矛盾を抱えて走り出す構造改革特区

鶴 光太郎
上席研究員

構造改革特区の議論がいよいよ本格化する。8月末までに地方公共団体から集められた提案は、今後、内閣官房で整理された上で、特区の実施に向けた方針が決定される予定である。しかし、個別の具体案はともかくも、これまで提示されている構造改革特区の理念、ポイント等そのものに、大きな矛盾が潜んでいるようにみえる。本稿では、構造改革特区で新たなビジネスが可能になり、その特区に参入しようとする企業の視点を中心に構造改革特区の持つ問題点を指摘したい。

構造改革特区の理念・ポイント

まず、構造改革特区とは何であろうか? 内閣官房の資料では、「地方公共団体等の自発的な立案により、当該地域の特性に応じて、規制の特例を導入する特定の区域を設け、当該地域での構造改革を実施する」ものと説明されている。そして、構造改革特区の期待されるべき効果としては、「特定地域における構造改革の成功事例を示すことにより、全国的な規制改革へと波及し、わが国全体の経済が活性化」する効果とともに、「地域特性が顕在化し、その特性に応じた産業の集積や新規産業の創出等により地域経済が活性化」する効果が挙げられている。また、これまでの地方振興立法と異なるポイントとして、(1)地方公共団体等による自発的提案と責任ある実施、(2)従来型の財政措置の排除、(3)地域特性等に合わせた先行実施、の3点が挙げられている。

構造改革特区の経済学的評価

このような構造改革特区は経済学的にどのように評価できるであろうか。まず、経済特区というと、途上国において、諸外国との取引等で特定の地域における制度を緩和・自由化することで貿易を促進したり、外資の導入を図るという制度が思い浮かぶ。外資の導入や貿易の自由化を全面的に行えば国内産業への打撃は大きいため、それを一部の地域に限定することでデメリットを小さくするとともに、国内産業発展の起爆剤(ビッグ・プッシュ)として使うという考え方である。しかし、今回の構造改革特区はこのような対外的な取引促進を第一に期待しているわけではない。

むしろ、今回の特区は、規制改革を全国レベルに波及させることを目的の1つとしているという意味で、市場経済移行国の改革ストラテジーとして漸進的改革(gradualism)の利点を強調した、ECARE(欧州高等経済学研究センター)のドワトリポン 、 ローランド 両教授による理論モデルにその経済学的根拠を求めることが可能かもしれない。彼らのモデルでは、改革が失敗するような不確実性と改革前の状態に差し戻すコストを考えた上で、不確実性の高い改革を実行する場合、改革を(互いに補完性のある部分に)分解することで、それぞれのやり直しコストを小さくして試行錯誤を行うことは、改革実施の敷居を低くするのと同時に、それぞれの改革の成功を積み重ねることで次の改革の成功期待を高め、全体の改革をスムーズに行う上で有利となることを示した。こうした改革方式は、ある地域に実験的に改革を導入し、それを全国的に広めていく場合にも有効である。地域に限定すればやり直しのコストは低く、また、同じ改革を行うので改革間の補完性の条件を満たしやすいと考えられる。実際に、中国の経済改革は、一部の地域の実験から全国レベルに波及させるという漸進的改革で成功したことが知られている。7月の総合規制改革会議が発表した「規制改革特区」構想の中間とりまとめでも、特区が果たす「試行的」、「実験的」役割が強調されている。

構造改革特区の政策的フィージビリティと理念の整合性への疑問

このように、構造改革特区は、一見、理論モデルにも合致し、有効な政策のように見える。しかし、実際の政策フィージビリティ(実現可能性)や整合性を考えるといくつかの問題があることがわかる。第一は、ある同じ提案をする複数の地方公共団体が現れたとき、どのような基準で特区を認める地方公共団体を選択するのかという問題点である。選択の基準として、「当該地域の固有の特性」が重視されるであろうが、認める地域と認めない地域の境界をどこに引くのかについて客観的な基準を提供することは容易でない。その境界は一応、市町村レベルと考えられているようであるが、同一都道府県内における市町村の差別化をどうするかという問題もある。また、選定基準や範囲のあいまいさは政治家を巻き込んだレント・シーキング合戦に発展することは容易に想像できる。予算要求であれば予算制約を盾に押さえ込む理屈もあるが、財政措置を伴わない政策であれば分捕り合戦は果てしなく続くことになる。そうすれば「全国レベルの規制改革はなぜだめなのか」というそもそも論にすぐ行き着いてしまうのは自明の理である。また、特区の指定に当たって、あまりにも「地域の特性」が重視されれば、もし規制改革が成功しても、「それはその地域の特殊事情によるものである」ということが強調され、むしろ規制当局には「全国レベルの規制改革にはなじまない」という口実を与えてしまうかもしれない。これでは全国的な改革の波及は期待できない。

第二の問題点は、先にみたように、特区の効果を、全国レベル波及のための実験と産業集積という2つの効果を期待している点である。なぜなら、2つの効果は両立するのが難しいと考えられるからである。たとえば、ある地域が特区に指定され、これまで禁止されていたビジネスを行うことが可能になるとし(例、カジノ)、特区に指定されなかった地域で活動する企業がこのビジネスに参入するかどうかを考えてみよう。特区のメリットを受けるためには、その企業は特区で活動するための事業所等の新たな投資が必要であるが、それは不可逆的なサンク・コストと考えられる。このような初期投資が大きい場合、企業は新たなビジネスに興味を持っていたとしても、規制緩和が特区から全国に拡大され自分の地域でも可能になるまでそのビジネスへの参入は待つ方が有利かもしれない。規制改革が全国へ波及する可能性があれば(特区が存続するかどうかの不確実性が高ければ)、企業もあわてて参入するのではなく、少し様子見をしようと思うであろう(リアル・オプション理論の応用)。つまり、特区は先行実施であり最終的な全国への波及ということが少しでも前提とされる限り、期待される第二の効果である産業集積は起こりにくいということである。一方、設置された構造改革特区が、将来にわたり長く存続し、全国への波及が難しいと企業が予想すれば、こぞって特区への参入が起こり、産業集積の面では大きな効果が期待される。産業集積から生じる外部効果が大きいと期待される場合、それが事前の企業行動に影響を与える可能性もあろうが、構造改革特区はその政策的な整合性という点で重大な問題を抱えているといえる。

今後の課題

したがって、喫緊の政策課題としては、特区で実施する構造改革の内容にかかわらず、その目標をあくまでも「先行実施」とするのか、「産業集積」に置くのかをまず決める必要がある。前者ならば、むしろ地域毎の提案ではなく、裁量や作為をなるべく廃する形で規制当局が自ら責任を持って地域を選んだ上で、全国レベルのための規制改革の実験とそのデータ収集を第一義とするべきである。また、後者を重視するならば、「特区」の範囲を限定的にするほどその集積効果は大きくなるが、その分、特区の認定を巡って政治家も巻き込んだ相当激しい陳情合戦は避けられないであろう。さらに、当研究所の関上席研究員が指摘した特区からの「退出」問題(実事求是2002年5月2日)も特区のインサイダー・既得権益者の抵抗で深刻となることが予想される。

構造改革特区の議論をみると関係者にとっていかにも都合のいいお題目が並んでいるが、彼らがその整合性やコストから目をそらしているのは明らかである。地域間で「知恵と工夫の競争による活性化」を強調するならば、そもそも地方への分権化(財政、制度面)がまず徹底されていることが基本であるはずだ。せっかくいいアイディアを出してもそれが中央政府によって査定されるならば、地方のイニシアティブはしぼまざるを得ない。中国が実践した改革の全国の波及もそもそも(改革以前の)50年代末から始まった地方分権化徹底とそれに対応した(地域毎の)自己充足型産業構造という前提条件があってこそ可能であったことを明記しておきたい。

2002年9月3日

2002年9月3日掲載

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