RIETI特別BBLセミナー

FSX摩擦とはなんだったのか:日米双方からの検証と教訓 (議事概要)

イベント概要

  • 日時:2011年10月7日(金)12:15-14:00
  • 会場:RIETI国際セミナー室 (東京都千代田区霞が関1丁目3番1号 経済産業省別館11階1121)
  • 講演者

    • スピーカー:ジェームス E. アワー氏 (ヴァンダービルト大学公共政策研究所日米研究協力センター所長)
    • スピーカー:今野 秀洋 (三菱商事株式会社 取締役)
    • モデレータ:吉田 泰彦 (RIETI国際・広報ディレクター)

日米安保体制下での交渉の紆余曲折

今野 秀洋写真今野 秀洋氏:
先週(9月27日)、航空自衛隊向け支援戦闘機F2の最終号機が三菱重工業から防衛省に引き渡されました。その前日には、F-X(次期主力戦闘機)のRFP(提案要求書)提出期限を迎え、本格的な選定作業が始まったところです。

1980年代のFSX(次期支援戦闘機)開発をめぐる日米交渉は、第1フェーズから第3フェーズまでの3つに分けて考えることができます。

第1フェーズ(1985年10月~1987年11月)は、機種決定の段階です。1985年10月、防衛庁(当時)でF1後継機の総合検討が開始されると、(1)国内開発、(2)現有機転用、(3)外国機導入、という3つの選択肢のもとで組織的な検討作業が進められました。そうした中、1986年4月には、ワインバーガー国防長官と加藤防衛庁長官(ともに当時)の会談が行われ、米国側からFSX選定作業への「協力」の申し出がありました。同年7月には、栗原防衛庁長官(当時)は、「軍事的合理性、IO(日米の相互運用性)、あらゆる圧力の排除」という3原則に基づいて選定する姿勢を明確にしています。同年12月には、安保会議で「国内開発」の文言が「開発」と改められ、外国との共同開発を含むコンセプトに変わっていきました。

年が明けた1987年3月、東芝機械事件が表面化し、半導体協定違反を理由に対日経済制裁が発動されました。同年6月および10月に栗原・ワインバーガー会談が行われ、安保会議でF16ベースの共同開発が決定しました。なお同年7月には、米国上院において日本がFSXとして米機を購入することを要求する旨が決議されていました。時を同じくして東芝首脳は辞任しています。

こうした第1フェーズの交渉の特徴として、日本側は公正な選定プロセスにこだわり、米国側は「日本の自主的な決定を尊重する」という建前を崩すことはありませんでした。そして米国側は通商問題とは切り離して国防省が対応し、日本側は日本国民の自尊心を傷つけることなく米国側との妥協点を模索しました。つまり、日米安保枢軸のもとで進められたといえます。

交渉の長期化と混乱

第2フェーズ(1987年11月~1989年1月)では、F16 ベースの共同開発決定を受け、具体的な開発内容が詰められました。1987年11月、政府間のMOU(了解覚書)交渉と同時に、三菱重工業とジェネラル・ダイナミクスのLTAA(ライセンス技術援助契約)交渉が始まったものの、作業分担の比率や部位、派生技術の無償還流の問題をめぐって難航しました。結局、1988年6月、瓦防衛庁長官とカールーチ国防長官(ともに当時)の会談で共同開発基本条件が合意され、同年11月にMOU調印となりました。民間ベースのLTAAは1989年1月に調印されました。

この第2フェーズの特徴は、本来政治レベルで決着すべき問題を、事務的・技術的レベルの交渉に委ねてしまったために、埒が明かずに時間がかかってしまったということです。1989年まで交渉が長引いたことで、米国ではレーガン政権からブッシュ政権に交代し、状況は大きく変わっていきました。

第3フェーズ(1989年1月~9月)は、国防タカ派と通商タカ派が連携して巻き返しをした時期です。1989年1月に行われたジム・ベーカー次期国務長官の上院公聴会において、J.ヘルムズ議員は新政権にFSX合意の再検討を要求しました。また同月、C.プレストヴィッツ商務省次官補(当時)はワシントンポスト紙に「日本への施しをやめよ」という論文を投稿しています。翌月には日米首脳会談が行われましたが、上院議員12名からブッシュ大統領あてにFSX見直し要求の書簡が寄せられました。

そうした中、同年3月に三菱重工業のリビア化学兵器工場建設関与疑惑が報道されました。私の知る限り、この報道は根拠のない意図的なリークでした。1週間後、ブッシュ大統領はNSC(国家安全保障会議)でFSX合意の見直しを決定します。その後、ブッシュ大統領は「見直し」決着を発表しましたが、上下両院はそれで収まらず、バード決議案およびバード・ブルース決議案をめぐって議会は混乱します。そして9月に上院再投票が行われましたが、バード・ブルース決議案は66対34で可決には至りませんでした。

第3フェーズの背景にある対日観を示すものとして、1989年5月、ジェームズ・ファローズが発表した論文"Containing Japan(日本封じ込め)"があります。これは米国のソ連封じ込め政策に通じるジョージ・ケナンによる論文をなぞったもので、ファローズは日本が次の封じ込め対象であると主張したわけです。このような対日観の変化と平仄を合わせて、通商摩擦面ではMOSS(市場分野別協議)、SII(日米構造問題協議)、フレームワーク協議とエスカレートして行きました。なお、この間猛威を振るった通商法301条は、1995年にWTOが設立されたことで力を失います。F2は当初計画より2年遅れて1995年10月に初飛行し、開発コストは当初見積額1650億円の約2倍の3270億円に上りました。

80年代後半から90年代にかけて、日本は米国の国防タカ派の標的となり、薄氷を踏むような状況でした。なお、国防タカ派は米国政治において一貫して強力な政治力を維持しています。冷戦時代はソ連をターゲットとしていましたが、冷戦終結とほぼ同時に日本に矛先を向け、その後はイスラム過激派テロとの闘いに精力を傾けてきました。東芝機械事件で対日急先鋒だった人々の多くは、リチャード・パール(当時国防次官)氏をはじめてとして、今日ネオコンと呼ばれるグループに属しています。

日米安保関係は戦後日本の繁栄をもたらしてきました。 他方、この体制は日本を温室に閉じ込め、大人の国際感覚を持たない国民を作ってしまってきたきらいもあります。日本は昨今普天間問題への対処等によって、長年培われてきた日米関係を自らの手で壊しにかかった感があります。そのことは憂慮に堪えませんが、敢えてそのプラスの側面を見るならば、日本国民が期せずして温室の外の冷たい風に触れ、改めて大人として自らの生存を考えざるを得ない状況に置かれようとしていると言えるかもしれません。そのなかから、新たな日米関係が構築されて行くなら、それはより健全な同盟関係になりうると思います。また、近隣諸国との関係も堅固なものに発展しうると考えられます。

米国側から見た日本のFSX計画:「車輪の再発明」だったのか? それとも日本の防衛力は高まったのか?

ジェームス E. アワー写真ジェームス E. アワー氏:
第二次世界大戦終戦後の日本の航空産業を振り返ると、米国が占領後、最初にとった行動の1つは、日本軍を解体し、日本の軍需工場をすべて閉鎖することであった。しかし、1950年になると、米国は朝鮮戦争のために航空機部品を日本から調達するようになり、後には日本企業と航空機全体の製造に関する契約を結ぶことになった。1952年に米国の占領が解かれ、1953年に朝鮮戦争が終結すると、米国は、日本の防衛力を高めるだけでなく、ソ連との大規模戦争が起こった場合に第2の供給源を確保することを目的として、新しく誕生した日本の航空自衛隊に航空機を貸与し、費用を分担し、ライセンス供与した。

1970年代半ば以降、米国は立場を変え、日本が製造能力を高めるのではなく、米国から購入するよう促すようになった。私見だが、ソ連の国力が高まり、極東に展開する航空部隊が強化されつつあることへの懸念から受注が増えた米国の航空機産業は、1970年代初めから設備過剰に苦しみ始めたのではないだろうか。

両国の国家安全保障の確立における考え方の違いについて言うと、防衛庁(JDA)は期間計画の一部としてF-1支援戦闘機の後継機を求め、米国国防総省(DOD)はソ連への抑止力として、おそらく航空機も含めて日本の全体的な防衛力をできるだけ早期に高めることを望んだ。この意味では、日米の目標は相容れず、両国の政治的問題のせいでさらに悪化することになった。

日本では、航空機産業の復活とは、特に政権を握る自民党にとって、同産業に従事する労働者から政治的支援を集めることを意味していた。日本の製造業者は、航空機の設計・製造拠点を維持する必要があると認識し、FSXを国産戦闘機にすべきだという意見を支持した。他方で、否定的な報道の影響を受けていた米国の政治家は、自動車や電子機器などの分野での日本の成功を目の当たりにして、日本を米国にとっての経済的脅威と見なした。実際、ジェネラル・ダイナミクスとマクドネル・ダグラスが率いる米国の航空機産業は、日本が自主生産(国産)の決定をすでに下し、米国が政治的圧力をかけなければこれを防ぐことができないと確信していた。

私見では、防衛庁と国防総省の多くは、日本に高性能の航空機を追加配備する必要性を感じていた。しかし、防衛庁の一部の文民と通産省(MITI)は、日本の防衛産業を支持した。国防総省の技術者は、日本が国内開発に着手していれば、結果は能力面で現状とは大きく違わなかっただろうが、特にソ連の脅威を考えると、稼働するには更なる費用と時間がかかっただろうと分析していたことを指摘する必要がある。

米国政府内では、米国商務省(DOC)と国防総省との間で見解が異なっていた。ロバート・モズバカー商務長官とクライド・プレストウィッツ長官特別補佐官は、日本国内での「国産」をやめさせる唯一の方法は、日本が米国の航空機を採用するよう主張することであるという誇大妄想的な考え方を受け入れた。反対に、キャスパー・ワインバーガー国防長官とリチャード・アーミテージ国防次官補は、米国が日本に防衛予算の用途に口出しすれば、日本国内のナショナリズムを刺激しかねないため、そうすることはできないと主張した。

ロナルド・レーガン大統領は、この件についてワインバーガー長官に同意し、ワインバーガー長官は、既存の米国の航空機に関するすべての情報を日本に提供し、航空機開発における費用超過や技術的欠陥など、問題の一部を共有し、日本に決定を促すことを提案した。これは、レーガン大統領によって国家安全保障会議レベルで承認された政策となった。これは「ロン・ヤス」関係の時期の出来事であり、おそらく日本の産業や防衛庁・通産省の一部関係者にとっては期待外れなことであったが、栗原祐幸防衛庁長官がワインバーガー長官の提案を受け入れ、この考えを中曽根康弘首相に説明した。

単純で不器用なことに、新しいブッシュ政権は、プレストウィッツらが唱える扇情的な誤報に基づいて、FSX合意を「見直し」、後に明らかにすることに同意した。プレストウィッツらは、米国が第二次世界大戦に勝利して、日本が平和を勝ち取ったが、FSXは日本が(また)どのように米国につけ込んでくるかを示すもう1つの例であるという恐れを抱いていた。

FSXを取り巻く状況から、どのような教訓が得られるだろうか。まず、第一にF2の共同開発と呼ぶことが決定されたとしても、実際にはそうではなかった。F-16は新型の航空機ではなかったのである。数十年前に開発され、10カ国にライセンス供与され、販売されていた。日本は、それ以前のF-15やP3Cなどと同様に、基本的にF-16を国内で製造するライセンスを取得した。瓦力防衛庁長官とフランク C. カールーチ国防長官は、これが共同開発ではないという見解を共有し、最終的に意義ある現実的なものにつながっていく希望を表明した。

第2に、日本は賢明にも、米国の航空機を採用し「車輪の再発明」に走るのではなく、そこに新技術を追加することを決定した。率直に言って、日本がF2に国産航空機を採用することを決定していれば、おそらく同程度の米国の構成品が含まれることになるが、感情面では米国内に政治的な猛反対が生じただろう。一部の日本人は、米国の航空機を選択する決定が東芝のココム違反事件につながっていると思っているが、私は、栗原長官と中曽根首相は、日本の対ソ連防衛の大部分が米国との緊密な協力によって実現することを正しく理解していたと考える。東芝機械に関する情報の公開は、主に米国政府内の葛藤の結果であった。米国の輸出を支援するリベラルな開放政策をとりたい商務省と、国家安全保障上の理由から技術移転を管理したい国防総省との間に、米国の輸出規制をめぐる縄張り争いが起こっていた。

第3に、議会からの圧力を受け、ブッシュ政権は、日本が日米同盟のために国内産業の要望を実質的にあきらめていたFSX協定を更に「見直す」ことに合意した。見直しの結果はうわべだけの表面的な変更であったが、石原慎太郎議員ら日本側の激しい怒りと失望を買い、最も重要なことに、その先数年間、意義ある共同開発に遅れが生じた。実際、日本は数年前、第5世代の新型航空機であるF-35の共同開発に参加しないことを決定している。

現実的な共同開発には、何が必要だろうか。日米の計画立案者が協力して、設計、開発、製造を開始する前に、共通の必要性と目標を追求することに合意しなければならない。これは遠すぎる橋だろうか。私はそうではないと思いたい。現在、日本は、ユーロファイター、F-18、米国のF-35という3つの候補から次期主力戦闘機を選定している。ロシアと中国が第5世代航空機に取りかかっている中、日米両国で足並みを揃え、日本がどの航空機を選定したとしても、第6世代航空機の現実的な共同開発についての協議を開始することが重要である。

質疑応答

Q:

日米両国が第6世代航空機の生産で協力すべきだという意見には賛成しますが、次期主力戦闘機開発の主目的は両国で違います。米国は攻撃寄り、日本は防衛寄りの立場です。これらは共同開発で両立するでしょうか。

アワー氏:

グリーンベイ・パッカーズというアメフトチームで伝説を築いたヴィンス・ロンバルディ元監督は、「攻撃は最大の防御」と常に言っていました。冷戦中、米国が保有していた最も防御的な装備は、弾道ミサイル搭載原子力潜水艦だったといえるでしょう。一度でもミサイルを発射してしまえば、失敗になるからです。弾道ミサイル搭載原子力潜水艦の任務は、ソ連に、たとえ米国本土を攻撃しても、米国は海中からソ連に耐え難い損害を与えられると思わせることでした。従って、唯一の任務は戦争の抑止でした。

日本には自身で防衛力を整備する選択肢があったのに、「役割と責任の分担」の精神で米国の核の傘に頼ってきました。技術者は国内産業を必然的に擁護しますが、日米両国の政治・防衛指導者が国内の技術者に、協力して限られた資源を最も経済的に活用し、共通の敵がどこであろうと、特に最も効率的な抑止力を共同で提供するよう指示すれば、有利に展開するでしょう。

Q:

コメントを申し上げたいと思います。このFSXをめぐる問題は、日本に大きな憤りを生み出したと思います。またイラク攻撃によって、米国の国際社会における評判は低下しています。米国は、特異な価値観をもつ諸国の人々を排除するシステムをつくらざるをえないように感じます。

Q:

日本では次期主力戦闘機の選定が近づいていますが、日本が米国以外の航空機を選定するシナリオは想定していますか。また、想定している場合は、どのようなシナリオでしょうか。

アワー氏:

日本がユーロファイターを選定したとしても、全体的な貿易不均衡は大きく変わってしまっているため、米国で街頭デモが行われることはないでしょう。ロシアや中国が第5世代航空機の開発を進めていることを考えると、真の第5世代航空機を真剣に検討することが日本の利益につながるでしょう。なお、F-18もユーロファイターも第5世代航空機ではありません。

Q:

なぜ日本はF-35の開発に参加しなかったのでしょうか。

アワー氏:

もはやプロセスがかなり進んでいるため、日本がF-35の開発に参加するには遅すぎます。日本がF-35の開発に参加する9カ国に加わらないことを決定した時点では、防衛庁(JDA)の内部には、F-35のほうがずっと高度な多目的機であるために米国が調達を中止したF-22の調達を強く求める意見がありました。

今野氏:

仮にF-35の開発に参加したいと思っても、日本には武器輸出三原則があり、部品や技術を外国へ移転する際にいちいち日本の政治プロセスを経なければいけません。それは現実的でないので、むしろ日本が入ってくるのはお断りというのが世界の大勢だと思います。