農業にこそTPPは必要
このままではコメは安楽死

山下 一仁
上席研究員

問題の本質は"TPPと農協"

自民党や国会の委員会は、コメ、麦、牛肉・豚肉、乳製品、砂糖などを関税撤廃の例外とし、これが確保できない場合は、TPP交渉から脱退も辞さないと決議した。農業票が気になる国会議員にとっては、関税維持が国益のようだ。

しかし、関税で守っているのは、国内の高い農産物=食料品価格だ。農家保護のために、国際価格よりも高い農家保証価格を維持するためには、関税が必要となる。

コメを例に取ろう。関税で国内市場を国際市場から完全に隔離しているので、国内の需要と供給で決まる市場価格は国際価格よりも高くなる(今は国際価格が上昇しているので、下回る可能性も出てきた。これについては、次回、詳しく述べる)。さらに、減反で供給を減少させるので、国内価格はさらに高くなる。消費者は、関税と減反で二重の負担をしている。

それだけではない。コメの場合はほぼ100%自給しているが、麦、砂糖、牛肉など他の農産物については、相当量の輸入が行われている。消費者は、国産農産物だけでなく輸入農産物についても、高い価格を負担している。例えば、消費量の14%に過ぎない国産小麦の高い価格を守るために、86%の外国産麦についても関税を課して、消費者に高いパンやうどんを買わせている。

多くの政治家は、貧しい人が高い食料品を買うことになるとして、消費税増税に反対した。食料品の軽減税率も検討されている。その一方で、関税で食料品価格を吊り上げることは、政治家にとって国益なのだ。

しかし、日本と異なり、アメリカやEUは、農家への保証価格と市場価格との差を財政からの直接支払いを農家に交付することで、消費者には低い市場価格で農産物を供給しながら、農業を保護する政策に切り替えている(表1、図1)。なぜ日本では、それができないのだろうか?

表1:日米欧の農業保護政策
図1:日米農業保護政策の概念図

関税がなくなり価格が下がっても、アメリカのように財政で補填すれば、農家は影響を受けない。消費者は価格低下の利益を受ける。しかし、農家は影響を受けなくても、価格が下がって販売手数料収入が減少する農協は困る。特に、米価を高くして兼業農家を維持したことが、農協発展の基礎となった(「農業・農村の伝説、迷信、謎の正体」参照)。関税がなくなって米価が下がれば、農協組織にとって一大事だ。農協がTPPに対して大反対運動を展開しているのは、このためだ。問題の本質は、"TPPと農業"ではない。"TPPと農協"なのだ。

TPPに反対するために編み出された主張が、関税による消費者負担を財政負担に置き換えるなら、巨額な負担が必要となるというものだ。例えば、内外価格差を計算する際に、品質の低い外国産の価格と比較することで、コメで1兆7000億円必要だと主張する。これが正しいのなら、国内のコメ生産額は1兆8000億円なので、消費者は現在、外国から1000億円で買えるコメに1兆7000億円もの負担を行っていることになる。こうした主張は、消費者に多額の負担を強いていると白状していることに他ならないのだが、論者はこれに気がつかない。実際には、内外価格差が縮小しているので、これほどではないものの、日本の農政が消費者に多くの負担をしいているのは事実だ。

先ほどの小麦のように、消費者は輸入している外国産麦にも高い価格を払っているので、消費者負担はこれよりもさらに大きい。国内農産物価格と国際価格との差を直接支払いで補てんするだけで、消費者にとっては、国内産だけでなく外国産農産物の消費者負担までなくなるという大きなメリットが生じる(直接支払いの場合、図2の関税→撤廃の分だけ消費者は軽くなる)。

図2:直接支払いと関税による保護の差

それどころか、コメについては、財政負担をしながら消費者負担も高めるというとんでもない政策を40年以上も実施している。5000億円もの税金を使って農家に減反に参加させることにより、供給を減少させ、主食であるコメの値段を上げて、5000億円を超える消費者負担を強いているのである。1兆8000億円のコメ生産に対して、国民は、納税者として消費者として二重の負担をしており、その合計は1兆円を超える。

自民党は、今回の減反見直しで米粉やエサ用のコメ生産の補助金を大幅に増額しようとしている。これらの生産が増加して主食用のコメ生産が減少すれば、その価格は上昇し、国民負担はさらに高まる。主食用の米価の上昇こそ、自民党、農水省、農協の農政トライアングルの狙いである。これに対して減反を廃止して、その補助金の一部を減反廃止による価格低下で影響を受ける農家への補償に切り替えれば、少ない財政負担で済むだけでなく、これまで国民に負担させてきた膨大な消費者負担は消えてなくなる。しかし、それは農協の組織に打撃を与える。こうして、国民全体の利益とは関係なく、農政は進められる。

安楽死する農業

コメの生産は1994年1200万トンから800万トンに3分の1も減った。これまで高い関税で守ってきた国内の市場は、今後高齢化と人口減少でさらに縮小する。この人口の変化に合わせて生産すると、日本農業は安楽死するしかない。

日本農業を維持、振興しようとすると、輸出により海外市場を開拓せざるを得ない。その際、輸出相手国の関税について、100%と0%のどちらが良いのかと問われれば、0%が良いに決まっている。国内農業がいくらコスト削減に努力しても、輸出しようとする国の関税が高ければ輸出できない。貿易相手国の関税を撤廃し輸出をより容易にするTPPなどの貿易自由化交渉に積極的に対応しなければ、日本農業は衰退するしか道がない。TPPは農業のためにも必要なのだ。その際の正しい政策は、減反廃止による価格引下げと主業農家に対する直接支払いである。守るべきは農業であって、関税という手段や農協という組織ではない。

日本の産業や農業にとって有望な市場は中国である。TPPよりも日中韓のFTAを優先すべきだという主張がある。しかし、今でも関税1%で中国へ輸出できるが、簡単に輸出できない。日本ではkg当たり500円で買える日本米が、上海では1300円もする。中国では、国営企業が流通を独占し、高額のマージンを徴収しているからだ。関税をゼロにしても、このような事実上の関税が残る限り自由に輸出できない。

アメリカがTPPで狙っているものに、中国の国営企業に対する規律がある。同じ社会主義国家で国営企業を抱えるベトナムを仮想中国と見なして交渉することで、いずれ中国がTPPに参加する場合に規律しようとしているのだ。日本が日中のFTAで中国に国営企業に対する規律を要求しても、中国は相手にしないだろう。アメリカの力を借りて国営企業に対する規律を作るしかない。TPPに参加することが中国市場開拓の道となる。

民俗学者柳田國男の農政論

民族学者、柳田國男は1900年東京帝国大学法科大学を卒業後、今の農林水産省、当時の農商務省に法学士第一号として入省した。

戦前の農業には2つの問題があった。1つは小作人問題である。地主に収める小作料は収穫したコメの半分にもなっていた。これを小作人はお金ではなく、現物のコメで納めた。地主は、高い関税でコメの供給を制限することにより米価を引き上げ、彼らに集まったコメを売却して所得の増加を図ろうとした。今の農協と同じである。彼らは、国防強化に名を借りて食料の自給が必要であると主張した。

当時の日本農業が抱えていたもう1つの問題は、零細な農業構造である。今でも日本農業の規模は小さいが、当時は農業で働いている人は、今の5~6倍もいた。

日本農業はアメリカに比べ規模が小さいので競争できないという当時の農業界の主張に対し、柳田は、関税ではなく生産性向上を図るべきだと主張した。高コストの生産を保護することは望ましくないとし、労働者の家計を考えるのであれば、外国米を入れても米価が下がるほうがよい、農村から都市へ労働力が流出するのを規制すべきではなく、農家戸数の減少により農業の規模拡大を図り、生産性を向上させるべきであると主張した。柳田は日本で最初に農業の構造改革を主張した人だったが、農業界の人たちには受け入れられず、2年くらいで農商務省を去った。

米豪とは規模が違うので競争できないか

1世紀前と同じく、今日の農業界もアメリカや豪州に比べて規模が小さいので、競争できないという主張を行っている。農家一戸当たりの農地面積は、日本を1とすると、EU6、アメリカ75、豪州1309である。

規模が大きい方がコストは低下することは事実である。しかし、規模だけが重要ではない。この主張が正しいのであれば、世界最大の農産物輸出国アメリカも規模は豪州の17分の1なので、競争できないことになる。これは、土地の肥沃度や各国が作っている作物の違いを無視している。同じ小麦作でも、土地が痩せている豪州の面積当たりの収量(単収)は、イギリスの5分の1である。EUの規模はアメリカや豪州と比べものにならない(アメリカの12分の1、豪州の218分の1)が、単収の高さと政府からの直接支払いで、国際市場へ穀物を輸出している。作物については、アメリカは大豆やとうもろこし、豪州は牧草による畜産が主体である。コメ作主体の日本農業と比較するのは妥当ではない。

より重要な点は、自動車にベンツのような高級車とタタ・モータースのような低価格車があるように、同一の農産物の中にも様々なものがあることだ。コメにはジャポニカ米、インディカ米の区別があるほか、同じジャポニカ米でも、品質に大きな差がある。国内の同じコシヒカリという品種でも、新潟県魚沼産と一般の産地のコシヒカリでは、1.5倍の価格差がある。

国際市場で、日本米は最も高い評価を受けている。現在、香港では、同じコシヒカリでも日本産はカリフォルニア産の1.6倍、中国産の2.5倍の価格となっている(図3)。ベンツのような高級車は軽自動車のコストでは生産できない。高品質の製品がコストも価格も高いのは当然である。カリフォルニアでも日本産に近い品質のコメのコストは高く、日本でのコメの値段と同じ値段で消費者に売られている。日本の農業界の主張は、ベンツとタタ・モータースの価格を比較して、大幅な価格差があるので、ベンツはタタ・モータースと競争できないと言っていることと同じである。

図3:香港でのコメ評価(1kgあたり)

しかも、アメリカ等と競争できないという議論には、関税が撤廃され、政府が何も対策を講じないという前提がある。アメリカやEUは直接支払いという鎧を着て競争している。

日本農業だけが徒手空拳で競争する必要はない。近年国際価格の上昇により、内外価格差は縮小し、必要な直接支払いの額も減少している。現在の価格でも、台湾、香港などへ米を輸出している生産者がいる。世界に冠たる品質の米が、生産性向上と直接支払いで価格競争力を持つようになると、鬼に金棒となる。コメの輸出は原発事故の影響を乗り越えて、着実に増加している(図4)。これは、内外価格差が農業界が主張するほど大きなものではないことを示している。

図4:増加続けるコメの輸出数量

関税・減反政策の行き着く先

国際的にも、タイ米のような長粒種から日本米のような短粒種へ需要はシフトしている。中国では、おこわのようにコメを蒸して食べていた。この15年ほどの間に、電子炊飯器によって炊くという調理方法が日本から普及してから、ジャポニカ米の消費は大幅に増えたといわれている。かつてほとんど消費されなかったジャポニカ米の消費は4割まで拡大している。

仮に、減反廃止により日本米の価格が現在の1万4000円から8000円に低下し、一方で三農問題の解決による農村部の労働コストの上昇や人民元の切り上げによって中国産米の価格が1万3000円に上昇すると、商社は日本市場でコメを8000円で買い付けて1万3000円で輸出すると利益を得る。この結果、国内での供給が減少し、輸出価格の水準まで国内価格も上昇する。これによって国内のコメ生産は拡大するし、直接支払いも減額できる。

しかし、アメリカと異なり、日本が減反を廃止しないで国際価格より高い国内価格で農家を保護するという政策を取り続ける限り、関税撤廃には応じられない。ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉の時と同じく、TPP交渉でも、日本政府は、せめてコメだけでも関税撤廃の例外にしてくれと交渉するのだろう。その代償として、TPP諸国のための無税の輸入割当枠、TPP枠の設定を要求されるだろう。アメリカのコメ業界からすれば、日本へのコメ輸出を拡大すればよい。

農協のために国内の米価も下げないで、また、安倍首相の面子も保ったうえで、米国のコメ業界の対日輸出を増やしたいという要求を満足させるためには、TPP枠の設定しかないのである。その分コメは余るから、さらに減反を強化せざるを得ないこととなろう。輸出の振興など論外である。そうだとすれば、今まで通りコメは安楽死するしかない。

DIAMOND online 2013年12月11日に掲載

2014年1月14日掲載

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