「TPPで農業壊滅」論の大きな誤り(中)

山下 一仁 上席研究員

コメなど高関税品目がTPP参加で壊滅するという主張にも大きな誤りがある。

第1に、日本と世界の農業についての、認識の誤りである。日本農業は米国や豪州に比べて規模が小さいので、コストが高くなり競争できないという主張が行われている。農家一戸当たりの農地面積は、日本を1とすると、EU6、米国75、豪州1309である。

規模が大きい方がコストは低下することは事実である。しかし、規模だけが重要ではない。この主張が正しいのであれば、世界最大の農産物輸出国アメリカも豪州の17分の1なので、競争できないはずである。これは、土地の肥沃度や各国が作っている作物の違いを無視している。同じ小麦作でも、土地が痩せている豪州の面積当たりの収量(単収)は、イギリスの5分の1である。EUの規模はアメリカや豪州と比べものにならない(アメリカの12分の1、豪州の218分の1)が、単収の高さと政府からの直接支払いで、国際市場へ穀物を輸出している。

作物については、アメリカは大豆やとうもろこし、豪州は牧草による畜産が主体である。豪州の農地面積は4億haで我が国の456万haに比べると、90倍もの大きさである。しかし、ほとんどが草しか生えない牧草地で、小麦等の穀物生産ができるのは2000万haに過ぎない。米作主体の日本農業と比較するのは妥当ではない。

コメについての脅威は主として中国から来るものだが、その中国の農家規模は日本の3分の1に過ぎない。EUの米の関税は日本の20分の1~50分の1の低い水準だが、EUにおける米の生産のほとんどを占めるイタリアとスペインの農場の平均経営規模はそれぞれ8ha、24haであり(2010)、日本でも既に北海道が到達し、政府が全国目標(20~30ha)に挙げているレベル以下である。

より重要な点は、自動車にベンツのような高級車とタタ・モータースのような低価格車があるように、同一の農産物の中にも様々なものがある。コメにはジャポニカ米、インディカ米の区別があるほか、同じジャポニカ米でも、品質に大きな差がある。国内でも、同じコシヒカリという品種でも、新潟県魚沼産と一般の産地のコシヒカリでは、1.7~1.8倍の価格差がある。他の産地がどれだけ頑張っても魚沼産には及ばない。

国際市場でも、日本米は最も高い評価を受けている。現在、香港では、同じコシヒカリでも日本産はカリフォルニア産の1.6倍、中国産の2.5倍の価格となっている。ベンツのような高級車は軽自動車のコストでは生産できない。カリフォルニアでも日本産に近い品質のコメのコストは高く、日本でのコメの値段と同じ値段で消費者に売られている。高品質の製品がコストも価格も高いのは当然である。

世界で貿易されるコメのほとんどはインディカ米である上、ジャポニカ米も含め、その貿易量のほとんどが、アフリカ、南アジア、一部の東南アジアなどの低所得国向けの、低価格、低品質米である。専門家によると、日本産に近い品質のジャポニカ米の流通量は、多く見積もって、世界貿易量3000万トンの1%、30万トンに過ぎない。日本のコメ生産量が800万トンであるから、日本米と競合する産品が少ないことがわかる。

第2に、「農業壊滅」論の大きな欠陥は、高い関税や減反政策で守られている今の農産物の生産構造やコストを前提にして、議論を展開していることである。減反政策とは、コメ農家が共同して生産量を制限することによって米価を高く維持する政策である。これによって60kg当たり1万3000円の米価が維持されている。

しかし、関税がなくなり、アメリカから1万円のコメが入ってきたら、どうだろうか? このカルテルは維持できない。国内米価も1万円近くに低下するしかない。"関税は独占の母"という経済学の言葉がある。関税が撤廃されれば、減反は維持できなくなるのである。不思議だが、「農業壊滅」論には、この点が全く欠落している。関税撤廃でどうなるのかを議論しなければならないのに、関税維持の状態で議論しているのである。

減反廃止の第1の効果は、供給が増えることによる米価の低下である。米価は8000円程度に低下し、日中米価は逆転し関税は要らなくなる。下図で、1番下のグラフは、日本が現実に輸入している中国産米の輸入価格である。下から2番目のグラフは、この中国産米を日本国内で売却した価格である。1番上の日本産米の価格と2番目のグラフとの差は、価格に現れた品質格差である。過去10年間、この差は15~30%程度である。カリフォルニア米も中国産米と同じ価格水準である。日本産米の価格が8000円に低下すれば、品質の良い日本産米の価格が中国産米等の価格を下回ることになる。

図1:日中米価の接近
図1:日中米価の接近
(出所)農林水産省資料より筆者作成
表
(注)SBS輸入の枠は近年、毎年10万トン/年。このうち、短粒種精米の輸入が6~7万トン程度。

第2の効果は、コストの低下である。単位数量あたりのコストは、面積あたりのコストを面積あたりの収量(単収)で割ったものである。したがって、単収が上がれば、コストは下がる。

しかし、減反政策は単収向上を抑制した。総消費量が一定の下で単収が増えれば、米生産に必要な水田面積は縮小し、減反面積が拡大し、減反補助金が増えてしまう。財政当局は、単収向上を農水省に厳に禁じた。このため、1970年の減反開始後単収向上のための品種改良は、行われなくなった。今では、日本の米単収はカリフォルニア米より、4割も低い。減反を廃止して、単収をカリフォルニア米並みになれば、コストは1.4分の1に低下する。

図2

「農業壊滅」論の最大の誤りは、関税が撤廃され、政府が何も対策を講じないという前提と農業の将来展望を持たないことである。最終回はこれについて、議論したい。

2013年2月18日「WEBRONZA」に掲載

2013年3月7日掲載

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