WTO農業交渉-5つのミステリー

山下 一仁
上席研究員

5月のOECD閣僚理事会後、WTO交渉、その中でも最も争点となっている農業交渉が動き出した。7月には大枠の合意を行うこととなっている。ウルグアイ・ラウンドを経験した私であるが、今の状況については理解できない点がいくつかある。外国の動きではない。ほかならぬ日本の動きについてである。

ミステリー1:輸出補助金

農業交渉の新たな展開をうけて5月末に日本政府が農業交渉に関する対応方針を発表した際、ある有力紙は、輸出補助金の撤廃を主張することで交渉の「攻め」の材料とすると大きく見出しで取り上げた。第1のミステリーは、日本がこれで誰を「攻め」ようとしているかに関するものである。

輸出補助金を一切出していない日本は、ウルグアイ・ラウンド交渉で、最も貿易歪曲的な措置である輸出補助金は撤廃すべしと明確に主張した。しかし、今回の交渉では輸出補助金供与国であるEUとの連携を重視して日本は輸出補助金について撤廃ではなく削減と言い続けてきた。一方、ウルグアイ・ラウンド交渉でコメについて関税化の特例措置を要求したため、最初から関税化した場合国内消費量の5%ですむコメのアクセス(関税割当として低い関税で輸入を認めるもの)が7.2%となってしまったので、日本はこれを5%に戻すことを交渉上最も重要なものとして主張してきた。しかし、EUは後に述べるように自らは5%のアクセスすら設定していないにもかかわらず、日本の主張は自由化に逆行するものであるとして支持しようとはしなかった。このように日本とEUの連携は、日本はEUを支持するがEUは日本を支持しないという一方的、不平等、片務的なものであった。今回日本が輸出補助金撤廃を主張することとなったことは評価できる。

昨年9月のカンクン閣僚会議は、EUの輸出補助金について撤廃すべきだとする途上国と削減しか応じられないとするEUが対立したこと等により決裂した。しかし、5月にEUが輸出補助金を撤廃してもよいと態度を変更したため、交渉の焦点は輸出補助金などの補助金から関税をどのように下げるかという市場アクセスに移っている。世界の輸出補助金のほとんど全てを出しているEUがこれを撤廃するといったため、輸出補助金についての戦いは既に終わっている。

今回日本が輸出補助金撤廃を主張することとなったことを「攻め」であるとすれば、EUが戦いを止めた後に日本は誰を「攻め」ようとするのだろうか。途上国からすれば、戦争が終わった後に戦勝国側に寝返っただけと写りはしないだろうか。

ミステリー2:上限関税率

主戦場が市場アクセスに移ったにもかかわらず、我が国は依然として一定以上の関税は認めないという上限関税の導入に反対している。これが第2のミステリーである。上限関税の導入は昨年8月13日にアメリカとEUとの間で合意され、カンクン・WTO閣僚会議議長ペーパーにも盛り込まれたものである。具体的な数字は今後交渉される予定であるが、上限関税率は今のEUの最高関税率200%を超える事はありえず、アメリカの現行関税率、EUの改革状況から100~150%と考えられる。490%のコメの関税率等をそこまで下げると日本農業は壊滅する。このため、昨年8月末「諸外国の直接支払いも視野に入れて」食料・農業・農村基本計画を見直すという農林水産大臣談話が出された。

我が国とEUは多面的機能という主張では一致していても、日本は関税、EUは直接支払いと、交渉上得ようとする政策が異なっていたため、WTO交渉での連携は失敗した。価格は市場に任せ農家所得は財政による直接支払いで保証することにより、国内価格を引き下げ関税への依存度を低下させてきているEUの農政は日本よりアメリカに近い。アメリカと(日本と連携していたはずの)EUが日本を外し、日本のコメのような高関税は認めないという上限関税の導入を合意したのも理由のないことではない。しかし、今や直接支払いを導入すると大臣が発言したのに、日本はなぜ上限関税に反対しつづけるのだろうか。日本が重点的に主張すべきものは、日本農業の国際競争力強化を図るためにどのようなタイプの直接支払いが必要かを検討した上で、それがWTO上問題なく実施できるようにすることではないのだろうか。

輸出補助金について利害関係にないにもかかわらず撤廃に反対といい続け、市場アクセス、特に関税引き下げについても後ろ向きのポジションをとり続けたため、ウルグアイ・ラウンド当時においては日本、アメリカ、EU、オーストラリアの4カ国が農業交渉のコア・グループであったのに、今では日本が外され、替わりにインド、ブラジルがコア・グループに入っている。6月13日にはこれら5カ国にWTO農業交渉グループ議長が加わり実質的な事項を議論することとなったが、日本は蚊帳の外に置かれている。日本が交渉ポジションを変えない場合、交渉の重要な局面にますます関与できなくなるのではないかと心配である。

ミステリー3:関税割当(アクセス)

「対応方針」では日本はアクセスの一律拡大に反対している。EU、アメリカに比べて高いアクセスを誇る日本がどうしてそれを交渉上の強みに転じられないのか。これが第3のミステリーである。ウルグアイ・ラウンドでは基準年である1986~88年当時の輸入量が消費量の5%に満たない時は5%を、それを超える品目については当時の実輸入量をアクセス数量として設定することとされた。日本はコメ以外の輸入制限品目については消費量の5%を超えるアクセスを提供していたことから、1986~88年当時のアクセス数量を約束した。日本の特徴はアクセス数量の大きさにある。麦については消費量の9割にもおよぶアクセスを設定している。このため、20%の拡大でも我が国にとっては大きな影響が生じることとなる。特に、麦については消費量のすべてを輸入せざるをえなくなり、国内生産は不可能となる。新基本法に基づき自給率を40%から45%にするという目標を掲げているが、自給率向上に貢献できる作物としては、麦、大豆、飼料作物等限られた作物しか期待できない。しかも、自給率を1%上げるために麦生産は1999年の58万トンから100万トンへと1.7倍に拡大する必要がある。麦生産がゼロになるということは自給率が逆に1%低下することになり、基本法に基づく自給率向上目標の達成は不可能になる。

アクセス水準について我が国と対称的なのがアメリカ、EUである。アメリカの主要関税化品目の消費量に対するアクセス水準は牛肉5.6%、乳製品5.0%、落花生5.0%、砂糖14.3%、綿花5.0%と低い水準にある。日本と違い、5%が20%拡大しても6%になるだけである。

EUについては、もっとアクセス水準が低い。ミニマム・アクセス品目についても、国内消費量の5%ではなく、それから基準年(1986~88年)の輸入量を差し引いた量でしか約束していない(さらに、食肉セクター等の品目のくくりによる恣意的な豚肉等のタリフ・ラインへの配分も行われている)。この結果ウルグアイ・ラウンド合意では、たとえば牛肉については基準年の消費量の5%として設定すべき37万トンに対し16万トン、チーズについては、同21万トンに対し12万トン、小麦については同296万トンに対し30万トンの割当て(2002年関税を引き上げる代わりに298万トンに修正した)にとどまっている。豚肉にいたっては、アクセス水準は消費量の約0.4%に過ぎない。

消費量に対するアクセス水準が低いことがEUの最大の弱点である。EUのように過剰農産物を補助金付き輸出で処理している国にとって、アクセス水準も拡大され補助金付き輸出量も削減されれば、生産を縮小せざるをえなくなる。EUほどではないが、消費量に対するアクセス水準が低いことはアメリカも同様である。このため、国内消費量の10%(日本のコメのように一部品目は8%でよい)にアクセス数量を拡大するとした2003年3月のハービンソン議長案にアメリカ、EUは反対し、同8月のアメリカ・EU合意では市場アクセスについてことさら関税をプレイ・アップし、アクセス数量については目立たないよう二次的なものとした。

日本はアクセスの一律拡大に反対するという自由化に否定的なポーズを採るのではなく、ハービンソン議長案のアクセス部分を支持するという積極的な姿勢をなぜ採らないのだろうか。ほとんどのアクセスが10%を上回る我が国にとってハービンソン議長案は(コメについても)問題ではない。日本と異なりほとんどアクセスを認めていないアメリカ、EUのアクセス数量を消費量の5%以下から10%へと倍以上拡大することは先進国市場へのアクセスを求める途上国から積極的な支持が得られよう。こういう姿勢が「攻め」というのではないだろうか。また、わが身が危ない時にEUに遠慮する必要はないのではなかろうか。アメリカ、EUのアクセス水準が極めて低いという事実を我が国の交渉担当者が知らないはずはないと思うのだが。

ミステリー4:輸出税、輸出数量制限

第4のミステリーは、輸出税、輸出数量制限に対する規律という視点が今回の「対応方針」から忽然と姿を消してしまったことである。

輸出補助金により途上国に安価な食料を供給しているというのがウルグアイ・ラウンド交渉におけるEUの輸出補助金を正当化する主張であった。しかし、1995年から97年にかけて穀物の国際価格が上昇した際、EUは輸出補助金の支給を停止し、逆に域内の消費者、加工業者に国際価格よりも安価に穀物を供給するため域内農産物の輸出を禁止し、輸出業者に輸出税(高い国際価格と低い域内価格の差)を課した。国際価格が上昇し、途上国にとって食料入手が困難となる局面では、輸出税により途上国への供給を拒否したのである。輸出税についてはGATT(ガット)・WTO上何らの規律もない。しかし、これは途上国の食料安全保障を危うくする点で輸出補助金以上に問題である。

また、ウルグアイ・ラウンド交渉で輸入数量制限は関税化されたにもかかわらず、輸出数量制限は存続されており、輸入国と輸出国との権利義務の均衡が図られているとはいい難い。このため、2000年日本はウルグアイ・ラウンドの関税化と同様に全ての輸出数量制限を輸出税に置き換えたうえで、その削減を行うべきであるという提案を行った。

穀物、大豆については、先進国と中国、タイ、アルゼンチン、ブラジルを合わせた輸出量のシェアがほとんど100%近くなっており、工業化の遅れた途上国らしい途上国の輸出はごくわずかにすぎない。途上国のほとんどは満足に食料を買えない貧しい食料輸入国なのである。輸出税、輸出数量制限に対して厳しい規律を課すことは、途上国の食料安全保障につながるものとして、途上国から大きな支持を得ることができるであろう。このような提案は我が国が積極的に交渉に参加している姿勢を示すためにも効果的である。2000年の日本提案ではこれが強調された。しかし、このグローバルに通用すると思われる主張が今回の「対応方針」から消えているのはなぜなのであろうか。

ミステリー5:多面的機能

第5のミステリーは、日本がこれまでかなりの努力を傾けて主張し、国際的コンセンサスもとれるようになったはずの多面的機能に関する主張が消えてしまっていることである。

農業の多面的機能については国際的にも認知されてきており、1998年3月に採択されたOECD農業大臣会合コミュニケは、「農業活動は、食料や繊維の供給という基本的機能を越えて、景観を形成し、国土保全や再生できる自然資源の持続可能な管理、生物多様性の保全といった環境便益を提供」していると述べている。

我が国は急峻な国土に多量の雨が降るという災害の起こりやすい自然条件となっている。農林地は、農業や林業の活動を通じて、洪水の防止、水資源の涵養、土壌浸食や土砂崩壊の防止、大気の浄化等の機能を果たしている。水田でイネとムギの二毛作を行えば、光合成による酸素の生産量は熱帯雨林のそれに迫る。また、田園風景など良好な景観の提供により国民に保健休養を与えている。このような“多面的機能”は市場では取引されない外部経済である。

多面的機能を全面に打ち出した2000年の日本提案では、多面的機能は農業生産、特に生産要素と密接不可分に結びついている(たとえば、水田の保水機能による水資源の涵養や洪水防止)ことから、生産との切り離しを要求している(削減する必要のない)緑の直接支払いについての要件見直しを主張した。外部経済が生産と関連しているときは生産に対する補助を行うべきであり、この主張は経済学的にも十分な根拠を持つものである。

多面的機能の観点からの緑の要件の修正は、経済のグローバル化が環境等に及ぼす負の影響を除去すべきと主張する世界のNGOにも好感を持って迎えられるのではないだろうか。2000年の日本提案はパブリック・コメントを求めるなど国民合意プロセスを経て行われた。しかも、多面的機能に基づく主張は日本提案のコアであった(当時の担当者は国民合意プロセスの成果であると胸を張っていたし、これは優れた文書なので何度も読み返していると与党の有力議員も述べていた)。しかし、どのような国民合意プロセスが採られたのかわからないが、2002年11月に行われた日本のモダリティ提案以降、国際社会に対し十分な説得力を持つと思われるこの主張が落とされている。

これまでOECDでの検討がGATT(ガット)・WTOの交渉プロセスに反映されてきた。防御的な対応を行った過去の交渉と異なり、我が国はOECDでの検討成果をWTOの交渉プロセスに反映するという戦略的・積極的な意図をもってOECDでの多面的機能の検討を主体的に開始し、2003年に期待通りのレポートを取りまとめることができた。OECDの多面的機能レポートを交渉でフルに活用すればよいと思われるのに、多面的機能についての提案自体がいつのまにかなくなってしまっているのはなぜであろうか。

終わりに

輸出補助金の撤廃というじゃんけんの後出しや上限関税率、アクセスの一律拡大への反対という後ろ向きの姿勢ではなく、国内消費量の10%へのアクセス拡大、輸出税、輸出数量制限への規律、多面的機能の農業協定への反映といったグローバルに通用する主張を行えば、日本は途上国、環境NGOの尊敬と支持を受け再び農業交渉のコア・グループに返り咲くことができるのではないかと思うのであるがどうだろうか。

WTO交渉にはさまざまな分野があるが、ある分野で譲歩しても別の分野で何かを獲得すればよいと各国が考えることが交渉妥結の大きな要因であるといわれてきた。農業でも、市場アクセス、国内支持(補助金)、輸出競争(輸出補助金、輸出税)の3分野がある。今回日本は農業で何を獲得できるのだろうか。2000年の日本提案はもう廃棄されたのだろうか。

コメの特例措置さえ取れればよいのだろうか。しかし、コメのみ高関税を維持することはコメだけ高い国内価格を維持することに他ならず、内外価格差のある中でアクセス(関税割当)量の拡大は国内生産の縮小をもたらす。これはかつての高米価政策・生産調整政策の繰返しである。高米価政策・生産調整政策は農地の流動化による規模拡大、単位面積当たりの収量の増加による農業の生産性向上を阻むとともに、麦、大豆等の生産の減少による食料自給率の低下を招いた。この選択はたんに農産物貿易の問題にとどまらず、農業の担い手を育成し「強い農業」を目指すのか、引き続き二兼農家も含めた護送船団方式を採るのかという農政全体の選択に他ならない。対外政策と国内政策の間に齟齬があってはならない。また、ある事項について特例を要求すれば、ウルグアイ・ラウンドでのコメの特例措置のように代償を求められる。それがGATT(ガット)・WTOのルールである。コメのみ関税水準を維持しようとすれば、コメについてのアクセスの拡大、麦や乳製品等についての関税のさらなる引き下げ、アクセスのさらなる拡大等の代償を支払うことになりかねない。

また、今回の交渉は凌げても、突出した高関税は次回の交渉で再び攻撃のターゲットとなろう。ウルグアイ・ラウンド交渉で包括的関税化反対というスローガンの中でコメの特例措置を獲得したことは交渉としては成功だったかもしれないが、日本農業としては必ずしもよかったとはいえない。だから、1999年に関税化したのではないか。コメを救うことが政治的に重要かもしれないが、ウルグアイ・ラウンドでのコメの特例措置の結果どのようなことになったかを踏まえながら、冷静に議論すべきである。むしろ交渉では負けたはずの酪農産品が関税化したことにより最も有利な条件を勝ち取った。また、農業で守りの姿勢に終始することは我が国全体の交渉スタンスをも弱めかねない。日本として最も獲りたかった「投資」は既に交渉から外れてしまった。今回交渉全体として日本は何を得るのだろうか。

農業を守ることとどのような方法で守るかは別の問題である。関税の維持ではなく本格的な直接支払いこそ導入すべきであり、これによって関税引下げにも対処できる。これこそEUが採ってきた政策である。

以上は交渉の現状を把握しない素人の素朴な疑問である。かつて伊東光晴京大名誉教授が俗流エコノミストを批判しようとした際、都留重人一橋大名誉教授はプロがアマを批判するものではないとたしなめたそうである。しかし、アマがプロに質問することは非礼でもないだろう。もちろん、交渉に携わっている方々には人知れぬ苦労があるに違いない。日本農業が維持・発展できるよう、関係各位のご健闘に期待したい。

2004年6月15日

2004年6月15日掲載

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