経済格差と日本人 再挑戦の機会拡大が急務

樋口 美雄 RIETIファカルティフェロー

日本人の経済格差が広がっている背景や対応策について改めて考えてみたい。まず、日本では非正規労働者の再挑戦の機会が乏しいことを一因に所得階層の固定化が進んでおり、適切な規制改革や社会保障政策などを通じ再挑戦の機会を急いで拡大すべきである。

90年代後半から格差拡大鮮明に

最近、所得格差の拡大を問題視する発言をしばしば耳にする。だが、社会にとって、どの程度の所得格差が最適であるかを見極めることは容易でない。格差が大きすぎると公平感が失われ、社会秩序に問題が発生する半面、格差が小さすぎると悪平等を招き、人々が就業意欲を失いかねないからである。

政府の経済戦略会議は1999年に打ち出した「日本経済再生への戦略」のなかでわが国を「過度に結果の平等を重視する」努力の報われない国と特徴づけ、「日本型の社会システムを変革し、個々人が創意工夫やチャレンジ精神を最大限に発揮できるような『健全で創造的な競争社会』に再構築する必要がある」と主張した。

そして国民の意欲を引き出すことを目的に、個人所得税の最高税率は86年の70%から段階的に引き下げられ、99年に37%になった。公平性重視が効率性を下げているとの意見は、企業の人事制度をめぐっても聞かれる。多くの企業が社員の就業意欲喚起を理由に、年功賃金を改革し、差が大きくつく成果主義給与に切り替えた。

ただ格差が拡大すれば、人々の労働のインセンティブ(誘因)は高まるかというと、そんなことはない。先の報告書も指摘するように、意欲の向上には、だれもがいつからでもチャレンジする機会が均等に与えられ、公正な評価がなされなければならない。この前提が満たされないまま、格差だけが広がるのであれば、挑戦する気持ちは強まるどころかあきらめが先行し、社会は階層化して閉塞感が強まるだけである。実態はどちらの方向に動いているのか。

90年代前半までの動きについては、研究者によって様々な見解が示されているが、90年代後半から所得格差が拡大している点に関しては大方の見方が一致している。各種政府統計を用いた分析結果を見ても、所得格差の大きさを示すジニ係数(高いほど格差は大)はとくに90年代終盤から上昇を示し、格差拡大の動きが確認される。

ジニ係数がある時点の静態的所得格差を示すのに対し、個々人の年々の所得変化はどうか。そこでは階層固定化の動きが見られるのか、すなわち所得の低い人がますます低くなる傾向があるのか、それとも新たな挑戦により上位の所得層に移る人が増えているのか。

93年以来、現在まで毎年、同一の個人を追跡調査してきた家計経済研究所の『消費生活に関するパネル調査』により、その動きを見よう。この調査は、開始当時、24-34歳であった1500人の女性、およびその配偶者の就業や経済状態について調べており、その後も、サンプルが追加されている。これによると、金融危機が発生し、企業のリストラが一段と進むようになった98年ごろから、所得階層の固定化傾向が見られる。

96年に年収が下から20%の最低分位にあった世帯の50%が、翌年の97年には上位に移った。それが98年になると、上向く割合は33%に低下、2000年には30%に下がっている。固定化の傾向は最高分位でも見られ、98年以降、この層にとどまる割合は10ポイント近くも上昇した。固定化の動きは、有配偶男性の勤労所得に限定しても確認され、最低分位にとどまる人は97年の69%から2001年の75%へ上昇した。

こうした動きは主に企業内における給与格差や企業間の給与格差、そして正規雇用と非正規雇用の給与格差の拡大・固定化によって起きている。以下では正規雇用と非正規雇用の格差固定化問題に絞ってみていこう。

フリーターの未婚率は高い

正規雇用(非農林業)は95年2月の3762万人から04年の3393万人に369万人減ったのに対し、非正規雇用は同じ期間に988万人から1547万人に559万人増えた(総務省『労働力調査』)。非正規雇用は有配偶女性ばかりでなく、若年層でも急増し、在学生を除く24歳以下の非正規比率はこの間、男性で10%から27%に、女性で16%から39%に上昇した。諸外国でもパート労働者の増えている国は多いが、日本のスピードは他に比べ一段と速い。

『慶應義塾家計パネル調査』によると、25-29歳だった男性フリーター(未婚の非正規雇用者および学卒無業者)のうち、5年後に正規雇用になった人は45%にとどまる。80年代はフリーターから正規雇用への道は広く開かれていたが、90年代には中途採用の求人も減り、フリーター経験者の正規採用を避ける企業も多く、フリーターの長期化、30歳代の増加が見られる。

こうした現象は、晩婚化・少子化にも影響を及ぼす。学校卒業1年後にフリーターだった人と正規雇用だった人の30歳時点における大卒男子の未婚率を試算すると、バブル崩壊前にはフリーターだった人の未婚率は、正規雇用だった人を9ポイント上回る程度であったが、崩壊後は23ポイント上回るようになった。経済的制約や将来の見通しが立たないために、結婚できない若者が増えている。

非正規雇用増加の背景には、人件費を削減し固定費化を避けたいとする企業心理が働いている。さらには産業構造や技術構造の変化により、高度で専門的な技術を要する仕事と要さない仕事の技能格差の拡大がある。これにより非正社員の賃金は低く抑えられ、人員の削減された正社員では長時間労働者が増えた。

景気回復が本格化すれば、企業も正規雇用を増やすだろう。ただ企業が非正規雇用を増やしてきた背景には、政策の進め方も少なからず影響していると思われる。政府は労働基準法の改正により原則1年に限定されていた有期労働契約の上限を3年に延長した。労働者派遣法でも同じ事業所の同一業務に派遣できる期間は1年から3年に延長され、従来禁止されていた「ものの製造」業務への派遣も認められた。これで個人や企業の選択肢が増え、雇用が拡大したのは事実である。だが規制緩和が非正規雇用に集中し、法制面で格差が広がったことはないか。

規制改革にはバランス必要

経済協力開発機構(OECD)は昨年の「雇用白書」で、各国の労働市場における規制の強度を常用雇用と有期雇用に分け数値化した。これによると、日本の常用雇用に対する規制はOECD諸国の平均より強く、80年代後半からあまり変わっていない。一方、有期雇用や派遣労働の規制は徐々に緩和され、最近では平均より緩い。その結果、03年時点でデータが利用可能な28カ国中、日本は6番目に正規・非正規の規制強度の差が大きな国になった。

規制改革に当たっては、全体を見通しバランスの取れた労働市場改革を進めると同時に、均等政策を強化し、厚生年金などの社会保障におけるパート労働者の労働時間や年間収入の適用基準を緩め、適用拡大を図っていく必要がある。現行制度では、保険料の雇用主負担のない労働者を増やしている可能性もある。

現実の人生は遊びの人生ゲームと違い、いつでもリセットし、対等な立場で次のゲームを始められるわけではない。それゆえに政府が不利な立場の人を支援し、機会均等を図る必要がある。非正規労働者の場合、今日のがんばりが明日の仕事につながらず、挑戦したいと思うチャンスが与えられないといった問題が起きている。

再挑戦を助けるには、親身になって相談に乗ってくれる社会的機能を強化し、情報面・経済面で能力開発を支援する仕組みが必要である。チャンスを増やすには、企業がその人の働く様子を直に見て直接雇用、正規雇用に転換できる紹介予定派遣やトライアル雇用を拡充するのも一案である。自由競争のメリットを引き出し、活力ある社会を築くには、政府による土俵整備が必要である。人口減少社会では階層の固定化を阻止し、だれもがいつからでも意欲と能力を発揮できる公正かつ効率的な労働市場を作っていくことが求められる。

2005年9月13日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2005年9月30日掲載

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