年金予測モデルを公開し国民的な議論を

八田 達夫
RIETIファカルティフェロー

年金改革法案が6月5日成立した。その結果、厚生年金の保険料率は10月から段階的に引き上げられ、2017年度以降18.30%にとどめられることになった。政府はもともと2038年度に26.0%まで引き上げる予定だったので、今回の改革は、実は、大幅な保険料率の引き下げといえる。負担が募る若者の年金不信感を払拭することを最大の目的にしていたと言えよう。

にもかかわらず、「根本問題は何一つ改革されていない」というのが、一般的な受け止め方だろう。国民年金の未納問題がクローズアップされたし、誰も、将来の給付水準として所得代替率(年金の給付水準と同時代の勤労者の賃金水準の比率)50%以上を確保できるという前提を信じていない。

未納問題でわかった社会保険庁の無能

年金国会で最も話題になったのは未納問題だ。多くの国会議員に年金未納者が見つかったことによって、「こと未納問題に関しては、国会議員の責任であるというよりは制度の欠陥である」という認識が広くもたれている。社会保険庁は、保険料を徴収する意欲も能力も持ち合わせていなかったということが証明されてしまった。この間の議論を通じて、保険料の徴収を社会保険庁から、国税庁なり新たな歳入庁なりに移すべきだという広い合意が得られたとみてよい。

国民年金(ないしは基礎年金)が必要であるのは、我々が生活保護というシステムを持っていることに由来している。生活保護制度をもつ社会では「老後の生活は自己責任で賄えばよく、年金は市場で購入すればよい」とは言えない。自分の全貯蓄を使い果たしていても、老後を生活保護で支えてもらうことができるからである。このような生活保護の悪用を防ぐために、すべての国民に対して若い時から老後のために最低限必要な水準の強制貯蓄をしてもらうというのが国民年金制度である。若い時に保険料を払えないほど低所得の人は、国が代わりに払ってやればいい。しかし老後はすべての人が、生活保護に頼らなくても国民年金の給付によって最低限の生活を支えることができるようにするのがこの制度の元来の目的である。従って、そもそも保険料を払わない人はその時点で脱税として罰する必要がある。そのような制度の下では、今回発覚したような大量の政治家の保険料未払いや不払いは起こりようがない。

保険料未払いを脱税として処罰する制度を作るためには、国民年金の保険料を税務当局が徴収する必要がある。現にアメリカでは社会保険の保険料は給与税(payroll tax)と呼ばれ、内国歳入庁が徴収した後、社会保障庁に入金される。スウェーデンでも英国でも年金保険料は税として集められている。

日本でも国民年金の保険料を税で徴収することが提案されて久しい。それにもかかわらず、社会保険庁がこれに抵抗してきた。理由は2つある。

まず、社会保険庁自体の存在意義の大部分が保険料の徴収にあるからである。社会保険庁の組織を守るために税方式化は困る。次に、社会保険庁から収入が上がってくることで、様々な福祉施設などに厚生労働省の裁量で運用することができた。しかし、この財源がなくなると、厚労省は今までのように政治家に恩を売ることができなくなる

厚労省の省益のために、税方式は採用されていないわけである。これが二重の財政問題を引き起こしている。第1に国会議員の未納に象徴される保険料の収入不足が発生した。第2に、多くの低所得の人が国民年金保険料を払っておらず、最終的には老後を生活保護に頼るという状況を生みだし、ますます生活保護費という財政支出の拡大を余儀なくしている。

現行制度の下では、現役時代に保険料を支払わないことのペナルティーとして、老後に年金が給付されない。このように制度の目的に反するペナルティーを採用した理由は、保険料を社会保険庁で取り立てる限り、強制的な徴収は無理だからだ。省益を守る姿勢が、巨大な財政上の無駄を生み出しているのである。

保険料と給付のバランスをどうとるか

今回の年金改革のもう1つの特色はスウェーデン型の給付水準調整方式を採用したことである。従来の日本の年金方式は、基本的に年金給付の所得代替率を一定に保つこととし、将来の各時点で高齢化に伴って増加する給付支給に合わせて保険料収入・保険料率を次第に上昇させる制度であった。したがって、少子化や寿命の変化が起きても退職者が受け取る給付は安定する一方で、勤労者の保険料率は大きく上昇する仕組みであった。これを、確定給付方式と呼ぼう。

若者の年金離れがこの保険料率の長期的な上昇予定にあることに着目し、今回の改正ではそれとまったく逆の方式を採用することにした。これは保険料率の方を固定し、高齢化が進むにつれて給付水準を引き下げていくスウェーデン方式である。これは、確定保険料方式といえる。

厚労省はこれから保険料率を上げていっても最終保険料率は18.30%に固定することにした。一方で、それに合わせて給付水準を下げていくことにした。ただし、下げるのは所得代替率が50%までとし、もしそれ未満まで下げる必要があるのならば全体の見直しをするということになった。結局、所得代替率50%以上の確保に不確実性があるため、この方針転換も若者に安心感を与えることはできなかった。

今回の給付水準と保険料率の設定に関しては、いくつかの問題点がある。まず、給付の所得代替率を一定にするが、保険料率を上昇させるという従来の制度をやめた途端に、今度は逆に保険料率を一定にするが、給付の所得代替率を下げるという制度に変えた。これは一方の極端から他方の極端への変更だと言えよう。

高齢化時代の勤労者に、不公平に過大な負担を負わせない年金制度、すなわち世代間で公平な年金制度は、次の通りである。

(1)保険料率と給付率(給付水準と自分たちの勤労時の賃金水準との比率)とを生まれ年にかかわらず一定に保つ。

(2)その際長期的な財政収支が均衡するように保険料率と給付率との組み合わせを選ぶ。

(3)現行の保険料率と給付率を、こうして選ばれた一定の保険料率と給付率にできるだけ短期間で追いつくようにする。その調整期間が短ければ短いほど、高齢化時代の勤労者の負担は軽減される。

(4)その上で寿命や利子率などの想定値が現実から乖離したならば、長期的収支が均衡するように同時に保険料率を引き上げ、給付率を引き下げる。その痛み分けの方式を前もって定めておく。

この制度を保険料率・給付率同時確定方式と呼ぼう。

従来の確定給付方式も、今回決まった確定保険料方式も、基本的に年ごとに予算を均衡させるために保険料や給付を人口変動に伴って変化させる方式である。このような方式は年金関係では賦課方式と呼ばれている。世代間の不公平は、最初から容認されている。ただし、不公平を緩和するために、実際には純粋な賦課方式は採用できず、修正を加えざるを得ない。従って、保険料率の上昇の度合いや給付低下の度合いは、恣意的に行政によって決められる。

一方、保険料率・給付料同時確定方式は世代間で完全に公平な方式である。この方式では年ごとの予算を均衡させない。積み立てをしたり、取り崩しをしたりすることによって、世代間の公平が実現される。最初から世代間で公平であるから、運用で行政が恣意性を導入する必要が非常に小さい。

ただしこの方式を採用する場合には、高い保険料と高い給付率の組み合わせを選ぶか、低い保険料率と低い給付率の組み合わせを選ぶかかという政治的な選択の問題がある。その問題こそ、与野党間で論争し選挙にかけて決めるのにふさわしい問題である。基本的な枠組み自体は、保険料率・給付率同時確定方式を採用すべきであるが、そのうえで年金の規模については幅広い政治的な選択の余地がある。

このような方式を採用すると、基本的に5年ごとの制度見直しはいらなくなり、保険料率や給付率の改定が自動的に行われることになってしまう。すなわち、システムがあまりに透明になって厚労省の裁量が一切入らなくなる。それでは厚労省が困るために、頻繁に見直しが必要な方式を採用していると言えよう。

年金予測モデルを公開せよ

年金国会を通じて誰もが感じたことのひとつに、政府の改革案が数値的な予測を伴っているのに対して、野党の対案には具体的な数値が乏しいことがあるだろう。政府は厚労省がもっている年金モデルを基にこの数値を出せるが、野党はこのモデルを使えないのである。年金改革を論ずるには、様々なケースについての数値的な予測ができなければならない。厚労省はまず、モデルを完全公開すべきである。次にそのモデルに分かりにくい所があれば、誰でも操作できるような形に直して、直すたびに公開すべきである。年金モデルを一般公開し年金改革についての議論をしやすくすることは、厚労省の重大な行政的課題である。不思議なことに、それを野党は要求していない。しかし、このモデルの公開こそが年金改革に関する議論を厚労省の利権から解き放つ鍵である。

私自身は5年前の制度改正の際に専修大学の小口登良氏とともに、年金改革の予測モデルを作成し、『年金改革論』(日本経済新聞社)として出版した。OSUモデル(大阪大学・専修大学モデル)と名づけたこのモデルは、当時公開されているすべてのデータを用いて、未公開のデータについては予測結果が厚生省(当時)の予測結果と同じになるようにパラメーターを推測して作り上げた。このモデルを使って、厚生省が想定しない様々なケースについてもシミュレーションをし、年金改革のあり方について論じた。

もし厚生省がモデルを公開していれば、民間人がこのような膨大な作業をやらなくても済むのである。年金改革の度に毎回民間の研究者に重複したモデル構築をやらせ、しかも不確実な部分を残したモデルしかできないということは、社会的に無駄である。モデルを公開せずに、情報を独占することで厚労省は明らかな利益を得ている。まず、野党が数値に基づいた提案ができないから、厚労省が具体的な改革案の提示を独占できる。さらに、厚労省の年金推計にかかわる人が民間のシンクタンクに天下りし、年金の予測をしている例があるという。厚労省モデルが天下りの「持参金」になっている可能性もなくはないのだ、厚労省はそのような噂が正しくないのであれば、少なくとも年金局に在籍した人たちすべての天下り先を分かりやすい形で公開すべきであろう。

税方式は間接税でいいのか

さて、この年金国会を通じて、国民年金の税方式かを巡る議論が相当広がってきたのも事実だろう。民主党は、盛んに消費税引き上げによる国民年金の税方式化を主張した。ただ、税方式の税として、間接税を採用すべきか、所得税を採用すべきか、という議論はあまりなかった。

一般には、年金目的税を所得税ではなく間接税にすると、次の2つの論拠で高齢化時代の勤労世代の負担を軽減することができるといわれてきた。

第1に、年金目的税を所得税で始めると、すでに引退している退職者は負担しないが、間接税で始めると、その時点の退職者も負担する。その分、間接税にした方が将来世代の税負担を低く抑えることができる。

第2に、年金目的税が導入されてから何十年もたって制度が安定した後も、間接税は退職者も負担するから、勤労世代の負担がその分軽くなる。

高齢化対策としては、間接税方式化が必要だという、一般に受け入れられている説は、これらの論拠に立っている。しかし、実はどちらの論拠も成立しない。

まず、第2の論拠については、間接税にすることによって、たしかに高齢化時代の勤労者の退職前における負担は軽くなるが、退職後の間接税を負担するために、退職前にその分貯蓄を増やさなければならない。したがって高齢化時代の勤労世代の生涯を通じての負担は、同一である。

通常の論議では、退職前における所得税と間接税の負担の差のみが強調され、生涯負担が比較されることがない。しかし、間接税は退職後も支払うから、生涯負担を比較する必要がある。生涯を通じての受け取り超過や支払い超過に関しては、間接税と所得税の間に差はない。

次に第1の論拠も成り立たないことを説明しよう。世代間で年金目的税を公平に負担するためには、間接税を採用するにしろ、所得税を採用するにしろ、百年単位のきわめて長い期間を通じて税率を一定水準に固定することである。詳細は前掲書第一部・第七章を参照されたいが、3分の1の国庫負担を除いた保険料部分を約100年の期間を通じて一律間接税で賄うと、7.3%の所得税で賄える。この2つを比較すると、団塊世代や団塊ジュニア世代が退職している時代である2025年から2095年までの期間は、一律間接税の方が、一律所得税よりも多くの税収をもたらす。ところが、2020までの期間を見ると、一律所得税の方が、一律間接税よりはるかに多くの税収をもたらす。勤労世代の人数が退職者に比べて多いから、一律の間接税にすると税収が減ってしまうためである。したがって、間接税にすると導入時点で退職者の負担が増えるからといって、所得税の場合よりも、その時点が税収が増えるわけではない。

このため、1975年生まれ以降の世代にとって、年金のために保険料、年金目的税、国庫負担のための一般所得税の負担をすべて合わせた生涯負担と受け取りの生涯負担の比率は、間接税にしても所得税にしてもほぼ同一となる。「間接税化は将来世代の負担を軽くする」という主張は間違いである。

このように、高齢化対策の観点からは、年金目的税を所得税にするか間接税にするかは無差別である。一方で所得税にした方がより累進的な年金負担体系になるのは自明である。税方式の選択は、累進度を高めるべきか否かという観点から判断されるべきである。

ただし、現行のすこぶる逆進的な国民年金保険料を廃止することを考えると、間接税であっても税方式化することは、現状よりも負担体系を累進的にする。この点で、一般財源の比重を所得税から消費税に移す「消費税シフト」が税体系を逆進的にするのと対照的である。すなわち、現行制度、間接税による税方式化、所得税による税方式化、の順で累進度は高まる。

国民年金保険料の未納問題は保険料を国税当局が徴収することによって解決できる。この国民年金の税方式化は野党も唱えているが、それだけでは足りない。まず、保険料率・給付率同時確定方式の採用により保険料率と給付率との関係を長期的に安定的なものとし、官僚の手による恣意的な決定から解き放つことも可能である。さらに国民的な議論をするために年金モデルを公開することも可能である。こうした厚労省の省益に反する改革の実行こそ政治の責任である。

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2004年8月号 朝日新聞社『論座』に掲載

2004年8月6日掲載

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