パート賃金格差、何が問題か

鶴 光太郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

安倍政権が5月中に閣議決定する予定の「ニッポン1億総活躍プラン」の目玉の1つは「同一労働同一賃金」の実現であろう。

法律改正の準備を進めること、どのような賃金差が正当でないか早期にガイドラインを制定し、事例を示すことについては政府も既にコミットしている。また、検討の場である「同一労働同一賃金の実現に向けた検討会」も立ち上げられ、議論が進んでいる。どの程度具体的な方針が示されるかが注目される。

日本の労働市場の二極化を是正するために非正規雇用の処遇改善は長年の懸案でありながら十分な対応がなされてこなかった。しかし、ここであえて同一労働同一賃金の実現というアプローチをとるのはなぜか。

前述の検討会の議論や安倍晋三首相の国会答弁を見る限り、パートタイム労働者の時間あたり賃金水準が欧州諸国においてはフルタイム労働者に比べ2割程度低いのに対して、日本においては4割程度も低い状況にあるという事実(図参照)が出発点になっているようだ。同一労働同一賃金の実現に踏み込めば、こうした賃金格差は大幅に縮小することが前提になっているのであろう。

図:パートタイム労働者の賃金水準
図:パートタイム労働者の賃金水準
(出所)労働政策研究・研修機構「データブック国際労働比較2016」、日米英は2014年、それ以外は2010年のデータ

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しかし、こうした国際比較から政策方針を決定する場合にはいくつかの注意も必要だ。なぜなら、まず、第1に、同一労働同一賃金を「ある時点での職務内容が同じであれば常に同じ賃金を支払う」という狭義の概念としてとらえるならば、同一労働同一賃金が実現したとしても上記のパートの賃金格差がなくなるとは限らないからだ。

例えば、勉学や家事の負担のある学生、主婦などはフルタイムよりもパートタイムを選好する分、受け入れても良いとする賃金水準は低くなる。また、長い通勤を嫌うパートタイマーはなるべく地元で働きたいと思う一方、雇う側が彼らを囲い込み、独占力を発揮すれば、賃金が低くなりやすい。

一方、企業からみれば、雇用者には一定の固定費用がかかるため、総労働コストは雇用者の労働時間に比例して増加するわけではない。労働時間の短いパートタイマーは企業にとってコスト的に割高になる分、賃金が低くなると考えられる。こうした要因による賃金格差は職務が同じでも当然発生しうる。

第2に、フルタイムとパートタイム労働者の平均的な賃金格差を単純に国際比較し、その大小の是非を論じることは必ずしも適切ではない。フルタイムとパートタイム労働者の能力や職務が異なれば、両者の平均的賃金に反映されることになる。例えば、フルタイム労働者の学歴や勤続年数など人的資本の蓄積が平均的に高ければ賃金も高くなるのは当然である。

したがって、国際比較を行う場合でも、上記のような労働者の様々な属性を考慮し、そうした要因を調整した上で、残る賃金格差に着目する必要がある。

例えば、ベルギー・ブリュッセル自由大学のジル・オドシェ助教授らの2007年の国際比較の分析では、男性のパートタイム賃金格差は調整前でベルギー24%、デンマーク28%、イタリア28%、スペイン16%、アイルランド149%、英国67%となっている。しかし、労働者の様々な属性を調整すると、それぞれの格差の中で説明できずに残る割合は、デンマークでは消滅する一方、イタリアでは半分程度は残るなど、調整前の格差はほぼ同じでも調整後の格差は大きく異なる。

こうしたパートタイム賃金格差は使用する統計や手法によって同じ国でも数値にばらつきがあることに留意する必要があるが、既存の研究を総括すると、英語圏諸国は格差が比較的大きく、北欧諸国では調整後に格差がなくなる国もある。また、オーストラリアは複数の研究で調整後はむしろパートの賃金の方が高くなることが報告されている。

日本については雇用形態間の賃金格差を厳密に分析した研究例はわずかだ。

筆者は経済産業研究所において、リクルートワークス研究所の久米功一主任研究員、千葉大学の佐野晋平准教授、青山学院大学の安井健悟准教授と共同研究を進めているところである。非正社員の中でも正社員に近い契約社員などと正社員の賃金格差は37%程度であるが、学歴、年齢、勤続年数、婚姻、子供数、居住地、勤務先産業、職務などを調整すると暫定的な結果ではあるが、残る格差は4分の1程度となり、1割を切ることが確認された。

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欧州を中心としたパートタイム賃金格差の研究から得られる政策的インプリケーション(含意)として重要なのは、比較的賃金格差の大きい英国での「職務分離」の問題である。

英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のアラン・マニング教授らの08年の論文では、英国の女性のフルタイム、パートタイムの賃金格差は25%であるが、基本的な属性を調整すると12%程度と半分程度になり、職務まで調整すると3%まで縮小することを示した。これは、フルタイムとパートタイムでは職務が異なることが賃金格差の大きな要因になっていることを示すものである。

実際、英国ではフルタイム勤務の女性がパートタイムに変わる場合は、勤め先や職務を変えなければならない場合が多く、より格下の職務になることで賃金もその分低下しやすい。

英イースト・アングリア大学のサラ・コノリー教授らの09年の論文では、高スキルの女性がフルタイムからパートタイムヘ変わる場合、26%(勤め先を変えた場合は43%)が職務格下げを経験し、賃金もこうした転換で32%減少することを示した。また、同じ職務でフルタイムに戻ったとしてもフルタイムを続けた場合より40%ほど賃金は低いままになる。

例えば、パートヘの転換でプロフェッショナル職業の女性の半分が低スキルの職務へ、また、看護師の3分の2がパートの介護土に転換しており、パートタイマーはそのスキルを十分に活用できていないといえる。

英国の場合、同じ仕事をしている分には格差は大きくないが、女性のフルタイムとパートタイムの仕事は大きく異なるという「職務分離」が問題であり、パートタイムでより良い仕事が増えなければならないとマニング教授らは強調している。こうした「職務分離」が賃金格差の最も大きな要因になっていることは他の欧州諸国の最近の分析でも確認されている。

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日本の場合、この「職務分離」の問題がどの程度深刻かについてはさらなる分析が必要であろう。しかし、こうした要因が仮に大きければ、同一労働同一賃金の実現ではパートタイム賃金格差縮小はおぼつかない。むしろ、フルタイムで働いている場合、勤め先や職務を変えなくてもパートタイムで働けるようなオランダ型の柔軟な労働時間制度の導入がカギとなる。

また、パートタイム賃金格差は初職の若年者には存在しないが、パートタイムの勤続年数が長くなると格差が顕著になることがいくつかの国の研究で明らかになっている。欧州連合(EU)指令のように賃金などの処遇においてパートタイムも勤続年数を配慮する「期間比例の原則」の導入が検討されるべきだ。

2016年5月17日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2016年5月27日掲載

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