二国間貿易紛争を巡る日本の通商政策の行方
- 「米国1916年法に関する損害回復法」成立を契機に考える

小林 大和
コンサルティングフェロー

11月30日、「アメリカ合衆国の千九百十六年の反不当廉売法に基づき生じた利益の返還等に関する特別措置法」(以下「米国1916年法に関する損害回復法」若しくは「損害回復法」)という法律が国会で成立した。法律名からその内容を予想することが一般には困難と思われるこの法律は、ある意味予想された通り、世間の耳目をそれほど集めはしなかったが、二国間の貿易紛争に関する日本の通商政策の歴史の中で、この法律が成立したことの意義は小さくないと考える。

「米国1916年法に関する損害回復法」の立法の背景

まず、立法の背景について簡単に紹介しておこう。
米国の1916年アンチ・ダンピング法(以下「1916年法」)は、米国内産業に損害を与える意図等を持って何らかの商品をダンピング輸入(生産国での市場価格よりも実質的に低い価格での輸入)した者に対して罰金や禁錮を科し、被害者に被害額の3倍の損害賠償を認める法律である。WTO協定上、ダンピングに対しては国家によるダンピング防止税の賦課および価格約束のみが認められ、私人間の賠償義務を定めることは認められていないことなどを理由に、日本およびECはこれをWTO協定違反として提訴した。結果、WTOは、日本・ECの主張を支持して同法を協定違反と認定し、2000年9月には、同法を廃止若しくはWTO整合的に修正するよう米国に対して勧告を行った。1

しかし、同法の廃止は米国議会で支持されず、上記勧告は履行されないままであった。いわば米国の身勝手で、1916年法はWTO違反の状態のまま、同国内の国内法としては有効なものとして放置されていたのである。そうした中、2003年12月に米国のゴス社という新聞輪転機メーカーが、東京機械製作所という日本の新聞輪転機メーカーを、1916年法に基づきアイオワ州の連邦地方裁判所に提訴し、同連邦地裁が東京機械製作所に3500万ドル以上(約40億円相当)の損害賠償を命じるという問題が発生した。東京機械製作所は連邦高裁に控訴し、現在審理中であるが、控訴審でも地裁の判断が支持される可能性は否定できない。

「1916年法に関する損害回復法」は、こうした状況に対応し、1916年法に基づく訴訟から日本企業を保護するための法律である。具体的には、( i )仮に米国の裁判所で日本企業に対する損害賠償請求が認められた場合でも、日本の裁判所は当該米国裁判所の判決を承認せず日本国内での執行を拒絶する旨規定し、かつ、( ii )米国内での執行などにより日本企業が被る損害については、提訴企業若しくはその完全子会社並びに親会社に対して、利益の返還および損害賠償を請求することができる旨を規定している。2

通商法の世界では「対抗立法」と呼ばれるこのような立法は、世界的にも先行例は少なく、日本にとっては全く初めての経験である。そうした特殊な立法を日本が行ったという事実は、日米間の貿易紛争を巡る歴史の中にどのように位置づけられるであろうか。

日本の「攻撃的法律主義」と米国の履行問題

戦後の日米間の貿易紛争は、1960年代の繊維に始まり、70年代の鉄鋼、カラーテレビ、80年代に入っては自動車や半導体と、日本の産業構造の高度化と歩みを同じくして発生した。この時代の通商政策の政策理念は、次の一節に良く現れている。

「我が国としては、特定商品の輸出が特定市場に対して拡大することによって相手国産業の雇用問題を惹起するがごとき事態を避けて、節度ある輸出を行わねばならない。あわせて、より中・長期的には、輸出市場の分散化と製品輸入を推進し、摩擦が起こりにくい貿易構造を形成することが必要である。」(1977年版「通商白書」)

摩擦の最小化を目的とする「節度」重視の通商政策は、しかしながら、80年代後半から90年代前半に至って大きな転機を迎える。貿易紛争の対象が個別産業からマクロおよび日本市場の構造問題にも拡大するとともに、米国が日本市場の取引慣行等まで含めて「不公正」と断定し、301条のような一方的かつ結果志向型の強硬な通商政策を採用するようになると、日本の通商政策は、より理念的な議論、つまり何が公正で何が不公正かという価値判断の議論に正面から向き合うことになる。

GATTからWTOへという多国間貿易体制強化の流れと相俟って、ここに、「ルール志向型の通商政策」という政策理念が生まれる。今でこそ当たり前のように世に広く受け容れられているが、WTO協定その他の国際ルールに合致するものは公正、違反するものは不公正、WTO協定整合性の最終判断はWTOの紛争解決手続によって客観中立的に行われるべき、という考え方は、二国間の政治的な妥協点の探り合いを中心としたそれまでのルール・オブ・ゲームを大きく変えるものであった。

この政策理念を1つの重要な拠り所として、90年代において自動車、フィルム、半導体と日本が日米交渉を成功裡に進めていったことはご案内のとおりである。こうした成功体験を背景に、その後も日本は、守りと攻めの両面でWTOルール遵守の重要性を前面に押し出しつつ、二国間貿易紛争の解決手段としてWTOの紛争解決手続を積極的に活用することになる。特に日米間の個別紛争という意味では、攻めと守りが逆転し、日本が米国を提訴する案件が増加した。こうした日本の姿勢は、米国の「攻撃的一方的主義」(aggressive unilateralism)をもじり、ポジティブな評価を込めて「攻撃的法律主義」(aggressive legalism)という名前が与えられるほどであった。3

しかし、現実主義的な国際政治の世界では、WTO協定といえども所詮は最終的な強制力を持たない国際ルールの1つに過ぎないという面もある。果たして、日本の「攻撃的法律主義」は、米国の履行問題という課題に直面する。日本が米国の貿易措置をWTOに提訴し、結果として米国が当該措置を是正する義務を負ったとしても、米国がその義務を定められた期間内に履行しないという問題が複数発生したのである。4

履行問題の新展開と国際経済ルール活用拡大への期待

米国が履行義務を果たせない主たる理由の1つに、議会の問題がある。違反措置が行政措置であったとしても、行政府は議会との関係を一切無視することはできないし、ましてや米国内法そのものがWTO協定違反である場合、議会において当該法律の廃止法が成立しなければならないが、その説得に行政府がしばしば失敗するのである。

しかし、それはあくまで米国内の問題であって、そうした未履行の状態を放置することは、履行によって保護されるべき日本の経済的利益が保護されないという直接的な問題を超えて、中長期的により深刻な問題を惹起する。すなわち、WTO紛争解決手続を活用し協定違反措置の是正勧告を勝ち得たとしても、履行という肝心の成果が得られるかどうか不確実であるということになれば、WTO紛争解決手続の活用について日本企業の関心と支持を集められず、通商政策の“クライアント”の空洞化を招くおそれがある。

かくして日本の通商政策は、「問題があればWTO提訴も辞さない」という段階から、「未履行に対しては更なるアクションも辞さない」という段階へと歩を進めつつある。この先鞭を付けたのが昨年の米国鉄鋼セーフガード(緊急輸入制限)措置問題であり、日本はWTO協定違反が確定した米国措置の早期撤廃を求めて、初めて対抗措置(対米輸入に対する関税引き上げ)の発動準備に踏み切った。また、今年の11月には、米国のバード修正条項という未履行案件に対する対抗措置発動をWTOに申請した。そして、今回の1916年法に対する対抗手段としての損害回復法も、そうした「更なるアクション」という流れの中の大きな一歩なのである。

損害回復法は、間接的には1916年法に基づく新たな訴訟を防ぐという目的もあったとはいえ、直接的には新聞輪転機メーカー1社の保護を狙いとした法律であり、その限りでは世間の注目を大きく集めるものではないともいよう。しかし、逆に、たった1社であろうとも、WTO反措置から保護するためには立法措置まで含めて最大限の努力をする、という政府の姿勢を示したことの意義は小さくない。5

なお、日本のこうした取り組みが功を奏し、米国議会でも1916年法の廃止条項を含む法案が成立し、12月3日の大統領署名により発行した。同法律には、現に裁判所に係属している事案に対しては廃止の効力が及ばないとの規定が設けられているという問題はあるものの、これにより1916年法は一応廃止されたことになる。こうした成功事例の積み重ねが、日本の国際経済ルール活用の拡大に繋がっていくことが大いに期待される。

韓国や中国との貿易紛争にどう臨むか

勿論、既に述べたとおり、貿易紛争は国家間の政治的問題でもあるから、ルールの解釈と適用を司法的に進めれば物事が全てシンプルに解決するわけではなく、WTOの過度の司法化については問題点も数多く指摘されているところである。ここに通商政策が「政策」である所以があり、政策担当者には常に高度な政策的判断が求められる。逆に言えば、米国との関係で原則論を貫けるのも、今の二国間の政治経済関係がそうした問題解決を許容できる状態にあるからである。そうした点も踏まえ、最後に、二国間貿易紛争に関する日本の通商政策が今後どのような方向に向かうかという点について簡単に私見を述べて、本稿を終わりとしたい。

さまざまな見方が可能であり異論もあろうが、筆者は、日本を取り巻く国際経済環境の変化を見通せば、今後遠からず、日本が直面する貿易紛争の相手国は米国一辺倒ではなく中国や韓国にシフトするのではないか、そして、中国や韓国との間では、日本が攻勢に出るのみならず、やがては日本が守勢に回ることも増えるのではないかと考えている。しかも、これらの国との貿易紛争は、いわゆるハイテク産業や農業といったセンシティビティの高い分野で生じる可能性が高いだろう。既にその兆候は見られる。韓国との間では既に、プラズマパネルやフラッシュメモリーなどを巡る知財係争が急増している。また、海苔の問題を巡り、韓国からは初めて、日本がWTO提訴されるという事態も発生している。中国からのネギやシイタケなどの輸入急増にする日本のセーフガード措置に関し、日中間のテンションが高まったことも記憶に新しい。

こうした変化は、日本の近年の通商政策のあり方(攻撃的法律主義)に変質を迫る可能性がある。そうした変質を回避しようとすれば、政府には大きく2つの面で相応の努力が求められよう。

第一に、日本国内の政策環境が保護主義的にならないようにしなければならない。国際競争が一層激化し、日本が更なる追い上げを受けた時に、日本国内で保護主義圧力が高まり、日本の「攻撃的法律主義」が内側から瓦解する可能性も完全には否定できないだろう。6そうした事態を避けるためには、成功事例の積み上げを通じて国際ルール遵守の重要性について国内の理解を得ていくことが重要である。また、ルールを遵守することが日本の国益に適うように、WTO協定そのものを改善・強化していくことも引き続き求められる。

なお、米国の履行問題の根源に行政府と議会との関係があることは先に述べたが、日本ではこれまで、通商政策に対する政治の関与は農業を除いて比較的小さかった。損害回復法の立法によって立法府の積極的関与という“パンドラの箱”が開いた、と言うのは流石に言い過ぎであろうが、いずれにせよ、行政当局と政治との関係は以前より密接かつ複雑になる可能性がある。この関係をどう構築していくかは1つのカギとなろう。

第二に、個別の貿易紛争を過度に政治化させることなく、外交上の問題とは極力切り離し、ルールに従って冷静な解決を図っていくためにも、それに耐えるだけの成熟した二国間関係を構築していくことが必要不可欠である。

特に、「政冷経熱」ともいわれる日中関係は、今後増加するであろう貿易紛争に冷静に対応していくには明らかに脆弱ではなかろうか。“政冷”が“経熱”にも悪影響を与える可能性はしばしば指摘されている通りであり、東アジア政治経済統合のプロセスが、この観点からも極めて重要な意味を持つことはいうまでもない。

2004年12月14日
脚注
  1. 上級委員会報告 WT/DS136/AB/R, WT/DS162/AB/R, 28 August 2000
  2. この立法については、民法の不当利得や不法行為との関係や、国際裁判管轄の問題、更には、WTO協定との関係など、法的論点は多岐に渡る。詳細は、廣瀬孝「米国1916年AD法に関する損害回復法の解説」(国際商事法務vol.32 No.12~vol.33 No.1)を参照されたい。
  3. Pekkanen, Saadia M., Aggressive Legalism: The Rules of the WTO and Japanユs Emerging Trade Strategy, The World Economy, Volume 24, No.5 (2001), 707-737.
  4. たとえば、熱延鋼板ダンピング防止税、バード修正条項など。なお、ECも同様に複数の対米案件(大西洋横断案件(Transatlantic Issues)と言われる)で履行問題を経験している。履行問題の全体像については、経済産業研究所でも研究が進んでいる。成果については、川瀬剛志・荒木一郎編著、『WTO協定上の義務の履行―紛争解決手続運用の経験が示唆するもの(仮)』(三省堂)(2005年夏刊行予定)を参照されたい。
  5. 11月23日には、1916年法に基づき新たに日本企業5社が提訴されたようである。同法が廃止される直前の“駆け込み”提訴と見られる。
  6. 日米間の問題ではあるが、農業分野では日本の「履行問題」が既に生じている。りんご火傷病に関する日本の検疫措置について米国が日本をWTO提訴した案件では、日本にWTOから是正勧告が下されたが、米国は日本側の履行が不十分であるとし、未だ係争中である。

2004年12月14日掲載