新型コロナウイルス感染症と医療費の動向

西岡 隆
コンサルティングフェロー

世界規模の新型コロナウイルスの流行が始まり1年以上が過ぎ、その間、わが国においても3度にわたり緊急事態宣言が出されるなど、人々のさまざまな行動が制限されることとなったが、医療機関の受診動向にも大きな変化があった。この病気は重症化した場合、相当の高度な医療が求められることに加え、その後の回復期も人によっては長期間の療養を要することが多く、医療機関には多大な負担を強いる病気となっている。その対応に尽力される医療従事者の方々には心から感謝の意を表したい。

急激に新規感染者数が増加し、患者数が多くなった場合には医療機関の受け皿が逼迫する報道がなされるため、この1年のわが国の医療需要は相当増えたのではないかと考える人が多いかもしれないが、新型コロナにかかる医療とは比較にならないほど、人々の受診行動に大きな変化が生じ、この1年を通じた医療費は大幅に減少している。その状況については、厚生労働省保険局調査課が「医療費の動向 - メディアス」として毎月公表しており、社会保障審議会医療保険部会でも適宜報告されている。

1960年代に国民皆保険制度が創設され、高齢化とともにわが国の医療費は着実に増加してきた。新型コロナの影響を受ける前の2019年度の国民医療費の見込みは44.4兆円となっており、GDPの8%程度を占める。過去に医療費が前年を下回ったのは4回(注1)あり、その最も減少幅が大きかったのは2000年度で▲1.8%、約6,000億円であるが、これは介護保険制度の創設により、一部の給付が医療保険から介護保険に移ったことによる(図1)。今回の新型コロナによる医療費の減は、公表されている4~12月分の累計ですでに1.3兆円に達しており、医療保険制度創設以来の減少幅になることが確実である。

ここでは、メディアス(注2)で公表されているデータを中心に、その状況を具体的に見ておきたい。

図1
図1 国民医療費の推移
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図2
図2 概算医療費の伸び率(対前年同月比)

概算医療費は、対前年同月比で4月▲8.8%、5月▲11.9%と最初の緊急事態宣言の時に大幅に減少した後は、そのマイナス幅は小さくなっているが、12月においても▲1.9%となっている(図2)。医療費は、高齢化や高度化の影響で制度改正等の影響がない場合はおおむね+2%台で伸びる傾向にあることからすると、依然として新型コロナによる影響は続いている。

メディアスは社会保険診療報酬支払基金と国民健康保険中央会から入手したレセプトデータを集計したものであるが、その医療費は、受診の頻度を表す「受診延日数」と医療の密度を表す「1日あたり医療費」に分けることができる。最も減少幅の大きかった5月について入院・入院外別にみると、入院は医療費が▲10.1%に対して、受診延日数は▲8.8%、1日あたり医療費は▲1.4%、入院外は医療費が▲15.4%に対して、受診延日数は▲21.2%、1日あたり医療費は+7.3%となっている(図3)。一般に、受診の頻度が落ちれば、医療の密度は高くなるため、入院外の医療費のような状況になることが想定されるが、入院に関しては、新規の患者を受け入れず、先延ばしできる手術等を延期した結果として受診延日数の減に加えて、1日あたり医療費も減少している。ただし、これほど顕著な変化が出たのはこの時だけであり、その後は、入院の1日あたり医療費はプラスの伸び率に戻ってきている。2020年夏以降は、少しずつ医療機関における通常の手術等も戻ってきていると推察される。

図3
図3 入院の伸び率/入院外の伸び率/未就学者の伸び率(対前年同月比)

受診動向の変化は年齢によっても大きく異なっている。特に未就学児の受療行動の変化が大きく、4月▲32.5%、5月▲34.2%と大幅に減った後、12月になっても▲13.9%と引き続き減少傾向が続いている(図3)。これにより、未就学者を主な患者とする小児科や耳鼻咽喉科の医療費も大幅に減っている。この変化については、単に新型コロナへの感染を恐れて受診しなかっただけでなく、マスクの着用や手洗い・うがいの徹底など生活様式の変化により、通常なら子どもに流行する病気が減少していることが考えられる。実際、感染症サーベイランスの定点あたり報告数から推計したインフルエンザの推計受診者数をみると、例年並みの流行で1,000万人程度となるところが、2020から2021年の期間では1.4万人と観測史来の少なさとなっている(注3)。

図4
図4 入院外 疾病分類別医療費の伸び率
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メディアスでは、現状は電子化されていない紙のレセプトも含めた総計で集計されているが、電子化が進む中で電子レセプトのみのより詳細な集計が2020年秋から示されている。これによると疾患別の医療費の動向をみることができ、「呼吸器系の疾患」が顕著に減少傾向にあり、4月は▲38.1%、5月は▲46.6%で、12月においても▲36.5%で推移している(図4)。新型コロナの流行後、一定の時間が経過しても全体の医療費の水準が戻ってこない主な要因として、この「呼吸器系の疾患」の減少が続いていることが挙げられる。

人口動態統計によると、2020年の死亡者数についても11年ぶりに前年に比べ約9,000人を下回り、その死因別の状況でも「呼吸器系の疾患」を死因とする死亡が減少している。高齢化の進行により亡くなる年齢層の人口が増えることで死亡者数は2万人程度増加するところが、減少に転じたということで2020年の平均寿命は大幅に延伸することが見込まれる。国内の新型コロナによる死亡者数が1万人を超え、それを思うと悲痛な思いになるが、他国では数十万人規模の超過死亡(感染症による死亡だけでなく、他疾患を含めたすべての死亡数が平年に比べて増減したか示す指標)が確認されている国があること(注4)に比べると、わが国の寿命への影響は逆方向になっている。

メディアスでは、その他、都道府県別の状況や歯科、調剤の状況などさまざまなデータが開示され、医療費の動向がHPで詳細を見ることができる(注5)。今後、ワクチンの普及とともに人々の行動が元に戻り、医療の受診動向も本来の姿に戻ることが想定されるが、その際にも一時的な変動として戻る医療と新型コロナの影響を受けた生活様式の変化などにより戻らない医療があると考えられる。ここで紹介した詳細なデータを継続的に分析することで、その動向や背景を解明していくことが重要と考える。

※本稿のうち意見にわたる部分は筆者の個人的見解である。

脚注
  1. ^ 2000年度以外では、2002年度▲0.5%、2006年度▲0.0%、2016年度▲0.5%(国民医療費の対前年度比)
  2. ^ メディアスの医療費は、速報性を重要視し、労災・全額自費等の医療費を含まないため、「概算医療費」と呼称している。国民医療費の約98%に相当する。
  3. ^ 「インフルエンザの発生状況について」(厚生労働省、R3.3.12)による。(https://www.mhlw.go.jp/content/000752481.pdf
  4. ^ 超過死亡の分析はいくつかあるが、ここではマックス・プランク人口研究所とUC Berkeleyの共同プロジェクトによるデータベース"The Human Mortality Database"(https://www.mortality.org/)参照
  5. ^ http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryouhoken/database/zenpan/iryou_doukou_b.html

2021年5月19日掲載

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