量的緩和政策とデフレ

小林 慶一郎
研究員

「標準的な経済理論によれば、デフレーションは最適な金融政策が必然的にもたらす結果である」

デフレ脱却がここ数年の最大の政策課題だった日本人にとっては衝撃的な言葉だが、これは、Atkeson and Kehoe (2004)の書き出しの一文だ。そしてこの文章は、少なくとも理論経済学の記述としては正しい。大学院レベルの新古典派マクロ経済学の標準的な教科書(たとえばLjungqvist and Sargent 2000の520~521頁)では、社会厚生を最大にする最適金融政策として、「フリードマン・ルール」が記述されている。フリードマン・ルールとは、名目金利をゼロにする政策、すなわち、ゼロ金利政策のことである。名目金利がゼロになれば、債券の収益率がゼロとなり、資産保有者にとって、現金と債券は無差別になる。金利がプラスのときは、債券の収益は現金の収益を上回るので、貨幣経済では、現金・債券の資産選択において様々なゆがみが生み出されるのだが、ゼロ金利の状況では、現金・債券は無差別となるため、経済のゆがみをなくすことができる。したがって、フリードマン・ルール(ゼロ金利政策)は、社会厚生を最大にする最適な金融政策なのである。

フリードマン・ルールが実施されると、物価上昇率はどうなるだろうか。経済が均衡している状況では、実質利子率はプラスの値(これは経済に蓄積された資本の収益性や市場参加者の時間割引率によって定まる)になる。フリードマン・ルールで名目利子率はゼロに固定されているから、実質利子率がプラスなら、物価上昇率はマイナスになるしかない。これは、実質利子率の定義式(フィッシャーの関係式):

名目利子率 = 実質利子率 + 物価上昇率

から明らかである。物価上昇率がマイナスということは、デフレになっているということである。つまり、金融政策をフリードマン・ルール(ゼロ金利政策)で運営すれば、均衡では経済はデフレに陥る、ということである。そして、経済理論が示すところでは、その状態が社会にとって最適状態なのである。

1.量的緩和政策とデフレの因果関係

ながながと前置きに理論経済学の話をしたのは、現在の日本における量的緩和政策とデフレとの関係を考える際に、「フリードマン・ルールが均衡において必然的にデフレをもたらす」という理論予想(これを簡単のため、「フリードマン予想」と名付けておこう)が深く関連しているように思えるからである。

フリードマン予想が現実に成り立つためには、経済が長期的な均衡に達していることが必要になる。そもそも経済が長期的均衡に達していないことを前提にしている短期の経済分析(IS-LM分析)の枠組みを、現実の経済がはみ出していることが必要になるわけである。

まず、短期の枠組みで、量的緩和政策がどのように説明されるかを整理する。前記のフィッシャーの関係式を考えよう。経済が長期的均衡に達しておらず、物価調整が不十分にしか起きない短期で考えると、「物価上昇率」は金融政策に反応しないと想定してよいだろう。そのときに、金融緩和によって名目利子率を低下させると、フィッシャー関係式より、実質利子率が低下することになる(物価上昇率は変化しないから)。実質利子率は、企業や家計の資金調達のコストだから、実質利子率の低下は、企業の設備投資等を活発にする効果がある。つまり、金融緩和政策によって、短期的に設備投資などが刺激され、経済活動が活発になる。これが、短期的な金融政策の効果である。

こうした短期的な景気刺激効果を求めて、名目金利を下げ続けた結果、ゼロ金利の壁に突き当たってしまったのが、現在の日本経済の状況と見ることができる。金利の引き下げ余地がなくなったから量的緩和へ、という金融政策の考え方も、基本的には景気刺激効果を狙った短期的な金融政策の考え方の延長線上にあると言って良いだろう。ただし、伝統的なケインズ経済学の枠組みでは、金利がゼロになった状況では金融政策で景気を刺激することはできないとされている(流動性の罠)。また、流動性の罠の状況でも金融緩和は景気刺激効果を持つとする最近の一連の議論(Krugman 1998, Eggertson and Woodford 2003など)についても、政策の信頼性の観点から、効果に疑問を呈する議論もある(Svensson 2003など)。

しかし、日本経済の現状は、ケインズ経済学的分析が有効な短期的不均衡の状況にある、と考えて本当に良いのだろうか。

量的緩和政策が開始されてから3年経つが、名目金利(預金金利)がほぼゼロの状態になったのは、90年代の半ばである。経済実態からみれば、ゼロ金利状態はほぼ9年にわたって続いている。また、GDPデフレーターの伸びがマイナスになったのも90年代半ばだから、デフレも同じく9年近く続いていることになる。

9年もの歳月の間、経済の調整が進まないとは考えにくい。日本経済はある種の(長期的な)均衡状態に達している、と想定することもできるのではないだろうか。もし、日本経済が長期的な均衡状態にあるなら、ケインズ的な短期分析は無効になり、冒頭で議論した「フリードマン予想」のロジックが生きてくる。

つまり、長期の均衡状態なら、実質利子率は需要要因よりも、蓄積された資本の質や量(供給要因)によって決定される。均衡では実質利子率は資本の実質的な収益性を反映するので、プラスの値になるはずである。そのとき、量的金融緩和によって名目利子率がゼロに固定されるならば、フィッシャー関係式から、物価上昇率はマイナスになり、デフレになるのである。

実質利子率の趨勢が(金融政策と無関係に)均衡値として決まっているのかどうかの判定は重要な問題だが、現時点では筆者には確証はない。次の図は、実質利子率(銀行貸出金利ベース)の12カ月移動平均をプロットしたものである。

図(別ウインドウ)

この図をみると、90年代後半以降、実質利子率は2%台後半で安定しており、金融緩和によって下がり続ける(あるいは上がり続ける)という傾向はない。つまり、実質金利はなんらかの均衡値の周辺で変動していたのではないかと思われる。このことは、量的緩和(ゼロ金利政策)によって、フィッシャー関係式から、デフレの長期化が引き起こされている可能性を示しているわけである。

2.なぜゼロ金利が解除できないのか

量的緩和政策によってゼロ金利状態を継続しているのは、デフレからの脱却を目指しているからである。ところが、経済が長期的な均衡状態に入っているのならば、名目金利ゼロの状態が続けばデフレが継続する、ということになる。

前述のとおり、90年代半ばに預金金利はほぼゼロとなり、それと相前後してデフレが始まっている。その後の「ゼロ金利政策」は99年から、「量的緩和政策」は2001年から実施され、それらの目標はデフレの脱却であったが、預金者等が直面する名目金利がゼロになったのは、デフレが始まる前(あるいはデフレと同時)だった。また、95年当時は、デフレという言葉すらほとんど議論されていなかった。つまり、90年代半ばのゼロ金利(に近い)状態は、必ずしもデフレ脱却を目的に実施されたものではなかったわけである。

では、何が目的だったのだろうか。

90年代半ばの金融当局にとって、もっとも大きな懸念材料は、巨額の不良債権を抱えた銀行システムだったと思われる。不良債権を抱えた銀行とその借り手企業は、負債が資産より大きいというギャップ(すなわち債務超過の「穴」)が空いた状態だったと考えられる。債務超過を根本的に解決するためには、民間資金であれ公的資金であれ、資本増強をおこなって債務超過分を穴埋めするしかない。しかし、90年代半ば以降の状況では、政治的な制約などによって不十分な資本注入しかできなかった。完全な穴埋めをしないなら、穴が空いたままで、銀行や企業を生かし続けるしかないが、債務超過の穴は名目利子率を成長率として拡大しつづけるから、名目利子率がプラスの値なら、穴が年々拡大して、いずれ破綻が暴露されることになる。債務超過を露呈させずに現状維持を続けるためには、名目利子率をゼロにせざるを得ないのである。

以上はきわめて直感的な説明だが、「債務超過の銀行システムへの資本注入を先送りしようとすると、名目金利をゼロに設定せざるを得なくなる」というメカニズムは、簡単な数理モデルで示すことができる(Kobayashi 2003)。

つまり、脆弱な金融システムを抱えた経済で、経済破綻を回避しつつ、しかも、抜本的な金融健全化の改革も実施しない場合には、当局は、名目金利をゼロに近い水準に固定せざるをえなくなる。そして、この制約条件のもとで、経済は、長期的な均衡に到達してしまうことになる。こうして「フリードマン予想」が実現されて、経済は長期的なデフレに陥るのである。

ゼロ金利が解除できない理由が、金融システムの脆弱性にあるとすると、今後、どのタイミングでゼロ金利解除(量的緩和終結)ができるのだろうか。

ここ数年で、不良債権処理は急速に進展しており、銀行セクターへの資本増強も進んできている。現在の不良債権残高はかなり少なくなっていると見込まれる。例えば、次のような試算を考えることもできる。りそな銀行は昨年5月の実質国有化後、貸出債権の引当率を大幅にアップさせたが、かりに全国の銀行がりそな銀行と同じ引当率を採用したとすると、約12兆円の引当金を追加的に積み増さなければならない。この程度の規模が償却を要する不良債権の大きさだとすれば、銀行業界全体で、あと10兆円~20兆円の不良債権処理が必要だということになるだろう。

大手銀行だけでも、過去数年間、毎年10兆円程度の不良債権処理を進めてきたのだから、この数字は決して制御不能な規模ではない。

しかし、問題は、資本基盤の脆弱な地域金融機関(地方銀行、信用金庫、信用組合など)であり、これらの中には不良債権処理の負担に耐えられずに破綻するものも相当数出てくる危険はあるだろう。特に、2005年4月にはペイオフが解禁される。もし、来年4月以降に地域金融機関が破綻し、預金の一部が保証されないという事態(ペイオフ実施)が発生すれば、金融機関の健全性に対する国民の懸念が再び高まる。預金取付けによって地域金融機関の選別が一気に進むという事態も想定される。そうなれば、その地域の中小企業などの資金調達も困難化し、地域経済が大いに動揺する可能性はある。このように考えると、ゼロ金利解除は、地域金融機関などの健全化の進捗をよく考慮した上で、慎重に決定しなければならないだろう。地域金融機関の健全化には、膨大な時間と労力がかかるはずなので、2005年4月のペイオフ解禁時までに金融システムが正常化するとは考えにくい。おそらく、今後、地域金融機関の健全化が進むまでに、3年~4年の時間が必要になると思われる。その間、ゼロ金利状態は解除できないだろうし、量的緩和政策も続ける必要があるのではないだろうか。

その間、フリードマン予想のメカニズムが続くとすれば、今後、3年~4年は、デフレから完全に脱却することは難しい、ということになるだろう。

3.量的緩和と財政問題

金融システムの脆弱性の問題は、最終的には財政危機(公的債務問題)に帰着する。過去十数年、不良債権処理が進み、民間経済が健全化する過程は、民間経済にできた巨額の損失が、政府部門に移転される過程であった、ということができるだろう。つまり、金融システム危機は、最終的には政府部門のバランスシート問題(公的債務問題)に集約されるのである。

しかし、現在のところ、政府の財政危機について国民世論に十分な危機感が高まっているとはいえない。道路公団の民営化、年金改革、郵貯改革などの小泉構造改革は、本質的には財政再建のための改革である。しかし、公的債務の増加が確実に抑制されるような目覚ましい成果はでていない。公的債務残高がGDPの140%という終戦直後を超える異常事態であるにもかかわらず、財政への危機感が高まらない理由は、何なのだろうか。実はそこにも量的緩和によるゼロ金利の長期継続がかかわっている。

公的債務が累積し、財政が危機的な状況になると、通常、金利が上昇し、国民生活を圧迫する。住宅ローンの負担や企業の資金調達コストが大きくなるため、すべての国民が財政への危機感を共有し、財政再建が政治の中心的な課題となるのである。ところが、現在の日本では、名目金利を人工的にゼロに固定する量的金融緩和政策がとられているため、国民が財政の悪化を金利上昇によって実感することができなくなっているのである。危機感が麻痺した状況では、抜本的な構造改革(財政再建)へのコンセンサスが得られることはないだろう。

しかし、今から数年後に金融システムが正常化すれば、ゼロ金利を解除し、正常な金利環境を設定できる前提が整う。それは同時に、財政危機が国民生活を圧迫する「金利ルート」が復活することを意味する。

金融システムが正常化し、景気が回復すれば、金利には上昇圧力が働くようになる。金利の上昇は、企業の資金調達を圧迫し、家計の住宅ローン金利などの上昇にもつながるので、国民生活全般で金利上昇に対する不満と財政赤字に対する危機感が強まるだろう。

その危機感が、政治的なコンセンサスを作る方向に働けば、抜本的な財政構造改革が進むかも知れない。そうなれば、現在、なかなか進展しない財政関連の構造改革(道路、年金、郵政など)も一挙に進む。政治的な決断を伴う抜本的な財政改革が実施され、財政赤字を持続可能な経路までおさえることができれば、日本経済は真に正常化することになる。

しかし、金利上昇への不満が改革へのコンセンサスにならず、対症療法を求める方向に行くかも知れない。その場合は、財政再建は進まず、国債市場を支えるために、日銀が実質的な国債引受を無制限に実施せざるをえなくなるだろう。つまり、経済が過熱する中で金融緩和が続くことになる。そうなれば、短期の名目金利を日銀がゼロに抑えても、インフレ率と長期金利が不安定化し、制御できなくなるような事態が起きるかも知れない。こうした場合には、ラテンアメリカ的な不安定なマクロ経済環境に長期的に陥っていくおそれもあるだろう。

いずれの道を進むことになるのかを占う上で重要なのは、国債市場の動向である。Calvo and Guidotti (1992)の研究によれば、財政が制御可能な状況にある国では、公的債務の増大とともに、国債の満期構成が長期化する傾向があるという。これは、米独などに見られる特徴だ。理論的には、「インフレによって国の債務を帳消しにしたい」という誘惑を財政当局から排するためには、国債残高の増大にあわせて満期構成を長期化しなければならない、ということが示されるのである。

しかし、現在の日本では、公的債務の増大と軌を一にして満期構成の短期化が進みつつある。これを財政破綻の前兆としないためには、国債市場の在り方を理論的かつ実証的に研究し、国債管理政策を万全のものにしていく必要がある。

2004年6月号 日本評論社「経済セミナー」に掲載

文献
  • Atkeson, A. and P. Kehoe (2004). "Deflation and Depression: Is There an Empirical Link?" NBER Working Paper 10268.
  • Calvo. G. A., and P. E. Guidotti (1992). "Optimal Maturity of Nominal Government Debt: An Infinite-Horizon Model." International Economic Review 33(4):895-919.
  • Eggertsson, G., and M. Woodford (2003). "Optimal Monetary Policy in a Liquidity Trap." NBER Working Paper 9968.
  • Kobayashi, K. (2003). "Deflation Caused by Bank Insolvency." RIETI Discussion Paper 03-E-022.
  • Krugman, P. (1998). "It's Baaack! Japan's Slump and the Return of the Liquidity Trap." Brookings Papers on Economic Activity 1998 (2):137--87.
  • Ljungqvist, L. and T. J. Sargent (2000). Recursive Macroeconomic Theory. Cambridge: MIT Press.
  • Svensson, L. E. O. (2003). "The Magic of the Exchange Rate: Optimal Escape from a Liquidity Trap in Small and Large Open Economies." Mimeo.

2004年5月13日掲載

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