農家の戸別所得補償
「零細」保護でコスト上昇

山下 一仁 上席研究員

我が国農政の特徴は、農産物価格、特に米価を引き上げて農家所得を確保しようとしたことだ。米価が高いので、コストの高い零細な兼業農家でも、町の米穀店から高いコメを買うよりも自分で作ったほうが有利となり、農業を続けてしまった。このため、農地は農業で生計を立てている主業農家に集約されず、米作の規模拡大、コストダウンは実現しなかった。主業農家の販売シェアは、野菜や酪農では8~9割以上に達しているのに、コメだけが4割にも満たない。

1995年に食糧管理制度を廃止した後も、政府は生産を減らして高い米価を維持する減反政策を続けている。農家を減反に参加させるため、毎年2000億円、累計で7兆円に上る補助金が支出されてきた。高い米価と納税者負担という二重の国民負担を強いる政策である。

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民主党政権の「戸別所得補償政策」も減反参加が支給条件だ。欧州連合(EU)が農産物価格を引き下げて所得補償に切り替えたのと違って、日本は減反政策を続けて価格を維持し、さらに戸別所得補償(3371億円)という財政負担を加えてしまうのだ。

戸別所得補償(農地10アール当たり1万5000円)の算定根拠はどうなっているか。まず、他産業従事者では所得に当たる労働費を農林水産省が計算し、肥料・農薬など実際にかかったコストを追加して「架空のコスト」を算出する。その架空のコストと米価との差を、週末しか農業をしない兼業農家も含めてほとんどの農家に支払うという方式だ。コストが価格を上回れば本来は生産を継続できないはずだが、これは架空のコストなので常に米価を上回っている。

米価が低下すると戸別所得補償は増額され、農家の手取り所得は確保される。逆に米価が上がっても、1万5000円の戸別所得補償は減額されない。つまり、農水省の計算した架空のコスト水準は、農家の手取りが常にこれを上回るという「最低保証米価」になる。1万5000円という額は現在の米価と比較すると12%の引き上げ、平均所得(収益)で計算すると58%の引き上げに相当する。

現行米価を上回る水準を保証してしまえば、零細な兼業農家も農業を続け、主業農家に農地は集積しない。それどころか、零細農家は農地を貸して地代(10アール当たり平均1万4000円)を得るより、自ら作付けして得られる収益(戸別所得補償を加算すると同4万1000円)の方がはるかに有利なため、主業農家に貸していた農地を“貸しはがす”おそれがある。主業農家の規模が縮小すれば、米作全体のコストは上がる。また、生産コストが上がると最低保証米価も引き上げられる仕組みなので、農家はコスト削減努力をしなくなる。

日本の国民1人当たりのコメ消費量は過去40年間で半減した。水田面積の4割にも及ぶ減反をさらに進めるのは限界があり、減反拡大がコメの消費減少に追いつかないため、米価はこの10年間で25%も低下した。高齢化で1人が食べる量はさらに減少するうえ、今後は人口も減少するので、国内のコメ総消費は減少し、コメの市場価格は一層下落するはずである。上昇するコストと下落する価格の差を補てんする戸別所得補償に必要な財政負担はますます増加する。これでは、食糧管理制度の時代へ逆戻りである。

そもそも、給与水準を引き下げられた勤労者や、シャッター通り化した商店街で廃業を余儀なくされた商店主は所得補償されていない。なぜ勤労者世帯よりも高い所得を得ている裕福な兼業農家に納税者は何千億円も支払わなければならないのだろうか。このシンプルな問いに政治は答えていない。

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食糧安全保障のためには、その基礎となる農地資源を確保することが必要である。終戦直後には、人口7000万人で農地が500万ヘクタール以上あっても飢餓が生じた。しかし、我が国は大規模な農地造成を行う一方で、今の全水田面積と同じ250万ヘクタールもの農地を喪失してしまい、現在1億人を超す人口がいるにもかかわらず農地は461万ヘクタールしか残っていない。縮小する一方の国内市場に対応してコメの作付けを減らす減反は、農地減少を加速させる。減反を維持し兼業農家も対象とする戸別所得補償とは逆の政策を導入すべきだ。

減反を段階的に廃止し米価を引き下げれば、兼業農家は耕作を中止し、農地は貸し出される。一方、主業農家に直接給付して地代の支払い能力を高めれば、農地は主業農家に集まり、コストは下がる。こうして主業農家の収益が増えれば、地代も上昇し農地の貸し手の兼業農家も利益を得る。零細農家が退出した後の農地は主業農家がより効率的に活用するので、食糧供給に問題は生じない。酪農では、40年間で農家戸数は40万戸から2万戸に減少したが、牛乳生産量は250万トンから800万トンへ拡大している。

中国産米の日本国内での売却価格を輸入価格で割って1を引くと必要関税率が求められるが、これは約10年前の300%から2009年度は40%を切る水準まで低下してきている。もはや高い関税は必要ない。60キログラム当たり1万5000円の国産米価格に対し、中国からの輸入価格は10年間で3000円から1万円に上昇し、価格は接近している。減反を廃止した場合、国内米価は9500円に下がると想定され、中国産米の値段を下回る。08年に「汚染米」が出回る原因となった低関税のミニマムアクセス(最低輸入量)米を輸入する必要もなくなる。さらに、コメを海外に輸出することも可能になる。

国際的にも、タイ米のような長粒種から日本米のような短粒種へ需要はシフトしており、ほとんど長粒種だけを生産していた中国でも短粒種の生産のシェアは30%に拡大している。中でも日本米はアジア市場で高く評価されており、我が国市場では中国産米に対し国産米が15%程度の価格プレミアムを持っている。

中国の最大の内政問題は、都市部と内陸農村部の1人当たり所得格差が3.5倍以上に拡大しているという「三農(農業・農村・農民)問題」である。上海など我が国に近い臨海部に高品質の米を求める富裕層がいることは、日本からの輸出に好条件である。他方、中国の農家の経営規模は日本の3分の1にすぎず、中国農業の競争力は安い農村部の労働に支えられている。

三農問題が解決されていけば、農村部の労働費は上昇し、中国産の農産物価格も上がる。中国産米の価格が仮に1万3000円に上昇すると、商社は日本米を国内市場から減反廃止後の米価9500円で買い付けて1万3000円で輸出するので、国内市場への供給が減少し、輸出価格の水準まで国内価格も上昇する。これによって国内米生産は拡大する。

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食料自給率を40%から50%に引き上げるという目標を達成するために、政府は小麦などについても戸別所得補償を導入して生産を拡大しようとしている。しかし、今では讃岐うどんの原料が豪州産小麦であるように、品質の劣る国産小麦の生産を拡大しても製粉会社は引き取れない。

日本のように個別品目ごとに自給率を上げようとしている国も珍しい。米国は日本よりも農産物輸入額は多いが、それを上回る輸出を行うことによって、全体で100%を超える自給率を達成している。どの国も生産が得意なものを輸出して不得意なものを輸入している。

日本に適している農産物はコメである。しかし、安い米粉や飼料用のコメ生産には膨大な財政負担が必要となる。そこで食用米を増産し輸出して、小麦を輸入するのだ。食糧危機で輸入が困難となった際は、輸出していたコメを国内に向けて飢えをしのげばよい。平時の自由貿易と危機時の食糧安全保障は両立する。輸出が増えて国内生産が拡大すれば自給率も向上する。

人口減少により国内の食用需要が減少する中で、平時に需要にあわせて生産しながら、食糧安全保障に不可欠な農地資源を維持しようとすると、自由貿易のもとで輸出を行う必要がある。これまで食糧安全保障の主張は、農産物の貿易自由化反対のために利用されてきたが、人口減少時代には自由貿易が食糧安全保障の基礎になるのである。

2010年5月13日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2010年5月27日掲載

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