは妥当だ。そしてその際には、これまで日本で蓄積されてきた産業政策の経験を踏まえて、適切な制度デザインを適用することが求められる。

2013年4月1日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2013年4月16日掲載

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