経済構造改革の重要課題として浮上する労働移動

児玉 俊洋 上席研究員

本年2月から政府の月例経済報告の景気判断は5か月連続で下方修正され、7月の月例経済報告では「景気は、悪化している」とされている。このように、一昨年4月を谷として始まった「緩やかな景気改善」の過程は、結局自律的回復に至ることなく短命に終わった。この過程で、労働需給のミスマッチの存在が自律的回復の重大な障害になった。すなわち、求人需要はあるのに失業率は下がらなかった。成長部門への労働移動がうまくいっていないのである。我が国経済構造改革の重要課題がここに現れている。労働移動を可能とするような人的資本形成やマッチングメカニズムの発展を促すことは、経済構造改革の本質的部分を実現するという意味においても、また、経済構造改革の痛みとして認識されている失業の増加に対する効果的な雇用のセーフティネットを構築するという意味においても、早急に対応が必要な課題である。

UV曲線の特異な形状

1999年4月を谷として2000年後半まで続いた緩やかな景気改善の過程においては、特に、2000年入りして以降、労働需給のミスマッチが顕著であった。IT関連を中心として求人需要が著しく高まり、一方、企業のリストラの進展に伴う離職者の発生も目立つようになったが、求人側が必要とする職業能力を満たす人は少なく、全体として雇用増加はわずかなものに留まった。

失業分析でよく使われるUV曲線(縦軸に失業率(unemployment rate)、横軸に欠員率(vacancy rate=雇用者数と有効求人数の合計に占める未充足求人数の割合)をとると、通常は欠員率が上がると失業率が下がり、欠員率が下がると失業率が上がる関係にある)を描いてみるとこのような特徴が顕著に現れている。下図で、1997年1月から99年4月までは通常のUV曲線のカーブが見られるが、99年4月以降は、求人需要の拡大を反映して欠員率は上昇しているのに、失業率は高止まりし、UV曲線は極めて特異な形状を示している。

UV曲線 (1997年1月~2001年5月)
出所:厚生労働省『職業安定業務統計』、総務省統計局『労働力調査』より作成。
注:1.雇用失業率(失業率として「雇用失業率」を用いている)及び欠員率の定義は以下の通り。いずれも月ベース、季節調整値。
雇用失業率=完全失業者数×100

完全失業者数+雇用者数
欠員率=有効求人数-就職件数×100

(有効求人数-就職件数)+雇用者数
2.季節調整は文部科学省統計数理研究所のWeb Decomp(http://ssnt.ism.ac.jp/inets/inets.html)による。

自律的回復シナリオを阻んだ労働需給ミスマッチ

このような労働需給のミスマッチは、政府の景気回復シナリオにとって大きな障害となった。99年4月以降の緩やかな景気改善の過程は、初期においては、公的需要や住宅減税などの政策効果の下支えがあり、次いで、ITブームと北米やアジア向けの輸出の増加などによる生産の増加に主導されたものであった。通常は、生産が増加すると所得が増加し、やがて民間内需の増加につながるという、生産→所得→支出の循環が予想できる。現に、企業部門においては企業利潤と設備投資の増加は実現した。しかし、家計部門への波及としては、企業の生産増加は求人増加をもたらしたが、雇用増加には結びつかず、このため個人消費に火がつくには至らなかった。GDP支出の過半を占める個人消費の明確な回復なくして自律的回復局面入りとは言えず、従って、「緩やかな景気の改善」は最後まで「景気の回復」とも明言できないまま、米国景気とITの変調から企業関係の指標が急速に悪化し、今年になって景気は下降局面入りしてしまった。

すなわち、労働需給のミスマッチの存在は、99年4月以降の景気回復が本格化しなかった直接的原因であった。のみならず、このミスマッチを解消しないと次の景気回復局面がやってきても再び途中で息切れすることになる。

経済構造改革の本質的部分として、また、雇用のセーフティネットとして重要な労働移動

このような労働需給のミスマッチ問題は、これまで必ずしも十分な注目を浴びていなかったが、我が国経済の構造問題としてもっと注目されていいだろう。経済構造改革の究極的な目的は、資本や労働などの経済的資源を縮小部門(効率が低い又は需要が縮小している分野)から成長部門(効率が高い又は需要が拡大している分野)に移動することを通じて経済成長率を高めることである。従って、労働需給のミスマッチを解消するための労働移動は経済構造改革の本質的部分としての重要性を持っている。

小泉内閣は、不良債権の最終処理を進めることを公約している。不良債権問題は、労働力を含む経済的資源を非効率な経済活動に束縛しているという意味で労働需給ミスマッチ問題の一因でもあり、また、我が国経済の再生のためにその解決は不可欠である。しかし、不良債権の最終処理によって非効率な経済活動から解放された労働力は自動的に成長部門に移動するわけではない。

内閣府及び民間の各種の試算が示すとおり、不良債権の最終処理を進めれば、当面は、失業者が増加することが予想される。この失業問題に対して効果的な雇用のセーフティネットを構築することが、今後高まると思われる経済構造改革への人々の不安感をやわらげるために極めて重要である。経済財政諮問会議の「骨太の方針」の肉付けをする上で優先順位の非常に高い課題であると考えられる。

そして、この不良債権処理に伴う失業は、建設、流通、サービスなど特定産業に集中して発生することが予測されている。この中で、特に、建設業については公共事業の縮小傾向とも相まって、新たな雇用機会の創出が見込まれないため他産業への転職を余儀なくされる人々が多くなると予想される。このため、雇用のセーフティネットとして、成長部門への労働移動の円滑化を図るという観点が、特に重要である。

雇用機会創出は重要。しかし、労働移動と人的資本形成はそれ以上に重要。

失業問題に対しては、まず、その受け皿となる雇用機会の創出が必要である。しかし、「景気が、悪化している」現在でさえ、求人数は高水準にある(本年5月の有効求人数は前年同月比12.1%増。前年5月が同21.6%増であったのに対して更に10%以上の増加なので相当な高水準である)。求人分野を業種で見ると、サービス業(特に、情報サービス業、医療・教育・社会福祉)、運輸・通信業などで高水準の求人が存在している。情報サービス業の従業者数の不足感は本年に入ってからもむしろ高まっている(経済産業省「特定サービス産業動態統計」)。

すなわち、雇用機会はすでに存在しているのである。従って、今重要なことは、これらの求人分野に必要とされるスキルを身につけるための効果的な教育・訓練システム、並びに、職業紹介や人材派遣を含むマッチングメカニズムの発展を促し、労働移動が円滑に行われるシステムを構築することである。

我が国では、職業能力の向上や雇用の再配置に雇用主企業が果たしてきた役割が大きい。しかし、大きな産業構造の転換と企業の新陳代謝が進む中にあって、企業内の人材教育や雇用再配置だけでは限界が生じており、公的、民間を含め、外部労働市場における人材教育やマッチング機能の効果的・効率的な発展が必要になっている。とりわけ、数次の規制緩和の効果などから近年急成長を遂げている人材派遣業や職業紹介業など民間の人材ビジネスへの期待は高い。また、大学の社会人教育機能をどのように強化するか、従来大きな役割を果たしてきた雇用主企業の人材教育への参画意欲をどのように維持するかを含め、経済社会全体として人的資本形成やマッチングメカニズムの発展を促すための課題は多い。

これらの課題への取組みを通じて、我が国の最大の資源である人的資源の構成をグローバリゼーションの中で大きく変化する産業構造の方向に適合させていくことが重要である。

最後に、以上のような問題意識に基づき、経済構造改革の推進力を高め、我が国経済成長を高めるとの位置づけから、当研究所では、樋口美雄、阿部正浩及び児玉が中心となって「労働移動、人的資本形成と経済成長」という研究に取り組んでいるところであることをご紹介しておきたい。

2001年7月24日

2001年7月24日掲載