農政史上初の中山間地域等直接支払いの運命-価格支持から直接支払いへ

山下 一仁 上席研究員

EUの条件不利地域直接支払いやWTO農業協定上の「緑」の政策の要件を参考としながら、農政史上初の中山間地域等直接支払いが「食料・農業・農村基本法」の目玉として2000年度から導入された。中山間地域では傾斜や小区画などという生産条件の不利な農地があることから耕作放棄が増加しているため、直接支払いという手法により耕作放棄の原因となる生産条件の不利性を直接に補正することとしたものである。

アメリカ・EUとともに我が国においても、OECDが勧める価格政策から直接支払い政策への一歩を進めることとなったのだ。

ティンバーゲンというノーベル賞経済学者が明らかにした経済政策の基本原理は問題に直接対処する政策を採るべきだということである。農家所得を向上させるのであれば、直接所得に効果を与える政策を採るべきである。しかし、所得支持のために高米価政策・生産調整という価格による間接的な政策を採ったため、米については消費の減少、供給の拡大、米への農業資源集中による自給率低下、構造改革の立遅れによる国際競争力の低下等大きな副作用を生じてしまった。

対象を絞ることが重要である。条件不利の補正を行うのであれば、条件の良い農家に助成することは不適当である。農工間の所得格差の是正を目的とするのであれば、勤労者よりも高い所得を得ている農家に所得補償を行うことは不適当である。農業・農家を区別することなく無差別に効果を及ぼす価格政策は助成が必要な農業・農家とそうでないものを区別することはできない。これに対し、直接支払いは問題となる対象に直接ターゲットを絞って対策を集中することができる。対象の限定こそ直接支払いの最大のメリットである。中山間地域直接支払いの導入に際しても、政治的な抵抗はあったが、対象地域を地域振興立法の対象地域とし、対象農地はこのうち農業生産条件の不利な急傾斜等の農地と限定した。

また、目的と手段は一対一で対応しなければならない。条件不利に対する政策と構造改革に対する政策は別々の政策でなければならない。従来から財務省はこの基本原理を理解しないようだ。転作奨励金制度が複雑怪奇となったのは構造改革という別の目的のための手段を生産制限のための政策に次々に入れ込んでしまったからである。胃薬に目薬を混ぜるようなことをしてきたのだ。

これまでの評価と意義

中山間地域等直接支払制度はわずか300億円程度の国の予算で実施されたが、全国の関係者の努力により中山間地域の活性化と農地の保存に制度の設計者の予想をはるかに上回る成果を挙げている。財務省担当者が座右に掲げる‘小額多効'の模範例である。規模の上では比較にならないが、1930年代昭和農業恐慌に対処するため‘隣保共助'‘自力更生'をスローガンとして官民一体で大きな盛り上がりをもって推進された農政史上特筆される“経済更生運動”の平成版といってもよいかもしれない。

ア.多面的機能を実現するための政策
佐伯尚美東大名誉教授は「日本にはこれまで国際交渉の場では農業の非経済価値とか、多面的機能とかを強調してきたが、しかし国内的にはそうした政策はきわめて手薄だった。それがこれによって、ようやくそうした政策が本格的にスタートすることになったわけです。そこにこの政策の画期的意味があると思います。」と述べている。

イ.農地を維持管理する耕作者に対する支払い
この直接支払いはコメの転作奨励金と異なり所有者ではなく農地を実際に維持管理する耕作者に交付することとした。これは農地の借り手の地代負担能力を高め、農地の集積による構造改革効果をも持つことになった。

ウ.制度の5年間固定
制度がくるくる変更されるようだと、農家も集落も安心して農地を維持管理できなくなる。過去に猫の目農政という批判があった。このため、直接支払いの単価、制度を5年間固定した。所要額についても集落協定の締結数が徐々に増加することを考慮し、都道府県に基金を設け年度ごとの支出額の変動を吸収できるようにした。国の予算単年度主義に事実上の修正を加えた。

エ.5年間の協定期間と交付金の遡及返還
協定のうちの一部でも耕作放棄・転用した場合は遡って交付金を返還してもらうこととした。局長その他の幹部はことごとく反対したが、私は譲らなかった。ある野党機関紙が5年間の維持管理義務は厳しすぎるという記事を書いたとき、私は大臣に「5年間の内に耕作放棄するといっているような人に直接支払いをするのでは国民は納得しません。」と説明した。大臣は君の言うとおりだと理解していただいた。今回の見直し検討会では、この仕組みは耕作放棄の発生防止に効果を上げていると評価されたようである。

オ.地域からのボトムアップと地域裁量主義
本制度検討会報告は「直接支払い類似の対策は国に先行する形で各地の地方公共団体により実施されてきている。従来の農業政策の多くは国レベルで決定したものを地方が実施するというものであったが、今回導入されようとする直接支払いは地方で草の根的に実施されてきた政策をいわばボトムアップにより全国レベルで展開しようとするものであり、画期的な意義を有するものと考えられる。」と述べている。

また、実現された制度についても、都道府県、市町村、集落の判断・発想が最大限発揮されるよう、広範な地域裁量主義を認めている。(例えば、対象地域・農地についても全国的な基準だけではなく、一定の面積の範囲内で知事が独自の基準を設けられるようにした。)これにより、各地で独創的な活発な取り組みが展開されてきている。注目されるのは、直接支払いの使途に限定はないため、これを活用して担い手への直接支払いを行っている地域が出ていることである。国がモタモタしている間に地方から新しいボトムアップが発生しているのだ。

財政当局からの廃止要求

今年に入り財務省は財政制度審議会を使って本制度の廃止を含めた抜本的見直しを要求した。本制度は価格政策のように一律に効果の及ぶバラマキ政策ではなく、OECDが世界農政の改革方向として支持するターゲットを絞った直接支払いである。しかも、今までのところ農政として唯一の直接支払いである。また、農林水産省予算のわずか1%の金額にもかかわらず、これほど効果を上げた政策はないのではないか。財務省が構造改革に資するものでなければバラマキだというのであれば、条件不利政策という本質を理解しないものだろうし、また、これまで年間2兆円以上の農業予算を投下しながらどれだけ構造改革効果が挙がったのか示して欲しい。

農家個人が所有する農地の整備は私的投資であるが、コストダウンを通じた農産物価格の低下により効果が消費者に帰属することが毎年一兆円規模の農業基盤整備事業を農家負担わずか10%で行う根拠だった。その一方で農産物価格を下げないという生産調整に30年間で6兆円を投入した。中山間地域等直接支払いの見直しを要求する前に、財政当局としてやるべきことがあるのではないだろうか。

先日私が生産調整を廃止して担い手農家への本格的な直接支払いを導入すべきであると話したところ、財務省の大先輩から「農林省が生産調整を導入すると言ったとき私は大反対したが政治的に押し切られた。今の山下さんのような人物がなぜあの時に出なかったのか。農林省の人材育成に奇妙なものを感ずる」と言われた。また、当時大蔵省主計局は専業農家と兼業農家とで生産者米価に差をつけるべきだとの主張を行っていた。対象者を限定した直接支払いにつながる考えである。今の主計局担当者がどのような農家にも一律に効果の及ぶ生産調整による高い米価の維持を支持しているのであるとすれば、私も主計局の人材育成に奇妙なものを感ずる。

先日農林省の大先輩の葬儀で谷垣禎一財務大臣の姿をお見かけした。父君専一氏は“経済更生運動”のもととなった農村恐慌から農民を救うという決意で農林省に入られた方々の一人である。ご子息が財務大臣として“経済更生運動”の平成版といってもよい中山間地域等直接支払制度の廃止を指揮していると知れば、今はなき専一氏はどのように感じられるだろうか。

2004年11月15日号 『週刊農林』に掲載

2004年11月22日掲載

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