日本は南欧化するのか?

鶴 光太郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

小泉政権末期から議論を重ねてきた社会保障と税の一体改革は、消費税引き上げを含めた国会論戦にまでこぎつけた。しかしこの間、世界的な経済危機や東日本大震災を経て一般会計の歳出は大きく膨らむ一方、財政健全化に向けた長期ビジョンも依然として不透明なままだ。大きな政府を志向してきた欧州に目を向けると、ギリシャなどの南欧諸国は深刻な財政危機に見舞われ、それにもかかわらず緊縮財政への反発が強まっている。日本も、ずるずると「南欧化」への道を進んでしまうのであろうか。

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この問題を考えるには、共に大きな政府が志向されるのに、なぜ北欧と南欧で財政の健全性に大きな違いがあり、英米などアングロサクソンの国では小さな政府が志向されるのかを、統一的に理解する枠組みが必要となる。その画期的な研究成果が、仏エコール・ポリテクニークのピエール・カユック教授、パリ政治学院のヤン・アルガン教授とマルク・サンニエール講師の2011年の論文である。

彼らは、国民の福祉国家への支持や、福祉規模の決定要因として、国民の公共心を重視する。公共心が高いとは、脱税や社会給付の不正受給などをしないことを意味する。国民の公共心が高ければ公務員も汚職や不正をせず、透明性が高く効率的な政府が構築されやすいと考える。

国民は自身の公共心の有無にかかわらず、周りに公共心の高い人が多いと考えれば、より高い税負担とそれに応じた社会給付を受け入れ、福祉国家を支持するだろう。税金を払わない国民や不正を働く役人は少なく、自らの負担が再分配により確実に戻ってくると考えるからである。一方、公共心のない人々も、公共心のある人よりさらに強く再分配政策を求めるだろう。彼らは税負担を逃れながら再分配による給付の恩恵にただ乗りするからだ。

こう考えると、一国で公共心のある人の比率が高まれば、他人をより信頼できるため、再分配や福祉国家への支持は全体として強まる。その一方、再分配の恩恵にただ乗りする公共心のない人が増える場合も、福祉国家への支持が強まるという2つの異なる効果が働くことになる。

つまり、国民の公共心の高さと再分配への支持(福祉国家の規模)は単調な正の関係ではない。「まじめな国民・公務員が多いため、大きいが効率的な福祉国家」と、「不正を働く国民・公務員が多いため、大きく非効率的な福祉国家」という2種類が存在することとなる。一方、公共心が中程度の国は国民の再分配へ支持は相対的に弱く、小さな政府が志向される。

実際、カユック教授らは「欧州社会調査」「世界価値観調査」といった国際的な調査を利用し、周りの人々への信頼感や公共心への評価が高く、政府機関への信頼の厚い人ほど、福祉国家への支持が強いことを示した。年金生活者や失業者の生活水準や、教育の現状への主観的評価で公的サービスの質をみると、他人や政府への信頼が高い人ほど国のサービスの質は高く、効率的だと考える傾向が強かった。一方、政府からの不正受給、交通機関の無銭乗車、脱税、収賄、ごみの不法投棄、盗難品の購入などが正当化されると考えるかどうかで本人の公共心の高さを測ると、やはり公共心の低い人ほど福祉国家への支持が強かった。

先進国を対象に他人への信頼と社会保障支出の関係をみても(図参照)、信頼度が高い北欧諸国やオランダは社会支出の割合も高い。信頼度が中程度まで下がると、社会支出の割合が低く小さな政府であるアングロサクソン諸国と日本のグループとなる。さらに信頼度が低くなると、逆に社会支出の割合が高い南欧諸国が主体となる。ギリシャ、イタリア、スペインなどの南欧諸国の公共心の低さは、脱税の温床となる地下経済の規模が大きい(オーストリア・ヨハネスケプラー大学のフリードリッヒ・シュナイダー教授の調査では国内総生産比20~25%)ことからもわかる。

図:他人への信頼と福祉国家の規模
図:他人への信頼と福祉国家の規模
(出所)OECDと「世界価値観調査」
(注)福祉の規模は社会支出のGDP比(%)、他人への信頼度は「ほとんどの人は信頼できる」と答えた割合(%)、2000年

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それでは、こうした高福祉国家への支持自体は、世代を超えて受け継がれてきた文化のようなものなのであろうか。もしそうなら、環境変化や政治的な力では容易に変わらないかもしれない。

文化(キーワード参照)の役割は経済学でも注目されてきた。文化自体が経済状況や制度の影響を受けるので、独立的な影響を分析するのは難しいが、ダートマス大学のエルゾ・ラットマー教授とハーバード大学のモニカ・シンガール教授は11年の論文で、近年注目を集めている疫学的手法(キーワード参照)を用い、欧州諸国の移民の再分配への支持が、本人や親の出身国の人々の平均的支持と連関があることを示した。これは再分配への支持に文化が影響していることを示唆している。

こうした指摘に対し、カユック教授らは、同じ疫学的手法で第1世代の移民の再分配政策への支持が、彼らの出身国の平均と連関している一方、第2世代の人々に出身国の影響はなく、身の回りの人々や自分の住んでいる国の法制度、政治、議会などへの信頼が影響していることも示した。つまり、再分配への支持は住んでいる地域で適応する中で生まれてくる信念・考えと、親から受け継いだ文化的な嗜好で規定されるが、後者の影響は第2世代の移民では消えていたのである。

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これらの研究は日本の現状を考える上でどのような含意を持つだろうか。日本人の他人への信頼や公共心の高さは「世界価値観調査」でみると欧米先進国の中ではおおむね中程度で、過去約25年にわたり目立った変化はみられない。しかし、政府への信頼に関する質問項目をみると、議会や公的サービスに極端な不信を持つ層が着実に増えており、欧米先進国と比べても高い部類に入っている。

1990年代以降、様々な政府の失敗が明らかになり、国民の信頼は低下した。現在も政権・政党を問わず、「政府には無駄な支出や埋蔵金が相当ある」といった批判は根強い。もちろん無駄の排除は重要だし、政治は国民に代わって政府や官僚を監視する役割を求められている。

ただ、政治家による極端な霞が関・公務員バッシングは、政府への国民の信頼を過度におとしめ、自ら手足を縛ることにはならないであろうか。「公務員は信頼できず、政府部門には無駄があふれている」と国民が信じれば税負担の引き上げには当然賛成しないであろうし、機会があれば脱税や不正受給をしてやろうと思うようになっても不思議はない。つまり、政府への信頼低下をあおることは国民の公共心を低下させることにつながりかねず、非効率で大きな政府が温存され財政破綻につながる「南欧化」の原因にもなりかねない。

「南欧化」は決して文化ではなく、社会的・制度的環境が変われば回避は可能である。まず政府の透明性を高め、国民の信頼を回復させるとともに、国民の公共心やお互いの信頼を高めていくような対応が必要だ。政治や国民レベルでの認識とコンセンサスを深めていくべきであろう。

キーワード

文化

経済学的定義については、ニューヨーク大学のラケル・フェルナンデス教授による「空間的、時間的に隔離されたグループの間で系統的に異なる信念や嗜好」といった定義や、ゲーム理論の立場から、「繰り返される社会的接触の中で安定した均衡として自然に選ばれ、継続していくような社会規範や個人の信念」とする伊ボッコーニ大学のグイド・タベリーニ教授の定義などがある。

疫学的手法

疫学では、病気の原因が先祖から受け継ぐ遺伝子によるものなのか、周りの環境によるものなのかを移民と現地人を比較して分析するなど、複数の集団を統計的に比べて明らかにする。経済学でも同様に、サーベイ調査を利用して移民とその子孫の考え方、嗜好、行動などを現地人と比較するなどして、受け継がれてきた文化自体の根源的効果を分析する手法が用いられる。

2012年5月21日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2012年6月6日掲載

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