“廃止”では全くない“減反見直し”(上)

山下 一仁
上席研究員

主要紙が一斉に減反の廃止を報道している。

「見直し」だと減反の仕組みを変えるだけだが、「廃止」だと生産を減少させて高い米価を維持してきた戦後農政の大転換になる。11月3日付の朝日新聞の社説は一本で、“コメ政策転換―小手先の改革は許されぬ”という気合の入った見事な主張を展開している。

しかし、本当に政府・自民党は減反の廃止を行おうとしているのだろうか? 戦後の農政は、農産物、特にコメの価格を高く維持することで農家の所得を守ろうとしてきた。これを戦後最大の圧力団体であるJA農協が強力にバックアップしてきた。

米価を上げることで、これと比例する農協のコメ販売収入も増加した。また、高米価でコストの高い零細な兼業農家もコメを作り続けた。農地が出てこないので主業農家へ農地は集まらず、その規模拡大・コストダウンは進まなかった。こうしてコメ農業は衰退した。

しかし、兼業農家の滞留は農協にとって好都合だった。農業所得の4倍に達する兼業所得も年間数兆円に及ぶ農地の転用利益も、銀行業務を兼務できるJA農協の口座に預金され、農業は日本第2位のメガバンクとなった。農協の発展の基礎に、食糧管理制度と減反政策によって実現された高米価があったのである。農協がTPP大反対運動を展開したのは、関税が撤廃されて米価が下がれば、これまでの発展の基礎が危うくなるからである。

高米価政策は戦後農政の中核である。岩盤中の岩盤だと言ってもよい。これが簡単になくなるのだろうか? 私のように35年も農政と付き合ってきた者には、信じ難いことである。これだけの大転換を行うには、よほどの環境変化が必要である。TPPだろうか? しかし、自民党はコメの関税は撤廃しないとしている。関税がなくならないなら、減反を廃止して米価を下げなくてもよい。

減反廃止が事実なら、農協と二人三脚で活動してきた自民党の農林族議員が、農水省の提案に理解を示しているのは、なぜだろうか? 主要紙と異なり、JA農協の機関紙である日本農業新聞は、減反廃止とは全く受け止めていない。むしろ保護の拡充を期待するかのような報道である。自民党の減反見直しの責任者、宮腰光寛・農業基本政策プロジェクトチーム座長は、10月30日の講演で、生産調整(減反)の必要性を強調している。

減反の歴史や経緯を通じて、その本質を見よう。これが十分理解されないで、多くの報道がなされているように見えるからである。

減反は1970年から始まった。食管制度の高米価政策によって、生産が増え消費が減り、コメが過剰になったからだ。過剰在庫を抱えた政府は、その処理に3兆円を費やした。当初は、生産を減らして食管が買い入れる数量を減らし、財政負担を減少させることが狙いだった。

農協は食管による無制限買い入れを主張し、減反に反対した。農協をなだめるために、政府は減反する水田面積に応じた補助金、アメを交付した。それでも過剰米を買い入れて飼料用等に処分するよりも安上がりだった。のちに、減反補助金は余っている水田に麦や大豆などの作物を植え、食料自給率を向上させるという名目で交付される。減反ではなく転作だと言われるようになった。

しかし、言葉は違っても、コメの生産を減らすという本質は同じである。しかも、コメ農家のほとんどは兼業農家で麦などを作る技術もないので、補助金を受けるために、作付はしても収穫はしないという“捨作り”という状態も出てきた。このため、40年も転作を続けても、食料自給率は上がるどころか、低下している。

アメに加えて、減反に協力しない地域や農家には、翌年の減反面積を加重したり、機械などの補助金を交付しないなどのムチも用意された。95年に食管制度がなくなった後は、農協にとって減反は米価維持の唯一の手段となっている。

民主党政権は、2010年度から、ムチの部分を止めて、減反に参加した農家に、コメ作付面積に応じて10アールあたり1万5000円という戸別所得補償を導入した。つまり、減反面積への減反補助金とコメ作付面積への戸別所得補償という、アメとアメの政策に変えたのだ。北風と太陽の寓話のように、アメはムチよりも減反達成にはよく効いた。減反に参加しなかった農家も参加するようになったからである。

この戸別所得補償を自民党はバラマキだと批判した。今回の自民党・農水省の見直しは、戸別所得補償に代えて、減反に参加しない農家にも、水資源の涵養や洪水防止など農業の多面的機能に着目した直接支払いを導入するというものだ。

政府が生産目標数量の配分を行わないことと戸別所得補償を5年後に廃止することに目が奪われ、主要紙は減反廃止と書いたようだ。民主党が始めた政策を止めるだけなのだ。減反面積への減反補助金は依然として交付される。これは減反の維持であって廃止ではない。

2013年11月4日「WEBRONZA」に掲載

2013年11月22日掲載

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