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no.14: 行政機関による情報共有の不安と国家安全保障

泉田 裕彦
RIETIコンサルティングフェロー

全ての行政機関は、それぞれの行政目的に従って活動している。国家公務員法は、職員に守秘義務を課しており、個人情報に限らず、行政機関間での情報の流用はできないこととなっている。特に、情報が個人情報の場合は、行政個人情報保護法が、明文でその保有すら法令の定める所掌事務を遂行するため必要な場合に限っている。さらに、目的外使用があった場合は、罰則も設けられている。

米国では、9.11の同時多発テロを防げなかったのは、政府機関内で情報共有が円滑に行われていなかったためとの反省の下、2002年に国土安全保障法が制定され、テロに関連する情報については、国土安全保障省内に限らず、他の政府機関や地方政府さらには民間企業とも共有し、その調整を行う任務を国土安全保障省に付与している。テロに関連する情報には、当然のことながら犯罪歴や潜在的テロリストとの疑いがあるブラックリストといった情報も含まれる。

韓国の「情報共有法」とその効果

韓国では、輸出入手続きや港湾手続きを電子的に行うことを義務づけた。輸出入・港湾手続きは、多くの官庁が関係する。税関、検疫、入国管理、貿易管理、港湾当局、港湾管理者などである。事業者がこれらの複数の官庁に同様な情報を何度も提供することを避け、経済の効率化を促進する目的で実施した措置であった。この際、手続きを簡素化するとともに政府部内で情報を共有することを許容する法律を制定した。政府内で共有される情報には、企業秘密に属する取引情報や入国管理に必要な個人情報も含まれる。この結果韓国の水際システムは、利用者に対する手続を簡素化して経済効率性を向上させながら、取り締まり当局からも高い評価が得られるシステムとなった。政府部内の情報共有が進み、電子化以前は、限定された紙の情報を頼りに、検査官の経験に頼っていた水際検査が、データベースが整備されたことによって、体系的に検査を実施することが可能になったのである。情報の電子化は、手続きの簡素化とセキュリティーの向上を同時に達成する可能性を秘めている。

情報収集と情報共有を進める国際社会

2002年6月、テロ対策に関するG8の勧告が出された。この中で、様々なテロ対策面を繋ぐ全ての政府機関等の間の国内協力の強化が、盛り込まれている。更に、2002年10月29日のAPEC首脳会議で、「APEC貿易円滑化行動計画」と「テロリズムに対する闘いと経済成長に関するAPEC首脳声明」という2つの文書が採択された。この二つの矛盾するように見える「貿易円滑化とテロ対策強化」は、企業秘密や個人情報も含めて国際的に共有することによって同時に達成することを目指したものと理解される。例えば、先進国間では、事前旅客情報システム(Advanced Passenger Information System)の導入に合意し、順次システム整備が進められている。この制度は、政府と航空会社が協力し、出発空港において、搭乗した旅客(身分事項)に関する情報を、航空機の目的国到着前に、空港の税関、入管担当部署に送付するというものである。情報を受けとった担当部署は、この電子情報に基づいて、問題のある人物の有無を事前に審査し、事前に犯罪者やテロリストの入国防止対策を効果的に実施するとともに、問題の無い一般市民に対しては円滑で迅速な入国を図ることが可能となっている。

理念なき我が国の政策

それでは、我が国では、どうであろうか。2002年の住基ネットの稼働の際、情報を政府内で共有すること(データマッチング)を禁止する必要性が強く主張されたばかりである。この流れの中で、行政個人情報保護法が作成され、「個人情報を保有するに当たっては、法令の定める所掌事務を遂行するため必要な場合に限り、かつ、その利用の目的をできる限り特定しなければならない。」こととなっている。そこには、国家安全保障の観点が欠落している。正確に言えば、「相応の理由があると認められるとき」には、行政府が個人情報を本来の目的以外に利用することが出来るという一般的な規定を置いて議論を避けていると言った方が良いかも知れない。

行政機関の情報共有への主な反対理由を分類してみると個人情報が合法的に管理される社会を嫌うもの、行政や行政機関の職員が悪用する恐れを指摘するもの、情報漏洩の恐れを心配するもの、そして感情的なものがある。行政による人権侵害が生じるという主張には、一定の合理性がありそうだが、その恐れの内容を見てみると、国家に反抗するものは、病院にかかることも、電子マネーの使用も許可されず、現金を使用したものは即逮捕という国家の近未来像に基づくものであったり、補助金の交付や免許を付与等の何らかの行政処分を行う際に、それぞれの担当者がデータマッチングにより、申請者の収入や支出、納税や学歴、病歴等々の情報に基づきその判断を変える場合があるとの不安が背景となっていたりする。感情的なものとしては、「国民に背番号をつけること」は、名前の代わりに番号で呼ばれることを連想させる。 これは、囚人や管理される家畜のイメージと重なり人間の尊厳が犯されるという意識が生じるようだ。行政によって管理された情報が漏洩した場合、私人間でプライバシーの侵害が起きるという危惧も大きい。

これらの主張は、政府内で情報共有を行わないことでしか解消できないものであろうか? 例えば、国に恣意的に差別される恐れというのは、情報共有から直接生じる問題ではない。行政処分を行う際の運用を政策目的に添って適切に行うことができるかどうかという問題である。情報漏洩が生じた私人間でのプライバシー侵害問題は、損害賠償で事後的に解決すべき事柄かも知れない。住民基本台帳番号が付与されると個人が番号で呼ばれるようになるというのも、既に社会保障番号が個人に付与されている米国等の状況から見てもエキセントリックに過ぎるようにも思える。保護すべき権利と国家安全保障という政策目的を達成するための手段とを如何にバランスさせるべきかという問題を冷静に議論する必要がある。しかし、我が国では、国の安全とかセキュリティという用語に対しては、アレルギーといってもよいような反応が返ってくるため、これらについては真っ正面から議論されずに現在に至っている。

まとめ

政府は、確定申告やペイオフの際における名寄せ処理でも情報管理すべきでないという主張は、これまで通り脱税させてほしいというのに等しいものである。我が国は、このような必ずしも合理的でない主張にも配慮して、国内的には行政機関による個人情報の保有を制限する法律を制定すると同時に、国際的(G8等)には、テロ対策として国内関連機関の協働体制の強化と国際的な情報の交換の推進に同意している。この国において、政策形成にあたってどのような摺り合わせがあったのか理解に苦しむところがある。プライバシーの保護とのバランスを取りながら、国家安全保障の分野や同様な情報を複数機関に提出を求めている非効率な分野においては、電子化を前提に、早急に関係行政機関で情報収集・共有を進める法整備を行うべきである。諜報活動が失敗した場合の犠性がいかに大きいか、また、行政の非効率が経済に与える長期的な深刻さも真摯に考える必要があるだろう。

2003年5月28日

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2003年5月28日掲載