米国産牛肉の輸入再開とWTO・SPS協定上の争点

平 覚 ファカルティフェロー

新たな攻防戦のシナリオ

厚生労働省および農林水産省は、昨年12月8日の食品安全委員会の答申を踏まえ、同月12日に米国産およびカナダ産牛肉の輸入再開を決定した。米国産牛肉については、2003年12月26日に米国内でBSEの発症例が確認されて以来発動されてきた輸入禁止措置を2年ぶりに解除するものである(この経緯については、拙稿「BSE」法学教室301号(2005年10月)参照)。食品安全委員会の答申によれば、1)全月齢からの脳、脊髄等の特定危険部位の除去、2)20カ月齢以下と証明される牛由来の牛肉とすることなどの輸入条件が遵守されれば、国産牛肉と米国産およびカナダ産牛肉とのBSEリスクの差は非常に小さいとされ、両省はこれらの輸入条件について米国およびカナダと合意した。

しかしながら、全面的な輸入禁止が解除されたことでWTO協定の1つであるSPS協定(衛生植物検疫措置の適用に関する協定)上の争点が払拭されたというわけではない。そのことは米国側の次のような態度に表れている。すなわち、日本側の決定を受けて12日に記者会見を行ったジョハンズ農務長官は、「20カ月齢以下」という輸入条件は出発点であり、今後30カ月齢以下という国際基準の採用に向けて交渉を継続すると発言し、また、シーファー駐日米大使も、「世界の基準は生後30カ月以下であり、ゆくゆくは世界の基準に合わせていただきたい」と発言したと報道されている。これらの発言は、今後日本側が国際基準よりも厳しい輸入条件を維持しようとすればSPS協定上の正当化が必要となることを示唆している。このような状況に鑑み、本稿ではSPS協定上の争点をめぐる新たな攻防戦のシナリオを考えてみよう。

国際基準よりも厳格な措置を導入するWTO加盟国の権利

SPS 協定3.1条は、WTO加盟国間のSPS措置の国際的調和を目指して国際基準の採用を奨励し、とくに3.2条は、国際基準に適合するSPS措置についてSPS協定およびGATT1994との適合性を推定することを規定している。しかし、3.3条は、科学的に正当な理由がある場合または5条の関連規定に従い適切な危険性評価により自国の適切な保護水準を決定する場合に、国際基準よりもより厳格なSPS措置を導入する加盟国の権利を承認している。とりわけ5.1条は科学的証拠に基づく危険性評価を要求し、WTOの判例によれば、3.3条の下での加盟国の権利も同様の要件に服すると解されている(ECホルモン牛肉事件上級委員会報告para. 177)。

BSEに関するSPS措置の国際基準としては、国際獣疫事務局(OIE)作成の陸生動物衛生規約が存在するが、同2005年版は、30カ月齢以下の牛由来の一定の骨なし牛肉を、いかなる輸入条件も課すべきではない無条件物品と規定しており、米国の主張する国際基準はこれを指すものと推定される。日本の20カ月齢以下という輸入条件は、21カ月齢と23カ月齢の若齢牛でBSE発症例が発見されたことを根拠としているとされるが、米国からはこれらの2症例が国際的な科学者間でいまだBSEと確定されていないと指摘されている。仮に米国がWTOの紛争解決手続に訴えた場合に、日本がこの輸入条件は上述の3.3条の下での正当化要件を充足するものであることを立証できるかが問題となるであろう。とりわけ科学的証拠については客観的な証明力が要求されることが、火傷病の防疫措置が問題とされた日本りんご事件の勧告実施審査パネルによって指摘された点にも留意する必要がある(同審査パネル報告書para. 8.146)。

予防措置の援用要件

他方で、日本が上述の2症例については検証途上にあり、20カ月齢以下の基準について十分な科学的証拠を提出できない場合でも、SPS協定はそのような基準を暫定的に予防措置として正当化する余地を残している。いわゆる予防原則を具体化するものとして知られるSPS協定5.7条は、「関連する科学的証拠が不十分な場合に」SPS措置を暫定的措置として発動することを許容している。ただし、「関連する科学的証拠が不十分な場合」とは、入手可能な科学的証拠が上述の 5.1条の下で要求されるような適切な危険性評価の実施を量的にも質的にも許容しない場合と解釈されている(日本りんご事件上級委員会報告para. 178)。5.7条はさらに、危険性評価に必要な追加情報の収集努力と適当な期間内の措置の再検討を追加的な援用要件としており、この規定の援用要件を充足することは必ずしも容易ではない。

終わりに

昨年末の12月29日、香港は30カ月齢未満の米国産牛肉の輸入再開を認めた。韓国も近々輸入再開について米国との交渉を行うと報道されている。仮に日本以外の多くの輸入国が国際基準に従い米国産牛肉の輸入再開を認めるとすると日本に対する政治的圧力はより一層高まるであろう。他方で、日本国内での「食の安全」に対する関心もまた高まっている。日本政府として内外の相反する圧力に耐えうる唯一の方策は、SPS協定が要求するように、科学的証拠に基づき内外に向けて十分な説明責任を果たすことであろう。

2006年1月10日

2006年1月10日掲載

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