正しい農業政策

山下 一仁
上席研究員

農業保護の目的と実際

農業や農政の大きな目的として、国民への食料の安定的な供給があげられる。世界の食料需給は基調としては過剰であっても、自然を相手にする食料生産では突発的に食料不足が生じる。しかも、数週間でも食べられないと生命・健康が脅かされる。また、危機に直面すると、2008年の穀物価格高騰時に多くの国が輸出を制限したように、各国とも自国民への供給を優先する。苦しいときには外国は当てにならないのだ。

「食料安全保障」とは、国際価格が高騰したり、海外から食料が来なくなったりしたときに、どれだけ自国の農業資源を活用して国民に必要な食料を供給できるかという問題である。世界の生産が十分でも、シーレーンが国際的な紛争などによって破壊されれば、金があっても食料を買えなくなるような事態も起こりうる。このとき、必要な農業資源、特に農地が確保されていなければ、飢餓が生じる。土地は農業にとって不可欠かつ代替不能な生産要素だからである。これに対する対策としては、平時から農業生産活動を継続することによって、農地、農業技術等の農業生産資源を良好に維持・確保しておくことである。

アメリカやオーストラリアなど世界の大規模畑作地域等においては、“土壌流出”、“地下水枯渇”、“塩害”などにより生産の持続が懸念されている。これに対して、「水田」は、水の働きによって森林からの養分を導入する一方で病原菌や塩分を洗い流し、また雨水を止め表土を水で覆うことによって、窒素などの地下水への流亡、連作障害、塩害、土壌流出を防いできた。水田農業は、食料生産、地域社会の維持、景観の形成に貢献しているだけではなく、自然災害の防止、水資源のかん養等の一段高い公益性、つまり多面的機能を有している。食料の安定供給と並んで多面的機能も農業保護の理由や目的に挙げられている。

しかし、我が国農政はその目的に整合的なものとなっていない。

前々回説明したとおり、我が国農政の特徴は、農家所得を向上させるために価格を上げたことである。その典型が米である。高米価で米は過剰になったので、1970年以降減反を実施している。1995年に食管制度が廃止されて、米の政府買入れが備蓄用に限定され、かつての生産者米価が無くなってからは、米価は減反によって維持されている。

減反面積は今では100万ヘクタールと水田全体の4割超に達し、500万トン相当の米を減産する一方、700万トン超の麦を輸入するという食料自給向上とは反対の政策が採り続けられている。戦前農林省の減反政策案に反対したのは食料自給を唱える陸軍省だった。真の食料自給は減反と相容れない。

政府は、WTOドーハ・ラウンド交渉で高関税の削減に抵抗し、その代償として低い関税率で輸入される関税割当量をさらに拡大してもかまわないという対処方針を採っている。関税割当量の拡大は食料自給率を確実に低下させるばかりか、農業の縮小を通じて食料安全保障に不可欠な農地資源を減少させる。

多面的機能についても、そのほとんどが、水資源涵養、洪水防止といった水田が持つ機能である。しかし、水田を水田として利用しないどころか、減反で水田を潰し続けてきた。水田面積は戦後一貫して増加し、減反政策を開始した1970年には344万ヘクタールに達したが、減反導入後一貫して減少し現在では254万ヘクタールとなっている。これは食料安全保障も損なっている。

これまでの農政は価格支持という手法によって農家所得や農協組織の維持を目的としてきた。農家所得や農協組織を維持すれば食料安全保障や多面的機能という大きな目的に沿うことになるという理屈だったが、以上のように農政は本来奉仕すべき大義にそむくことになった。さらに、国内の食用需要が減少する少子高齢化、人口減少時代の下では、需要を抑制して価格を維持しようとするこの政策の矛盾は増幅する。

平時には農業生産は需要・消費に規定される。需要がないものは生産しても市場で消化できないからである。輸入国では、国内農産物に対する需要・消費は、全体量から輸入量を差し引いたものである。しかし、緊急時には作られるもの、あるいはあるものしか食べられないので、消費は生産、供給に規定される。輸入が途絶するという緊急時には、これまで輸入してきた食料を国内で供給しなければならなくなるが、その供給は、平時の輸入量を差し引いた需要に対応して継続されてきた生産・供給力に規定されてしまう。ここに日本のような輸入国における、農地を含めた農業資源確保の困難さがある。しかも、高齢化が進むと1人当たりの農産物消費量は減少する。それに人口減少が追い討ちをかけるのである。日本農業は大幅に縮小し、農地資源も大きく減少する。緊急時の消費を規定する国内の生産力が大幅に減少してしまうのである。これは国内価格を高く維持しているため輸出需要を考えられないからに他ならない。

過剰米対策の愚かさ

米消費の減少が続いているので、政府が備蓄用に持っている在庫とJA農協などの民間が持っている在庫を合計した量は、2010年6月現在、前年に比べて18万トン増加し316万トンになっている。農林水産省は政府備蓄量を100万トンに固定しているので、JA農協などの民間在庫が増加していることになる。

在庫が増えると、農協の保管経費が上昇する。かといって在庫を処分すると米価が下がり、農協は手数料収入を確保できなくなる。いずれにしても農協経営は圧迫される。政府に過剰在庫を買い入れさせ、海外への援助や家畜の餌に処分させれば、在庫も解消できるし米価も維持できるので、農協の負担はなくなる。

米について過剰在庫が政治問題化するのは、需要と供給を価格で調整するのではなく、生産や在庫という供給面で調整しようとするからだ。農産物については、わずかに供給が減少しただけで価格が大きく上昇する一方で、わずかに供給が増加しただけで価格は大きく減少してしまう。量の変化以上に価格は変化する。そうであれば、生産量を少なくして価格を引き上げた方が価格と生産量をかけた売上高を高くできる。減反によって米の生産を減少させたうえで、消費がさらに減少してしまうと、在庫を一時的に増やして市場への供給量を減らし、さらには翌年の減反を強化するという方法をとってきた。古い上着にさようならと言えない自民党は今でもこのような主張をしている。

農林水産省の政務3役は、農家が戸別所得補償を受け取るためには減反参加が条件なので米価は下がらないだろうし、下がっても戸別所得補償が増額されるので農家は困らないと主張してきている。これは筋が通っている。しかし、民主党の農業関係議員は自民党と歩調を合わせて、米価維持対策が必要だと主張し始めている。

他方で、過剰米対策を否定しているにもかかわらず、農林水産省は政府の備蓄量を100万トンさらに増やして一定量は市場から完全に隔離するという棚上げ備蓄を行うことについて、審議会の意見を求めている。審議会では農協出身の委員は賛成したが、財政負担が増えるという反対意見が強く出されている。これはいっときの過剰在庫を処理するだけで、恒常的な消費減少に対応できるものではないし、大不作が生じない限り、古くなった備蓄米は財政負担によって家畜の餌などに処分しなければならなくなる。農林水産省は年間520億円の財政負担が必要だとしている。

減反を拡大しても米消費の減少に追いつかないため、米価はこの10年間で25%も低下した。今後は高齢化で1人が食べる量が減少するうえ人口も減少するので、国内の食用の米総消費量はさらに減少する。米価が下がるということを前提にして、農業政策を展開していけば、輸出など国内の食用以外の需要を獲得できるようになる。1990年代、それまで価格低落時に市場から買い入れることで穀物価格を維持してきたEUは、直接支払いを導入することで穀物価格を30%引き下げて、アメリカから輸入してきた餌用の穀物需要を域内の穀物で代替し、3300万トンほど積み上がった在庫を完全に消滅させた。もっともよい過剰米対策は直接支払いと価格の引下げである。しかし、我が国農政はEUの農政改革後20年も経つというのに、価格支持政策の愚かさに気がつかないでいる。

日中の米価は接近してきている。減反を廃止したうえで主業農家に限定した直接支払いを導入すれば、財政負担を抑えながら日本米の国際競争力を向上させることが可能となる。平時には米を輸出して小麦を輸入すればよい。食料危機の時には輸出していた米を国内に向けるのである。こうすれば平時から危機時に必要な農地資源を維持することができる。農政を価格支持から直接支払いに転換することこそ食料安全保障や多面的機能の目的にも資することになるのである。国民への食料供給という目的に支障を生じるような農政なら、無くした方がよい。政権交代を機に亡国農政にさらばと告げようではないか。

2010年10月5日号『週刊農林』に掲載

2010年10月21日掲載

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