やさしい経済学―市場を創る技術革新

第5回 補完財の重要性

大橋 弘
ファカルティフェロー

市場を創る技術革新が有する波及効果(スピルオーバー)のもうひとつの側面として、米カリフォルニア大学バークレー校のティース教授が最初に提起した補完財の重要性について触れたい。

技術革新が起きる際、新製品やサービスがそれ自体単独として普及することはまれである。例えば自動車の普及を考えてみよう。わが国で自動車が初めて登場したのは明治時代であるが、本格的に普及したのは戦後もしばらく過ぎた1970年代であった。市場の立ち上がりにこれだけの時間を要した大きな理由として、自動車を走らせるためのインフラ整備に時間がかかった点が見過ごせない。自動車で長距離運転するには、道路やガソリンスタンドなどの整備が不可欠である。こうしたインフラ整備を通じて、自動車への需要も高まることになる。つまり自動車という技術が市場を創りだすためには、インフラなどの補完的な財が必要であり、それらを相互に普及させる波及効果の存在が不可欠なのだ。

市場を創りだす技術革新に補完財の存在が欠かせない点は、最近エコポイントで沸いている薄型テレビについてもいえる。薄型テレビは、新しい地上デジタル放送(いわゆる地デジ)に対応する過程で発展・普及してきた。来年7月に地デジヘの完全移行が控えていることもさることながら、デジタル放送による双方向の送受信が可能となり、高精細なハイビジョン放送を受信できることが、薄型テレビを本格普及させた一因と考えられる。事実、薄型テレビは2000年前後から売り出されていたが、地デジ放送の開始に合わせて新しいデジタル放送用のチューナーを内蔵した薄型テレビが登場すると、旧来のブラウン管テレビからの買い替えが大きく促された。

試みとしてPOS(販売時点情報管理)データを用いて型番別にテレビの需要関数を筆者らが推定したところ、地デジ対応製品に対する消費者の選好が格段に高いことが分かった。つまり、たとえ地デジがなくても薄型テレビは売れたと考えられるものの、地デジが視聴可能となることによって薄型テレビの価値は大きく高まった。地デジに対応していることにより、薄型テレビの全国平均価格は、例えば07年においては、普及拡大による費用逓減効果からほぼ30%下落し、全販売台数の20%に相当する200万台弱の売り上げが新たに生じたことがわかった。薄型デレビの普及は、補完財が技術革新に果たす役割の重要性を示唆する一例といえよう。

2010年8月4日 日本経済新聞「やさしい経済学―市場を創る技術革新」に掲載

2010年9月6日掲載

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