農協改革事始め
タブーが60年ぶりに政治議題に

山下 一仁
上席研究員

協同組合原則に反する農協

本来の協同組合は、利用者である組合員が自主的に作る組織である。農家のような小さな事業者も、協同組合を作ることで、市場での交渉力を高め、資材を安く購入したり、製品を高く販売できる。

その原則は、「利用者が所有し、管理し、利益を受ける」という簡単なものである。株式会社の場合は、株主ではない不特定多数の人に製品やサービスを販売し、その利益の配分を株主が受ける。これに対して、協同組合では、組合の所有者が製品やサービスを購入する利用者である。組織の重要な事項について決定するのも、利用者である。

農協とは農業者の職能組合である。それなのに、正組合員である農家以外に、地域の人であれば誰でも組合員になれる准組合員制度がある。准組合員は、組合を利用はできるが、意思決定には関与できない。准組合員は利用者が管理するという協同組合原則に反している。

そのうえ、生協には否定されている組合員以外の利用(員外利用)が、農協には20~25%まで認められている。ムラではなく「マチのみんな」のJAバンクは、国民的なテレビ番組のスポンサーとなって、組合員だけではなく、不特定多数の国民一般に広告宣伝活動を行っている。これらの利用者は組合員ではないので、「利用者が所有する」という原則に反している。

さらに、農協は多数の子会社を作ることで、農協法の員外利用の規制逃れを行い、不特定多数の人に製品やサービスを販売してきた。全国農業共同組合連合会(全農)の株式会社化という改革案に対して、農協はすでに多数の子会社を作っていると主張し、協同組合であることを進んで否定するような反論を行っている。それなら、全農は簡単に株式会社になれそうなのだが、それは嫌だという。

農協は、農家が肥料などの農業資材を安く購入するために作った組織なのに、農協組織としては農家に高く売った方が利益となる。どれだけの価格で仕入れているのか、他の販売ルートと価格やサービスはどのくらい違うのかなど、農業資材の情報提供を組合員が農協に要求しても、農協はなかなか応じようとしない。また、農家が農協を通じないで作物を販売したり資材を買おうとすると、農協に手数料収入が落ちないので、農家に融資をしないとか、施設を利用させないとかという圧力を加えてきた。

組合員農家は農協にとって「主人」ではなく、商売の対象となる単なる「客体」である。組合員は指輪から葬式までいろいろな物品やサービスの販売の対象である。こうした組織が、「利用者(組合員)が利益を受ける」という原則に合致しているとは考えられない。つまり農協は、協同組合原則を満たしていない組織なのだ。

日本だけの特殊な組織

そもそも農協は、農家が自主的に作ったものではない。生協と違い、政府が作った官製の組織である。

戦前、農業には「農会」と「産業組合」という2つの組織があった。

「農会」は、農業技術の普及とともに、地主階級の利益を代弁するための政治活動を行っていた。農会の政治活動の最たるものは、米価引き上げのための関税導入だった。輸入を抑制して供給を減少させれば、小作料として得たコメの価格は上がる。地主階級は、コメの関税を導入したほか、農林官僚による小作人解放の努力をことごとく退けた。

農会の流れは、現在の農協の営農指導・政治活動(JA全中=全国農業協同組合中央会の系統)につながっている。強力な政治力、高米価や高関税への固執という点で、全中は地主階級と同根である。

「産業組合」は、組合員のために、肥料・生活資材などの購入、農産物の販売・融資などを行うものだった。当初の産業組合は地主・上層農主体の資金融通団体、つまり信用組合がほとんどだった。しかし、農産物価格の暴落によって、東北では娘を身売りする農家も出た昭和恐慌を乗り切るために、農林省によって、産業組合は全町村に設置され、全農家を加入させ、農業・農村の全ての事業を行う組織に拡充された。

ヨーロッパやアメリカの農協は、酪農や青果などの作物ごと、生産資材購入や農産物販売などの事業・機能ごとに、自発的に設立された専門農協である。これに対し、産業組合を引き継いだ農協は、作物を問わず、全農家が参加し、かつ農業から信用・共済(保険)まで多様な事業を行う「総合農協」となった。

農会と産業組合という2つの組織が戦時中、統制団体「農業会」として統一され、戦後、農協がそれを引き継いだ。食糧難の時代、農家は高い値段が付くヤミ市場に、コメを流してしまう。そうなると、貧しい人にもコメが届くように配給制度を運用している政府にコメが集まらなくなる。このため、政府は農業会を農協に衣替えし、この組織を活用して、農家からコメを集荷させ、政府へ供出させようとした。連合国軍総司令部(GHQ)の意向は、農業会を完全に解体するとともに、農協は強制加入ではなく、加入・脱退が自由な農民の自主的組織とすべきだというものだったが、農協は農業会の単なる「看板の塗り替え」に終わった。

農協法の前身の産業組合法は当初、信用事業を兼務する組合を認めなかった。農協法を作る際も、GHQが意図したのは、欧米型の専門農協だったし、信用事業を農協に兼務させると、信用事業の独立性や健全性が損なわれるばかりか、農協が独占的な事業体になるとして、GHQは反対していた。GHQが危惧していた通り、信用事業を持つ農協は独占的な事業体として発展しただけではなく、農協の活動に協力的でない農家に対して、融資を行わないなどの行動を取るようになった。

地主制に代わり、戦後の農業・農村を支配したのは、農協制である。農地改革で農地の所有権を与えられた農家、農村は保守化した。これを組織したのが農協だった。農協制も、地主制と同様、保守政党を支え、強力な政治力を発揮しながら、農業・農村に君臨した。

農協が推進した高米価政策で、コストの高い零細規模の兼業農家が多数滞留。主業農家の規模拡大は阻害され、コメ農業は衰退した。減反で食料安全保障や多面的機能に不可欠な農地資源は大幅に減少した。

ところが、多数の兼業農家の農外所得、農地の宅地などへの転用による巨額な収入が、信用事業を兼務する農協の口座に振り込まれることで、農協は我が国第二位のメガバンクに発展した。准組合員は年々増加し、農協は、農家ではない准組合員の方が多い、「農業」の協同組合となった。兼業農家から集まった資金は、農業よりも准組合員に住宅・車・教育ローンとして貸し出された。

米価を上げることで、農協が持つ全ての歯車がうまく回転した。農業を発展させるために作られた組織が、それを妨害し、脱農化することで発展するという皮肉な結果が生じた。

安倍政権の挑戦

しかも、農業だけでなく、農協は医師会なども巻き込み、環太平洋連携協定(TPP)交渉に対する一大反対運動を展開し、日本経済全体の進路さえも左右するような政治力を発揮している。TPP交渉参加後も、多くの農産物について、関税撤廃の例外とするよう政府・与党に迫り、交渉の進展をブロックしている。TPPによって関税が撤廃されて米価が下がり、非効率な兼業農家が退出し、主業農家主体の農業が実現することは、農協にとって組織基盤を揺るがす一大事だからだ。

しかし、日本の農業団体が、このような力を通商交渉で発揮できるのも、日本の経済力が高いからである。日本が小国なら、日本の農業団体の要求など、アメリカは歯牙にも掛けない。農協は日本の産業力に寄生している。寄生植物が、宿主である産業が発展するために必要な、TPP交渉を妨害しているのである。寄生植物が栄養分を取り過ぎ、宿主の体力が弱まれば、寄生植物も生きてはいけない。しかし、それに気がつかない農協は、TPP反対運動をやり過ぎてしまった。

内外の機関投資家から、農業改革やTPPはアベノミクス「第3の矢」の試金石だと受け止められている。安倍政権がこれらを妨害する農協の力を削ごうとしたことは、想像に難くない。組織の解体につながる農協改革を突きつければ、農協はTPPに反対できない。今回の規制改革会議の提案でも、株式会社の農業参入についての規制緩和は、意外なほど農協の抵抗なく実現された。

農協の集票力は落ちている。80年に農業出身の候補者は参議院全国区で230万票を獲得していたが、今では34万票に減少した。もちろん、小選挙区制で2人の候補者が競り合っている時に、例え3%でも組織された票が相手方陣営に行くと6%の差がついてしまう。農協に当選させる力はないが、落選させる力はまだある。これに候補者はおびえる。

しかし、民主党の現状をみると、自民党は農協票を当てにする必要はない。いっそ、この組織を解体し、票を組織できないようにすれば、相手方陣営に票が行くかもしれないという心配をしなくてよい。長年タブーとされた農協改革が政治のテーマとなったのは、こうした事情が背景にあるのだろう。微動だにしないと思われた地主制も、小作争議や革新的な農政官僚の挑戦によって、次第に動揺し、農地改革によって完全に解体・消滅した。寄生化した農協制も、同様である。農協改革の機は熟した。

農協の概要と特徴

我が国の農協組織の概略を説明しよう。図の「総合農協」とは、基本的には市町村レベルの農協で、「単協」と呼ばれる。単協は、農家への肥料、農薬などの農業資材の販売、農産物の加工・販売、ガソリン、生活物資の供給(これらは「経済事業」と呼ばれる)、信用、共済など農協が行える全ての事業を行っている。これに対して、都道府県段階以上の農協連合会は、経済事業、信用、共済などの機能ごとに組織されている。

農協系統組織図
農協系統組織図
(注)()内の数字は12年12月現在
(出所)総合農協統計表10年版、農業協同組合新聞13年4月25日、JA全中HP

都道府県の中央会、全中は、JAグループの指導機関とされているが、政治活動の中心となっている。経済連、全農は、経済事業を行う組織である。

信連、農林中金のJAバンクは90兆円の預金量を持つが、衰退している農業への融資はその1%程度にすぎず、3割程度を准組合員への住宅ローンや元農家へのアパート建設資金などへ融資している。残りの資金は、日本最大級の機関投資家である農林中金が、ウォールストリートなどで運用して大きな利益を得ている。全国のJAグループの支店網から預金が集まる見返りとして、農林中金はJAグループに毎年3000億円ほどの利益を還元している。ロットの小さい零細な兼業農家中心の経済事業は毎年赤字を計上しており、JAグループの経営面を支えているのは、JAバンクである。

全共連(全国共済農業協同組合連合会)は、生命保険、損害保険の業務を行う組織であり、機能は民間の保険会社と異ならない。

JAグループの特徴は、「系統」農協という耳慣れない言葉があるように、全国組織、都道府県組織、単協という序列の上意下達のピラミッド型組織となっていることである。原則として、農産物は、農家→単協→経済連→全農というルートで販売され、肥料や農薬は、その逆のルートで農家に販売される。これに対して、「系統」生協という言葉はない。下(現場)からの運動という協同組合の性格から、このようなヒエラルキー的な関係がないのは、当然だろう。協同組合の原則は、利用者である組合員が組合を管理するというものだった。しかし、単協は組合員ではなく、連合会によって管理されている。

規制改革会議の改革案

食糧管理法は1995年に廃止され、農地法もたびたび修正され、限定的ながら株式会社の農業参入も認められている。しかし、これらと並び戦後農政の柱だった農協については、この60年間、政府の機関が改革を検討することさえ許されなかった。5月22日政府規制改革会議がまとめた農協改革案は、戦後まもなくの農協法制定以来の本格的な提案だった。

第1に、農協は兼業農家を維持するため農業の構造改革に反対してきた。その政治活動の中心だった全中に関する規定を、農協法から削除する。全中は系統農協などから毎年80億円の賦課金を徴収してきた。農協法の後ろ盾がなくなれば、全中は強制的に賦課金を徴収して政治活動を行うことはできなくなる。

第2に、全農の株式会社化である。これは、協同組合性を否定するということである。日本の農業には、農協によって作られた高コスト体質がある。肥料・農薬、農業機械の価格は米国の2倍である。全農を中心とした農協は、肥料で8割、農薬・農業機械で6割のシェアをもつ巨大な企業体である。しかし、協同組合という理由で、全農には独占禁止法が適用されてこなかったし、一般の法人が25.5%なのに19%という安い法人税、固定資産税の免除など、様々な優遇措置が認められてきた。

本来、農協は農家が安く資材を購入するために作った組織だったのだが、独占禁止法が適用されないことで、高い資材価格を農家に押し付け、最終的には高い食料品価格を消費者に押し付けてきた。様々な優遇措置がなくなることによって、全農が一般の企業と同じ条件で競争するようになれば、資材価格や食料品価格が低下することが期待できる。

第3は、信用・共済事業について、単協を農林中金や共済連合会の代理店にしようというものである。代理店としての報酬は受けるので、現状から大きな変更はないが、形式的には、単協から信用・共済事業を分離することとなる。さらに、準組合員の利用を正組合員の半分以下に抑えることも打ち出した。

全中会長は、規制改革会議の提案に対して、「組織の理念や組合員の意思、経営・事業の実態と懸け離れた内容だ」と非難した。しかし、農協は協同組合原則を無視している。農家らしい農家は農協から離れている。筆者の「農協解体」(宝島社)という著書を読んだ見知らぬ農家から、よくぞ言ってくれたという激励の言葉が寄せられる。全農の株式会社化は、子会社化を進めてきた農協の「経営・事業の実態」そのものではないか。

全中による農協の経営指導や監査が役に立っているのであれば、どうして農協職員による横領などの不祥事が絶えないのか? 全中による監査は農協を全中の意向に従わせる効果を持ってないのか?

なぜ全農を通じると資材価格が高くなるのか? 豊作が見込まれた2007年に農家への仮渡金を1万2000円から一気に7000円に引き下げ、コメを引き取らないという意思表示をした全農は、農家のために行動しているのか? 株式会社化すればできなくなると農協が主張する共同販売・購入についても、全農が株式会社化されるだけで、依然として協同組合である単協には、独占禁止法は適用されない。しかも、生活資材の共同購入を行っているAコープは株式会社ではないのか?

農協の意向を忖度せざるを得ない自民党によって、6月に出された規制改革会議の答申は、5月の改革案が骨抜きされた文書となった。全中は新たな制度に移行するが、「農協系統組織での検討を踏まえて、結論を得る」。全農の株式会社化も、「独占禁止法の適用除外がなくなることによる問題の有無などを精査し、問題がない場合には」という条件付きで、「株式会社化を前向きに検討するよう促す」。判断するのは全農である。準組合員については、「正組合員の事業利用との関係で一定のルールを導入する方向で検討する」とトーンダウンした。

農協は、民間組織である農協に国が関与するのはおかしいと反論した。規制改革会議の答申が判断する主体を農協としているのは、これを反映したものだ。しかし、銀行は他の業務の兼業は禁止されているし、生命保険会社は損害保険業務ができない。農産物販売から葬祭事業、銀行、生命保険、損害保険、全ての業務が可能な法人は、日本国内で農協しかない。会社法によって設立されている銀行は、規制法である銀行法がなくても困らないし、今以上に自由に活動できる。しかし、農協法がなくなれば、農協は存続さえできない。広範で強大な特別の権能を認めている農協法は、戦後の食糧難時代にコメを政府に集荷するために、農林省がGHQと交渉して作った法律であって、農協が作ったものではない。今の時代の農協法の在り方について、国民が議論するのは当然である。

農協を改革できれば、減反廃止など農業の構造改革も進む。しかし、60年間手を付けられなかった農協改革が簡単に実現できるはずがない。10年くらいかけて、国民が農協に挑戦し続けることによって、やっと実現できるような難題である。農協・農業改革は始まったばかりだ。

金融財政ビジネス2014年7月3日第10422号・合併号に掲載

2014年7月28日掲載

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