知識国家創造のための場の提供-政策形成過程へのナレッジマネージメントの導入

泉田 裕彦
研究員

今後双方向化することも検討されている小泉内閣のメールマガジンをはじめ、ITを活用して行政などが「場」を提供し、市民、NPO、企業、学識経験者などが参加して政策形成が行われるケースが増加している。既に、電子会議室などを用い成果を出したものとしては、平成12年度に行われた東京都の産業振興ビジョン作成、藤沢市民(電子)会議室、教育改革国民会議において金子郁容慶大教授(主査)をサポートした「教育改革ラウンジ」などが挙げられる。

これらの事実は、インターネットの普及に伴い、多様な経験を有する「多数の個人」が、あまりコストをかけずに政策形成に参画し得ることを示している。一方で、政策形成へITを導入することは、方法論を誤るとデジタルディバイドを助長したり、エリートによる政治支配さえ起こしかねない。今こそ、より的確な政策形成を行うため、政策形成過程へのナレッジマネージメントの導入が求められている。

これまで、知識マネージメントは、主に企業で活用されてきた。考えてみると政策形成も、多様な利害関係を有する人(法人も含む)が、意見を出し合う「場」を共有し、知識創造を行っていることにほかならない。そこで表出された知識を用いて組織の壁を越えて行う知識マネージメントが有効な分野である。このようなITと知識管理を活用した政策形成の場を、特に「政策形成プラットフォーム」と呼ぶこととしたい。

これまでも、政策形成の際には、審議会や私的諮問機関などを通じて各方面の意見集約を行っていた。しかしながら、これらの旧来型のシステムは、(1)物理的に出席する必要があるため、会議のスケジュールにあわせて他の業務を犠牲にする必要があるなど参加のためのコストが高いこと、(2)時間が束縛されることから、参加者の出席率の低下がみられること、(3)会議時間が限られる中で、本来、発言されるべき意見がその機会を逃す可能性が相当程度あること、(4)構成メンバー数が物理的な制約から限られることから、委員が利益代表として選出されがちとなり、母体となった組織の利害を意識した発言をおこなう傾向が高まること、など各委員が有する「暗黙知」を必ずしも有効に吸収するシステムになっていなかったと考えられる(「暗黙知」とは、「人間の脳のどこかに埋め込まれてはいるが、簡単には表現できない類の知」を指す)。

一方、政策形成の場にITを導入し、時間、人数、場所などの制約を緩和すると状況は大きく変化する。それぞれの参加者個人は利益集団を必ずしも代表していない人でも、ある程度の参加者数を確保することによって、多くの経験(≒暗黙知)を活用することが可能になる。ただし、多くの人が集まるだけでは、単なる「茶飲み話」になる可能性もある。表出された知識を政策形成に向けて共有し、新たな知識創造へと結びつけていくことが必要となる。このように、ITを用いた政策形成の場には、単なる司会を超えた知識マネージメントを適用する必要性が格段に高くなっている。

ここで、なぜ、今、ITを用いた「政策プラットフォーム」なのかを確認しておきたい。この問題は、やはり、情報通信技術の発達を除外しては語れない。郵便、電話やFAXといったこれまでの通信は、1対1の意思疎通の手段であった。このため、これまでの通信手段を用い、n人で構成されるプラットフォームを設定した場合、各参加者が1回発言するために必要な通信数は、n(n-1)回となる。4人程度までなら、参加者の発言を一巡させるには10回程度の通信数であり、これまでの通信手段でもなんとか対応できそうである。しかし、参加者が100人規模となると参加者の発言を一巡させるのに必要な通信数は1万回に近づいてしまう。こうなると、とてもFAX、電話やコピーの回覧では処理できなくなる。したがって、これまでは、複数の人が知識を共有するために、政府の審議会のように事務局が委員の時間と場所を調整し、物理的に一堂に会して議論する必要があったのである。

しかし、1990年代後半以降の急速なインターネットの発達とメーリングリストの一般化などコンピュータの利用技術の高度化が、通信によって多数の人が参加する会議開催を歴史上初めて可能にさせるに至ったといえる。さらに、このコンピュータネットワークを使った通信は、会議を進める上で、同一の時間を共有する必要性すらなくしている。多忙な人、遠距離にいる人もディスカッションに参加することを可能にする「政策プラットフォーム」が持つ社会的制度的な意義を認識することが今重要であろう。

そこで、このような政策形成プラットフォームが政策決定過程で果たす役割を考えてみたい。第一に、政策形成プラットフォームは、議会や政府の代替機能を有しており、直接民主制を実現するものであろうか?この問いには、NOと答えなければならない。議会は(たとえ、制度的擬制であっても)民主的手続きを踏んで選挙された議員で構成されており、権力の源泉について正当性を有している国民の代表機関である。また、公権力の行使の主体となる政府は、議会によりその権力の源泉が与えられている。一方、政策プラットフォームには、このような代表性や正当性は見られない。このような「場」が既存の統治構造にとってかわることはないのである。

それでは、政策プラットフォームはエリートによる巧妙な国民の支配システムになるのであろうか?政策形成(知識創造)過程では、代表性を必ずしも有しない多くの人がその知識を共有し、表出化し、さらにこれを用いた知識創造が自己増殖的に機能することとなる。その結果、複数の施策が提案がなされることもあるだろうし、政策プラットフォーム間で政策競争が起きることもあり得る。したがって、政策の(形成ではなく)「決定」は、代表性を有する議会で行われ、権力の正当性の根拠を有する政府によって執行されることが必要となる。「政策形成プラットフォーム」はあくまでも、政策の企画立案過程で採用される仕組みと理解されるべきである。

このように考えてくると、21世紀に求められる行政官像が見えてきそうである。20世紀型の政策立案方式は、エリート中央官僚が、先進国の成功施策を模倣することによって成立していた。しかし、世界中の情報を瞬時に個人単位で共有することを可能とするネットワーク社会では、このような模倣型政策立案方式は、前近代的なものとなってしまった。さらに、行政主導でない様々な政策プラットフォームも出現し始めている。

このような中、我が国では、内閣に予算編成権、法案提出権があるため、政府が参画する政策プラットフォームは、現実の政策に採用される蓋然性が高いという特殊性を有している。したがって、政府主導の政策プラットフォーム(=「場」)のコーディネータとなり、知識管理型の政策形成を行うことが、公僕の重要なミッションの一つとなる。21世紀の「官僚」の存在意義はここにあるのかも知れない。

制度面でも忘れてはならないことがある。情報公開法は、請求に応じて限定的に行う消極的な情報開示する仕組みである。政策形成プラットフォームを有効に活用するためには、情報公開法とは異なり、政策の企画立案に必要な整理された情報を行政が積極的に開示し、市民、有識者などが主体的に政策立案に携わっていく環境を整備することが重要である。

2001年6月19日

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2001年6月19日掲載