人民元切り上げと中国為替制度改革

小川 英治
ファカルティフェロー

2005年7月21日に中国政府が人民元を対ドル為替相場で2%切り上げた。この人民元切り上げとともに、中国政府は従来より採用していた、人民元をドルに固定するというドル・ペッグ制度から、複数通貨から構成される通貨バスケットを参照にしながら為替相場政策を行うという「緩やかな」通貨バスケット制度へ移行することも発表した。通貨バスケットの構成については、貿易、資本取引(対外債権債務)、直接投資などを考慮に入れて、ドルとユーロと円と韓国ウォンの4通貨を中心とすることが中国人民銀行総裁によって明らかにされている。また、人民元の対ドル為替相場の許容変動幅が基準相場の上下0.3%に設定された、きわめて狭い為替バンド制度を採用している。このように、今回の人民元切り上げは切り上げ幅こそ2%と小さいが、中国の為替相場制度改革を伴っている点では、重要な政策決定である。

為替制度改革にはどのような意義があるのか

中国の為替制度改革はどのような意義を持つのだろうか。弾力的な為替相場制度、特に通貨バスケットを参照にした為替バンド制度に変更されると、自由な資本移動の下でドル・ペッグ制度を続けたならば制限される金融政策の独自の運営に対して、通貨当局はある程度の自由度を確保することができる。中国では、近い将来に資本移動自由化を進める一方、北京オリンピック開催前の景気過熱とその後の景気後退の対応など国内金融政策運営の重要性が一層増してくることを考慮すると、このような形での為替相場制度の一層の弾力化が必要である。

また、今回の中国の為替制度改革と同時にマレーシアもドル・ペッグ制度から通貨バスケット制度へ移行したことは、いかにマレーシア政府が中国の為替相場政策の影響を受けていたかの証左である。このように中国の為替相場政策は東アジアの近隣諸国に影響を及ぼし、そして、為替相場政策における協調ができない(「協調の失敗」)ために東アジア諸国全体がドルに重きを置き過ぎた為替相場政策を採用する傾向にあった。中国が為替相場制度を弾力化すれば、ある程度は協調の失敗の状況は緩和されるであろう。人民元が東アジア通貨の中で過小評価されている通貨の1つであることは、RIETIウェブサイト「アジア通貨単位(AMU)と東アジア通貨のAMU乖離指標」を見れば一目瞭然である。

それでは、実際に、7月21日以降、中国の為替相場政策に変化が見られたのだろうか。人民元の対ドル為替相場を見れば、切り上げ直後の水準である8.11人民元/ドルの近辺で若干の変動をしながらほぼ水平に推移している。切り上げ以前には為替相場はまったく変動していなかったことに比べると、8.11人民元/ドルから8.09人民元/ドルへ若干の変動が見られるものの切り上げ直後の水準から大きく離れていく動きはまだ見られない。

為替政策の参照とされている通貨バスケットの構成について、もし貿易の面から通貨バスケットが採用されるならば、中国の貿易相手国別のシェアを見るとよい。中国の貿易相手国とその貿易量(輸出+輸入)の構成比率(2004年)を見ると、アメリカ14.7%、日本14.5%、EU15.4%、韓国7.8%、残りが日本・韓国を除く東アジア諸国を含めて、その他の諸国である。仮にその他をドルに加えて計算したとしても、通貨バスケットの構成は、おおよそ米ドル62%、円15%、ユーロ15%、韓国ウォン8%というウエイトとなるはずである。

中国はドル・ペッグの呪縛から解き放たれるべきである

図1は、伊藤隆敏ファカルティフェロー研究プロジェクト『アジアの最適為替制度』の下で坂根みちると筆者が計算した人民元と米ドルの相関の推移(2005年9月2日まで)を示している。その計算に当たっては、為替相場の日次データを利用して、回帰係数の時間的推移を明示するためにカルマンフィルター法によって人民元をドルと円とユーロと韓国ウォンの4通貨で回帰した上で、ドルの係数の推計値の推移を図にした。また、実線は推定値を表し、点線は推定値に上下2×標準偏差(おおよそ95%の信頼区間に相当する)を加えた値を表す。図1より明らかなように、中国の通貨切り上げと為替相場制度改革の前後で、人民元と米ドルとの相関が統計的に有意に低下した。相関は100%から90%強にまで低下した。この推移は確かに統計的には有意な変化が発生しているように見えるが、相関の100%から90%強への低下が経済学的に意味のある変化とはいえない。データ分析を行った結果、中国政府が発表したこととは異なり、現在のところまでは通貨当局が通貨バスケットを参照にして、為替相場政策を行っていなかったというのが事実である。

このように、中国の為替相場制度改革はまさに始まったばかりである。中国政府は、為替リスク管理手段(先物取引など)を提供するために資本規制を緩和しつつ、真の意味で通貨バスケットを参照しながら為替相場政策を運営していくことを通じて、ドル・ペッグの呪縛から解かれる必要がある。

図1 中国人民元と米ドルとの相関の推移
図1 中国人民元と米ドルとの相関の推移
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注)実線は推定値を表し、点線は推定値に上下2×標準偏差を加えた値を表す。
出所:Ogawa, Eiji and Michiru Sakane, “The Chinese Yuan after the Chinese Exchange Rate System Reform” mimeo, September 4, 2005.
2005年9月25日

2005年9月20日掲載

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