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ノンテクニカルサマリー

ワークライフバランスに対する賃金プレミアムの検証

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執筆者 黒田 祥子 (早稲田大学)
山本 勲 (慶應義塾大学)
研究プロジェクト 労働市場制度改革
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ディスカッション・ペーパー:13-J-004 [PDF:590KB]

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

人的資本プログラム (第三期:2011〜2015年度)
「労働市場制度改革」プロジェクト

概要と問題意識

これまで、企業におけるWLB施策については、費用対効果が見出せれば企業は積極的にWLB施策を導入するはずであるとの考えのもと、WLB施策と企業業績の関係性を検証する研究が多くなされてきた。それらの研究では、必ずしもWLB施策が企業業績を改善するとのコンセンサスは得られていない。たとえば、山本・松浦(2012)ではWLB施策の費用対効果がプラスになるのは、中堅大企業や製造業、労働保蔵を行う傾向の強い企業などで、それ以外の企業ではWLB施策は企業業績と関係がなかったり、むしろ企業業績を悪化させる可能性もあったりすることが指摘されている。しかし、WLB施策の費用対効果がない場合でも、柔軟な働き方と引き換えに、労働者が賃下げを許容することを通じてコストを負担するという補償賃金仮説の考え方が成立するならば、施策導入が進む可能性がある。そうなれば、現在のように「雇用は保証されているが長時間労働の正社員」と「雇用は不安定だが労働時間は短く柔軟な非正規社員」という二極化した働き方のほかに、別の働き方が普及する糸口を見出せるかもしれない。そこで、本稿では、費用対効果の観点から企業のWLB施策を検討する従来の研究とは一線を画し、WLB施策の受益者である労働者がその費用を負担する形でWLB施策が普及する可能性を見極めることを主たる目的とする。

本稿では、2つの企業・従業員マッチデータを用いて、WLB施策と賃金との間に補償賃金仮説が成立するかを検証し、WLB施策に関する負の賃金プレミアムの計測を試みる。すなわち、WLB施策と賃金との間に補償賃金仮説が成立しているかを企業・労働者のマッチデータを用いて検証し、成立している場合、賃金プレミアムを計測することによって、労働者や企業がWLB施策の導入に対してどの程度までの低い賃金設定が妥当と考えているか、という数値を導出する。

分析においては、観察されたデータと仮想質問形式のデータの2つのタイプの企業・従業員のマッチデータを利用し、伝統的アプローチと行動経済学的アプローチの双方を用いる。分析上の特徴点としては、従業員データだけでは補捉が不可能な企業側の情報を豊富に利用している点、勤務先企業にWLB施策があるか否かではなく、施策をその従業員が利用しているか(あるいは利用した経験があるか)という情報を用いている点、ホワイト力ラー正社員に対象を限定している点、仮想質問については、従業員だけではなく勤務先企業にも同じ質問を行い、賃金プレミアムに関する労使間の認識のギャップを検証している点などが挙げられる。

分析内容と含意

本稿の分析で得られた結果を要約すると、まず、観察されるデータを用いた伝統的アプローチによる推計では、フレックスタイム制度を利用している男性従業員について、補償賃金仮説が成立していることが認められた。また、フレックスタイム制度を利用することによる平均的な負の賃金プレミアムは、最大で9%と程度となることもわかった。こうした結果は、フレックスタイム制度導入企業は、非導入企業に比べて1割弱程度低い賃金で男性労働者を雇えていることを示唆している。ただし、女性については、フレックスタイム制度や両立支援制度に関する負の賃金プレミアムは検出されないケースが多かった。日本で補償賃金仮説が成立しにくい背景には、より良い労働条件を求めて人々が労働移動を行うような流動性の高い労働市場ではないことも関係している可能性がある。

そこで次に、「仮に施策が導入されたならばいくらの賃下げが必要か」という仮想質問データを利用して、行動経済学的なアプローチから、潜在的な労使のニーズを探ることとした。分析の結果、図にあるように、従業員側は「施策導入の代わりの賃下げは受け入れられない(0%の賃金プレミアム)」あるいは「10〜20%程度の賃下げなら受け入れる」とする回答が多かったのに対して、企業側は「導入は一切考えられない(-100%の賃金プレミアム)」という回答が圧倒的多数だったことが明らかになった。日本で、WLB施策が普及しない背景には、従業員側は施策を導入したとしても賃金は引き下げなくてよいと考えている人が多いのに対して、企業側は施策の導入を多大なコストと考えている先が多いという、認識の大きなギャップがあることがうかがえる。現実のデータを利用した推計結果で、負の賃金プレミアムが検出されにくかったが、その背景には、こうした認識のギャップが大きすぎて、施策を賃金を引き下げることで買い取るという取引がわが国では成立していない現状があると解釈することができる。

もっとも、「施策を導入したとしても賃下げは考えられない」とする従業員と、「施策導入は一切考えられない」とする企業をサンプルから除いた場合、図にあるように、フレックスタイム制度などの柔軟な働き方についての従業員側の平均賃金プレミアムは-25%程度であり、一方で企業側の平均賃金プレミアムは-12%程度であることも明らかになった。つまり、企業は施策導入には1割程度の賃下げが必要と考えているが、労働者は平均で2割以上を引き下げてでもこうした施策の利用を希望していることを示唆する。これらの結果は、労働市場の流動性が乏しいわが国においても、企業が労働者の潜在的なニーズをうまく汲みとることができれば、フレックスタイム制度などの導入により従業員の厚生を高めることができるだけでなく、人件費の大幅削減が実現可能となるケースもあることを示唆している。

図:仮想質問にもとづくWLB施策(柔軟な働き方)の賃金プレミアムの分布図:仮想質問にもとづくWLB施策(柔軟な働き方)の賃金プレミアムの分布

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